はじめに: 神秘の島、ボホールへ
フィリピン中部ヴィサヤ諸島に浮かぶボホール島は、まるで時が止まったかのような静寂に包まれた島だ。面積は沖縄本島とほぼ同じでありながら、観光地としてはまだ素朴さを残している。島の中央部に広がる1,268個の円錐形の丘「チョコレートヒルズ」は、乾季になると草が茶色に変わり、まさにチョコレートのような色合いを見せる奇跡の絶景として知られている。
この島の魅力は自然の神秘だけではない。世界最小の霊長類とされるターシャが生息し、スペイン統治時代から残る石造りの教会群が点在する。人々はタガログ語とヴィサヤ語系のボホラノ語を話し、穏やかで人懐っこい笑顔で旅人を迎えてくれる。海に囲まれた島でありながら、内陸部には豊かな森が広がり、川下りやジップラインなど冒険心をくすぐるアクティビティも楽しめる。
私がこの島を選んだのは、忙しい日常から離れ、自然の中で静かに自分と向き合いたかったからだった。都市部の喧騒とは対照的な、ゆったりとした島時間に身を委ねてみたい。そんな想いを胸に、マニラ経由でタグビララン空港へと向かった。
1日目: 島の温もりに包まれて
朝のマニラから約1時間半のフライトで、ボホール島のタグビララン空港に降り立った。空港は小さく、まるで地方の駅のような親しみやすさがある。外に出ると、南国特有の湿った暖かい空気が頬を撫でていく。空港からホテルまでは車で約30分。窓の外を流れる風景は、椰子の木が点在する緑豊かな田園地帯だった。
宿泊先のパングラオ・アルールコ・ビーチ・リゾートにチェックインを済ませると、すでに午後2時を回っていた。ホテルはパングラオ島という小さな島にあり、ボホール本島とは橋で繋がっている。部屋のベランダからは青い海が一望でき、遠くに小さな島々が浮かんでいるのが見える。荷物を置いて一息つくと、空腹を感じた。
ホテルのレストランで遅めの昼食をとることにした。メニューを見ながらウェイターに相談すると、地元の名物料理を勧められた。「レチョン・バボイ」と呼ばれる子豚の丸焼きと、新鮮な魚のシニガン・スープ、そしてボホール名物のウベ (紫芋) のハロハロを注文した。レチョンは皮がパリパリで中はジューシー、シニガンは酸味の効いたタマリンドベースのスープで疲れた体に染み渡った。
食事を終えると、午後の陽射しもやわらかくなっていた。ホテルの前に広がる白砂のビーチを歩いてみることにした。アローナビーチと呼ばれるこのビーチは、パングラオ島で最も美しいとされる場所の一つだ。波音が静かに響き、時折吹く風が椰子の葉をさらさらと鳴らしている。地元の子どもたちが浅瀬で遊んでいる姿を見ていると、心が自然と穏やかになった。
夕方近くになると、ビーチに小さな屋台が並び始めた。焼きとうもろこしやバナナキューの甘い香りが漂ってくる。地元の人々がベンチに腰掛けて談笑している光景は、まるで日本の縁側での夕涼みのようだ。私も屋台でフレッシュなマンゴーシェイクを買い、砂浜に座って夕陽を待つことにした。
午後6時頃、太陽がゆっくりと海に沈み始めた。空がオレンジから赤、そして紫へと変化していく様子は、まるで水彩画のようだった。周りの人々も自然と静かになり、この美しい瞬間を共有している感覚があった。夕陽が完全に海に消えると、小さな拍手が起こった。見知らぬ人同士でも、美しいものを共に見る喜びを分かち合えるのが旅の醍醐味だと感じた。
夜はホテル近くの小さなレストラン「グスタヴィアン」で夕食をとった。オーナーのマリアさんは気さくな女性で、私が一人旅だと知ると、特別に家庭料理を作ってくれた。アドボ (豚肉の醤油煮込み) とガーリックライス、そして新鮮な魚のグリルは、どれも優しい味で心が温まった。マリアさんは「ボホールの人々はマハール (愛) を大切にするのよ」と話してくれた。家族や隣人、そして旅人にも愛情を注ぐのがボホール流だという。
部屋に戻ると、窓の外では星が美しく輝いていた。都市部では見ることのできない満天の星空に、旅の初日から心を奪われた。明日はいよいよボホール島の奥深くへ足を踏み入れる。期待と静かな興奮を胸に、波音を子守唄に眠りについた。
2日目: 大地の神秘と生命の輝き
朝6時、鳥のさえずりで目が覚めた。窓を開けると、朝露に濡れた椰子の葉が朝陽に輝いている。今日は島の内陸部を巡る一日だ。ホテルで軽めの朝食をとった後、現地ガイドのカルロスさんと合流した。彼は30代半ばの穏やかな男性で、生まれも育ちもボホール島だという。
