はじめに: 人のような形をした古代の町
チェントゥーリペは、イタリア共和国シチリア州エンナ県にある、人口約5,400人の基礎自治体 (コムーネ) だ。標高732メートルの尾根に位置し、シメート川とディッタイノ川の間に挟まれた場所にあるこの町は、空から見ると人間の形をしていることで知られている。
古代のチェントゥーリパエは、ギリシャの歴史家トゥキディデスが「シクリ族の都市」と呼んだという記録がある。アテネと同盟を結んでシラクサに対抗し、ローマ時代の第一次ポエニ戦争で征服されるまで独立を保っていた。考古学公園には、ローマ時代の浴場、劇場、フォーラムなど、さまざまな時代の遺跡が良好な状態で保存されている。
この町を訪れることにしたのは、その独特な地形と、古代から現代まで続く歴史の重層性に魅力を感じたからだった。エトナ山を望む丘陵地帯で、現代の住民がどのような日常を送っているのかを、この目で見てみたかった。
1日目: 古代への扉を開く
カターニア空港からレンタカーで約1時間。内陸部へ向かう道路は次第に起伏を増し、オリーブ畑とブドウ畑が広がる風景の中を進んでいく。午前10時頃、ようやくチェントゥーリペの町の輪郭が見えてきた。
最初に驚いたのは、本当に人の形をしているということだった。頭から胴体、そして足まで、まるで誰かが地面に横たわっているような形で町が広がっている。地元の人々は、この形を「ウォーモ・ディ・チェントゥーリペ (チェントゥーリペの人) 」と呼んでいるそうだ。
町の中心部に向かう坂道を上がりながら、まず目に入ったのは石造りの家々だった。シチリア特有の白い石灰岩でできた建物が、午前の陽光に照らされて輝いている。狭い路地を歩いていると、バールの前で立ち話をしている年配の男性たちがいた。イタリア語の挨拶を交わすと、彼らは温かい笑顔で迎えてくれた。
「ブオンジョルノ、ツーリスタ?」と声をかけられ、私は片言のイタリア語で答えた。「シー、ジャポネーゼ」。すると、彼らは興味深そうに頷き、チェントゥーリペの歴史について話し始めた。完全には理解できなかったが、彼らの身振り手振りから、この町への愛情がひしひしと伝わってきた。
午後は、考古学公園を訪れることにした。町の中心部から少し離れた場所にある遺跡群は、想像以上に規模が大きかった。ローマ時代の劇場跡では、石造りの観客席が半円形に残っており、舞台の向こうには雄大なエトナ山が見えていた。2000年以上前の人々も、この同じ風景を見ていたのだろうか。
劇場の石段に腰を下ろして、しばらく風景を眺めていた。風が吹くたびに、古代の観客たちの歓声が聞こえてくるような気がした。石の表面に残る細かな彫刻は、時の流れを感じさせる。指で触れてみると、ひんやりとした感触が心地よかった。
夕方になると、町の高台にある教会、キエーザ・マードレを訪れた。17世紀に建てられたこの教会は、バロック様式の美しい装飾が施されている。内部は静寂に包まれており、ろうそくの炎が壁に踊る影を映し出していた。祈りを捧げる地元の人々の姿を見ていると、この町の人々にとって信仰がどれほど大切なものかが分かった。
夜は、町の小さなトラットリアで夕食を取った。オーナーのシニョーラ・ロザリアは、シチリア訛りのイタリア語で話しかけてくれた。メニューの説明を受けながら、パスタ・アッラ・ノルマとアリンチーニを注文した。パスタは茄子とトマト、リコッタ・サラータが絶妙にマッチしており、アリンチーニは外側がサクサク、中のリゾットがクリーミーで絶品だった。
食事の後、シニョーラ・ロザリアは私の隣に座って、チェントゥーリペの昔話を聞かせてくれた。彼女の祖父は、この町で生まれ育ち、一度も故郷を離れることなく一生を過ごしたという。「この町は小さいけれど、すべてがここにある」と彼女は言った。その言葉の意味を、私はまだ完全には理解していなかった。
宿泊したのは、町の中心部にある小さなB&Bだった。部屋の窓からは、エトナ山のシルエットが月光に照らされて見えていた。静寂の中で、遠くから教会の鐘の音が聞こえてきた。時計を見ると、11時を回っていた。明日はもっと深く、この町の魅力を探ってみようと思いながら、古い石の建物に響く風の音を聞きながら眠りについた。
