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  1. たび幻記/

カリブの風が包む白砂の島 ― アルバ空想旅行記

空想旅行 北米・中南米 カリブ海地域 アルバ オランダ
目次

カリブ海に浮かぶ幸福の島

アルバ。南米ベネズエラの沖合、わずか30キロほどの場所に浮かぶ小さな島だ。カリブ海の島々の中でも、ハリケーンベルトの南に位置するこの島は、一年を通して穏やかな気候に恵まれている。「ワン・ハッピー・アイランド」という愛称は伊達ではない。年間300日以上が晴天という驚異的な日照率、常に吹く貿易風、そして白い砂浜と透き通ったターコイズブルーの海。

だが、アルバの魅力は美しいビーチだけではない。オランダ領という歴史が生んだ独特の文化、先住民アラワク族の面影を残す岩絵、そしてパピアメント語という独自の言語。島の北側には荒々しい岩場が広がり、ディビディビの木が風に吹かれて斜めに傾いている。その姿はまるで、この島が辿ってきた歴史そのものを表しているかのようだ。

2泊3日という短い時間で、この島のすべてを知ることはできないだろう。それでも、私はこの小さな島に何かを求めていた。日常から離れた場所で、ゆっくりと時間を過ごすこと。それだけで十分だと思っていた。

1日目: 風に導かれて

クイーン・ベアトリクス国際空港に降り立つと、カリブ海の強い日差しが容赦なく肌を刺した。だが、すぐに心地よい風が頬を撫でる。この風こそが、アルバを灼熱の地獄から楽園へと変える魔法なのだと、後になって知ることになる。

空港からタクシーでオラニエスタッドの宿へ向かう。車窓から見える景色は、想像していたカリブ海のイメージとは少し違っていた。青々とした熱帯雨林ではなく、むしろ乾燥した大地にサボテンが点在している。運転手のマヌエルさんが「アルバは砂漠気候なんだよ」と教えてくれた。彼のパピアメント語訛りの英語は、どこか音楽的で聞いていて心地よい。

宿に荷物を置いて、まずは首都オラニエスタッドの中心部を歩くことにした。午後3時を過ぎていたが、まだ日差しは強い。それでも、風があるおかげで歩けないほどではない。メインストリートを歩くと、パステルカラーに塗られたオランダ風の建物が目に入る。まるでヨーロッパの街並みをカリブ海に移植したかのような不思議な光景だ。

路地裏のカフェで遅めの昼食をとった。注文したのは「ケシ・イェナ」という郷土料理。オランダのエダムチーズをくり抜いて、その中に鶏肉、トマト、オリーブ、レーズンなどを詰めてオーブンで焼いたものだ。一口食べると、チーズの濃厚な風味と具材の甘辛い味わいが絶妙に混ざり合う。これは植民地時代、使用人たちが余った食材をチーズの殻に詰めて作ったのが始まりだと、店主が教えてくれた。歴史が一皿の中に凝縮されている。

食後、ウィレム3世の塔まで歩いた。この小さな要塞は、1868年に建てられたオラニエスタッドで最も古い建造物のひとつだ。今では観光案内所になっているが、かつてはこの場所から港を監視していたのだろう。塔の周辺には、地元の人たちが集まってのんびりと談笑している。誰も急いでいない。この島の時間の流れ方を、少しずつ理解し始めていた。

夕暮れ時、イーグルビーチへ向かった。オラニエスタッドから車で15分ほどの距離にある、島で最も有名なビーチのひとつだ。到着すると、ちょうど太陽が水平線に近づいている時間だった。白い砂浜を素足で歩く。砂は驚くほど細かく、サラサラとしている。波打ち際に立つと、透明な水が足元を優しく洗う。

ビーチチェアに座って、ゆっくりと沈んでいく太陽を眺めた。空がオレンジ色に染まり、やがて紫がかったピンクへと変わっていく。周囲には、同じように夕日を眺める人々がいる。カップル、家族連れ、そして私のような一人旅の者。それぞれが静かにこの瞬間を味わっている。誰も大声で話さない。ただ、波の音と風の音だけが聞こえる。

完全に日が沈むと、ビーチ沿いのレストランへ向かった。選んだのは地元の人にも人気だという小さなシーフードレストラン。注文したのは「ピスカ・クラ・パンパン」、つまり揚げ魚とトストンと呼ばれる揚げたプランテーンの料理だ。魚は新鮮そのもので、外はカリッと中はふっくらとしている。トストンの甘みと塩気が、疲れた体に染み渡る。アルバのビール「バルティ」を飲みながら、一日を振り返る。

宿に戻ったのは夜10時を過ぎていた。シャワーを浴びて、ベッドに横になる。窓を開けると、遠くから波の音が聞こえてくる。まだ一日目だというのに、不思議と懐かしい感覚があった。まるで、この島に何度も来たことがあるような、そんな錯覚。目を閉じると、すぐに眠りに落ちた。

