はじめに
ブライトンは、ロンドンから南へ列車で約1時間。イングランド南岸に広がる海辺の町だ。19世紀、ジョージ4世が愛した保養地として栄え、今もその華やかさと自由な空気を残している。白亜の断崖が続くイギリス海峡に面し、石造りの桟橋「パレス・ピア」が海へと伸びる姿は、この町の象徴だ。
ビクトリア朝の優雅さと、カウンターカルチャーの自由さが混ざり合う不思議な町。レインボーフラッグが掲げられた通りには、古い書店やヴィンテージショップが並び、週末には音楽が溢れる。ロイヤル・パビリオンの異国的なドームが空に浮かび、ノース・レーンの石畳には若者たちの笑い声が響く。
海沿いの小石のビーチ、すれ違う人々の多様な装い、そして移ろいやすい海の天気。ブライトンは、どこかロンドンの喧騒から逃れてきた人々を優しく受け入れる、そんな懐の深さを持った場所だった。

1日目: 石の浜辺と、異国の夢
ロンドン・ヴィクトリア駅を出た列車は、やがて緑の丘陵地帯を抜け、突然視界が開けた。イギリス海峡だ。灰色がかった青い海が、窓の向こうに広がっている。
ブライトン駅に降り立ったのは午前11時頃。駅舎は意外にこぢんまりとしていて、どこか地方都市の玄関口らしい親しみやすさがある。駅前から伸びる坂道を下ると、やがて海の匂いが鼻をくすぐった。塩気を含んだ風が頬に当たり、それだけで旅に来たことを実感する。
まずは宿へ向かう。クイーンズ・ロード沿いの小さなB&Bを予約していた。ヴィクトリア朝の建物を改装した宿で、白い外壁にパステルブルーの窓枠が可愛らしい。オーナーのおばあさんが「ようこそ」と柔らかな訛りで迎えてくれた。部屋は3階で、窓からは隣家の屋根と、その向こうにわずかに海が見える。荷物を置いて、さっそく町へ繰り出した。
昼食は、ノース・レーンの一角にあるカフェで。この界隈は狭い路地に個性的な店が密集していて、歩くだけで楽しい。選んだのはベジタリアンカフェで、ひよこ豆のカレーとフラットブレッドのセット。スパイスが効いていて、意外なほど本格的な味だった。窓際の席で、行き交う人々を眺めながら食べる。髪を鮮やかなピンクに染めた若者、犬を連れた老人、ベビーカーを押す夫婦。みんな思い思いに、この町を楽しんでいる。
午後は海辺へ。ブライトン・ビーチは砂浜ではなく、丸い小石で覆われている。歩くと足元でカラカラと音がして、最初は少し歩きにくい。でもすぐに慣れた。靴を脱いで、石の上を裸足で歩いてみる。ひんやりとした感触が心地よい。波打ち際に座り込んで、ぼんやりと海を眺めた。空は薄い雲に覆われていて、太陽が雲間から淡い光を落としている。
桟橋、ブライトン・パレス・ピアは、観光客で賑わっていた。入場は無料。木の床を歩くと、足元の隙間から海が見える。遊園地のような雰囲気で、メリーゴーラウンドやゲームセンターがあり、フィッシュ&チップスの匂いが漂う。桟橋の先端まで歩いて、海に囲まれた感覚を味わった。振り返ると、町全体が海岸線に沿って広がっているのが見える。白い建物が連なり、その背後に緑の丘が続く。美しい眺めだった。
桟橋を降りて、海沿いの遊歩道を西へ歩いた。夕暮れ時が近づき、光が少しずつオレンジ色に変わっていく。ジョギングをする人、犬の散歩をする人、ベンチで海を眺めるカップル。それぞれの時間が、ゆったりと流れている。
夕食は、レーンズ地区のパブで。「The Cricketers」という、1547年創業という古い店だ。低い天井に暗い木の内装、壁には古い写真や絵が飾られている。カウンターでフィッシュ&チップスとローカルのペールエールを注文した。揚げたてのタラは、衣がサクサクで中はふっくら。モルトビネガーをたっぷりかけて、レモンを絞る。チップスは太めで、ホクホクしている。ビールは爽やかで、揚げ物によく合う。隣に座った地元らしき初老の男性が、「旅行者かい?」と気さくに話しかけてきた。「日本から」と答えると、「遠いところからようこそ。ブライトンは良い町だよ」と笑った。