2日目: 山の恵みと人々の暮らし
朝は6時頃、教会の鐘の音で目が覚めた。窓を開けると、ひんやりとした空気と共に、オリーブオイルとパンの香りが漂ってきた。B&Bの朝食は、地元のパン屋から届けられた焼きたてのパンと、自家製のマーマレード、そして香り高いエスプレッソだった。
午前中は、町の周辺を散策することにした。人型の「頭」の部分にあたる丘の上には、古いお城の遺跡があった。これは実際にはコンラディンの城と呼ばれているが、実際にはローマ時代の霊廟だという。石造りの構造物からは、かつての壮大さを感じることができた。
城跡からの眺めは素晴らしかった。眼下に広がるのは、オリーブの木立とブドウ畑が織りなす美しいパッチワークのような風景。遠くには雄大なエトナ山がそびえ立ち、その頂上には雪化粧が施されていた。シチリアの内陸部の風景は、想像していたよりもずっと緑豊かで、季節の変化を感じさせてくれた。
散歩の途中で、地元の農家の方に出会った。ジュゼッペさんは60歳代の男性で、代々この土地でオリーブとブドウを栽培している。彼は私を畑に案内してくれ、オリーブの実を手に取って見せてくれた。「これが我々の宝物だ」と彼は言った。オリーブの実は小さいながらも、深い緑色をしており、手に取ると重みを感じた。
午後は、町の中心部をゆっくりと歩いた。平日の昼下がり、町は静かだった。子供たちが学校から帰ってくる時間になると、急に町が活気づいた。小さな広場では、おばあさんたちが集まって世間話をしており、その横で子供たちがサッカーボールを蹴っていた。
広場の一角にある小さな店で、地元の特産品を見つけた。シチリア産のアーモンドで作られたお菓子や、この地域特有のハーブを使った蜂蜜などが並んでいた。店主のおじいさんは、それぞれの商品について詳しく説明してくれた。試食させてもらったアーモンドのお菓子は、素朴でありながら深い味わいがあった。
夕方になると、町の人々が散歩に出てくる。これは「パッセッジャータ」と呼ばれるイタリアの習慣だ。家族連れや友人同士、恋人たちが、メインストリートをゆっくりと歩いている。私も彼らに混じって歩いてみた。すれ違う人々は、見知らぬ観光客である私にも親しげに挨拶してくれた。
夜は再びトラットリアを訪れた。今度は、地元の人たちでにぎわっていた。メニューを見ながら迷っていると、隣のテーブルの家族が「カポナータを頼んでみなさい」と勧めてくれた。シチリア風のラタトゥイユのような料理で、茄子、トマト、セロリ、オリーブなどがじっくりと煮込まれている。甘酸っぱい味付けで、パンとの相性が抜群だった。
食事の後、同じトラットリアで食事をしていた地元の教師、マリアさんと話をする機会があった。彼女は町の小学校で30年間教鞭を取っており、チェントゥーリペの変化を見続けてきた。「若い人たちは都市部に出て行くことが多いけれど、この町の良さを分かってくれる人もいる」と彼女は言った。
マリアさんの話によると、近年、都市部から移住してくる人たちも増えているという。彼らは、チェントゥーリペの静かな環境と、人々の温かさに魅力を感じているのだそうだ。「小さな町だからこそ、みんなが家族のような関係を築けるのよ」と彼女は微笑んだ。
宿に戻る途中、夜空を見上げた。都市部とは違って、ここでは星がとても綺麗に見えた。天の川もはっきりと確認できた。この美しい星空も、古代の人々が見ていたものと同じなのだろう。時間を超えて繋がっているという感覚が、心を温かくしてくれた。
3日目: 記憶に残る別れ
最終日の朝は、少し寂しい気持ちで迎えた。B&Bの朝食を食べながら、オーナーのシニョーラ・アンナと話をした。彼女は、チェントゥーリペを訪れる日本人観光客は珍しいと言った。「でも、あなたのように、この町の魅力を理解してくれる人がいるのは嬉しい」と言って、手作りのアーモンドクッキーを持たせてくれた。