2日目: 島の素顔に触れる

朝5時半に目が覚めた。時差ぼけではなく、自然と目が開いたのだ。外はまだ薄暗いが、鳥の声が聞こえる。身支度を整えて、宿の近くのパン屋へ向かった。地元の人たちで賑わう小さな店で、「パンボリ」という伝統的な朝食パンを買った。パンの中にハムとチーズ、トマトが挟まっている。熱々のコーヒーと一緒に、ベンチに座って食べる。通勤途中の人々が挨拶をしていく。「ボン・ディア」。おはよう。この言葉の響きが、心地よい。

午前中は、島の北側を探索することにした。レンタカーを借りて、海岸沿いの道を北へと走る。次第に景色が変わっていく。南側の穏やかなビーチとは対照的に、北側は荒々しい。岩だらけの海岸に、白波が激しく打ち付けている。風も一段と強い。

アリコック国立公園に入ると、ディビディビの木が一斉に南西方向に傾いている光景が目に入る。この木々は、絶え間なく吹く貿易風によって、まるで彫刻のように形作られてきた。自然の力強さと、同時に植物の適応力を感じる。車を停めて、しばらく歩いた。足元にはサボテンが生えている。トカゲが岩の上で日光浴をしている。ここは別の惑星のようだ。

アヨ岩層とカシバリ岩層を訪れた。巨大な花崗岩の塊が、不思議なバランスで積み重なっている。岩の表面には、先住民アラワク族が残した岩絵が描かれている。赤い顔料で描かれた幾何学模様や動物の姿。何百年も前、この場所で彼らは何を思い、何を祈っていたのだろう。岩の間を登っていくと、島の全景が見渡せる展望台に着いた。青い海、茶色い大地、白い砂浜。この島のすべてが、一望できる。

正午近く、島の北端にあるカリフォルニア灯台に到着した。1914年に建てられたこの白い灯台は、今もなお航海する船の目印となっている。灯台の周辺は観光客で賑わっていた。近くの売店でフレッシュなココナッツウォーターを買い、灯台を背に海を眺めた。風が強い。髪が顔にかかる。でも、この風が気持ちいい。

昼食は、サバナという地区にある地元の人が通う食堂で食べることにした。メニューはパピアメント語で書かれていて、ほとんど読めない。店の女性に「おすすめは?」と尋ねると、笑顔で何かを指差した。運ばれてきたのは「カルネ・ストバ」というビーフシチューとライス、そしてフンチという練ったコーンミールの料理。シチューは深いコクがあり、時間をかけて煮込まれたことがわかる。フンチの素朴な味わいが、濃厚なシチューとよく合う。地元の人たちに混じって食事をしていると、旅行者であることを忘れそうになる。

午後は、ベイビービーチへ向かった。島の南東端にある、その名の通り波が穏やかで浅いビーチだ。家族連れに人気のスポットだが、平日の午後ということもあり、比較的静かだった。透明度が高く、膝までの深さでも無数の熱帯魚が泳いでいるのが見える。シュノーケルセットを借りて、水に入った。

水中は別世界だった。青、黄色、紫、オレンジ。色とりどりの魚たちが、まるで私を気にしていないかのように悠々と泳いでいる。サンゴ礁の間を縫うように進むと、ウミガメが一匹、ゆっくりと泳いでいるのが見えた。息を止めて、動かないようにする。ウミガメは私の横を通り過ぎ、深い方へと消えていった。水中で過ごした時間は、おそらく1時間以上。時間の感覚がなくなっていた。

ビーチを後にして、サンニコラスという町へ立ち寄った。かつて石油精製所があった産業の町だが、今では「カリブ海のアートキャピタル」として知られている。建物の壁という壁に、色鮮やかなストリートアートが描かれている。地元や国際的なアーティストによる作品が、町全体をギャラリーに変えている。路地を歩くたびに、新しい作品に出会う。社会的なメッセージを含むもの、純粋に美しいもの、ユーモラスなもの。アートを通じて、この町が新しい生命を吹き込まれている様子が感じられた。

夕方、オラニエスタッドに戻った。夕食は港近くの「ザ・オールド・カンハウス」というレストランで。歴史ある建物を改装した趣のある場所だ。注文したのは「レッドスナッパー・クレオール」。トマトベースのスパイシーなソースで調理された魚料理。一口食べると、複雑な香辛料の風味が口いっぱいに広がる。アフリカ、ヨーロッパ、南米、そしてカリブ。さまざまな文化が混ざり合ったアルバの料理は、まさにこの島の歴史そのものだ。

食後、港沿いを歩いた。夜のオラニエスタッドは、昼間とは違う顔を見せる。建物はライトアップされ、レストランやバーからは音楽が流れてくる。だが、騒々しくはない。すべてが適度で、心地よい。ベンチに座って、行き交う人々を眺める。観光客も地元の人も、みんな穏やかな表情をしている。この島には、人を穏やかにする何かがあるのかもしれない。

3日目: 別れと記憶

最終日の朝は、もう一度イーグルビーチへ行くことにした。早朝6時、まだ人影はまばらだ。砂浜に座って、ゆっくりと明けていく空を眺める。暗闇が次第に青みを帯び、やがてオレンジ色の光が水平線から顔を出す。日の出を見るのは、何年ぶりだろうか。太陽が昇るにつれて、海の色が変わっていく。紫がかった青から、明るいターコイズブルーへ。