宿に戻ったのは夜9時過ぎ。部屋の窓を開けると、遠くで波の音がかすかに聞こえた。シャワーを浴びて、ベッドに横になる。石の浜辺の感触、海の匂い、パブのざわめき。それらが心地よく混ざり合って、深い眠りに落ちていった。
2日目: 丘を越えて、白亜の断崖へ
朝食は宿の食堂で。イングリッシュ・ブレックファストの定番が並ぶ。ベーコン、ソーセージ、ベイクドビーンズ、マッシュルーム、トマト、そしてスクランブルエッグ。トーストは厚切りで、バターとマーマレードをたっぷり塗った。濃い紅茶を飲みながら、オーナーのおばあさんと少し会話を交わす。「今日はどこへ行くの?」と聞かれたので、「セブン・シスターズへ」と答えると、「素晴らしいわ。天気も良さそうだし、最高の眺めが見られるわよ」と言って微笑んだ。
午前中は、まずロイヤル・パビリオンへ。ジョージ4世が建てた離宮で、外観はインド・ムガル様式、内装は中国風という奇妙な組み合わせ。まるでおとぎ話に出てくる宮殿のようだ。玉ねぎ型のドームとミナレット風の塔が、イギリスの空の下で異彩を放っている。
内部は想像以上に豪華だった。バンケットルームの天井には、巨大なシャンデリアがぶら下がり、龍の装飾が施されている。ミュージックルームの壁画、寝室の華麗な装飾。すべてが過剰なまでに華やかで、王の夢想がそのまま形になったような空間だった。当時の人々がどう感じたのだろう、と想像してみる。おそらく、驚き、困惑し、そして魅了されたに違いない。
パビリオンを出て、隣接するガーデンを散策した。手入れされた芝生、色とりどりの花壇。ベンチに座って、しばらく休憩する。観光客や地元の人々が、思い思いに庭を楽しんでいる。
昼前に、セブン・シスターズへ向かうため、バス停へ向かった。ブライトンから東へ約30分、イーストボーンへ向かうバスに乗る。バスは海岸沿いを走り、やがて内陸の丘陵地帯へ入っていく。牧草地に羊が点々と草を食む、典型的なイングランドの田園風景だ。
シーフォードという小さな町でバスを乗り換え、セブン・シスターズ・カントリーパークへ。ビジターセンターで簡単な地図をもらい、歩き始めた。目指すのは、白亜の断崖が連なる海岸線だ。
なだらかな丘を登っていく。足元は草地で、ところどころに小さな花が咲いている。風が強く、髪が乱れる。20分ほど歩くと、視界が開けた。そこに、セブン・シスターズがあった。
白亜の断崖が、波のように連なっている。七つの起伏が、文字通り「七人の姉妹」のように並び、その足元をイギリス海峡の青い海が洗っている。空は晴れ渡り、白い崖が太陽の光を反射して眩しいほどだ。息を呑む美しさだった。
崖の縁に沿って歩いた。柵はなく、ただ草地が断崖で終わっている。高さは70メートル以上。足を踏み外せば、当然ただでは済まない。でも怖さよりも、開放感の方が勝っていた。風が全身を包み、髪を引っ張り、服をはためかせる。海鳥が風に乗って滑空し、時折鳴き声を上げる。
崖の上に腰を下ろして、持ってきたサンドイッチを食べた。ビジターセンターのカフェで買ったもので、チーズとピクルスのシンプルなものだ。海を眺めながら、ゆっくりと噛みしめる。遠くに貨物船が見える。時間が、ゆっくりと流れていく。
帰りのバスは夕方4時過ぎ。ブライトンに戻ったのは5時半頃だった。少し疲れていたが、心地よい疲労感だ。宿で少し休んでから、夕食へ出かけた。
今夜は、シーフードが食べたい気分だった。ブライトン・ピアの近くにある「Riddle and Finns」というオイスターバーへ。カウンター席に座り、生牡蠣を6個注文した。レモンとタバスコで味わう。海の味が口いっぱいに広がる。新鮮で、クリーミーで、少し甘みさえ感じる。白ワインがよく合う。メインは、ムール貝の白ワイン蒸し。ニンニクとパセリの香りが食欲をそそる。バゲットで汁をすくって食べる。
