はじめに: アドリア海の小さな宝石
モンテネグロという国の名前を聞いたとき、多くの人は地図上でその場所を正確に指すことができないかもしれない。バルカン半島の小さなこの国は、アドリア海に面した美しい海岸線と、険しい山々に囲まれた内陸部を持つ、まさに大自然の縮図のような場所だ。
ブドヴァは、そんなモンテネグロを代表する古都の一つである。2500年以上の歴史を持つこの街は、中世の石造りの建物が密集する旧市街と、エメラルドグリーンに輝くアドリア海の対比が息を呑むほど美しい。ヴェネツィア共和国の支配を受けた時代の面影が色濃く残る街並みは、地中海沿岸の他の都市とは異なる、独特の重厚さと優雅さを併せ持っている。
モンテネグロの人々は誇り高く、同時に温かい。セルビア語に近いモンテネグロ語を話すが、観光地では英語も通じる。正教会の影響が強く、街角には小さな教会や修道院が点在している。料理は地中海料理とバルカン料理が融合した独特のもので、新鮮な魚介類と山の幸が絶妙に組み合わされている。
この小さな国の、小さな街で過ごす3日間。それは時間の流れがゆっくりと感じられる、特別な体験になるはずだった。

1日目: 石畳の街への入り口
ティヴァト空港からタクシーで約30分。車窓から見えるアドリア海は、想像していた以上に透明で、まるで空の青さをそのまま映し取ったかのようだった。運転手のミロシュさんは流暢な英語で、モンテネグロの歴史について語ってくれた。「ブドヴァは我々の誇りです。古い街ですが、生きている街です」という彼の言葉が印象的だった。
午前11時頃、ブドヴァの街に到着した。宿泊先は旧市街から徒歩5分ほどの小さなゲストハウス「Villa Mediterran」。オーナーのマリナさんが温かく迎えてくれた。建物自体は新しいが、内装は伝統的なモンテネグロスタイルで統一されており、木製の家具と手織りの絨毯が心地よい雰囲気を醸し出していた。
部屋に荷物を置いてから、早速旧市街の散策に出かけた。城壁に囲まれた旧市街への入り口は、まるで中世の世界へのタイムトンネルのようだった。石畳の道は滑らかに磨かれ、長い年月をかけて無数の足跡が刻まれている。最初に向かったのは、街の象徴である聖イヴァン教会。12世紀に建てられたこの教会は、外見は質素だが、内部のフレスコ画は息を呑むほど美しかった。午後の光が色とりどりのステンドグラスを通して差し込み、石の床に虹色の模様を描いていた。
昼食は旧市街の中心部にある「Restoran Stari Grad」で取った。石造りの建物の中庭にあるテラス席は、まさにヨーロッパの古都らしい雰囲気だった。メニューを見ると、アドリア海の新鮮な魚介類を使った料理が並んでいる。ウェイターのおすすめで、ブランジン (シーバス) の塩焼きと地元産の白ワインを注文した。魚は驚くほど新鮮で、レモンとオリーブオイル、そして地元のハーブが効いたシンプルな調理法が素材の味を最大限に引き出していた。白ワイン「Vranac」は軽やかで爽やかな味わいで、海の見えるテラスでの食事にぴったりだった。
午後は海岸沿いを散歩した。ブドヴァの海岸線は複雑に入り組んだ入り江と小さな湾で構成されており、それぞれが異なる表情を見せていた。モグレン・ビーチは観光客で賑わっていたが、少し歩いて行った先にある小さな入り江では、地元の人々が静かに海水浴を楽しんでいた。海の色は場所によって微妙に変化し、浅瀬のエメラルドグリーンから深いところのコバルトブルーまで、まるで天然のグラデーションを見ているようだった。
夕方、旧市街の城壁の上を歩いた。この城壁は15世紀にヴェネツィア人によって建設されたもので、現在でも街を取り囲んでいる。城壁の上からは、アドリア海とブドヴァの街並みが一望できた。夕日が海に沈み始めると、石造りの建物が温かなオレンジ色に染まり、まるで街全体が黄金に包まれたようだった。この瞬間、旅に出てよかったと心から思った。
夜は旧市街のワインバー「Wine Bar Casper」で過ごした。地下にある小さな店で、石造りの壁とろうそくの灯りが中世の雰囲気を演出していた。バーテンダーのアレクサンダーさんは、モンテネグロワインについて詳しく教えてくれた。赤ワイン「Vranac」の深い味わいは、昼間に飲んだ白ワインとは全く違う表情を見せてくれた。「このワインは我々の土地の味です」と彼が言った言葉が印象に残った。チーズとプロシュート (生ハム) の盛り合わせと一緒に、ゆっくりとワインを味わいながら、一日の出来事を振り返った。石畳の街に響く自分の足音が、既に懐かしく感じられた。
