黒海の真珠と呼ばれる港町
ジョージア西部に位置するバトゥミは、黒海に面した美しい港町である。アジャラ自治共和国の中心都市として栄え、古くからシルクロードの要衝として東西の文化が交差する場所だった。亜熱帯気候に恵まれ、椰子の木が並ぶ海岸通りは地中海のリゾート地を思わせるが、そこには確かにコーカサスの風土が息づいている。
この町の魅力は、その多様性にある。オスマン帝国時代の古いモスクとソビエト時代の建築物、そして現代的な高層ビルが共存し、グルジア正教会の鐘の音とアザーンの声が空に響く。バトゥミの旧市街は石畳の細い路地に古い家々が軒を連ね、そこここに小さなカフェや家族経営のレストランが佇んでいる。
黒海の温暖な気候は、この土地に豊かな自然をもたらした。町の背後には緑深い山々が連なり、亜熱帯植物が生い茂る植物園は世界的にも有名である。また、アジャラ地方は独特の料理文化を持ち、海の幸と山の恵みを巧みに組み合わせた料理は、訪れる者の舌を魅了してやまない。
私がこの町を選んだのは、その穏やかな佇まいと、どこか郷愁を誘う風景に惹かれたからだった。バトゥミは観光地でありながら、地元の人々の日常が自然に溶け込んでいる。そんな町で過ごす2泊3日の旅は、きっと心に深い印象を残すことだろう。

1日目: 海風と石畳に迎えられて
朝の便でトビリシからバトゥミに向かった。小さなプロペラ機の窓から見下ろすコーカサス山脈は、朝霧に包まれて幻想的だった。1時間ほどのフライトで、風景は山から海へと変わり、やがて黒海の青い水面が広がった。バトゥミの空港は小さく、降り立つと潮の香りが頬を撫でていく。
空港から市内へ向かうタクシーの中で、運転手のギオルギさんが片言の英語で町の案内をしてくれた。「バトゥミは美しい町だ、きっと気に入る」と言いながら、海岸沿いの道を走る。窓の外には椰子の木が並び、遠くに現代的な高層ビルが見えた。思っていたよりもずっと洗練された町の印象を受ける。
宿泊先は旧市街にある小さなゲストハウスを選んだ。石造りの古い建物を改装した宿で、オーナーのナナさんが温かく迎えてくれた。部屋は質素だが清潔で、小さなバルコニーからは石畳の路地が見下ろせる。荷物を置いて街歩きに出かけることにした。
昼食は旧市街の小さなレストラン「アジャラ」で取った。メニューはグルジア語で書かれていたが、笑顔の店主が丁寧に説明してくれる。アジャルリ・ハチャプリ (船の形をしたチーズパン) を注文すると、熱々のパンの中央に生卵が落とされ、バターが溶けている。フォークで卵を崩し、チーズと混ぜながら食べると、素朴でありながら深い味わいが口の中に広がった。地元の白ワインと合わせると、旅の疲れが心地よく溶けていく。
午後は旧市街をゆっくりと歩いた。オルタジャメ・モスクの前では、老人たちがベンチに座って世間話をしている。モスクの美しいミナレットは青空に映え、その隣には小さな正教会の鐘楼が立っている。宗教の違いを超えて、この町では異なる信仰が静かに共存していることを感じる。
バトゥミ大聖堂では、夕方のミサの準備が行われていた。聖堂内部の美しいフレスコ画を眺めながら、蝋燭の明かりに照らされた信者たちの敬虔な姿に心を打たれる。外に出ると、夕暮れの光が石畳の路地を金色に染めていた。
海岸通りのバトゥミ・ブールヴァードまで歩くと、地元の人々が散歩を楽しんでいる。家族連れ、恋人同士、友人グループ、そして私のような一人旅の人まで、みな思い思いに海辺の時間を過ごしている。現代アートのオブジェが点在する遊歩道は、伝統的な町並みとは対照的でありながら、不思議と調和している。
夕食は海沿いのレストランで海鮮料理を味わった。黒海で取れた鯛のグリルは身が締まっていて、レモンとハーブの香りが絶妙だった。隣のテーブルではグルジアの家族が賑やかに食事をしており、その温かな雰囲気に包まれながら、私も一人静かに食事を楽しんだ。
夜は宿の近くの小さなカフェで、グルジアの伝統的なお茶を飲んだ。店主のマリアムさんは英語が堪能で、バトゥミの歴史について話してくれた。この町がいかに多くの文化を受け入れ、融合させてきたかを知り、明日への期待が高まった。部屋に戻ると、バルコニーから見える街灯の光が石畳を優しく照らしている。遠くから聞こえる黒海の波音に包まれながら、今日一日の記憶を胸に眠りについた。
2日目: 自然の恵みと文化の調べ
朝は鳥のさえずりで目が覚めた。バルコニーに出ると、路地では既に地元の人々が日常を始めている。パン屋の香ばしい匂いが漂い、新鮮な一日の始まりを感じさせる。ナナさんが用意してくれた朝食は、焼きたてのパンにチーズ、トマト、キュウリ、そして濃厚なグルジアンティーだった。シンプルだが、どれも素材の味がしっかりと感じられる。