店を出ると、夜の海辺が広がっていた。桟橋のライトが海面に映り、幻想的な雰囲気を作り出している。遊歩道を歩きながら、波の音に耳を傾けた。昼間とは違う、静かで穏やかな海だ。
宿への帰り道、ふと空を見上げた。雲が切れて、星がいくつか見える。ロンドンではなかなか見られない星だ。この町の、海と空と人々の距離の近さを、改めて感じた。
3日目: 朝市と別れの時間
最終日の朝は、ゆっくりと目が覚めた。窓から差し込む柔らかい光に、もう帰る日なのだと実感する。朝食を済ませ、荷物をまとめてチェックアウト。オーナーのおばあさんが、「また来てね」と言って見送ってくれた。
駅のコインロッカーに荷物を預け、最後の散策に出かけた。土曜日の午前中、オープン・マーケットが開かれるというので、アッパー・ガードナー・ストリート沿いの市場へ向かった。
通りには、ずらりとテントが並んでいる。野菜、果物、チーズ、パン、花、アンティーク、衣類。ありとあらゆるものが売られている。地元の人々で賑わっていて、活気がある。八百屋のおじさんが大きな声で呼び込みをしている。「今日のイチゴは最高だよ!3パック5ポンド!」
ベーカリーのテントで、ソーセージロールを買った。焼きたてで、まだ温かい。その場で頬張ると、バターの効いたペイストリーがサクサクで、中のソーセージはスパイスが効いている。美味しい。
チーズ屋で、サセックス産のチェダーを試食させてもらった。濃厚でナッツのような風味がある。「お土産にどう?」と勧められたが、残念ながら持ち帰れない。「また来たときに買います」と笑って答えた。
市場を抜けて、もう一度ノース・レーンへ。昨日とは違う路地を歩いてみる。古書店の前で足を止めた。店内は天井まで本で埋め尽くされている。奥の方で、店主らしき老人が読書をしている。ヴィクトリア朝の旅行記、古い地図、詩集。時間があれば何時間でもいられそうな場所だ。
レコード店にも立ち寄った。ヴィンテージのロックやパンクのレコードが並んでいる。店内には音楽が流れていて、若い店員が気だるそうにカウンターに座っている。ブライトンは音楽の町でもある、とガイドブックに書いてあった。確かに、この町にはどこか音楽が似合う。
時計を見ると、11時半。そろそろ駅へ向かわなければ。最後にもう一度、海を見たくて、ビーチへ降りた。
小石の浜辺に立ち、波の音に耳を傾ける。2日前にここに来たときと、何も変わっていない。同じ海、同じ石、同じ波。でも、自分の中では何かが変わった気がする。旅をすると、いつもそうだ。場所は変わらないけれど、自分が少し変わる。
深呼吸をして、海に向かって小さく手を振った。「ありがとう、ブライトン」と心の中で呟く。
駅へ戻り、ロンドン行きの列車に乗り込んだ。車窓から見える海が、だんだん遠くなっていく。やがて視界から消え、緑の丘陵地帯に変わる。座席に深く腰を下ろし、目を閉じた。
耳の奥に、まだ波の音が残っている。海の匂い、石の感触、風の音。それらが、ゆっくりと心の中に沈んでいく。旅の記憶として。
空想でありながら確かに感じられたこと
ブライトンという町は、海と空と人が混ざり合う場所だった。華やかさと自由さ、歴史と現代、静けさと賑わい。すべてが共存し、すべてが許されている、そんな懐の深さを持った町。
石の浜辺に座って海を眺めた時間、白亜の断崖の上で風に吹かれた感覚、パブで隣の人と交わした何気ない会話、市場の活気、静かな朝の散歩。それらは今、確かに心の中にある。たとえそれが空想の旅であったとしても、感じたものは本物だ。
旅とは、場所に行くことだけではない。その土地の空気を感じ、人々の暮らしに触れ、自分の中に何かを持ち帰ること。それは実際に足を運んでも、心の中で旅をしても、同じなのかもしれない。
いつか、本当にブライトンを訪れることがあるだろうか。もし訪れたなら、この空想の旅で感じたものと、どれほど違うのだろう、あるいは似ているのだろう。それを確かめてみたい。
でも今は、この旅を心に留めておく。海辺の町の光と影、風の音、波の匂い。すべてを。

