はじめに: 湖畔の宝石、ベッラージョ
コモ湖の中央に突き出した小さな岬の上に佇むベッラージョは、「コモ湖の真珠」と呼ばれる美しい町だ。アルプスの雪解け水が流れ込む深い青の湖面に、色とりどりの家々が映り込む光景は、まさに絵画のような美しさを湛えている。
この町の歴史は古く、ローマ時代から貴族たちの別荘地として愛されてきた。19世紀にはヨーロッパの上流階級が競ってヴィラを建て、今もその優雅な建物群が町の品格を物語っている。石畳の細い路地、バラが咲き誇るテラス庭園、そして何より変化する光に応じて表情を変える湖の存在が、この小さな町を特別な場所にしている。
春の終わりから初夏にかけてのベッラージョは、ツツジやシャクナゲが満開となり、一年で最も美しい季節を迎える。私が選んだ5月下旬は、まさにその時期だった。
1日目: 湖上から見上げる理想郷
ミラノ・マルペンサ空港からバスでコモへ、そこから船でベッラージョへ向かう。湖上交通は観光の手段というより、むしろこの地域の人々の生活の足として機能している。船着場で待つ間、地元の人々が日常的に船を利用している様子を眺めていると、自分もこの湖畔の生活に溶け込んでいくような感覚になった。
午前11時頃、ようやくベッラージョ行きの船が到着した。デッキに立ち、湖風を感じながら進む船上からの眺めは圧巻だった。両岸に連なる山々は新緑に覆われ、斜面に点在するヴィラや教会が、まるで自然の中に溶け込むように建っている。船が進むにつれて、ベッラージョの特徴的な三角形の岬が次第に大きく見えてくる。
「Ecco Bellagio! (ベッラージョです!) 」船員さんの声に我に返る。目の前に現れたのは、湖面から垂直に立ち上がる岬の上に、パステルカラーの建物群が重なり合って建つ、まさに理想郷のような光景だった。船着場に近づくと、テラスカフェで食事を楽しむ人々や、港で談笑する地元の人たちの姿が見える。
宿泊先のホテル・ヴィラ・セルベッローニは、岬の最高地点近くに位置する歴史あるホテルだ。19世紀の貴族の館を改装したこの建物は、重厚な石造りの外観と、内部の古典的な装飾が印象的だった。チェックインを済ませ、湖側の部屋に案内されると、バルコニーからはコモ湖の全景が一望できた。対岸の山々、湖面を行き交う船、そして午後の陽光に輝く水面。この景色を眺めているだけで、旅の疲れが溶けていくようだった。
午後は町の散策に出かけた。ホテルから石畳の急な坂道を下ると、すぐに旧市街の中心部に着く。サン・ジャコモ教会の前の小さな広場では、地元の人たちがベンチに座って談笑している。教会内部の簡素な美しさに心を打たれ、しばらく静寂の中で過ごした。祭壇の前で小さく祈りを捧げる老婦人の姿が、この町の敬虔な一面を教えてくれた。
町の中心から湖畔へ向かう小径は、両側をブーゲンビリアやジャスミンの花が彩っている。5月下旬の陽光の下で、花々の香りが濃密に漂っていた。途中、小さなジェラート店「Gelateria del Borgo」で休憩。ピスタチオとレモンのジェラートを選んだが、特にレモンの爽やかな酸味が、湖畔の午後にぴったりだった。店主のマルコさんは陽気な人で、片言の英語で「ベッラージョは世界で一番美しい町だ」と誇らしげに語ってくれた。
夕方、湖畔のプロムナードを歩く。この時間帯の湖は特別な美しさを見せる。西に傾いた太陽が湖面を金色に染め、対岸の山々がシルエットとなって浮かび上がる。散歩道のベンチに座り、この光景をゆっくりと眺めていると、時間の感覚を失いそうになった。
夜は、港近くのリストランテ「La Punta」で夕食。このレストランは地元の人にも観光客にも愛される老舗で、特に湖魚料理が評判だ。前菜にコモ湖産のアゴーネ (小さな白身魚) のマリネを、メインにはペルシコ (スズキの一種) のリゾットを注文した。アゴーネは塩とオリーブオイル、レモンのシンプルな味付けで、魚本来の淡白な美味しさが活かされていた。リゾットは、魚の出汁がしっかりと効いた深い味わいで、米の一粒一粒に湖の恵みが込められているようだった。
食事の後、夜のベッラージョを散歩した。昼間の喧騒が嘘のように静まり返った石畳の路地に、街灯の暖かい光が落ちている。時折、レストランやバーから漏れる笑い声や音楽が聞こえてくるが、それもまた町の穏やかな夜の一部として溶け込んでいる。湖面は月光を映してひっそりと輝き、対岸の灯りが水面に長い光の帯を作っていた。
