はじめに
アルウラ。その名前を口にするだけで、心の奥で何かが静かに響く。サウジアラビア北西部、ヒジャーズ地方に位置するこの古代都市は、かつてナバテア人たちが築いた文明の足跡と、悠久の時を刻んできた砂岩の巨石群が織りなす、まさに「生きた博物館」だった。
紀元前1世紀から1世紀にかけて栄えたナバテア王国の遺跡群は、ペトラに匹敵する壮大さを誇る。特に「マダイン・サーリハ」と呼ばれるヘグラ遺跡は、100を超える墳墓が砂岩の岩壁に刻まれ、その精緻な装飾は見る者の息を呑ませる。一方で、この地は香料貿易の要衝として、アラビア半島とメソポタミア、地中海世界を結ぶ重要な中継地点でもあった。
アルウラの魅力は古代遺跡だけではない。エレファント・ロック、アーチ・ロックといった自然が創り出した彫刻のような岩石群。オアシスに広がるナツメヤシの緑。そして夜空に広がる、都市の光に汚されることのない満天の星々。この地は、人間の文明と自然の営みが何千年もの間、静かに対話を続けてきた場所なのだ。
近年、サウジアラビアが観光開国政策を進める中で、アルウラは「サウジアラビアの宝石」として世界に開かれた。しかし、その本質は変わらない。砂漠の風が運ぶ古代の記憶と、岩壁に刻まれた時の重みが、訪れる者の心に深く語りかけてくる。
私がこの地を選んだのは、単なる観光地としてではなく、人類の歴史と自然の神秘が交差する、魂の深い部分に触れる旅を求めていたからだった。
1日目: 砂漠に響く古代の調べ
キング・アブドゥルアジーズ国際空港からアルウラまでの道のりは、まさに時代を遡る旅路だった。ジェッダの現代的な街並みから次第に砂漠の風景へと変わりゆく車窓を眺めながら、私は徐々に日常の喧騒から解き放たれていく自分を感じていた。
アルウラの街に足を踏み入れた瞬間、乾いた砂漠の風が頬を撫でた。空気は驚くほど澄んでいて、遠くに見える砂岩の山々が輪郭鮮やかに浮かび上がっている。宿泊先のヘリテージ・ホテルは、伝統的なアラビア建築を現代風にアレンジした美しい建物で、中庭には色とりどりのタイルが敷き詰められ、小さな噴水が心地よい水音を奏でていた。
午前中は、まずアルウラ旧市街を歩いた。オールド・タウンと呼ばれるこの地区は、12世紀から20世紀まで実際に人々が暮らしていた泥煉瓦の住居群が残されている。迷路のような細い路地を歩いていると、まるで時間が止まったかのような錯覚に陥る。日干し煉瓦の壁は長い年月を経て独特の風合いを見せ、所々に刻まれた装飾が往時の暮らしぶりを物語っていた。
現地のガイド、アハマドさんは流暢な英語で街の歴史を語ってくれた。「この街は、メッカへの巡礼路の重要な中継地点でした。商人たちはここで休息を取り、水や食料を補給していったのです」。彼の説明を聞きながら歩く古い街並みには、確かに長い旅路の疲れを癒やす静寂があった。
昼食は旧市街近くの小さなレストランで、サウジアラビアの伝統料理「カブサ」をいただいた。バスマティライスにスパイスが効いた鶏肉、そして香り高いサフランの風味が口の中に広がる。付け合わせのヨーグルトソースが辛みを和らげ、砂漠の暑さで疲れた体に優しく染み渡った。店主のおじいさんは、私が一人旅だと知ると「アハラン・ワ・サハラン (いらっしゃいませ) 」と温かく迎えてくれ、食後にはアラビックコーヒーとデーツを振る舞ってくれた。
午後は、この旅のハイライトの一つ、ヘグラ遺跡へ向かった。車で20分ほど走ると、突然視界が開け、巨大な砂岩の岩山群が現れる。その光景に、私は思わず息を呑んだ。まるで別の惑星に降り立ったかのような、超現実的な美しさがそこにあった。
