はじめに: 丘の上に咲く白い町、ベラト
アルバニアの中部に位置するベラトは、オスマン建築の白壁が丘の斜面に寄り添うように広がる、美しい歴史都市だ。「千の窓を持つ町」とも呼ばれるこの地は、ユネスコの世界遺産にも登録されている。オスマン帝国時代の家々が川沿いに整然と並び、対岸から見ると、まるで斜面に無数の目が開かれているような景観を成している。
ベラトの町は、オスミ川を挟んでモンガレム地区とゴリツァ地区に分かれており、石造りの橋がそれらを結ぶ。赤い屋根と白い壁の家々、細い石畳の路地、静かな正教会とミナレットのあるモスクが共存する風景は、バルカン半島の複雑な歴史を静かに物語っている。
空は広く、川の水は透き通り、町の向こうには丘陵が波のように続いている。観光地としての喧騒はまだ少なく、どこか時間が止まっているような、やわらかな静寂がこの町にはある。
そんなベラトに、私はふと足を向けることにした。
1日目: 到着、午後の雨、そして夕暮れの静けさ
ティラナ国際空港から長距離バスでおよそ2時間半、車窓の外には麦畑とオリーブの木が広がっていた。バスがベラトのバスターミナルに到着したのは午後1時。小雨が降っていた。
宿はモンガレム地区の中腹にあるゲストハウスで、オスマン様式を改装した小さな家だった。持ち主のアナは穏やかな笑顔で迎えてくれ、石造りの階段と手作りの木製家具に囲まれた部屋に案内してくれた。窓からはゴリツァ地区が一望でき、雨に濡れた赤い屋根がしっとりと輝いていた。
午後は傘を差しながら町を歩いた。モンガレムの細い坂道は滑りやすく、足元に注意しながら、偶然入った小さなカフェでミルク入りのエスプレッソを注文する。店の老主人は言葉が通じない私に、にっこり笑ってアルバニア語の新聞を手渡してくれた。意味は分からないが、その行為に心が温まる。
雨が止んだ夕暮れ、私はゴリツァ橋を渡って対岸へ向かう。石畳の橋の上から眺めるベラトの町は、まるで絵の中の風景だった。夕陽が白い壁をオレンジ色に染め、空には薄く虹がかかっていた。
夕食は宿の近くのローカルレストランで。羊のチーズをのせたバイレク (パイ) 、トマトとキュウリのサラダ、そしてチキンと野菜のターヴェ (煮込み) を注文。素朴で滋味深く、身体の芯から満たされるようだった。
夜、宿のテラスで一人ワインを飲む。アナが「家族の畑で作ったのよ」と言っていた赤ワインは、フルーティでやわらかい味だった。町の灯りが川面に揺れ、風がやさしく頬を撫でる。眠りにつくまで、その静けさの中に身を委ねていた。
2日目: 丘の城とイコンの祈り、風の中の道
朝は澄んだ空気に包まれていた。ゲストハウスの朝食は、焼きたてのパン、自家製のはちみつ、ヨーグルトにイチジクのジャム。アナが煎れてくれた濃いコーヒーを飲み干し、私は丘の上にあるベラト城を目指して歩き出した。
城へ向かう道は急だが、石畳の両側には花が咲き、古い家々が並ぶ。子どもたちが「Hello!」と声をかけてくる。彼らの無邪気な笑顔に励まされながら坂を登ると、やがて視界が開け、町全体と遠くの山々を見渡せる場所に出た。
ベラト城は古代からの歴史を持ち、中にはいくつもの教会と住居跡がある。聖母マリア教会では、オノフリ・イコン美術館に立ち寄った。黄金と朱色のイコンが並ぶその空間は、静寂に満ち、祈りの時間が今も息づいているようだった。
昼は城の近くの小さなレストランで、グリルしたナスとミント入りのヨーグルト、羊肉の串焼きにピラフをいただく。地元の女性が笑顔で勧めてくれたチェリージュースも爽やかだった。
午後は町へ戻り、川沿いの遊歩道をのんびりと歩いた。土産物屋の前で足を止め、陶器の小さな皿を買う。模様はベラトの町並みを描いたものだった。店主は丁寧に包んでくれ、英語で「また来てください」と言ってくれた。
日が暮れる頃、再びゴリツァ地区へ。今度はゴリツァの丘に登り、川を挟んでベラトを望む。光と影のコントラストが美しく、言葉ではとても言い表せないような感情が胸に満ちていた。
夕食は町の中心の小さなビストロで。トリュフ入りのリゾットとハーブの効いたラム肉をゆっくり味わう。店員と少し話すと、彼は学生で、将来は自分のカフェを開きたいと言った。その夢がこの町の空気のようにやわらかく、あたたかく感じられた。
夜は宿の部屋に戻り、小さな日記帳に今日の出来事を書き留めた。灯りを落とし、静かな闇の中で目を閉じると、風の音とともに心がどこまでも広がっていく気がした。
3日目: 朝の市場と別れの風景
最終日、朝早く起きて町の市場へ向かう。モンガレムの坂を降りた広場には、野菜や果物、チーズや香草が並び、地元の人々の活気があふれていた。小さな籠に入ったドライフィグと、布袋に詰められたラベンダーを買い、旅の記念とした。
宿に戻ると、アナが「またいつでも来てね」と笑ってくれた。その一言が胸にしみる。
バスに揺られながら、窓の外に遠ざかるベラトの町を見つめる。白い壁の家々が、まるで静かに手を振っているかのようだった。
旅の終わりは、いつも少しの寂しさと、それ以上の静かな満足をもたらす。ベラトで過ごした時間は短くとも、その空気や匂いや音が、確かに私の中に刻まれていた。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
この旅は現実のものではなく、空想の中で紡がれたひとときだ。けれども、ベラトという場所の静謐さ、そこに生きる人々のやさしさ、風景の中に溶け込んでいくような体験は、現実と見紛うほどに生々しく、あたたかかった。
空想だからこそ、心のままに旅をし、触れ、感じることができたのかもしれない。けれど、そこにあった風、香り、光景の一つ一つは、確かに私の心の中で呼吸している。
これは、空想でありながら、確かにあったように感じられる旅である。