最初の目的地は、島の中央部にあるチョコレートヒルズだった。車で約1時間半、途中の道のりでカルロスさんは島の歴史を教えてくれた。16世紀にスペイン人が到着する前、ボホール島はダトゥ・シカトゥナという首長が治めていた。スペイン人探検家ミゲル・ロペス・デ・レガスピとの間で結ばれた血盟は、フィリピン初の平和条約として今も語り継がれているという。
チョコレートヒルズの展望台に到着すると、息を呑むような光景が広がっていた。地平線まで続く1,268個の円錐形の丘が、まるで巨人の子どもが作った砂山のように並んでいる。5月の乾季のため草は茶色く色づき、本当にチョコレートのように見える。この地形の成り立ちには諸説あるが、石灰岩の隆起と長年の浸食によって形成されたとされている。
展望台のベンチに座り、この不思議な絶景をただ眺めていると、時間の感覚が曖昧になってきた。何千年、何万年という歳月をかけて自然が創り上げた芸術作品を前にすると、人間の営みの小ささを感じずにはいられない。同時に、この美しい地球の一部として存在していることの奇跡を実感した。
午後は、島の南東部にあるロボック川でリバークルーズを楽しんだ。竹でできた船に乗り込むと、川の両岸には深い緑の森が続いている。船には簡単な昼食が用意されており、川風を感じながらのランチは格別だった。フィリピン風焼きそばのパンシット・カントンと、バナナの葉に包まれたスティッキーライスは素朴でありながら滋味深い味わいだった。
クルーズの途中、船頭のペドロさんが竹の楽器を演奏してくれた。ククビットと呼ばれるその楽器は、竹筒の中に空気を送り込んで音を出すもので、森に響く音色は自然の調べのようだった。他の乗客たちも手拍子を始め、言葉が通じなくても音楽で心が通じ合う瞬間だった。
午後3時頃、今度はボホール島固有の動物であるターシャに会いに、ターシャ自然保護区を訪れた。ターシャは体長わずか15センチほどの世界最小の霊長類で、大きな丸い目が特徴的だ。保護区のガイドは静かに案内してくれ、木の枝にじっとしているターシャを指差した。昼行性ではないターシャは動きが鈍く、まるで小さなぬいぐるみのようだった。
しかし、その小さな体に宿る生命力の強さを感じた。何百万年もの進化を経て今も生き続けているターシャは、ボホール島の豊かな自然環境があってこそ存在できる。保護区のスタッフは「ターシャは繊細な動物で、大きな音や光にストレスを感じます。だから静かに見守ることが大切なんです」と教えてくれた。
夕方、最後の目的地であるバクラヨン教会を訪れた。1596年に建設されたこの石造りの教会は、フィリピン最古の教会の一つとされている。内部は静寂に包まれ、何世紀もの祈りが染み付いているような神聖な雰囲気があった。地元の老婦人が一人、静かに祈りを捧げている姿が印象的だった。
教会の外に出ると、夕陽が石壁を温かく照らしていた。隣接する博物館には、宣教師たちが使った古い聖書や祭具が展示されている。異国の地で信仰を広めた人々の情熱と、それを受け入れたボホールの人々の寛容さを感じた。現在のボホール島民の約85%はカトリック教徒だが、古来からの土着の信仰も大切に保たれているという。
夜はタグビララン市内の「カラミア・レストラン」で夕食をとった。ここは地元の人々にも愛される老舗で、伝統的なボホール料理が味わえる。シニガン・ナ・バンガス (ミルクフィッシュの酸味スープ) とイナサル (炭火焼きチキン) 、それにココナッツライスを注文した。シニガンの酸っぱさは一日の疲れを癒し、イナサルのスパイシーな味付けは食欲をそそった。
隣のテーブルでは地元の家族が賑やかに食事をしている。子どもたちの笑い声と、祖父母の優しい表情を見ていると、どこの国でも家族の温もりは変わらないことを実感した。レストランのオーナーは「料理は愛情よ。美味しく食べてもらうことが一番の幸せ」と話してくれた。
ホテルに戻る車の中で、カルロスさんは「今日はボホールの心を感じてもらえたかな?」と尋ねた。チョコレートヒルズの壮大さ、ターシャの愛らしさ、古い教会の荘厳さ、そして人々の温かさ。この島には確かに特別な何かがあると感じた。部屋で一日を振り返りながら、明日が最終日だということが少し寂しく思えた。
3日目: 別れの調べと心に残る記憶
最終日の朝は、いつもより早く目が覚めた。まだ日の出前の静寂の中、ベランダに出て最後の朝を迎えた。水平線がうっすらと明るくなり始め、やがて太陽が顔を出す。海面にキラキラと光の道が現れ、新しい一日の始まりを告げている。昨日までと同じ光景のはずなのに、今朝は特別に輝いて見えた。
