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  1. たび幻記/

霧の谷に佇む木の聖堂 ― ノルウェー・ボルグンド空想旅行記

空想旅行 ヨーロッパ 北ヨーロッパ ノルウェー
目次

フィヨルドの谷間に眠る小さな村

AIが考えた旅行記です。小説としてお楽しみください。

ボルグンドは、ノルウェー西部のソグン・オ・フィヨーラネ県に位置する、人口わずか数百人ほどの小さな集落だ。ソグネフィヨルドの支流であるレールダール川沿いの谷間に静かに佇むこの村は、北欧屈指の観光地フロムからバスで1時間ほどの距離にある。しかし、その知名度は隣接する観光地とは比べものにならないほど控えめだ。

この村を特別な存在にしているのは、12世紀後半に建てられたボルグンド・スターヴ教会の存在である。ノルウェーに現存する28棟のスターヴ教会 (木造教会) のなかでも、最も保存状態が良く、中世の姿を今に伝える貴重な建築物だ。黒く焦げたような外観は、何世紀もの風雪に耐えてきた証であり、屋根に連なる龍の頭の装飾は、キリスト教以前の北欧神話の名残を静かに物語っている。

周囲を取り囲む山々は夏でも雪を戴き、深い緑の森と白い滝、そして澄んだ川の流れが、訪れる者に時間の流れを忘れさせる。ここは観光地というよりも、ノルウェーの古い魂がそのまま息づいている場所だ。そんなボルグンドに、私は初夏の光が最も長く続く6月に訪れることにした。

1日目: 谷間への道と、教会の黒い影

オスロから朝の列車に乗り、ミュールダールで山岳鉄道フロム線に乗り換えた。世界で最も美しい鉄道のひとつと称されるこの路線は、急峻な斜面を縫うように下り、車窓からは次々と滝が姿を現す。観光客たちは皆、カメラを構えて歓声を上げていたが、私はただ窓に額を預け、流れゆく緑と水の風景に身を委ねていた。

フロムからボルグンドへは、バスで内陸へと向かう。観光客の大半はフロムに留まるため、バスの乗客は地元の人々と、私のような一人旅の旅行者が数名だけだった。道はレールダール川に沿って続き、谷は徐々に狭まっていく。両側から迫る山肌には、白樺の林と濃い針葉樹の森が交互に現れ、その合間を縫うように細い滝が幾筋も流れ落ちていた。

ボルグンドに到着したのは午後2時過ぎだった。バス停は教会のすぐ近くにあり、降り立った瞬間、目の前に現れたのは想像以上に小さく、そして圧倒的な存在感を放つ黒い建造物だった。ボルグンド・スターヴ教会。写真で何度も見ていたはずなのに、実物はまるで違った。それは風景の一部というよりも、この谷そのものの記憶が形になったかのようだった。

宿は教会から徒歩5分ほどの小さなゲストハウスで、かつての農家を改装したものだという。女性オーナーのグロさんが笑顔で迎えてくれた。彼女は英語で話しながらも、ところどころノルウェー語の響きを交えて、この土地の歴史や教会のことを語ってくれた。部屋は簡素だが清潔で、窓からは教会の尖塔と背後の山々が見えた。

荷物を置いて、すぐに教会へと向かった。入場料を払い、小さな木の扉をくぐる。内部は予想以上に暗く、ひんやりとしていた。柱には龍や蛇のような装飾が彫り込まれ、天井は複雑に組まれた木材が幾重にも重なっている。ステンドグラスはなく、わずかな窓から差し込む光だけが、この空間を満たしていた。

キリスト教の教会でありながら、ここには明らかに異教の気配が残っている。北欧神話の世界樹ユグドラシルを思わせる柱の構造、龍の彫刻、そして木そのものが持つ生命力。中世のノルウェー人たちは、新しい信仰を受け入れながらも、古い世界を完全には手放さなかったのだろう。そんなことを考えながら、私は静かに椅子に座り、しばらくその空間に身を置いた。

教会を出ると、夕方の光が谷を柔らかく照らしていた。近くの小さなカフェで遅めの昼食を取ることにした。メニューは限られていたが、地元のサーモンを使ったオープンサンドイッチと、ブラウンチーズ (イェトオスト) を添えたクラッカーを注文した。ブラウンチーズは初めて食べたが、キャラメルのような甘さと独特の風味があり、最初は戸惑ったものの、不思議と後を引く味だった。