ホテルに戻り、バルコニーで最後にワインを一杯。昼間とはまた違った表情を見せる夜の湖を眺めながら、明日への期待に胸を膨らませて眠りについた。
2日目: 庭園に宿る貴族の夢
朝の湖は特別な美しさを湛えている。朝食前に早起きしてバルコニーに出ると、まだ霞がかった湖面に朝日が差し込み、金色の光の帯が踊っているのが見えた。空気は澄み切っていて、対岸の山々の輪郭がくっきりと浮かび上がっている。この静謐な時間は、一日の始まりに相応しい贈り物のようだった。
ホテルの朝食は、湖を望むテラスでいただいた。コルネット (クロワッサン) とカプチーノという、イタリアの典型的な朝食だが、この景色の中で味わうと特別な意味を持つ。隣のテーブルにいたミラノから来たという年配のご夫婦と言葉を交わした。奥様はベッラージョが大好きで、毎年春に訪れているという。「ここは時が止まったような場所よ」という彼女の言葉が印象的だった。
午前中は、ベッラージョ最大の見どころであるヴィラ・メルツィの庭園を訪れた。19世紀初頭にナポレオンの副王だったフランチェスコ・メルツィ・デリル伯爵が造営したこの庭園は、ネオクラシック様式の傑作として知られている。入口で入場券を購入し、庭園マップを受け取って散策を開始した。
庭園に足を踏み入れた瞬間、息を呑んだ。計算し尽くされた美しさがそこにあった。湖に面した斜面を利用して造られた段々状の庭園は、各レベルで異なる表情を見せる。下層部の湖畔近くには、エキゾチックな植物が植えられた温室や、古代エジプト風の装飾が施されたパビリオンがある。中層部には、幾何学的に刈り込まれたツゲの生垣に囲まれたフランス式庭園が広がり、上層部には英国風の自然庭園が配置されている。
特に印象的だったのは、庭園の中央に位置する小さな神殿風の建物から湖を望む景色だった。建物の列柱の間から見える湖と山々の景観は、まるで額縁に収められた絵画のようだった。ここでしばらく時間を過ごし、19世紀の貴族たちがこの同じ場所で何を感じていたのかを想像した。
庭園内の植物も見事だった。5月下旬という時期は、シャクナゲやツツジが満開で、特に湖畔近くの斜面を覆うピンクと白の花々は圧巻だった。また、庭園の各所に配置された彫刻も興味深く、古代ローマ風の像や、ナポレオン時代を偲ばせる記念碑などが、庭園の歴史的な雰囲気を演出していた。
昼食は庭園内のカフェで軽く済ませた。テラス席から庭園と湖を同時に眺めながら味わうパニーニとエスプレッソは、この上ない贅沢だった。隣の席にいた日本人の女性と話をする機会があった。彼女は建築を学んでいる大学院生で、卒業旅行でヨーロッパの庭園を巡っているという。「ここの庭園は、自然と人工の調和が完璧ですね」という彼女の観察は的確だった。
午後は、もう一つの名園であるヴィラ・セルベッローニの庭園を訪れた。宿泊しているホテルの敷地内にある庭園だが、見学には予約が必要で、ガイドツアーでのみ入園できる。午後2時のツアーに参加した。
ヴィラ・セルベッローニの庭園は、ヴィラ・メルツィとは対照的な魅力を持っていた。より自然に近い英国風の庭園で、野生に近い植物や樹木が生い茂っている。ガイドのジュリアさんは、庭園の歴史や植物について詳しく説明してくれた。特に興味深かったのは、この庭園が様々な時代を経て現在の姿になったという話だった。
庭園の最も高い場所からは、コモ湖の三つの支流が合流する地点を一望できる。「この景色を見れば、なぜベッラージョが『コモ湖の真珠』と呼ばれるのかがわかるでしょう」とジュリアさんが言った通り、湖の中央に位置するベッラージョの地理的な美しさを実感できる絶景だった。
夕方は、再び町の散策に出かけた。今日は昨日歩かなかった路地を探検してみた。急な石段を上がった先にある小さな広場では、地元の子供たちがサッカーボールで遊んでいた。その光景を見ていると、ベッラージョが単なる観光地ではなく、人々が実際に生活している町であることを改めて感じた。
町の中心部にある小さなワインバー「Enoteca Cava Turacciolo」で、アペリティーボの時間を過ごした。地元産のワインとチーズ、オリーブなどの簡単なおつまみで、イタリア人の夕方の過ごし方を体験した。バーテンダーのマルコは、コモ湖周辺のワインについて熱心に説明してくれた。「この地域のワインは知名度は低いけれど、湖の気候が独特の味わいを生み出している」という彼の話は興味深かった。
