はじめに: 高原の都に抱かれて
エチオピアの首都アディスアベバは、標高2,400メートルの高原に築かれた美しい都市だ。「新しい花」を意味するこの街の名前は、19世紀末にメネリク2世皇帝の妃タイトゥ・ベトゥルによって名付けられたという。アフリカ大陸で最も標高の高い首都であり、一年を通して涼しく過ごしやすい気候に恵まれている。
この街は、アフリカ連合の本部が置かれることからも分かるように、現代アフリカの政治的中心地としての顔を持つ。しかし同時に、3000年を超える長い歴史を持つエチオピアの伝統文化が息づく場所でもある。正教会の美しい教会建築、独特の文字体系であるゲエズ文字、そして世界最古の人類化石「ルーシー」が発見された土地への玄関口として、この国は「人類発祥の地」とも呼ばれている。
街を歩けば、白いコットンドレスに身を包んだ女性たちの姿が目に留まる。エチオピア正教の信仰が深く根付いたこの国では、宗教的な祭りや儀式が日常生活と密接に結びついている。そして何より、コーヒー発祥の地として知られるこの国では、コーヒーセレモニーという美しい文化的慣習が今も大切に受け継がれている。
私がこの街を訪れることになったのは、偶然手にした一枚の写真がきっかけだった。朝霧に包まれたアディスアベバの街並みと、その向こうに連なるエントト山の稜線。その幻想的な美しさに心を奪われ、いつかこの目で見てみたいと思い続けていた景色だった。

1日目: 霧の街への到着
ボレ国際空港に降り立った瞬間、高原の澄んだ空気が肺を満たした。標高の高さからか、深く息を吸い込むと少しだけ軽やかな感覚がある。空港の建物は近代的で清潔感があり、アフリカ大陸への玄関口としての風格を感じさせた。
タクシーで市内へ向かう道中、窓の外に広がる風景に目を奪われた。赤土の大地に点在する円錐形の茅葺き屋根の家々、そしてところどころに立つ現代的なビルディング。伝統と現代が共存するこの街の特徴が、最初の印象として強く心に刻まれた。運転手のアベベさんは片言の英語で街の案内をしてくれながら、「Welcome to Ethiopia!」と何度も繰り返し、その温かい笑顔に旅の緊張がほぐれていくのを感じた。
宿泊先のホテルは、アフリカ・アベニューに面した中規模のホテルだった。チェックインを済ませ、部屋で一息ついてから、さっそく街歩きに出かけることにした。エチオピアの時間は日本より6時間遅れているため、現地時間ではまだ午後の早い時間だった。
最初に向かったのは、国立博物館だった。ここには人類の祖先「ルーシー」の化石が展示されており、320万年前にこの大地に生きていた私たちの祖先と対面することができる。展示室に足を踏み入れると、薄暗い照明の中に浮かび上がる骨格標本が神秘的な存在感を放っていた。ルーシーの小さな骨格を眺めながら、人類の長い歴史の重みを実感した。現地ガイドのメコネンさんが丁寧に説明してくれる中で、この土地が持つ深い歴史的意味を改めて理解することができた。
博物館を出ると、西日が街並みを黄金色に染め始めていた。近くのカフェテラスで休憩することにした。注文したのは、もちろんエチオピアコーヒーだった。豆の香ばしい香りが立ち上る中、ウェイトレスの女性が伝統的な白いドレスに身を包み、小さなカップに黒い液体を丁寧に注いでくれる。一口飲むと、濃厚で複雑な味わいが口の中に広がった。苦味の奥に潜む果実のような甘さと、まろやかな後味。これまで飲んできたどのコーヒーとも違う、深い味わいだった。
夕食は、ホテル近くの伝統料理レストラン「Red Sea」で取った。エチオピア料理の代表格である「インジェラ」を初めて味わう機会だった。テフという穀物から作られた薄いパン状の食べ物で、酸味のある独特の風味が特徴的だ。その上に様々な煮込み料理やサラダが盛られ、手で千切って食べるのが伝統的な食べ方だという。「ドロワット」という辛いチキンカレーや、「キットフォ」という生牛肉料理など、初めて味わう料理ばかりだったが、どれもスパイスの効いた複雑で奥深い味わいで、新たな食文化への驚きと感動があった。