カフェのテラスで食事をしていると、隣のテーブルに座っていた老人が話しかけてきた。彼はこの村で生まれ育ったといい、子どもの頃は教会の周りで遊んでいたという。「あの教会はね、ただの建物じゃないんだ。この谷の守り神なんだよ」と、彼は静かに言った。観光客にとっては歴史的建造物でも、地元の人々にとっては今も生きている信仰の場所なのだと、改めて感じた。

夜は9時を過ぎても薄明るく、散歩に出た。川沿いを歩くと、水の音だけが谷に響いていた。遠くの山肌にはまだ雪が残り、その白さが夕暮れの空に浮かび上がっている。ゲストハウスに戻ると、グロさんがお茶を淹れてくれた。ノルウェー式のワッフルに、サワークリームとジャムを添えて。暖炉の前で他の宿泊客—ドイツ人の夫婦とフランス人の若い女性—と、旅の話をしながら夜は更けていった。

2日目: 雪解けの滝と、谷に響く静寂

朝、目を覚ますと部屋には既に明るい光が満ちていた。時計を見ると午前5時。北欧の夏の朝は驚くほど早い。窓を開けると、冷たく澄んだ空気が流れ込んできた。谷には薄く霧がかかり、教会の輪郭がぼんやりと浮かび上がっている。

朝食はゲストハウスのダイニングで、宿泊客全員が同じテーブルを囲む形で取る。焼き立てのパン、チーズ各種、スモークサーモン、ゆで卵、それにノルウェー特有のキャビアペースト。グロさんが淹れてくれたコーヒーは濃くて香ばしく、体に染み渡った。ドイツ人夫婦は今日フロムへ戻るといい、フランス人女性は私と同じくもう一日滞在するという。

午前中は、教会の裏手にある博物館を訪れた。古いスターヴ教会の模型や、中世の農具、当時の人々の生活を再現した展示があり、この土地の暮らしがどれほど厳しく、そして自然と密接に結びついていたかを物語っていた。展示を見ていると、12世紀にこの教会を建てた人々の姿が、ぼんやりと浮かんでくるようだった。

昼前に、近くのトレッキングコースを歩くことにした。ボルグンドから山の中腹へと続く小道は、地元の人々が普段使っている道でもあるらしく、整備されすぎていない自然な状態が残されていた。森の中に入ると、苔むした岩や倒木が点在し、足元には野生のブルーベリーの低木が広がっていた。まだ実はついていなかったが、夏の終わりにはここが一面紫色に染まるのだろう。

1時間ほど登ると、視界が開けた。眼下にはボルグンドの村と教会、そして谷を縫うように流れる川が見えた。向かいの山からは無数の細い滝が流れ落ち、その白い筋が緑の斜面に映えている。風は冷たく、頬を撫でていく。ここに立っていると、自分がどれほど小さな存在か、そしてこの風景がどれほど長い時間をかけて形作られてきたかを、体で理解できる気がした。

昼食は持参したサンドイッチとリンゴを、山の中腹で食べた。同じコースを歩いていたノルウェー人の家族連れとすれ違い、挨拶を交わす。彼らは週末ごとにこうした山歩きをするのだと、父親が教えてくれた。「フリルフツリーヴ」という言葉を聞いた。自然の中で自由に過ごすこと、それがノルウェー人の生活の一部なのだという。

下山して村に戻ると、午後3時過ぎだった。少し疲れていたが、もう一度教会を訪れたくなった。今度は外から、ゆっくりと建物の周りを歩いた。黒く焦げたような板壁は、タールで防水処理されたものだという。屋根の上には、龍の頭を模した装飾が風に向かって並んでいる。これは船のドラゴンヘッドと同じ起源を持ち、悪霊を払う意味があるのだと、博物館で学んだ。

教会の墓地には古い墓石が並んでいた。18世紀、19世紀のものが多く、名前と生没年だけが刻まれている。花を手向けられている墓もあれば、苔に覆われて文字が読めなくなっているものもあった。ここに眠る人々も、生前は同じようにこの教会を訪れ、同じ谷の風景を見ていたのだろう。

夕方、村の小さな商店で夕食の材料を買った。ノルウェーサーモンの切り身、じゃがいも、それにサラダ用の野菜。ゲストハウスには共用のキッチンがあり、宿泊客が自由に使えるようになっている。フランス人女性のエマも同じ時間にキッチンにいて、彼女はパスタを茹でていた。お互いの料理の匂いを楽しみながら、旅の話をした。彼女はパリで建築を学んでいる学生で、卒業論文のテーマが中世建築だという。ボルグンドの教会は、その研究に欠かせない場所なのだと、目を輝かせて語っていた。

