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  1. たび幻記/

海と伝統が息づく港町 ― スペイン・ベルメオ空想旅行記

空想旅行 ヨーロッパ 南ヨーロッパ スペイン
目次

はじめに: バスク海岸の静かな宝石

AIが考えた旅行記です。小説としてお楽しみください。

ベルメオという名前を初めて聞いたとき、その響きが心の奥に温かく響いた。スペイン北部、バスク地方の海岸線に佇むこの小さな漁港町は、ビルバオから車で約1時間の距離にありながら、まるで時が止まったような静寂に包まれている。

人口約1万7千人のこの町は、14世紀から続く漁業の歴史を持ち、特にマグロ漁で栄えてきた。バスク語では「Bermeo」と書くが、その語源は「ber」 (下の) と「mendi」 (山) を意味し、文字通り山の麓に位置する町として発展してきた。カンタブリア海の荒波に向かって突き出た小さな半島に築かれた旧市街は、色とりどりの家々が港を見下ろすように並び、古いバスク建築の美しさを今に伝えている。

この町を訪れることを決めたのは、ガイドブックには載らない「本当のスペイン」を感じたいという想いからだった。観光地化されていない、地元の人々の暮らしが息づく場所で、自分だけの時間を過ごしたい。そんな願いを抱いて、私は秋の終わりにベルメオへと向かった。

1日目: 潮風に迎えられた港町の午後

ビルバオ空港からレンタカーを借り、曲がりくねった山道を抜けてベルメオに到着したのは午後2時頃だった。町に入る手前の丘から見下ろした景色は、まさに絵葉書のようで、息を呑んだ。青い海に囲まれた小さな半島に、オレンジ色の瓦屋根と白い壁の家々が密集し、その中心に古い教会の尖塔が空に向かって伸びている。

宿泊先のペンション「マリア・アントニア」は、港のすぐ近くにある家族経営の小さな宿だった。3階建ての建物の2階にある部屋の窓からは、漁港の全景が見渡せる。荷物を置いて窓を開けると、潮の香りと漁船のエンジン音が部屋に流れ込んできた。

午後の散策は、まず港から始めることにした。石畳の細い道を下って行くと、漁師たちが網の手入れをしている姿が目に入る。60代ほどの男性が、黙々と破れた網を繕っていた。バスク語で何かを話しかけられたが、私がスペイン語で返事をすると、彼は優しい笑顔を見せて「マドリードから来たのか?」と聞いてきた。日本から来たと答えると、驚いたような表情を浮かべ、「ベルメオを知っている日本人は珍しい」と嬉しそうに言った。

港には20隻ほどの漁船が係留されており、その多くは家族経営の小さな船だった。船体に描かれた船名は、すべてバスク語で書かれている。「エデル・オンツィ」「ガボン・オナ」といった文字が、この土地の独特の文化を物語っていた。漁師たちは明日の早朝出漁に備えて、静かに準備を進めている。その様子を見ていると、何世紀も変わらずに続けられてきた営みの重さを感じた。

夕方になると、町の中心部へと向かった。サン・フランシスコ教会は、15世紀に建てられたゴシック様式の美しい建物で、ベルメオの歴史の象徴でもある。教会の前の小さな広場では、地元の老人たちがベンチに座って夕暮れを眺めていた。彼らの穏やかな表情を見ていると、この町の時間の流れ方が、都市部とは根本的に違うことを実感した。

夕食は、港近くの小さなタベルナ「ラ・ガビオタ」で取った。メニューはバスク語とスペイン語で書かれており、店主のおすすめは「ベスゴ・ア・ラ・エスパルダ」という地魚の塩焼きだった。新鮮な魚は身がふっくらとしており、レモンを絞っただけのシンプルな調理法が、素材の美味しさを最大限に引き出していた。付け合わせのパタタス・アルッガダス (じゃがいもの蒸し煮) も、バスク地方独特の優しい味付けで心が温まった。

地元産の白ワイン「チャコリ」は、微発泡で酸味が効いており、魚料理との相性が抜群だった。店主によると、このワインはベルメオ周辺のブドウ畑で作られており、バスク地方以外ではなかなか飲むことができない貴重なものだという。グラスを傾けながら、窓の外に広がる夕暮れの港を眺めていると、遠い異国の地にいることを忘れそうになった。

夜更けに宿に戻る途中、港の突堤を歩いた。灯台の光が海面を照らし、遠くに漁火がぽつぽつと見える。波の音だけが響く静寂の中で、今日一日の出来事を振り返った。たった半日の滞在だったが、ベルメオという町の持つ独特の魅力を肌で感じることができた。明日はもっと深く、この土地の文化に触れてみたいと思いながら、ベッドに横になった。

