港町の輪郭
釜山は韓国第二の都市でありながら、ソウルとはまったく異なる表情を持つ。朝鮮半島の南東端に位置し、対馬海峡を挟んで日本と向き合うこの港町は、古くから海の玄関口として栄えてきた。温暖な気候、起伏に富んだ地形、そして海と山が隣り合う独特の景観。高層ビルが立ち並ぶ近代的な海雲台の海岸線から、色とりどりの家々が斜面を覆う甘川文化村まで、この街は新旧が複雑に絡み合いながら呼吸している。
釜山を訪れる理由は人それぞれだろう。海鮮料理、温泉、映画祭、あるいは港の風景。私がこの街を選んだのは、特別な目的があったわけではない。ただ、海沿いの街を歩きたかった。坂道を登って息を切らし、市場の喧騒に身を浸し、知らない言葉が飛び交う夜の食堂でひとり食事をしたかった。そんな漠然とした思いだけを胸に、私は金海国際空港に降り立った。

1日目: 潮の香りに導かれて
金海空港から釜山市内へ向かう軽電鉄の車窓から、この街の輪郭が少しずつ見えてくる。低い丘陵地帯を抜けると、やがて密集した建物群が現れ、遠くに海の青が光る。西面駅で地下鉄に乗り換え、宿を取った南浦洞へと向かった。地下鉄の車内は午後の穏やかな空気に満ちていて、学生たちの笑い声や、スマートフォンを見つめる人々の静かな気配が心地よかった。
南浦洞の宿は、小さなゲストハウスだった。狭いながらも清潔な部屋に荷物を置き、すぐに外へ出た。旅の初日、まだ体が旅のリズムに馴染んでいない時間帯こそ、街を歩くのに最も適している。地図を頼りに龍頭山公園へ向かう道すがら、路地に並ぶ小さな店々を眺めた。化粧品店、屋台、カフェ、そして看板にハングルと漢字が混在する古い商店。釜山の日常が、観光地としての顔と重なり合っている。
龍頭山公園への坂道を登り始めると、街の喧騒が少しずつ遠ざかっていった。公園の頂上に立つ釜山タワーは、この街のランドマークとして知られている。展望台に上ると、釜山港の全景が眼下に広がった。無数のコンテナが整然と並び、クレーンが静かに動き、巨大な船が停泊している。港町の機能美とでも言うべきものが、そこにはあった。視線を右に移せば影島の緑、左には海雲台方面の高層ビル群。そして目の前には、釜山大橋が海を跨いでいる。
展望台を降りると、もう夕暮れが近づいていた。空腹を感じて、国際市場へ足を向けた。市場に入る前から、焼き魚の香ばしい匂いと、キムチの発酵した香りが漂ってくる。通路の両脇には、衣料品、乾物、雑貨、そして食材を扱う店がひしめき合っていた。どの店も活気に満ちていて、店主たちの呼び込みの声が韓国語と時折の日本語で響く。私は何を買うでもなく、ただその熱気の中を歩いた。
市場を抜けた先にあるチャガルチ市場は、釜山を代表する海鮮市場だ。一階では生きた魚介類が水槽に入れられ、二階の食堂でそれを調理してもらえる仕組みになっている。ヒラメ、カレイ、アワビ、ナマコ、ウニ。水槽の中で動く命たちを眺めながら、私は適当な食堂を選んだ。店員のおばさんは愛想よく席に案内してくれて、私が指差したヒラメの刺身を勧めてきた。言葉は通じないが、身振り手振りで十分だった。
運ばれてきた刺身は、予想以上に量が多かった。透明感のある白身が、薄く引かれて皿に盛られている。サンチュに包み、ニンニクとゴマ油をつけて口に運ぶ。弾力のある食感と、ほのかな甘み。刺身の傍らには、ヒラメの頭を煮込んだメウンタンという辛いスープが添えられていた。真っ赤なスープは見た目ほど辛くなく、魚の出汁がしっかりと効いていて、体の芯から温まった。ひとりで食べきれるか不安だったが、気づけば皿は空になっていた。
食事を終えて外に出ると、すっかり夜になっていた。南浦洞の繁華街は、ネオンの光で昼間とは違う表情を見せていた。BIFF広場の屋台では、ホットクという韓国式おやきを売っている。黒糖とナッツが入った熱々のホットクを頬張りながら、私は宿への道をゆっくりと辿った。釜山での最初の夜は、潮の香りと人々の活気に満ちていた。