最後の散歩に出かけた。町の「足」の部分にあたる地域を歩いてみた。ここには住宅街が広がっており、洗濯物が風に揺れている光景が微笑ましかった。庭先でトマトを育てている家、テラスでおじいさんが新聞を読んでいる家、子供たちが遊んでいる家。どの家からも、日常の温かさが感じられた。
道端で野菜を売っているおばあさんに出会った。彼女の畑で取れた新鮮な野菜が、かごに美しく並べられていた。トマト、ズッキーニ、茄子、パプリカ。どれも色鮮やかで、太陽の恵みを感じさせる。「ブエッロ、ブエッロ (美味しい、美味しい) 」と彼女は言いながら、トマトをひとつ手に取って私に渡してくれた。
そのトマトを一口かじってみると、甘みと酸味のバランスが絶妙で、今まで食べたどのトマトよりも美味しかった。土の香り、太陽の味、そして作り手の愛情が詰まっているような気がした。
お昼は、町の中心部にある小さなピッツェリアで過ごした。石窯で焼かれたピザ・マルゲリータは、シンプルでありながら最高の味だった。トマトソース、モッツァレラチーズ、バジルという基本的な材料だけで、これほど美味しいピザができるのかと感動した。
食事の後、最後にもう一度考古学公園を訪れた。ローマ時代の遺跡を見つめながら、この3日間のことを振り返った。チェントゥーリペという小さな町で出会った人々の温かさ、美しい風景、美味しい食事、そして時間を超えて続く歴史。すべてが心に深く刻まれていた。
劇場の石段に座って、エトナ山を眺めていると、古代の人々の声が聞こえてくるような気がした。彼らもまた、同じようにこの山を見つめ、この土地を愛し、ここで生活を営んでいたのだろう。時代は変わっても、人間の本質的な営みは変わらないのかもしれない。
午後3時頃、チェントゥーリペを後にした。丘の上から町を見下ろすと、本当に人の形をしているのがよく分かった。まるで、大地に横たわる巨人のようだった。この巨人は何世紀にもわたって、ここで静かに眠り続けているのだろう。
カターニア空港へ向かう道中、車の窓から見える風景は、来た時とは違って見えた。3日前は単なる田園風景だったものが、今では一つ一つの畑に物語があるように感じられた。どの家にも、そこで暮らす人々の日常があり、歴史があり、愛があるのだろう。
空港で搭乗手続きを済ませながら、シニョーラ・アンナからもらったアーモンドクッキーを食べた。甘い味が口に広がると、チェントゥーリペでの記憶が鮮やかに蘇ってきた。この味を忘れることはないだろう。
飛行機が離陸すると、窓からシチリア島の風景が見えた。内陸部の緑豊かな丘陵地帯の中に、小さな点のようにチェントゥーリペが見えた。あの人の形をした町で、今も人々が日常を過ごしている。そう思うと、なんだか心が温かくなった。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
チェントゥーリペでの2泊3日の旅は、まだ実際には体験していない空想の旅である。しかし、この町について調べ、想像を膨らませている間に、まるで本当にそこを訪れたかのような感覚を覚えた。
標高732メートルの尾根に位置するこの古代の町は、空から見ると人間の形をしているという独特の特徴を持っている。ローマ時代の遺跡が良好な状態で保存されており、劇場、浴場、フォーラムなどが残っている。
空想の中で出会った人々の温かさ、石造りの美しい建物、エトナ山を望む壮大な風景、そして古代から現代まで続く歴史の重み。これらすべてが、私の心の中では確かな記憶として刻まれている。
旅とは、必ずしも物理的にその場所を訪れることだけを意味するものではないのかもしれない。想像力を働かせ、その土地の歴史や文化、人々の暮らしについて深く考えることで、心の中に新しい風景を作り出すことができる。それもまた、ひとつの旅の形なのではないだろうか。
チェントゥーリペという小さな町への空想旅行を通じて、イタリアの魅力を新たな角度から発見することができた。いつか実際にこの町を訪れる機会があれば、きっと空想の中で感じたものと同じような温かさと美しさに出会えることだろう。