2日目: 海と山に抱かれた文化の一日

朝5時半、漁船のエンジン音で目が覚めた。窓から外を見ると、漁師たちが忙しそうに出漁の準備をしている。この時間の空気は澄んでいて、海の向こうに朝日が昇り始めていた。せっかくなので早起きして、漁師たちの出漁を見送ることにした。

港に降りて行くと、昨日話しかけてくれた漁師のホセさんがいた。「おはよう、日本人の友達!」と手を振ってくれる。彼の船「アマ・マリア」 (聖母マリア号) は、父親から受け継いだ12メートルほどの小さな船だった。今日は息子と二人でサバ漁に出かけるという。「ベルメオのサバは世界一美味しいんだ」と胸を張って言う彼の顔には、この仕事への誇りが表れていた。

6時頃、次々と漁船が港を出て行く。20隻ほどの船が順番に港口から海へ向かって行く様子は、まるで海への巡礼のようだった。最後の船が見えなくなるまで港で見送り、それから宿に戻って朝食を取った。

ペンションの朝食は、地元で焼かれたパンに、ベルメオ名産のアンチョビ、そして濃厚なカフェ・コン・レチェだった。アンチョビは塩味が効いていながらも上品で、パンの甘みとよく合う。これまで食べたことのある缶詰のアンチョビとは全くの別物だった。女将のマリア・アントニアさんは、「ベルメオのアンチョビは手作業で一匹ずつ丁寧に処理するから美味しいのよ」と教えてくれた。

午前中は、町の背後にそびえるガスルネ山へのハイキングに出かけた。標高289メートルの小さな山だが、頂上からの眺めは素晴らしいと地元の人たちが口を揃えて言う。町の中心から歩いて30分ほどで登山道の入り口に着いた。道は整備されており、地元の人たちの散歩コースにもなっているようだった。

登山道沿いには、ユーカリやピンクの木が生い茂り、時折海の景色が木々の間から見えた。秋の終わりということもあり、葉っぱが色づき始めている木々もあった。途中で出会った地元のおばあさんは、毎朝この山を歩いているという。「70年間ベルメオに住んでいるけれど、この景色を見るのが一日の始まりなの」と微笑んで話してくれた。

頂上に着くと、360度の絶景が広がっていた。眼下にはベルメオの町全体が見渡せ、赤い屋根の家々が港を囲むように並んでいる。海の向こうには、ビスケー湾の青い水平線が地平線まで続いていた。東の方角には、バスク地方の内陸部の緑豊かな丘陵地帯が広がり、西にはビルバオの方向に連なる海岸線が見える。この高さから見るベルメオは、まるで海に浮かぶ宝石のように美しかった。

山を下りてから、町の文化センターを訪れた。小さな建物だが、ベルメオの歴史と文化を紹介する展示があるという。受付の若い女性は流暢な英語を話し、展示内容を丁寧に説明してくれた。ベルメオが14世紀にカスティーリャ王国から漁業特権を与えられたこと、16世紀には新大陸への探検家たちの出発地の一つであったこと、そして現在でもバスク語と文化が生活の中に根付いていることなどを学んだ。

特に興味深かったのは、伝統的な漁業技術の展示だった。ベルメオ周辺では「アルマドラバ」という古来からのマグロ漁法が今でも使われており、これは網を使って回遊するマグロを捕獲する持続可能な漁法だという。現代的な漁業技術と伝統的な手法を組み合わせながら、海の資源を大切に守り続けている漁師たちの知恵に感動した。

昼食は、旧市街の小さなレストラン「エル・プエルト」で取った。店主は60代の女性で、40年間この店を営んでいるという。メニューには「メヌ・デル・ディア」 (本日のメニュー) として、地元の食材を使った料理が並んでいた。前菜に選んだのは「エンサラダ・ミクスタ」、見た目はシンプルなミックスサラダだが、ベルメオ産のアンチョビと地元の山で採れたキノコが入っており、オリーブオイルとビネガーのドレッシングが野菜の甘みを引き出していた。

メインディッシュは「メルルーサ・エン・サルサ・ベルデ」、ヘイクという白身魚をパセリソースで煮込んだバスク料理の代表的な一品だった。魚は丁寧に調理されており、身がとても柔らかい。パセリソースは見た目は緑色だが、味は複雑で、白ワイン、にんにく、オリーブオイルが絶妙にブレンドされていた。付け合わせのじゃがいもも、魚の旨味を吸って美味しく仕上がっていた。

食事をしながら、店主のロサさんといろいろな話をした。彼女によると、ベルメオの人口は徐々に減少しており、特に若い人たちは仕事を求めてビルバオなどの大都市に出て行ってしまうという。「でも、ここで生まれ育った人は必ず帰ってくるのよ。この土地の魅力は一度住んだら忘れられないから」と寂しそうながらも誇らしげに話していた。