午前中はバトゥミ植物園に向かった。市内からマルシュルートカ (乗り合いバス) で20分ほどの距離にある植物園は、黒海を見下ろす丘陵地に広がっている。入園すると、まず目に飛び込んできたのは色とりどりの花々だった。亜熱帯の植物が生い茂り、世界各地から集められた珍しい植物が共存している。
園内を歩いていると、バンブー・グローブ (竹林) の静寂に心が洗われる。竹の葉が風に揺れる音は、どこか日本の竹林を思い出させた。その先の展望台からは、黒海の大パノラマが広がり、水平線の彼方まで続く青い海と空の境界が曖昧になっている。ベンチに座り、持参したスケッチブックに風景を描いてみた。絵心はないが、この美しい光景を何らかの形で記録しておきたかった。
昼食は植物園内のカフェで軽く済ませ、午後は町の中心部に戻ってバトゥミ考古学博物館を訪れた。小さな博物館だが、この地域の古代からの歴史を物語る貴重な展示品が並んでいる。コルキス王国時代の金細工、ローマ時代の硬貨、ビザンチン時代の宗教的遺物など、バトゥミが長い間文明の交差点であったことを物語っている。
博物館を出ると、偶然にも伝統音楽の路上演奏に出会った。年配の男性がパンドゥリ (グルジアの伝統楽器) を奏でながら、古い民謡を歌っている。その哀愁を帯びた旋律は、コーカサスの山々から吹いてくる風のように心に響いた。小さな子供たちが周りに集まり、一緒に手拍子を取っている光景は微笑ましく、思わず写真に収めたくなったが、この瞬間は心の中にしまっておくことにした。
午後の遅い時間、地元の市場を訪れた。バトゥミ・セントラル・マーケットは活気に満ち、新鮮な野菜、果物、香辛料、チーズなどが所狭しと並んでいる。特に印象的だったのは、アジャラ地方特産のハチミツと、色とりどりのスパイスだった。市場の女性たちは皆気さくで、片言のグルジア語で「ガマルジョバ (こんにちは) 」と声をかけると、嬉しそうに笑顔を返してくれる。
夕方は再び海岸通りを歩いた。今度は反対方向に向かい、バトゥミ・タワーの近くまで足を延ばした。この現代的な超高層ビルは、頭上で二つの塔が絡み合うようなデザインで、夕日に照らされて金色に輝いている。近くのカフェでエスプレッソを飲みながら、この建築の大胆さと美しさに見入っていた。
夕食は地元の人に教えてもらった家庭料理のレストランに行った。「ファミリー・キッチン」という名前の小さな店で、まさに家庭的な雰囲気が漂っている。アジャルリ・ハリチョ (スパイシーな牛肉スープ) とムツヴァディ (グルジア風ケバブ) を注文した。ハリチョは程よい辛さで体が温まり、ムツヴァディは炭火で焼かれた肉の香ばしさが絶品だった。食事の途中、店主の奥さんが「美味しい?」と気遣って声をかけてくれる。その温かい心遣いに、旅先でありながら家族のような温もりを感じた。
夜は宿の近くを散策した。石畳の路地は夜になると一層趣を増し、古い街灯の光が歴史の重みを感じさせる。どこからともなく聞こえてくるピアノの音色に導かれて歩いていると、小さなワインバーを見つけた。中に入ると、地元のミュージシャンが静かにジャズを演奏している。グルジアの赤ワインを一杯だけ飲みながら、音楽に耳を傾けた。異国の夜が、こんなにも心地よく感じられることに驚きながら、今日一日の豊かな体験を振り返った。
3日目: 別れの海辺と心に残る記憶
最後の朝は、いつもより早く目が覚めた。まだ薄暗い空の下、バルコニーから見える路地も静寂に包まれている。今日でこの美しい町を離れなければならないと思うと、どこか寂しい気持ちになった。身支度を整え、早朝の街を歩くことにした。
朝6時頃の旧市街は、昼間の賑わいとは全く違う表情を見せている。石畳の路地に響く自分の足音だけが、静寂を破っている。教会の鐘楼では、朝の祈りの鐘が鳴り始めた。その音色が古い建物の間に響き渡り、町全体が静かに目覚めていく様子を感じることができた。
海岸通りに出ると、朝日が黒海の水面を金色に染めている。早朝の散歩を楽しむ地元の人々の姿がちらほらと見える。ジョギングをする人、犬を連れて歩く人、ベンチに座って海を眺める老人。それぞれが思い思いに朝の時間を過ごしている。私もベンチに座り、この美しい朝の風景を心に刻もうとした。
朝食は海沿いの小さなカフェで取った。焼きたてのクロワッサンとカプチーノ、そして地元のジャムをたっぷりと塗ったパン。シンプルだが、海を眺めながらの朝食は格別の味わいがあった。カフェの主人は「また戻ってきてください」と言って、温かい笑顔で見送ってくれた。