朝食後、チェックアウトまで時間があったので、もう一度アローナビーチを歩くことにした。朝の浜辺には地元の漁師たちが小さなボートで漁から戻ってきていた。籠いっぱいの魚を見せてくれた年配の漁師さんは、片言の英語で「フレッシュ、フレッシュ!」と嬉しそうに話してくれた。海の恵みに感謝する気持ちが伝わってきて、心が温かくなった。
午前10時頃、ボートでパングラオ島近海の小さな島、バリカサク島へ向かった。約15分の船旅で到着したこの小島は、シュノーケリングの名所として知られている。透明度の高い海に飛び込むと、色とりどりの熱帯魚が泳いでいる。パロットフィッシュの鮮やかな青、エンゼルフィッシュの優雅な泳ぎ、そして運良くウミガメにも遭遇することができた。
水中で息を止めながら、この美しい海の世界を見つめていると、不思議な一体感を感じた。陸上の日常とは全く異なる時間が流れている。魚たちは私の存在など気にも留めず、自然のリズムで泳いでいる。人間も本来は自然の一部であることを、体全体で理解した瞬間だった。
島のビーチで休憩しながら、持参したサンドイッチで簡単な昼食をとった。白い砂浜と青い海、そして椰子の木のシルエット。まさに南国の楽園といった風景だが、それ以上に印象に残ったのは、ここで過ごした静寂の時間だった。波音以外に聞こえるのは風の音だけ。都市生活では決して味わえない贅沢な静けさだった。
午後2時頃、パングラオ島に戻り、空港へ向かう前に最後の買い物をした。タグビララン市内の小さな市場では、地元の人々が日用品や食材を買い求めている。私はお土産にボホール名物のピーナッツキシとウベジャムを購入した。市場のおばさんは計算しながら「サラマット (ありがとう) 」と笑顔で言ってくれた。
空港への道すがら、車窓から見える風景を目に焼き付けようとした。田園地帯に点在する小さな家々、庭先で遊ぶ子どもたち、のんびりと歩く水牛。これらすべてが、ボホール島の日常であり、私にとっては特別な記憶となった。
タグビララン空港は相変わらず小さく、アットホームな雰囲気だった。搭乗待合室で振り返ると、わずか2泊3日の滞在だったが、心は豊かな体験で満たされていた。チョコレートヒルズの神秘的な光景、ターシャの愛らしい瞳、ロボック川の穏やかな流れ、そして何より人々の温かさ。これらすべてが心の奥深くに刻まれている。
マニラ行きの小さな飛行機に乗り込みながら、窓の外に広がるボホール島を見下ろした。上空から見る島は、まるで緑の宝石のように美しく輝いている。離陸と共に島が小さくなっていくのを見ながら、いつかまた戻ってきたいという想いが胸に湧き上がった。
機内で提供された軽食を取りながら、この旅で出会った人々の顔を思い浮かべた。ホテルのスタッフ、レストランのマリアさん、ガイドのカルロスさん、市場のおばさん、漁師さん。みんなそれぞれの人生を歩んでいるのに、短い間でも心を通わせることができた。言葉の壁を越えて伝わる人間の温かさこそが、旅の最大の収穫だった。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
この度の旅は、実際には体験していない空想の記録である。しかし、文字を綴りながら、まるで本当にボホール島の土を踏み、その空気を吸い、人々と触れ合ったかのような実感があった。それは単なる想像ではなく、心のどこかで確かに体験した記憶として残っている。
旅の本質は、新しい場所を訪れることだけではなく、日常から離れて自分自身と向き合い、異なる文化や価値観に触れることで心を豊かにすることだろう。物理的に移動しなくても、想像力によって心は自由に旅することができる。そして時として、その心の旅の方が、実際の旅行よりも深い感動や気づきをもたらすことがある。
ボホール島の青い海、チョコレートヒルズの不思議な光景、ターシャの大きな瞳、そして人々の温かい笑顔。これらはすべて想像の産物でありながら、確かに私の心に刻まれている。旅とは結局のところ、外界との出会いを通じて自分自身を発見する営みなのかもしれない。
現実と空想の境界が曖昧になる瞬間、そこに旅の真の価値が隠されているように思える。この空想の旅を通じて、私は改めて人間の想像力の素晴らしさと、心の旅の可能性を実感した。いつの日か、本当にボホール島を訪れる機会があれば、この空想の記憶と現実の体験がどのように重なり合うのか、それもまた楽しみの一つとして心に留めておきたい。