午後は、ベルメオから車で15分ほどの場所にあるサン・フアン・デ・ガステルガチェを訪れることにした。この場所は、小さな島に建つ10世紀の修道院で、石段を登った先にある聖堂が有名だ。最近では海外のテレビドラマの撮影地としても使われ、観光客が増えているという。

ガステルガチェに到着すると、想像以上に美しい景色が広がっていた。荒波に洗われる岩礁の上に建つ小さな聖堂は、まさに神秘的な雰囲気に包まれている。海面から約80メートルの高さにある聖堂まで、241段の石段を登る必要があった。階段は急で、途中何度も休憩を取りながら登った。振り返ると、バスク海岸の雄大な景色が眼下に広がっている。

聖堂に到着すると、地元の巡礼者数人がお祈りを捧げていた。内部は小さく素朴だが、静寂に包まれた神聖な空間だった。ここは聖フアンを祭る場所で、古くから漁師たちの安全祈願の地として親しまれてきたという。窓から見える海の景色は、この世のものとは思えないほど美しく、なぜここに修道院が建てられたのかがよく理解できた。

帰り道、小さな土産物店で地元産の蜂蜜とチャコリワインを購入した。店の老主人は、「この蜂蜜は山の野花から採れたもので、ベルメオでしか味わえない」と教えてくれた。確かに一口舐めてみると、複雑で深い花の香りがした。

夕方、ベルメオに戻ってから、港の近くの市場を覗いてみた。午前中に出漁した漁船が戻ってきており、新鮮な魚が並んでいる。ホセさんの姿も見つけた。今日の漁は豊漁だったようで、サバやアンチョビが大量に水揚げされていた。「今夜はサバを食べなさい」と勧められ、市場で新鮮なサバを購入した。

夕食は、昨夜とは違うレストラン「カサ・アメリア」を選んだ。こちらは地元の人たちで賑わっている家庭的な店だった。購入したサバを持参すると、快く調理してくれることになった。「サバ・ア・ラ・プランチャ」、鉄板で焼いたシンプルな料理だが、その日の朝に獲れた魚の新鮮さが際立っていた。脂がのっており、塩とレモンだけの味付けで十分美味しい。

食事中、隣のテーブルの地元の家族と話をする機会があった。父親は港湾関係の仕事をしており、母親は小学校の教師をしているという。二人の子供たちは、学校でバスク語とスペイン語の両方を学んでいる。「バスク語は私たちのアイデンティティよ」と母親が誇らしげに語っていた。子供たちは恥ずかしがりながらも、簡単なバスク語を教えてくれた。「Kaixo」 (こんにちは) 、「Eskerrik asko」 (ありがとう) といった基本的な挨拶を覚えることができた。

夜は港の堤防を散歩した。満天の星空が海面に反射し、とても幻想的だった。都市部では見ることのできない星の美しさに、しばらく言葉を失った。漁火が遠くに点在し、まるで海に浮かぶ星のようだった。明日はもう帰国の途につくのかと思うと、少し寂しい気持ちになった。この2日間で、ベルメオという町と、そこに住む人々の温かさに深く触れることができた。

3日目: 別れの朝と心に残る想い出

最後の朝も、漁師たちのエンジン音で目覚めた。今日は曇り空で、海も少し荒れているようだった。窓から見える景色も、これまでの2日間とは違って、どこか物寂しい雰囲気に包まれている。

朝食前に、最後に港を歩いてみることにした。漁師たちは今日も変わらずに出漁の準備をしている。ホセさんを見つけて挨拶すると、「今日で帰るのか?寂しくなるな」と言ってくれた。そして、「これを持って行け」と小さな包みを手渡してくれた。中身を見ると、手作りのアンチョビの小瓶だった。「家族の秘伝の作り方で作ったものだ。日本でベルメオを思い出してくれ」と言われ、胸が熱くなった。

朝食の時、ペンションの女将マリア・アントニアさんに、この2日間の感謝を伝えた。彼女は「また必ず戻っておいで。ベルメオはいつでもあなたを待っているから」と温かい言葉をかけてくれた。チェックアウトの際、宿泊料金を支払おうとすると、「友達からはお金は要らない」と言って受け取ってくれない。結局、半ば強引に料金を支払ったが、彼女の優しさに深く感動した。

出発前に、町の中を最後にもう一度歩いて回った。サン・フランシスコ教会の前では、今日も老人たちがベンチに座って海を眺めている。昨日話をした家族経営のレストラン「エル・プエルト」の前を通ると、ロサさんが店の準備をしていた。手を振ると、「Adiós, amigo japonés!」 (さよなら、日本の友達!) と大きく手を振り返してくれた。

