はじめに: ソウルの肺と呼ばれる山への誘い
北漢山国立公園は、ソウル市の北端に位置する韓国で最も小さな国立公園でありながら、世界で最も多くの人が訪れる国立公園として知られている。面積わずか76.9平方キロメートルの中に、白雲台 (837m) を主峰とする花崗岩の峰々が連なり、古くから「三角山」の名で親しまれてきた。
この山は単なる自然保護区域ではない。朝鮮王朝時代には王室の狩猟場として使われ、日本統治時代を経て、朝鮮戦争では激戦地となった歴史を刻んでいる。山中には新羅時代に創建された津寛寺や、高麗時代の遺跡である北漢山城の城壁が今も残り、自然と歴史が織りなす独特の景観を作り出している。
花崗岩の白い岩肌と濃緑の松林、そして四季折々に咲く野花たち。都市からわずか30分足らずでたどり着けるこの山は、ソウル市民にとって心の故郷のような存在だ。特に秋の紅葉は息を呑むほど美しく、春の山桜、夏の青々とした緑陰、冬の雪化粧と、季節ごとに全く異なる表情を見せてくれる。
この旅は、そんな北漢山の懐に抱かれながら、韓国の自然と文化の奥深さに触れる2泊3日の記録である。
1日目: 山麓の温もりに包まれて
仁川国際空港から地下鉄とバスを乗り継いで、ようやく北漢山の麓にある小さな民宿に到着したのは午後2時頃だった。10月中旬の韓国は、日本の晩秋に似た心地よい涼しさで、空気が澄んでいる。民宿の女将さんは60代ほどの品のある方で、流暢ではないが温かい日本語で迎えてくれた。
「日本からいらっしゃったんですか?北漢山、とても美しいです。紅葉、今が一番きれいですよ」
荷物を部屋に置いて、まずは腹ごしらえをしようと近くの食堂を探した。民宿から歩いて5分ほどの場所に、地元の人たちで賑わう小さな食堂があった。「山菜ビビンバ」の看板が目に留まり、迷わず暖簾をくぐった。
店内は古い木のテーブルと椅子が並び、壁には北漢山の四季の写真が飾られている。初老の店主が注文を聞きに来ると、私は指差しで山菜ビビンバを頼んだ。やがて運ばれてきた器には、ぜんまい、桔梗、わらび、もやし、人参など、色とりどりの山菜がきれいに盛られ、中央には温泉卵がのっている。コチュジャンを混ぜて一口頬張ると、山の恵みが口いっぱいに広がった。優しい土の香りと、野菜それぞれの歯ごたえが絶妙に調和している。
食事を終えて外に出ると、西日が山の稜線を金色に染めていた。明日の登山に備えて、近くの登山用品店で簡単な装備を整える。店主は親切に日本語の地図をくれ、おすすめのコースを教えてくれた。
「白雲台まで行かれるなら、牛耳洞コースが一番いいです。景色、とてもきれいですよ」
夕方6時頃、民宿に戻ると女将さんが夕食の準備をしていた。今夜のメニューはキムチチゲと보쌈ポッサム、そして様々なおかずだった。キムチチゲの深い酸味と辛味が体を温め、茹でた豚肉を白菜で包んで食べるポッサムは、口の中でほろりと崩れる柔らかさだった。
「明日山に行かれるんですか?気をつけてくださいね」
女将さんとたどたどしい韓国語と日本語を交えながら話していると、隣のテーブルにいた60代の韓国人男性が話しかけてきた。元教師だという彼は、流暢な日本語で北漢山の歴史について語ってくれた。
「この山はね、朝鮮戦争の時にとても激しい戦闘があったんです。今はこんなに平和で美しいけれど、その頃を知る人はだんだん少なくなっている。でも山は覚えているんです、すべてを」
彼の言葉は重く、同時に深い愛情に満ちていた。戦争の傷跡を乗り越えて、今では多くの人々が平和に山を楽しんでいる。その事実に、言葉にならない感動を覚えた。
夜9時頃、部屋に戻って明日の登山の準備をした。窓の外には、街灯に照らされた北漢山の黒いシルエットが見える。その威風堂々とした姿に、明日への期待が高まる。オンドル (床暖房) の温かさに包まれながら、韓国の山での最初の夜が更けていった。
2日目: 白雲台への道のりと心の対話