ビーチを散歩した。波打ち際を歩きながら、この2日間のことを思い返す。訪れた場所、食べた料理、出会った人々。短い時間だったが、濃密だった。そして何より、自分自身と向き合う時間があった。日常の喧騒から離れて、ただ「いま、ここ」に存在する。それだけで、何かが満たされていく感覚があった。

宿に戻って朝食を食べた後、最後の時間を過ごすために、アルバ・アロエ博物館を訪れた。アルバは古くからアロエの栽培で知られており、かつては島の主要産業のひとつだった。博物館では、アロエの歴史や栽培方法、そして製品化のプロセスを学ぶことができる。展示を見ながら、この小さな島が辿ってきた経済の変遷に思いを馳せる。ゴールドラッシュ、アロエ、石油、そして今は観光。それでも、島の人々は変わらず穏やかに生きている。

正午前、最後の食事をとるために、地元の人が通う市場近くの屋台へ行った。選んだのは「パステチ」、ひき肉やチーズを包んで揚げたスナック。揚げたてのパステチは熱々で、中の具材がジューシーだ。それと、「バティド」という伝統的なフルーツスムージー。パパイヤ、マンゴー、バナナ、そして練乳が入った甘いドリンク。これを飲むと、なぜか懐かしい気持ちになる。おそらく、この2日間でこの島の味に慣れ親しんでしまったからだろう。

空港へ向かう時間が近づいてきた。荷物をまとめながら、部屋の窓から見える景色を目に焼き付ける。青い空、白い雲、そして遠くに見える海。タクシーが到着し、運転手に挨拶をする。またマヌエルさんだった。「また来るかい?」と彼が尋ねる。「きっと」と答えた。それが社交辞令なのか本心なのか、自分でもわからなかった。

空港への道すがら、車窓を眺める。見慣れた景色が流れていく。ディビディビの木、サボテン、パステルカラーの建物。たった2泊3日なのに、すべてが懐かしい。マヌエルさんが「アルバはね、一度来た人はまた戻ってくるんだ。この島には、そういう魔法があるんだよ」と言った。彼の言葉を否定する理由はなかった。

チェックインを済ませ、搭乗ゲートへ向かう。最後にもう一度、窓の外を見た。滑走路の向こうに、カリブ海が広がっている。あの海の下には、昨日見たウミガメがまだ泳いでいるのだろうか。アヨ岩層の岩絵は、今日も静かに時を刻んでいるのだろうか。ディビディビの木は、変わらず風に吹かれているのだろうか。

飛行機が離陸した。窓から見える島が次第に小さくなっていく。白い砂浜の輪郭、茶色い大地、そして青い海。アルバの全体像が見える。こんなに小さな島だったのか、と改めて驚く。それでも、この小さな島には、語り尽くせないほどの物語があった。

雲の上に出ると、もう島は見えなくなった。シートにもたれて目を閉じる。心の中で、旅の記憶を反芻する。風の音、波の音、パピアメント語の響き、ケシ・イェナの味、ウミガメの姿、日の出の色。それらはすべて、確かにそこにあった。

空想の旅、確かな記憶

この旅は、空想である。私は実際にはアルバへ行っていない。飛行機に乗ることも、イーグルビーチで夕日を見ることも、ケシ・イェナを食べることも、現実には起こっていない。すべては、言葉によって紡がれた虚構の旅だ。

しかし不思議なことに、この旅には確かな手応えがある。文章を通じて辿った道のりは、頭の中で鮮明な映像として残っている。砂の感触、風の強さ、料理の味わい、そして何より、あの島特有の穏やかな時間の流れ方。それらは、実際に体験した記憶と区別がつかないほど、リアルに感じられる。

人間の想像力は、時に現実を超える。実際には訪れていない場所でも、十分な情報と想像力があれば、そこにいるかのような体験ができる。もちろん、本当に旅をすることの価値は何物にも代えがたい。現地の空気、予期しない出会い、計画にない発見。それらは、実際にその場所へ行かなければ得られないものだ。

だが、さまざまな理由で旅に出られない時もある。時間、費用、健康、あるいは世界情勢。そんな時、空想の旅は心の扉を開く鍵となる。文章を読み、写真を見て、音楽を聴く。それだけで、私たちは遠い場所へ旅することができる。

アルバという島は、確かに存在する。カリブ海に浮かぶ、実在の島だ。ここに書かれた風景、料理、文化、すべては現実に基づいている。いつか、もし機会があれば、本当にこの島を訪れてみたい。そして、この空想の旅で感じたことが、どれほど現実に近いのか、あるいは遠いのか、確かめてみたい。

それまでは、この文章が、ささやかな旅の記録として残る。空想でありながら、確かに心の中で体験した旅の記憶として。アルバの風は、今も心の中で吹き続けている。

hoinu
著者
hoinu
旅行、技術、日常の観察を中心に、学びや記録として文章を残しています。日々の気づきや関心ごとを、自分の視点で丁寧に言葉を選びながら綴っています。

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