2日目: 色彩と静寂のあいだ
翌朝、早めに目を覚ました。窓から差し込む光が、旅の二日目を告げている。宿の近くの小さな食堂で朝食を取ることにした。メニューはハングルだけで、何が書いてあるのかまったくわからない。店員に身振りで朝食を頼むと、彼女は笑顔で頷いて厨房へ消えた。やがて運ばれてきたのは、ヘジャンクという牛骨スープだった。白濁したスープには牛肉とネギが入り、ご飯とキムチ、小皿のおかずが添えられている。優しい味わいのスープを啜りながら、今日一日をどう過ごすか考えた。
午前中は甘川文化村を訪れることにした。地下鉄と小さなバスを乗り継いで、山の中腹へと向かう。バスは狭い坂道をくねくねと登っていき、窓の外には段々に重なる家々が見えてくる。甘川文化村は、かつて朝鮮戦争時の避難民たちが住み着いた集落だった。1950年代に形成されたこの村は、長らく貧しい地区とされてきたが、2009年頃からアートプロジェクトによって再生され、今では釜山を代表する観光地のひとつになっている。
バスを降りると、目の前には「マチュピチュ」と呼ばれる展望台があった。そこから見下ろす村の景色は、まさに圧巻だった。パステルカラーに塗られた家々が、斜面を埋め尽くすように建ち並んでいる。ピンク、青、黄色、緑。それぞれの家が個性を主張しながらも、全体としては調和している。路地には壁画が描かれ、小さなオブジェが点在し、村全体がひとつの美術館のようだった。
村の中を歩き始めると、観光客の姿も多かった。韓国人はもちろん、日本人、中国人、欧米人。みな地図を片手に、迷路のような路地を探索している。私も流れに身を任せて歩いた。「星の王子さま」をモチーフにした像、魚の群れが泳ぐ壁画、古い井戸を再利用したアート作品。どれも村の歴史と現在を結びつけようとする試みのように感じられた。
坂道を登ったり降りたりしているうちに、観光客の少ない静かな路地に入り込んだ。そこには実際に人々が暮らす家々があり、洗濯物が干され、猫が日向ぼっこをしていた。アートの村として知られる一方で、ここは今も生活の場であることを実感する。ある家の前では、老婆がプラスチックの椅子に座って豆を選別していた。目が合うと、彼女は柔らかく微笑んでくれた。
村を出る頃には正午を過ぎていた。再びバスに乗って、海雲台方面へ向かうことにした。釜山の東部に位置する海雲台は、韓国で最も有名な海水浴場のひとつだ。地下鉄を降りると、目の前には真っ青な海が広がっていた。11月の海雲台に海水浴客はいないが、砂浜を散歩する人々や、ベンチで海を眺める人々の姿があった。
私も砂浜に降りて、波打ち際を歩いた。波の音が、街の喧騒をすべて洗い流してくれる。砂に足を取られながら、ただひたすら歩いた。海の向こうには何があるのだろう。日本だろうか。それとももっと遠い、見知らぬ土地だろうか。海は答えを返さず、ただ波を寄せては返していた。
夕方、海雲台の市場通りで遅めの昼食を取った。ミルミョンという冷麺の店に入る。釜山式の冷麺は、平壌冷麺よりも麺が細く、スープはさっぱりとしている。氷の浮かんだ冷たいスープと、コシのある麺。シンプルながらも飽きのこない味だった。店を出ると、市場の魚屋でおばさんたちが賑やかに話していた。その声を聞きながら、私は再び地下鉄に乗った。
夜は西面の繁華街を訪れた。若者たちで賑わうこのエリアは、ネオンと音楽に満ちていた。しかし私が向かったのは、繁華街の端にあるポジャンマチャ、いわゆる屋台村だった。ビニールシートで覆われた簡易的な屋台が並び、どこも満席に近い。ひとつの屋台を選んで入ると、先客のグループが焼酎を飲みながら談笑していた。