2日目: 海と山が織りなす自然の交響曲
朝、7時頃に目が覚めた。窓を開けると、アドリア海から吹く爽やかな風が部屋に流れ込んだ。昨夜の雨の香りがまだ空気に残っており、石畳が濡れて光っていた。ゲストハウスの朝食は、テラスで取ることができた。モンテネグロの伝統的な朝食は、カイマク (乳製品) 、蜂蜜、自家製パン、そして地元産のチーズから成っていた。特にカイマクは初めて食べる味で、バターとクリームチーズの中間のような濃厚さがあり、蜂蜜との相性が抜群だった。マリナさんが淹れてくれたトルココーヒーは、濃厚で香り高く、朝の目覚めにぴったりだった。
午前中は、ブドヴァから車で30分ほどの場所にあるスヴェティ・ステファン島を訪れることにした。タクシーの運転手ペタルさんは、道中ずっとモンテネグロの自然について語ってくれた。「この国は小さいですが、海も山も湖もあります。自然の博物館のようなものです」と彼が言った通り、車窓からの景色はコロコロと変化していった。
スヴェティ・ステファン島は、15世紀に要塞として建設された小さな島で、現在は高級リゾートホテルになっている。島自体には立ち入れないが、対岸の展望台からの眺めは圧巻だった。小さな島に赤い屋根の石造りの建物が密集し、まるで海に浮かぶ中世の街のようだった。島と本土を結ぶ砂州は自然にできたもので、潮の満ち引きによってその姿を変える。午前中の光の下で、島は写真でよく見る姿そのものだったが、実際に目の前にすると、その美しさには言葉を失った。
島の周辺には美しいビーチが点在している。特にミロチェル・ビーチは、女王マリヤの別荘があったことで知られる高級ビーチだった。ここで泳ぐことにした。海の水は予想以上に温かく、透明度は抜群だった。海底の小石まではっきりと見えるほどで、まるでプールのような美しさだった。泳いでいると、小さな魚の群れが足元を泳いでいくのが見えた。海から上がって砂浜に寝転ぶと、太陽の暖かさと海風の涼しさが絶妙なバランスを保っていた。
昼食は、ビーチ近くの「Restaurant Milocer」で取った。テラス席からはスヴェティ・ステファン島が一望でき、絶好のロケーションだった。メニューから、地元名物の「チェヴァピ」を注文した。これは挽肉で作った小さなソーセージのような料理で、平たいパン「レピニャ」に包んで食べる。シンプルな料理だが、肉の旨みが凝縮されており、地元産の玉ねぎとヨーグルトソースとの組み合わせが絶妙だった。デザートには「バクラヴァ」を注文した。薄いパイ生地に蜂蜜とナッツが層になったこの菓子は、トルコの影響を感じさせる甘さだった。
午後は、内陸部の小さな村を訪れることにした。ペタルさんの提案で、伝統的なモンテネグロの村ライフを体験できる「エコツーリズム」に参加した。ブドヴァから車で1時間ほど山道を登ると、標高800メートルほどの高原に小さな村があった。そこには、伝統的な石造りの家屋が点在し、羊飼いが羊の群れを連れて歩いている牧歌的な風景が広がっていた。
村の一軒の農家で、伝統的なチーズ作りを見学させてもらった。老夫婦のドラガンさんとミリツァさんが、何世代にもわたって受け継がれてきた方法でチーズを作っているところだった。山羊の乳から作られるこのチーズは、都市部では味わえない濃厚さと自然な甘さがあった。「この山の草を食べて育った山羊の乳だからです」とミリツァさんが微笑みながら教えてくれた。彼らの家の周りには、季節の野菜や果物を育てる小さな菜園があり、完全に自給自足の生活を営んでいることがうかがえた。
夕方、村から下山する途中で、小さな修道院に立ち寄った。オストログ修道院の分院のような小さな建物だったが、内部には美しいイコン (聖像画) が飾られていた。修道士のひとりが、この修道院の歴史について説明してくれた。17世紀に建立されたこの修道院は、オスマン帝国時代もモンテネグロの正教信仰の中心地のひとつだったという。夕日に照らされた修道院の壁は、まるで金色に輝いているようだった。
ブドヴァに戻ったのは夜8時頃だった。疲れていたが、充実感に満たされていた。夕食は、旧市街の「Konoba Stari Mlini」で取った。この店は古い水車小屋を改装したレストランで、石造りの壁と木製の梁が印象的だった。メニューから、モンテネグロの伝統料理「ヤグニェティナ (子羊のロースト) 」を注文した。子羊肉は柔らかく、ローズマリーとガーリックの香りが食欲をそそった。付け合わせの焼き野菜も甘みがあって美味しく、地元産の赤ワインとよく合った。