朝6時、民宿の女将さんが作ってくれた弁当を受け取って出発した。中身はキンパと茹で卵、そして小さな水筒に入った麦茶だった。「頑張ってください!」という女将さんの励ましの声に送られて、牛耳洞コースの登山口へ向かった。
午前7時、登山口に到着すると、すでに多くの登山者が準備体操をしている。年配の夫婦、若いカップル、一人で来ている人たち。皆それぞれの目的で山を目指している。入山前に登山届を出し、いよいよ白雲台への道のりが始まった。
最初の30分は比較的なだらかな山道を歩く。朝の空気は冷たく清々しく、肺の奥まで浸透していく。道の両側には紅葉した楓やナラの木が立ち並び、足元には落ち葉が柔らかいじゅうたんを作っている。時折、リスが木から木へと飛び移る姿が見え、都市近郊とは思えない豊かな自然に心が躍る。
1時間ほど歩くと、最高峰方向と津寛寺方向の分岐点に到着した。今日は白雲台を目指すので、最高峰方向へ進む。ここから徐々に勾配がきつくなり、花崗岩の露出した岩場が現れ始める。
午前10時頃、道端の岩に腰を下ろして小休止した。振り返ると、ソウル市街が霞んで見える。高層ビル群の向こうに漢江がゆったりと流れ、その先に南山タワーの小さなシルエットが見えた。都市の喧騒から離れ、こうして高いところから眺めると、人間の営みがとても小さく、そして愛おしく感じられる。
さらに登ること1時間、ついに白雲台の山頂に到着した。標高837メートルから見下ろす景色は圧巻だった。眼下には起伏に富んだ山々が連なり、その合間を縫って流れる渓谷が銀色に光っている。北方には議政府市の街並みが広がり、南には首都ソウルの巨大な都市圏が一望できる。
山頂には多くの登山者がいて、皆思い思いに景色を楽しんでいる。隣に座った70代の韓国人女性が、きれいな日本語で話しかけてきた。
「日本の方ですか?この山は本当に美しいでしょう。私は40年間この山を登り続けています」
彼女は若い頃から北漢山を愛し続けており、季節ごとに変わる山の表情を熟知していた。特に今の時期の紅葉は格別で、「まるで山が燃えているようです」と詩的な表現で教えてくれた。
山頂で女将さんの弁当を広げると、キンパの海苔の香りが山の空気と混じり合って、なんとも言えない幸福感に包まれた。シンプルな具材—卵、たくあん、人参、牛肉そぼろ—が絶妙に調和し、山で食べるからこそ格別に美味しく感じられる。
午後1時頃、下山を開始した。下りは津寛寺を経由するコースを選んだ。30分ほど下ると、深い緑に囲まれた古い寺院が見えてきた。津寛寺は新羅時代 (7世紀) に創建された古刹で、朝鮮戦争で一度焼失したが、その後再建されたという。
寺院の境内は静寂に包まれていた。大雄殿の前で手を合わせると、かすかに聞こえてくる読経の声が心を落ち着かせてくれる。境内には古い銀杏の大木があり、黄金色の葉が陽光を浴びて輝いている。その下で腰を下ろし、しばらく瞑想にふけった。
午後3時頃、津寛寺を後にして下山を続けた。途中、北漢山城の城壁跡を通る。高句麗時代に築かれたという石垣は、長い歳月を経ても堅固にそびえ立っている。歴史の重みを感じながら、ゆっくりと山道を下った。
夕方5時、登山口に到着した。足は疲れているが、心は充実感で満たされている。バス停で待っていると、朝に挨拶を交わした年配の夫婦と再会した。「今日の山歩きはいかがでしたか?」と声をかけられ、たどたどしい韓国語で「本当に美しかったです」と答えた。
民宿に戻ると、女将さんがしそ茶を入れてくれた。温かいお茶が疲れた体に染み渡る。今夜の夕食は参鶏湯だった。鶏肉がほろほろと崩れるほど柔らかく煮込まれ、高麗人参の上品な苦味が疲労回復に効果的だった。
夜8時頃、近くの小さな銭湯で汗を流した。熱いお湯に浸かりながら、今日一日の山歩きを振り返る。自然の雄大さ、出会った人々の温かさ、そして静寂の中で感じた内なる平安。韓国の山は、想像以上に深い感動を与えてくれた。
民宿に戻って、日記を書きながらその日を締めくくった。窓の外では、北漢山が夜の闇に溶け込んでいる。明日は最終日。この山との別れを惜しみながら、二日目の夜が静かに更けていった。