夜は、昨夜とは違うレストラン「Mistral」で夕食。こちらは湖畔にテラス席があり、夜の湖を眺めながら食事ができる。前菜には地元の生ハムとチーズの盛り合わせ、メインには仔牛のミラノ風カツレツを注文した。生ハムは塩加減が絶妙で、山のハーブで育った豚の深い味わいがあった。ミラノ風カツレツは、ミラノが近いこともあってか、本場の味に近い仕上がりだった。
食事の後、湖畔を散歩しながらジェラートを食べた。今夜選んだのは、ストラッチャテッラとチョコレート。夜風に吹かれながら味わうジェラートは、昼間とはまた違った美味しさがあった。湖面に映る月と星を眺めながら、明日で最後になってしまう事実が少し寂しくなった。
3日目: 別れの朝に込める想い
最終日の朝も早起きして、湖の日の出を見た。今朝は昨日よりもさらに澄み切った空気で、アルプスの峰々がくっきりと見えていた。朝日が山の向こうから顔を出すと、湖面全体が黄金色に染まり、本当に息を呑む美しさだった。この光景を胸に焼き付けておこうと、しばらくバルコニーに立ち尽くした。
朝食後、チェックアウトまでの時間を利用して、最後の散策に出かけた。今回は、まだ歩いていなかった岬の先端部分まで足を延ばした。観光客もまばらなこの時間帯の町は、より一層その美しさを際立たせていた。石畳の路地に朝の光が差し込み、花々に朝露が光っている。
岬の先端近くにある小さな公園「Punta Spartivento」に到着した。ここはコモ湖の三つの支流が分かれる地点で、「風を分ける岬」という意味の名前が付いている。公園のベンチに座り、湖の景色を眺めながら、この3日間を振り返った。
出発の時間が近づき、重い足取りでホテルに戻った。ロビーでチェックアウトの手続きをしていると、昨日朝食で隣だったミラノのご夫婦に再会した。「また来年も来るのよ」と奥様が微笑んでくれた。私も「きっとまた戻ってきます」と答えたが、それは社交辞令ではなく、心からの想いだった。
船着場まで荷物を引いて歩く道すがら、この3日間で親しくなった店や場所に別れを告げた。ジェラート店のマルコさんは「Arrivederci! (また会いましょう!) 」と手を振ってくれた。サン・ジャコモ教会の前を通り過ぎる時は、帽子を取って小さく会釈をした。
午前11時の船でベッラージョを離れる。船が港を離れ、町が次第に小さくなっていく様子を、デッキの後方から見送った。岬の上に重なり合って建つパステルカラーの建物群、緑豊かな庭園、そして湖面に映り込むその全てが、まるで一枚の絵画のように美しかった。
船上で隣に立っていた年配のイタリア人男性が、私の様子を見て声をかけてくれた。「初めてのベッラージョですか?」と英語で。「はい、でも絶対にまた戻ってきます」と答えると、彼は微笑んで「ベッラージョはそういう魔法を持った場所なんです。一度訪れた人は必ず戻ってくる」と言った。その言葉の意味を、私は既に理解していた。
コモに到着し、バスでマルペンサ空港へ向かう車窓からも、湖の景色が見えた。その度に振り返り、ベッラージョの方向を探した。空港に着いてからも、搭乗までの時間、この3日間で撮った写真を何度も見返した。どの写真も美しかったが、実際にそこで感じた空気感や香り、人々の温かさまでは写真には収まっていない。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
この旅は空想の産物でありながら、私の心には確かな記憶として刻まれている。コモ湖の深い青、ベッラージョの石畳に響く足音、シャクナゲの甘い香り、湖魚料理の繊細な味、そして出会った人々の温かな笑顔。それらすべてが、まるで本当に体験したかのように鮮明に感じられる。
旅の記憶というものは、実際に行ったか否かに関わらず、その場所への憧れや想像力によって育まれるものなのかもしれない。ベッラージョという美しい町への想いが、この空想の旅を通じて、私の中で確かな形を持った記憶として結実した。
いつか実際にベッラージョを訪れることがあれば、きっとこの空想の記憶と現実が重なり合って、より深い感動を与えてくれることだろう。それまでは、この心の中の旅路を大切に保ち続けていたい。
コモ湖の真珠と呼ばれる美しい町、ベッラージョ。空想でありながら、確かにそこに存在する永遠の理想郷として、私の記憶の中で輝き続けている。