レストランでは、隣のテーブルに座っていた現地の家族連れが温かく声をかけてくれた。お父さんのテスファイエさんは英語が堪能で、エチオピアの文化や歴史について熱心に教えてくれた。「我々エチオピア人にとって、食事は家族や友人との絆を深める大切な時間なんです」という言葉が印象的だった。実際、彼らが食事をする様子を見ていると、みんなで一つの大きな皿を囲み、笑い声を交えながら楽しそうに食べている姿があった。
ホテルに戻る道すがら、街の夜景を眺めながら歩いた。高原の夜空には、日本では見ることのできないほど多くの星が輝いていた。街灯の明かりも日本ほど多くないため、星々がくっきりと見える。南十字星を探しながら夜道を歩いていると、遠くから教会の鐘の音が響いてきた。エチオピア正教の祈りの時間を告げる音だろう。その厳かな響きが、この古い土地の持つ宗教的な深さを物語っているようだった。
部屋に戻り、シャワーを浴びてベッドに横になると、一日の出来事が頭の中でゆっくりと整理されていく。空港での最初の印象、ルーシーとの対面、コーヒーの深い味わい、温かい人々との出会い。まだ一日しか経っていないのに、すでに多くの新しい体験と感動があった。明日はさらにこの街の奥深さを探求できるだろうという期待を胸に、高原の涼しい夜気の中で眠りについた。
2日目: 聖なる山と古き祈りの調べ
朝の6時頃、遠くから響いてくる読経のような声で目が覚めた。エチオピア正教の朝の祈りの声だった。カーテンを開けると、街全体が薄い霧に包まれており、その向こうにエントト山のシルエットがぼんやりと浮かんでいる。この幻想的な朝の風景こそ、私がずっと見たいと思っていた光景だった。
ホテルの朝食では、エチオピア式の薄いパンケーキのような「ファターイラ」と、濃厚なエチオピアコーヒーをいただいた。朝食を取りながら、今日の予定を確認する。午前中はエントト山にある聖ラガエル教会を訪れ、午後は旧市街のメルカト市場を散策する計画だった。
タクシーでエントト山へ向かう道は、舗装されていない箇所も多く、車は大きく揺れた。しかし、高度が上がるにつれて眼下に広がるアディスアベバの街並みが徐々に美しく見えてくる。運転手のダニエルさんが「あそこが大統領官邸、あそこがアフリカ連合本部」と指差しながら説明してくれる中で、この街が持つ現代アフリカにおける重要性を改めて実感した。
聖ラガエル教会に到着すると、まず驚いたのはその建築様式の美しさだった。エチオピア正教独特の円形の建物で、中央のドーム部分と周囲の回廊が調和した美しいプロポーションを持っている。教会の周りには、白い布に身を包んだ信者たちが静かに祈りを捧げている姿があった。
教会の内部に入ると、色鮮やかなフレスコ画が壁一面に描かれており、その美しさに息を呑んだ。聖書の場面を描いた絵画は、ビザンチン様式の影響を受けながらも、独特のエチオピア的表現が加わった独自の芸術性を持っている。司祭のアべラ・メンギスツさんが教会の歴史について説明してくれた。この教会は19世紀に建てられたもので、皇帝メネリク2世の時代から多くの人々の信仰の中心となってきたという。
教会での静寂な時間の後、山頂付近の展望台に向かった。そこから見下ろすアディスアベバの街並みは、まさに絶景だった。霧が晴れて、街全体がくっきりと見渡せる。現代的な高層ビルと伝統的な住宅が混在する街並み、そしてその向こうに広がる高原の大地。この景色を眺めながら、エチオピアという国の複雑な魅力を改めて感じた。古い歴史と新しい時代、アフリカの伝統と国際社会との関わり、そのすべてがこの一つの街に凝縮されているのだ。