私はトッポッキとスンデを注文した。トッポッキは日本でも知られた餅の甘辛煮込みだが、ここのは特に辛かった。汗をかきながら食べる熱々のトッポッキ。スンデは豚の腸に春雨や野菜を詰めた料理で、独特の食感がある。決して上品とは言えないが、この素朴さこそが釜山の夜にふさわしい気がした。隣のグループが笑い声を上げ、店主のおじさんが忙しそうに料理を作り、外では冷たい風が吹いていた。屋台の温もりの中で、私は旅の二日目の終わりを感じていた。
3日目: 別れの朝と記憶の重さ
最終日の朝は、少し名残惜しさを感じながら目を覚ました。チェックアウトまでまだ時間があったので、荷物をまとめてから最後の散歩に出た。向かったのは太宗台だった。釜山の南端に突き出た岬で、自然公園として整備されている。地下鉄とバスを乗り継いで到着すると、そこには海と岩と森があった。
太宗台の遊歩道を歩く。断崖絶壁に打ち寄せる波は力強く、岩を叩く音が響いていた。展望台からは、対馬海峡が見渡せる。晴れた日には対馬が見えるというが、この日は霞んでいてそこまでは見えなかった。それでもこの場所に立つと、釜山が海とともに生きてきた街であることを実感する。
灯台の近くのベンチに座り、しばらく海を眺めた。旅の終わりが近づいている。この三日間で、私は何を見て、何を感じただろう。市場の活気、坂道の疲労、海の音、食事の温もり、知らない言葉の響き。そのすべてが、今この瞬間に重なり合っている。旅とは、結局のところ、こうした断片の集積なのかもしれない。
太宗台を後にして、宿に戻った。荷物を受け取り、チェックアウトを済ませる。時計を見ると、空港へ向かうにはまだ時間があった。南浦洞の路地を最後にもう一度歩くことにした。昨日通った道、一昨日見た店。三日間では短すぎて、この街のほんの表層をなぞっただけだ。それでも、確かに私はここにいた。
昼前、軽い食事を取るために小さな食堂に入った。キムチチゲを注文する。グツグツと煮えたぎる鍋から立ち上る湯気、キムチの酸味と豚肉の旨味が溶け合ったスープ。白いご飯にかけて食べながら、私はこの味を忘れないだろうと思った。味覚は記憶の最も深い場所に刻まれる。いつかまた、キムチチゲを食べる機会があれば、この釜山の食堂を思い出すに違いない。
地下鉄で西面へ行き、そこから空港行きの軽電鉄に乗った。車窓から見える景色は、三日前に到着したときと同じはずなのに、どこか違って見えた。知らない街は、少しだけ知っている街になった。それだけのことだが、それがすべてだった。
金海空港のロビーで搭乗を待ちながら、私はこの三日間を反芻していた。釜山は私に何を与えてくれただろう。答えは簡単には出ない。ただ、海の匂い、坂道の傾斜、市場の喧騒、夜の屋台の温もり、そして何より、この街を歩いた自分自身の足音が、確かに残っている。それで十分だった。
空想の旅、確かな記憶
この旅は、実際には存在しない。私が金海空港に降り立つこともなければ、チャガルチ市場で刺身を食べることもなかった。甘川文化村の坂道を登ることも、海雲台の砂浜を歩くことも、すべては想像の中の出来事だ。
けれども、こうして言葉にしてみると、不思議なことに、旅はどこか確かなものとして立ち上がってくる。読み、書き、想像することで生まれる旅もまた、ひとつの旅なのかもしれない。実際に足を運ぶことだけが旅ではない。心が動き、何かを感じ、それを記憶に留めること。それもまた旅と呼べるのではないだろうか。
釜山という街は実在する。そこには本当に市場があり、坂道があり、海がある。人々が暮らし、笑い、食事をしている。この空想の旅が、いつか誰かの本当の旅の入り口になることがあれば、それは幸せなことだ。あるいは、かつて釜山を訪れた人が、この文章を読んで自分の記憶を思い起こすことがあれば、それもまた嬉しい。
空想でありながら、確かに感じられる。旅とは、もしかするとそういうものなのかもしれない。行ったことのない場所を夢想し、まだ見ぬ景色に想いを馳せる。それは、次の旅への序章であり、あるいは旅そのものの本質でもある。
釜山よ、またいつか。本当に、あなたの坂道を登る日まで。