最初に訪れたのは「カスル・アル・ファリド (孤独な城) 」と呼ばれる墓廟だった。高さ22メートルの一枚岩に彫り込まれたこの建造物は、ナバテア人の石工技術の粋を集めた傑作である。正面の柱や装飾の精密さに圧倒されながら、私はしばらくその前に佇んでいた。2000年前、この墓を作った職人たちは、どのような思いでノミを振るったのだろうか。
夕刻が近づくにつれ、岩肌は黄金色からオレンジ、そして深い紫へと色を変えていく。砂漠の夕日は、都市部では決して見ることのできない荘厳さがあった。岩山のシルエットが空に浮かび上がり、古代と現代が重なり合う不思議な時間が流れる。
夜は、砂漠でのキャンプ体験を選んだ。ベドウィンスタイルのテントは思いのほか快適で、絨毯が敷き詰められた内部は伝統的な装飾品で彩られていた。夕食はテント近くで焚き火を囲んでいただく。羊肉のケバブは炭火でじっくりと焼かれ、外はパリッと、中はジューシーな仕上がりだった。フラットブレッドにハリッサソースをつけて食べると、スパイシーな味わいが砂漠の夜の涼しさと絶妙にマッチする。
食後、焚き火の傍らで現地の男性が奏でるウードの音色に耳を傾けた。弦楽器特有の哀愁を帯びた音色が、静寂な砂漠の夜に響く。月のない夜空には、これまで見たことのないほど多くの星が瞬いていた。天の川がはっきりと見え、流れ星が時折夜空を横切っていく。
テントに横になりながら、私は一日の出来事を静かに振り返った。遺跡の壮大さ、人々の温かさ、そして砂漠の深い静寂。これらすべてが心の奥深くに響き、何か大切なものを思い出させてくれるような感覚があった。
2日目: 自然の彫刻と古代の記憶
砂漠の朝は、予想以上に澄み切っていた。テントから外に出ると、東の空がうっすらとピンク色に染まり始めている。砂漠の朝焼けは静謐で、鳥のさえずりひとつ聞こえない完全な静寂の中で、自然が見せる色彩のドラマを独り占めできる贅沢があった。
朝食は焚き火で温めたフールという豆のペーストと焼きたてのホブズ (アラビアンブレッド) 、そして濃厚なアラビックコーヒー。シンプルながら砂漠の朝にはこれ以上ない美味しさだった。コーヒーの苦みとカルダモンの香りが、眠気を優しく払ってくれる。
午前中は、アルウラの象徴ともいえるエレファント・ロックへ向かった。風化によって自然に形作られたこの岩石は、確かに象が鼻を垂らしているように見える。高さ52メートルのこの自然の彫刻を間近で見上げると、何万年という時間が刻み込んだ地球の芸術作品に圧倒される。岩肌の縞模様は地層の歴史を物語り、表面の細かな凹凸は風と砂が気の遠くなるような時間をかけて削り上げた証拠だった。
岩の周りを歩きながら、ガイドのアハマドさんが教えてくれたナバテア人の暮らしぶりに思いを馳せた。「彼らは砂漠の民でありながら、水の管理技術に長けていました。この辺りには今でも古代の井戸や水路の跡が残っています」。実際に、エレファント・ロック近くの岩陰には、ナバテア文字で刻まれた碑文が点在している。文字の意味は分からないが、そこに込められた古代の人々の思いは、時空を超えて伝わってくるようだった。
昼食は、アルウラの新市街にあるレストランで、マンサフという伝統料理を味わった。ヨーグルトベースのソースで煮込まれた羊肉は驚くほど柔らかく、下に敷かれたライスがソースの酸味とよく合っている。現地の人々が手で食べるのを見て、私も見よう見まねで挑戦してみた。最初はうまくいかなかったが、隣の席のサウジアラビア人家族が笑顔で食べ方を教えてくれ、温かい交流のひとときとなった。