昼食は山麓の小さなレストランで取った。「シロワット」という豆を煮込んだ料理と、「ゴメン」という緑の葉野菜の炒め物をインジェラと一緒にいただいた。素朴だが滋味豊かな味わいで、高原の澄んだ空気の中で食べると格別の美味しさだった。レストランの主人ワンデさんは、この辺りで育った野菜や豆を使った料理の説明を丁寧にしてくれ、エチオピア料理の奥深さを教えてくれた。
午後は街の中心部に戻り、アフリカ最大級の市場と言われるメルカト市場を訪れた。市場に足を踏み入れた瞬間、圧倒的な活気と色彩の洪水に包まれた。香辛料の豊かな香り、色とりどりの布地、手工芸品、野菜や果物など、ありとあらゆるものが所狭しと並んでいる。通路は狭く、人々が行き交う中を縫うように歩いていく。
スパイス売り場では、カルダモン、フェヌグリーク、コリアンダーなど、エチオピア料理に欠かせない香辛料が山のように積まれていた。店主のアレムさんが各スパイスの香りを嗅がせてくれる中で、その豊かで複雑な香りに魅了された。「ベルベレ」というエチオピア特有のミックススパイスは、20種類以上の香辛料をブレンドした複雑な味わいで、これがエチオピア料理の特徴的な味を作り出しているのだという。
布地売り場では、「ハベシャケミス」と呼ばれる伝統的な白いコットンドレスや、色鮮やかなショールが美しく飾られていた。店主の女性セナイトさんが着せてくれたショールは、手織りの美しい刺繍が施されており、その繊細な技術に感動した。「これは私たちの祖母から受け継がれてきた伝統的な技術なのです」という彼女の言葉から、この国の文化の深さと継承への誇りを感じた。
市場での買い物を楽しんだ後、近くのカフェで休憩することにした。ここで体験したのが、エチオピアの伝統的な「コーヒーセレモニー」だった。若い女性のフィルハットさんが、まず生のコーヒー豆を小さなフライパンで炒り始める。豆が煎られると、香ばしい香りが立ち上がり、その香りを楽しむために豆を持って周囲の人々のところを回る。次に、炒った豆を石臼で挽き、伝統的な土鍋「ジェベナ」で煮出していく。
この一連の過程は約1時間ほどかかるが、その間に近所の人々が集まってきて、自然と会話が生まれる。コーヒーが出来上がると、小さなカップに注がれ、皆で一緒に飲む。一杯目は「アボル」、二杯目は「バルカ」、三杯目は「バルカ」と呼ばれ、それぞれに意味があるという。この儀式は単にコーヒーを飲むためのものではなく、コミュニティの絆を深める大切な文化的慣習なのだと教えてもらった。
夕方になると、街の夕日が美しく輝き始めた。アディスアベバの夕日は特別で、高原の澄んだ空気のために色が鮮やかに見える。赤、オレンジ、ピンク、紫と、空が虹色に染まっていく様子は、まさに自然が作り出すアートだった。
夕食は、ホテル近くの「Kategna」という老舗レストランで取った。ここでは「キットフォ」というエチオピア版タルタルステーキを味わった。新鮮な生牛肉を細かく切り、スパイスとバターで味付けした料理で、日本人にはなじみのない食べ物だったが、その繊細な味わいに驚いた。また、「ティブス」という牛肉の炒め物や、「アリチャ」というジャガイモとニンジンの煮込みなど、様々な料理を楽しんだ。
レストランでは、隣のテーブルの現地の若者グループと話す機会があった。大学生のベルハネさんとタデッセさんは、現代のエチオピアについて熱心に語ってくれた。「我々の国は急速に発展していますが、同時に伝統文化を大切に保持することも重要だと思っています」というベルハネさんの言葉が印象的だった。彼らの国への愛と誇り、そして未来への希望を感じることができた。
ホテルに戻る前に、街の夜景を楽しみながら散歩した。夜のアディスアベバは昼間とは全く違う表情を見せる。街灯の明かりが温かく、遠くから聞こえてくる伝統音楽の調べが夜の静寂に溶け込んでいる。教会からは再び祈りの声が響き、この街の宗教的な深さを改めて感じた。