午前中は最後の買い物をするため、もう一度市場を訪れた。昨日話した蜂蜜売りのおばあさんが、「昨日の日本人ね」と覚えていてくれた。お土産用の小瓶の蜂蜜を買うと、「これは私の村で作ったものよ」と誇らしげに話してくれる。その蜂蜜は濃厚で、花の香りが豊かだった。
植物園のカフェで見つけた手作りの陶器の小皿も購入した。バトゥミの海をイメージした青い釉薬が美しく、この旅の記念にふさわしいと思った。店主の女性は「この皿でお茶を飲むとき、きっとバトゥミを思い出すでしょう」と言ってくれた。
昼食は、初日に行った「アジャラ」で再びアジャルリ・ハチャプリを食べた。今度は店主と少し話をすることができた。彼はこの店を20年間続けており、世界中からの旅行者を迎えてきたという。「みんなこの料理を気に入ってくれる。それが私の誇りです」と語る彼の目は輝いていた。
午後は荷造りを済ませ、宿のオーナーのナナさんと少し話をした。彼女は若い頃モスクワで働いていたが、故郷のバトゥミに戻ってゲストハウスを始めたという。「この町の魅力を世界中の人に知ってもらいたい」という彼女の思いが、温かいもてなしの源になっていることを理解した。
出発まで時間があったので、もう一度海岸通りを歩いた。今度は逆方向に向かい、古い港の方まで足を延ばした。そこには地元の漁師たちが網を干している光景があり、観光地化された部分とは違う、バトゥミの日常の一面を垣間見ることができた。
夕方、空港に向かう前に最後にもう一度旧市街を通った。石畳の路地、古い建物、小さなカフェ、そして温かい人々の笑顔。たった2泊3日だったが、この町は確実に私の心の中に特別な場所として刻まれた。
空港までの道のり、タクシーの窓から見える風景の一つ一つが愛おしく思えた。椰子の木の並木道、現代的な建物群、そして遠くに見える黒海。すべてが旅の記憶として心に残っている。
空港での待ち時間、バトゥミでの体験を振り返った。短い滞在だったが、この町の多様性と人々の温かさを存分に感じることができた。伝統と現代が調和し、異なる文化が共存するこの町で過ごした時間は、私にとってかけがえのない経験となった。
空想でありながら確かに感じられたこと
飛行機が離陸し、バトゥミの町が眼下に小さくなっていく。窓から見える黒海の青さ、山々の緑、そして町の賑わいが、まるで絵葉書のように美しい。
この2泊3日の旅で出会った人々の顔が、一つ一つ心に浮かんでくる。温かく迎えてくれたナナさん、美味しい料理を作ってくれたレストランの人々、市場で笑顔を向けてくれた女性たち、そして街角で出会った多くの人々。言葉は完全に通じなくても、心は確実に通じ合っていた。
バトゥミという町は、まさに文化の交差点だった。グルジア正教会の荘厳な美しさ、イスラム建築の繊細な装飾、ソビエト時代の力強い建物、そして現代的な超高層ビル。それらが不思議な調和を保ちながら共存している。この多様性こそが、バトゥミの最大の魅力なのだろう。
食べ物もまた、この町の多様性を物語っていた。アジャルリ・ハチャプリの素朴な美味しさ、黒海の新鮮な魚介類、山の恵みを活かした料理。どれも地元の人々の愛情がこもっており、旅人の心を温めてくれた。
自然の美しさも忘れられない。黒海の青い水面、植物園の緑豊かな景色、朝日に照らされた海岸通り。都市でありながら自然との距離が近く、心が安らぐ瞬間が多かった。
そして何より、人々の温かさが心に残っている。観光客慣れした表面的な親切さではなく、純粋な心からのもてなしを感じることができた。その温かさは、言葉の壁を超えて伝わってくるものだった。
今、この文章を書きながら、私はバトゥミの石畳の感触を、海風の匂いを、教会の鐘の音を、まるで昨日のことのように思い出すことができる。それは確かに空想の旅だったが、私の心の中では間違いなく「体験した」記憶として残っている。
旅とは、単に場所を移動することではなく、心が動くことなのかもしれない。バトゥミで感じた感動、出会った人々への感謝、美しい風景への感嘆。これらの感情は、空想であっても確実に私の中に存在している。
いつか本当にバトゥミを訪れる日が来たら、この空想の旅で感じた感動を、実際に体験できるだろうか。それとも、想像の中の旅の方が、現実よりも美しく感じられるのだろうか。
どちらにせよ、この空想の旅が私に教えてくれたことは確かだ。世界にはまだ知らない美しい場所があり、出会っていない温かい人々がいる。そして、旅への憧れや好奇心こそが、私たちの心を豊かにしてくれるのだということを。
バトゥミの夕日が沈んでいく光景を思い浮かべながら、私はまた新しい旅への憧れを抱いている。それもまた、空想の旅になるかもしれない。しかし、それで構わない。心の中で旅する限り、世界は無限に広がっているのだから。