3日目: 別れの朝と心に刻まれた風景
最終日の朝は、いつもより早く目が覚めた。午前5時半、まだ薄暗い中を起き出して窓辺に立つと、北漢山の稜線が朝焼けに染まり始めていた。紫から薄紅色、そして金色へと移り変わる空の色彩は、まるで山が最後の別れを惜しむかのように美しかった。
民宿の女将さんも早起きで、すでに朝食の準備をしていた。今朝のメニューは味噌チゲと焼き鯖 、そして様々なおかずだった。韓国の味噌チゲは日本のものより少し辛く、発酵した豆の深い味が体を内側から温めてくれる。
「今日お帰りになるんですね 。寂しいですね」
女将さんのその言葉に、私も同じ気持ちだった。たった2泊3日の滞在だったが、この民宿はもう第二の故郷のように感じられる。
午前8時頃、最後の散歩に出かけた。民宿の周辺には小さな村道があり、昔ながらの韓屋や小さな菜園が点在している。朝の清々しい空気の中を歩いていると、70代くらいのお爺さんが秋白菜を収穫している姿が目に入った。
「おはようございます」と挨拶すると、人懐っこい笑顔で応えてくれた。言葉は通じないが、彼は收穫したばかりの白菜を一株くれようとした。丁重にお礼を言って辞退したが、その優しさが胸に深く響いた。
村を一周して民宿に戻ると、荷造りの時間だった。この2日間で集めた思い出の品々—登山地図、津寛寺でもらったお守り、山頂で撮った写真—を大切にスーツケースに仕舞った。
午前10時、女将さんに挨拶をして民宿を出発した。バス停までの短い道のりを、振り返り振り返り歩いた。北漢山の緑の稜線が、まるで手を振って見送ってくれているようだった。
「また来てくださいね。北漢山はいつもここにありますから」
女将さんの最後の言葉が、心の奥深く刻まれた。
バスでソウル市内に向かう途中、窓越しに見える北漢山が徐々に小さくなっていく。しかし、その威容は記憶の中でより鮮明に、より大きく感じられた。山で出会った人々の顔、津寛寺の静寂、白雲台からの絶景、そして女将さんの温かいもてなし。すべてが心の奥で温かな光を放っている。
午後12時、仁川国際空港に到着した。出国手続きを待つ間、搭乗券を握りしめながら、この旅で得たものの大きさを改めて感じていた。それは単なる観光体験ではなく、自然との対話であり、異文化との触れ合いであり、そして何より自分自身との深い出会いだった。
飛行機が離陸し、窓下に朝鮮半島の大地が広がった時、心の中で北漢山に向かって感謝の気持ちを込めて手を合わせた。いつかまた必ず戻ってこよう、そう心に誓いながら。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
この2泊3日の北漢山への旅は、私にとって忘れ得ない体験となった。韓国の自然の雄大さ、人々の温かさ、そして歴史の重みを肌で感じることができた。特に印象深かったのは、山や自然に対する韓国の人々の深い愛情と敬意だった。彼らにとって北漢山は単なる観光地ではなく、心の故郷であり、精神的な支えなのだと実感した。
言葉の壁があっても、笑顔や身振り手振りで心は通じ合う。民宿の女将さんの温かいもてなし、山で出会った登山客たちとの交流、村で出会ったお爷さんの優しさ。これらすべてが、旅の記憶を豊かに彩ってくれた。
食事も旅の大きな楽しみだった。山菜ビビンバの自然な味、チャムゲタンの滋養深い味わい、そして毎朝の温かい味噌チゲ。どれも土地の恵みを活かした素朴で滋味深い料理だった。
北漢山の自然は、都市近郊にありながら驚くほど豊かで多様だった。花崗岩の峰々がそびえ立つ雄大な景観、深い渓谷を流れる清流、色とりどりの紅葉。そして何より、津寛寺の静寂の中で感じた心の平安は、日常の喧騒を忘れさせてくれる貴重な体験だった。
この旅で気づいたのは、真の旅の価値は訪れた場所の有名さや豪華さにあるのではなく、その土地で出会う人々や自然との真の触れ合いにあるということだった。北漢山は私に、シンプルな幸せの意味を教えてくれたのかもしれない。