部屋に戻り、一日を振り返りながら日記を書いた。聖ラガエル教会での静寂な時間、メルカト市場での活気ある体験、コーヒーセレモニーでの温かい触れ合い、そして美しい夕日。一日でこれほど多くの感動と発見があるとは思わなかった。エチオピアという国の深さと魅力を、少しずつ理解し始めているような気がした。
3日目: 別れの朝と永遠の記憶
最後の朝は、いつもより早く目が覚めた。もうすぐこの街を離れなければならないという思いが、自然と早起きをさせたのかもしれない。窓の外を見ると、今朝も街は薄い霧に包まれており、幻想的な美しさを醸し出していた。この霧に包まれた朝の風景は、アディスアベバならではの特別な光景として、きっと長く記憶に残るだろう。
荷造りを済ませてから、ホテルの朝食レストランへ向かった。最後のエチオピアコーヒーを味わいながら、この2日間の出来事を静かに振り返った。初日の緊張と興奮、2日目の深い文化体験、そして今朝の少し寂しい気持ち。短い滞在だったが、この街と人々から受けた印象は深く、心に刻まれている。
チェックアウト後、フライトまでの時間を使って、最後にもう一度街を歩くことにした。昨日訪れたメルカト市場とは別の、小さな地元の市場を覗いてみたかった。「ピアッサ」と呼ばれる地区にある小さな市場は、観光客向けではない、より日常的なエチオピアの生活を垣間見ることができる場所だった。
市場では、朝早くから働く人々の姿があった。新鮮な野菜や果物を売る女性たち、パンを焼く職人さん、靴修理をする男性など、それぞれが生活のために一生懸命働いている。そんな彼らの姿を見ていると、どこの国でも人々の基本的な営みは同じなのだと改めて感じた。言葉は通じなくても、笑顔や身振り手振りで簡単なコミュニケーションが取れ、人間同士の温かさを感じることができた。
市場の一角で、年配の女性がコーヒーセレモニーを行っているのを見つけた。昨日体験したばかりの儀式だったが、再びその美しい文化に触れることができて嬉しかった。セレマシェットさんという女性が、にこやかに私を招き入れてくれ、一緒にコーヒーを飲むことになった。言葉はほとんど通じなかったが、コーヒーを飲みながら彼女の優しい笑顔を見ていると、心が温かくなった。
午前の後半は、エチオピア国立図書館を訪れた。ここには古いゲエズ文字で書かれた写本や、エチオピアの歴史に関する貴重な文献が保管されている。司書のアベラ・ヨハンネスさんが特別に古い写本を見せてくれた。羊皮紙に美しい装飾と共に書かれた宗教的なテキストは、まさに芸術品と呼ぶにふさわしい美しさだった。「これらの写本は、我々の祖先が大切に保存してきた文化的遺産なのです」という彼の言葉から、エチオピアの人々の文化への誇りと責任感を感じた。
昼食は、これまでまだ味わっていなかった料理を試してみたいと思い、「フル」という豆料理の専門店に入った。「フル」は茹でたそら豆をスパイスで味付けした料理で、朝食としてよく食べられるという。シンプルだが栄養価が高く、庶民的な味わいが特徴的だった。店主のアベベさんが、フルの食べ方や栄養価について詳しく教えてくれ、エチオピアの食文化の実用性と合理性を理解することができた。
午後は、最後の観光地として聖ギオルギス大聖堂を訪れた。この教会は1896年のアドワの戦いでイタリア軍に勝利したことを記念して建てられたもので、エチオピアの独立の象徴でもある。教会の内部は荘厳で、美しいステンドグラスから差し込む光が幻想的な雰囲気を作り出していた。多くの信者が静かに祈りを捧げており、その敬虔な姿に心を打たれた。