サーモンはシンプルに塩とレモンだけで焼き、じゃがいもはバターで和えた。ノルウェーの食材はどれも味が濃く、素材そのものの力強さがある。窓から見える教会は、夜の光の中でさらに黒く、まるで影絵のようだった。

夜10時を過ぎても空はまだ明るく、薄い青と金色の中間のような色をしていた。グロさんが「白夜に近い季節だからね」と教えてくれた。こんな風に一日が長く続くと、時間の感覚が曖昧になる。まるで一日が二日分あるかのような、不思議な感覚だった。

3日目: 別れの朝と、持ち帰る静けさ

最終日の朝も、早くから光が部屋に差し込んでいた。今日の午後にはフロムへ戻り、そこから列車でベルゲンへ向かう予定だ。ボルグンドでの時間は、あっという間だった。

朝食後、最後にもう一度教会を訪れた。開館前の静かな時間、教会の前に立ち、ただその姿を眺めた。観光客のいない朝の教会は、さらに厳かで、まるで時間が止まっているかのようだった。黒い壁に手を触れると、木のざらついた表面と、何百年もの時間の重みを感じた。

9時を過ぎると、徐々に観光客が訪れ始めた。団体バスが到着し、賑やかな声が谷に響く。それもまた、この場所の日常なのだろう。私はゆっくりと教会を後にし、川沿いの道を歩いた。水は透き通っていて、川底の石がはっきりと見える。小さな魚が群れをなして泳いでいた。

ゲストハウスに戻り、チェックアウトの準備をする。グロさんが「また来てね」と言ってくれた。彼女のような人々がいるからこそ、この村は今も温かさを保っているのだと思った。

昼前のバスでフロムへ向かう。バスの窓から、ボルグンドの教会が徐々に小さくなっていくのを見つめた。谷の緑、山の雪、そして黒い教会。その風景は、私の中にくっきりとした像を残した。

フロムに到着すると、観光客の多さに少し驚いた。ボルグンドの静けさとはまるで違う、活気に満ちた港町。だが、それも悪くない。旅には静けさも賑わいも、どちらも必要なのだから。

フロムからベルゲン行きの列車に乗り、再び山岳鉄道の車窓を楽しんだ。下りとは違う、登りの景色。同じ風景でも、見る方向が変われば印象も変わる。そんなことを考えながら、私はボルグンドでの2泊3日を反芻していた。

あの教会が語りかけてくるものは何だったのか。それは、時間の厚みだったように思う。12世紀から今日まで、変わらずにそこに在り続けること。嵐にも雪にも耐え、人々の祈りを受け止め続けてきたこと。現代の私たちが忘れがちな、持続することの強さと美しさを、あの黒い木造建築は静かに体現していた。

ベルゲンに着いた頃には、夕暮れが近づいていた。ブリッゲンの木造倉庫群を眺めながら、ボルグンドの教会を思い出す。時代も規模も違うが、木という素材に対するノルウェー人の深い理解と愛情は、どちらにも共通していた。

ホテルの部屋で荷物を広げると、ボルグンドで買った小さな絵はがきが出てきた。教会を描いたシンプルなもの。それを手に取りながら、あの谷の空気を思い出した。冷たくて澄んでいて、どこまでも静かだった空気を。

空想でありながら確かに感じられたこと

ここまで綴ってきたボルグンドへの旅は、実際には私が訪れたものではなく、想像の中で紡いだ物語である。しかし、書き進めるうちに不思議な感覚を覚えた。それは、実際に訪れたことがないにもかかわらず、確かにあの場所の空気を知っているような、あの教会の木の感触を覚えているような、そんな感覚だった。

旅とは、必ずしも物理的な移動だけを指すものではないのかもしれない。未知の場所に思いを馳せ、その土地の歴史や文化、自然や人々の営みに想像を巡らせることもまた、ひとつの旅の形なのだろう。そして時には、そうした空想の旅が、実際の旅に向かう最初の一歩になることもある。

ボルグンド・スターヴ教会は実在し、今もノルウェーの谷間でその黒い姿を保ち続けている。いつか本当にその場所を訪れる日が来たら、この空想の記憶と実際の体験が、どのように重なり、あるいは異なるのかを確かめてみたい。

空想の旅であっても、そこで感じた静けさや、時間の厚み、自然の力強さは、確かに心に残った。そしてそれは、実際の旅でこそ味わえる本物の感動への、静かな憧れとして、私の中に生き続けている。

hoinu
著者
hoinu
旅行、技術、日常の観察を中心に、学びや記録として文章を残しています。日々の気づきや関心ごとを、自分の視点で丁寧に言葉を選びながら綴っています。

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