石畳の道を歩きながら、この2日間のことを振り返った。言葉の壁はあったものの、人々の温かさと親切心は国境を越えて伝わってきた。ベルメオの人々は、観光客慣れしていない分、とても純粋で素朴だった。彼らにとって、日本から来た一人の旅行者である私を受け入れ、家族のように接してくれたことが、何よりも心に残った。

車でベルメオを出発する時、バックミラーに映る町の景色をしっかりと目に焼き付けた。オレンジ色の屋根と白い壁の家々、その向こうに広がる青い海、そして港に浮かぶ小さな漁船たち。この景色は、きっと一生忘れることはないだろう。

ビルバオ空港に向かう道中、再びガスルネ山の頂上から見た景色を思い出していた。あの高台から見下ろしたベルメオの全景は、まるで時が止まったような美しさだった。現代的な大型ホテルや観光施設はないが、それこそがベルメオの最大の魅力なのかもしれない。

空港に到着し、レンタカーを返却する時、係員の男性が「旅行はどうでしたか?」と聞いてきた。「ベルメオに行ってきました」と答えると、彼の顔が明るくなった。「私の祖父母の出身地です。素晴らしい場所でしょう?」と嬉しそうに話してくれた。彼によると、バスク地方の人々は皆、故郷への愛着が非常に強いという。「血筋を辿れば、みんなどこかでつながっているんです」という彼の言葉が印象的だった。

搭乗手続きを待つ間、空港のカフェでコーヒーを飲みながら、この旅で学んだことを整理してみた。ベルメオは確かに小さな町だが、そこには長い歴史と深い文化が息づいている。漁業という海と共に生きる営みが、人々の暮らしの中心にあり、それが彼らのアイデンティティを形作っている。バスク語という独特の言語と文化を大切に守り続けながらも、よそ者を排斥することなく温かく迎え入れてくれる人々の心の広さに、深く感銘を受けた。

また、ベルメオの人々の時間に対する感覚も印象的だった。都市部のような慌ただしさはなく、自然のリズムに合わせた穏やかな時間が流れている。朝は漁師たちの出漁で始まり、夕方には港に戻ってくる。その日その日の天候や海の状況に合わせて生活が営まれている。このような暮らし方は、現代社会では失われがちなものだが、ここではまだしっかりと残っていた。

食事についても、忘れられない思い出がたくさんできた。新鮮な魚介類はもちろんのこと、地元産のワインや野菜、そして何よりも手作りのアンチョビの美味しさは格別だった。レストランや市場で出会った人々が、それぞれの食材や料理について情熱的に語ってくれたことも、料理をより美味しく感じさせてくれた。食べることが、単なる栄養摂取ではなく、文化を体験することだということを実感した。

飛行機に搭乗し、窓からバスク地方の緑豊かな丘陵地帯を見下ろしながら、いつかまた必ずベルメオを訪れようと心に誓った。今度はもう少し長く滞在して、漁船に乗せてもらったり、地元の祭りに参加したりしてみたい。そして、今回出会った人々との再会を楽しみにしている。

ホセさんからもらったアンチョビの小瓶を手に取りながら、この小さな港町での2泊3日が、私にとってかけがえのない経験になったことを改めて感じた。旅行というのは、新しい場所を訪れることだけではなく、そこで出会う人々との交流を通じて、自分自身を見つめ直す機会でもある。ベルメオでの日々は、まさにそのような貴重な時間だった。

最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと

この旅行記は、実際には訪れることのなかった空想の旅である。しかし、書きながら、そして読み返してみると、まるで本当にベルメオの石畳を歩き、潮風を感じ、地元の人々と言葉を交わしたかのような感覚に包まれる。

空想の力は不思議なものだ。実際に足を運んだことのない土地でも、その場所の歴史や文化、自然環境について調べ、想像力を働かせることで、驚くほどリアルな体験として心に残すことができる。ベルメオという実在の美しい漁港町の特徴を知り、バスク地方の文化に思いを馳せながら紡いだこの物語は、空想でありながら確かに心に刻まれた旅の記憶となった。

いつの日か、この空想旅行で描いた景色を実際に目にし、想像した人々との出会いを現実のものとする日が来ることを願っている。そのときは、この空想の旅が、現実の体験をより豊かにしてくれることだろう。

旅とは、必ずしも物理的な移動だけを意味するものではない。心の中で巡る旅路もまた、私たちの人生を彩る大切な体験の一つなのかもしれない。ベルメオへの空想旅行は、そのことを教えてくれた貴重な時間だった。

hoinu
著者
hoinu
旅行、技術、日常の観察を中心に、学びや記録として文章を残しています。日々の気づきや関心ごとを、自分の視点で丁寧に言葉を選びながら綴っています。

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