午後は、ジャバル・イクマという古代の図書館と呼ばれる場所を訪れた。ここは岩壁に無数の碑文や絵文字が刻まれた屋外博物館のような場所で、ナバテア文字、アラビア文字、そして古代南アラビア文字など、様々な時代の文字が混在している。中でも印象的だったのは、ラクダや馬、人間の姿を描いた岩絵だった。線刻による簡潔な表現ながら、動物たちの躍動感や人々の日常生活の様子が生き生きと描かれている。
「これらの碑文の多くは、通りがかりの商人や旅人が残したものです。現代でいうところの『ここに来ました』という記録ですね」とアハマドさんが説明してくれた。確かに、中には「○○の息子△△がここを通った」といった内容のものもあるらしい。古代のグラフィティともいえるこれらの碑文は、人間の「記録を残したい」という普遍的な欲求を物語っていて、時代を超えた親近感を覚えた。
夕方は、ダダン遺跡を訪れた。ここは紀元前9世紀から6世紀にかけて栄えたダダン王国の首都跡で、ヘグラよりもさらに古い歴史を持つ。石で積まれた城壁や住居跡は風化が進んでいるが、かつてここに繁栄した都市の規模を想像させるには十分だった。遺跡の丘の上から見下ろすオアシスの緑は、砂漠の中に忽然と現れる生命の象徴のようで、古代の人々がなぜこの場所に都市を築いたのかがよく理解できた。
夜は、アルウラの伝統的な音楽とダンスのパフォーマンスを鑑賞した。会場は屋外の円形劇場で、満天の星空が天然の天井となっている。男性たちが剣を持って踊るアルダという戦士の踊りは力強く、一方で女性たちの踊りは優雅で流れるような美しさがあった。太鼓とウードの演奏に合わせて響く歌声は、アラビア語が分からなくても心に響く何かがあった。
パフォーマンス後、出演者の一人である年配の男性と少し話をする機会があった。彼は英語で「この踊りは私たちの祖先から受け継がれてきた宝物です。踊りの中に、私たちの歴史と魂が込められているのです」と語ってくれた。その言葉を聞きながら、私は今夜見た踊りが単なるエンターテイメントではなく、この土地に根ざした文化の生きた表現であることを深く理解した。
ホテルに戻る道すがら、アルウラの街の夜景を眺めた。現代的な街灯が点在する中に、古代遺跡のライトアップが浮かび上がっている。過去と現在が自然に共存するこの風景こそが、アルウラという場所の本質なのかもしれない。
3日目: 別れの朝に刻まれる記憶
旅の最終日は、いつものように早起きして迎えた。ホテルの屋上テラスから見る朝のアルウラは、昨日までとは少し違って見えた。おそらく、この土地との間に生まれた愛着が、風景を特別なものに変えているのだろう。遠くに見える岩山のシルエットが、まるで古い友人のように親しみ深く感じられる。
朝食をゆっくりと味わいながら、これまでの二日間を振り返った。ここで出会った人々、見た風景、感じた感動。それらが心の中で静かに結晶化していくのを感じていた。
午前中は、旅の締めくくりとして、もう一度ヘグラ遺跡を訪れることにした。昨日とは違う角度から眺める墓廟群は、また新たな表情を見せてくれる。朝の柔らかな光が岩肌を照らすと、石の表面の細かな彫刻がより鮮明に浮かび上がった。
特に印象深かったのは、「ディワン」と呼ばれる会議場跡だった。岩壁をくり抜いて作られたこの空間は、ナバテア人たちが重要な決定を下した場所とされている。内部に足を踏み入れると、ひんやりとした空気と独特の静寂に包まれる。壁面に残る装飾を見つめながら、ここで交わされたであろう古代の対話に思いを馳せた。