教会の庭園で少し休憩していると、一人の老人が話しかけてきた。アト・タミラトさんという80歳を超える男性で、若い頃から様々な歴史的な出来事を目撃してきたという。彼の話から、現代エチオピアの発展の歴史や、人々の生活の変化について貴重な証言を聞くことができた。「我々の国は多くの困難を乗り越えてきましたが、常に希望を失わずに前進してきました」という彼の言葉には、深い重みがあった。
空港へ向かう時間が近づいてきた。タクシーを待つ間、ホテルの前に立って最後にこの街の風景を目に焼き付けた。朝の霧、昼間の活気、夕方の美しい夕日、夜の静寂。この2泊3日で体験したすべての瞬間が、鮮明に心に残っている。
空港へ向かうタクシーの中で、運転手のヨセフさんが「エチオピアはいかがでしたか?」と尋ねてきた。短い滞在だったが、この国の豊かな文化と温かい人々に深く感動したことを伝えると、彼は嬉しそうに微笑んだ。「我々の国を気に入ってくれて本当に嬉しいです。また必ず戻ってきてください」という彼の言葉が、心に深く響いた。
ボレ国際空港に到着し、出発手続きを済ませた。搭乗を待つ間、空港のカフェで最後のエチオピアコーヒーを注文した。その深い味わいを楽しみながら、この旅で出会った多くの人々の顔を思い浮かべた。アベベさん、メコネンさん、テスファイエさん、フィルハットさん、ベルハネさん、セレマシェットさん、アト・タミラトさん。それぞれが異なる立場や年齢だったが、皆共通して温かい心を持ち、自分の文化に誇りを持っていた。
飛行機に搭乗し、窓から見下ろすアディスアベバの街並みが徐々に小さくなっていく。高原の街は、再び霧に包まれ始めており、神秘的な美しさを保ったまま視界から消えていった。この3日間で体験したすべてのことが、まるで美しい夢のようにも感じられるが、同時に確実に自分の中に残っている実感もある。
機内で振り返ると、この短い旅行で得たものは予想以上に大きかった。新しい食文化への理解、宗教的な体験の深さ、人々との心温まる交流、そして何より、この世界の多様性と美しさへの新たな認識。エチオピアという国が持つ独特の魅力と、そこに住む人々の豊かな精神性に触れることができたのは、本当に貴重な経験だった。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
この旅は空想の中でのみ行われたものである。実際にエチオピアの土を踏んだわけでも、アディスアベバの街を歩いたわけでもない。出会った人々との会話も、味わった料理の味も、すべては想像の中での出来事に過ぎない。
しかし不思議なことに、この空想の旅は確かに私の心の中に生きている。ルーシーの小さな骨格を前にした時の感動、コーヒーセレモニーでの温かい時間、メルカト市場での色とりどりの風景、聖ラガエル教会での静寂な祈りの時間。これらの体験は、実際には存在しないはずなのに、まるで本当に経験したかのような鮮明さで記憶されている。
旅とは、きっと外側の世界を見ることと同時に、内側の世界を発見することでもあるのだろう。この空想の旅を通して、私は自分の中にあった未知の部分、異文化への憧れや理解への欲求、そして人との繋がりへの渇望といったものを発見することができた。エチオピアという遠い国への想像上の旅が、結果的に自分自身への旅にもなっていたのだ。
もしいつか本当にエチオピアを訪れる機会があるなら、この空想の旅で体験したことの多くは現実とは異なっているかもしれない。しかし、この国への憧れと敬意、そしてそこに住む人々への温かい気持ちは、きっと変わらないだろう。空想の中で育まれた感情や理解は、現実の体験の土台となり、より深い旅の経験へと導いてくれるはずだ。
結局のところ、旅の本質は距離や時間ではなく、新しい世界への扉を開く気持ちにあるのかもしれない。この空想の旅が教えてくれたのは、心を開けば世界中のどこへでも旅することができ、そこで得られる感動や学びは決して空虚ではないということだった。アディスアベバの霧に包まれた朝の風景は、今でも鮮明に心の中に存在し続けている。