食事の後、旧市街を散歩した。夜の石畳の街は昼間とは全く違う表情を見せていた。街灯の温かい光が石の壁を照らし、まるで映画のセットのような幻想的な雰囲気だった。小さな広場では、地元の若者たちがギターを弾いて歌っており、その歌声が石の壁に反響していた。一日中自然に触れ、地元の人々と触れ合った充実感が、心地よい疲労感と一緒に体に染み込んでいった。
3日目: 別れの朝と心に残る贈り物
最後の朝は、いつもより早く目が覚めた。午前6時頃、まだ街が静寂に包まれている時間に、一人で旧市街を散歩した。観光客のいない早朝の石畳の街は、まるで時が止まったかのような静けさに満ちていた。石畳に響く自分の足音だけが、街の長い歴史に新しい音を加えているようだった。
城壁の上から見る朝のアドリア海は、昨日までとは違う色合いを見せていた。朝日がゆっくりと水平線から昇り、海面にキラキラと光の道を作っていた。この瞬間、3日間という短い時間の中で、この街が自分の心の一部になっていることを実感した。それは旅行者特有の一時的な感情ではなく、もっと深いところで繋がりを感じる気持ちだった。
朝食後、マリナさんに別れの挨拶をした。彼女は「モンテネグロはあなたをいつでも待っています」と言って、手作りの小さなお守りをくれた。それは伝統的な刺繍が施された小さな布袋で、中には地元の教会で祝福された小さな石が入っているという。「これを持っていれば、きっとまた戻ってこられます」という彼女の言葉が心に響いた。
出発まで少し時間があったので、最後にもう一度市場を訪れることにした。地元の人々で賑わう朝市は、旅行者向けの観光地とは違う、等身大のブドヴァの姿を見せてくれた。新鮮な魚介類、色とりどりの野菜や果物、手作りのチーズやパンが並んでいた。年配の女性が売っているドライフルーツとナッツを少し購入した。彼女は片言の英語で「旅行、楽しかった?」と尋ねてくれ、「また来て」と手を振ってくれた。
午前10時頃、タクシーでティヴァト空港に向かった。運転手は初日と同じミロシュさんだった。「どうでしたか、モンテネグロは?」と聞かれて、一瞬言葉に詰まった。美しかった、素晴らしかった、という単純な形容詞では表現しきれない何かがあった。「心に残る場所でした」と答えると、彼は満足そうに微笑んだ。
車窓から見える景色は、3日前に初めて見た時とは全く違って見えた。同じ海、同じ山々、同じ街並みなのに、そこには見知った土地の親しみやすさがあった。短い滞在だったが、この土地の一部になったような感覚があった。それは観光地を「見た」という体験を超えた、もっと深い体験だった。
空港での手続きを済ませ、搭乗を待つ間、この3日間を振り返った。ブドヴァという小さな街で過ごした時間は、確かに短かった。しかし、その密度は非常に濃いものだった。古い石造りの街並み、透明なアドリア海、山の村での素朴な暮らし、そして何より、温かい人々との出会い。これらすべてが、記憶の中で一つの完成された物語として残っていた。
飛行機の窓から見下ろすモンテネグロの大地は、小さく見えた。しかし、その小さな国土の中に、これほど豊かな自然と文化と歴史が詰まっていることを知った今、その小ささは決して貧しさではないことがわかった。むしろ、凝縮された美しさと言えるかもしれない。マリナさんがくれたお守りを握りしめながら、いつかまた戻ってくることを心に誓った。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
この旅行記は空想の産物である。私は実際にはモンテネグロのブドヴァを訪れたことはない。しかし、文字を追いながら、まるで本当にあの石畳の街を歩き、あのエメラルドグリーンの海で泳ぎ、あの山の村でチーズを味わったかのような感覚が生まれる。
空想の旅には、現実の旅行にはない自由がある。天候に左右されることもなく、言葉の壁に困ることもなく、予算を気にする必要もない。しかし同時に、肌で感じる海風の涼しさや、石畳を歩く足の疲れや、地元の人々との予期しない出会いの喜びも体験することはできない。
それでも、この架空の3日間は、確かに何かを私たちに与えてくれる。それは新しい場所への憧れかもしれないし、旅への渇望かもしれない。あるいは、まだ見ぬ世界への想像力を膨らませる楽しさかもしれない。空想の旅は、現実の旅への準備であり、同時にそれ自体が完結した体験でもある。
モンテネグロ・ブドヴァでの2泊3日の旅。それは空想でありながら、確かにあったように感じられる旅だった。そして、その感覚こそが、旅の本当の価値なのかもしれない。実際に足を運ぶことと同じくらい、心で旅をすることも大切なのだ。