最後に訪れたのは、リヒヤーニート王の墓廟だった。ヘグラ遺跡の中でも最も装飾が美しいとされるこの墓は、ナバテア芸術の頂点を示している。正面のファサードに刻まれた柱や装飾帯の精緻さは、見るたびに新たな発見がある。石工たちの技術の高さもさることながら、これだけの労力を墓廟建設に注いだ当時の人々の死生観や宗教観に深い感銘を受けた。
昼食は、アルウラで最後の食事となるアラビア料理を堪能した。メニューは「ムタンバル」というナスのペーストから始まり、「ファラフェル」、「シャワルマ」、そして「クナーファ」という甘いデザートまで。どの料理も、この土地の豊かな食文化を物語る味わい深さがあった。特にクナーファは、チーズとセモリナ粉で作られた生地にシロップをかけたもので、その優しい甘さが旅の疲れを癒してくれた。
午後は、お土産を探しがてらアルウラの新市街を散策した。伝統工芸品店では、ベドウィンの女性たちが手織りした絨毯や、銀細工のアクセサリーが売られている。店主のおばあさんは、一つ一つの商品の由来を丁寧に説明してくれた。「この模様は砂漠の星座を表しているのよ」と教えてくれた小さなペンダントを記念に購入した。
市場では、地元産のデーツやサフラン、香辛料などを買い求めた。特にアルウラ産のデーツは格別に甘く、噛むほどに深い味わいが広がる。これらを日本に持ち帰れば、この旅の記憶とともに、アルウラの味を再び楽しむことができるだろう。
夕方、空港へ向かう前に、もう一度エレファント・ロックを見に行った。今度は一人で、静かにその巨大な岩と向き合う時間を持ちたかったからだ。夕日が岩肌を赤く染める中、私はこの二日間で感じたことを整理しようとした。
この旅で最も印象深かったのは、アルウラという土地が持つ「時間の重層性」だった。ナバテア王国、ダダン王国、イスラムの到来、巡礼路の繁栄、近代化、そして現在の観光開発。様々な時代の痕跡が重なり合いながら、今もなおこの土地に息づいている。そして、それらすべてを包み込む砂漠の永遠性。
また、この土地の人々の温かさも忘れ難い記憶となった。ガイドのアハマドさん、レストランの店主、市場のおばあさん、パフォーマーの男性。言葉や文化の違いを超えて感じられた人間的な温かさは、この旅をより豊かなものにしてくれた。
空港へ向かう車の中で、私は窓外に流れる風景をしっかりと目に焼き付けた。砂漠の中に点在する岩山、オアシスの緑、そして地平線に沈みゆく太陽。これらの光景は、これから先も私の心の中で生き続けることだろう。
アルウラでの二泊三日は、単なる観光旅行を超えた、深い内省と発見の時間だった。古代遺跡の壮大さに圧倒され、自然の造形美に感動し、現地の人々との交流に心を温められた。そして何より、時間の流れや人生の意味について、普段とは違う角度から考える機会を得られたことが最大の収穫だった。
最後に
この旅は空想の産物でありながら、書いている今も、確かにあの砂漠の風を感じ、古代の石に刻まれた文字の重みを手に感じることができる。アルウラという場所が持つ魔力は、想像の中でも十分にその力を発揮し、心の奥深くに確かな足跡を残していく。
砂漠の静寂の中で聞いた古代の声、岩壁に刻まれた時の記憶、そして出会った人々の温かな笑顔。これらはすべて想像の中の出来事でありながら、私の心の中では紛れもない現実として息づいている。旅とは、必ずしも物理的な移動を伴うものではなく、心の中で体験される冒険もまた、等しく価値のあるものなのだということを、このアルウラへの空想旅行は教えてくれた。
いつの日か、この想像の旅を現実のものとして体験できる日が来ることを願いながら、私は心の中のアルウラに別れを告げる。そこには今も、永遠の砂漠の風が吹き、古代の記憶が静かに響き続けているのだろう。