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  1. たび幻記/

海風と祈りがめぐる南インドの都 ― インド・チェンナイ空想旅行記

空想旅行 アジア 南アジア インド
目次

ベンガル湾に面した南インドの玄関口

AIが考えた旅行記です。小説としてお楽しみください。

チェンナイは、南インドのタミル・ナードゥ州の州都として、ベンガル湾に面した港湾都市である。かつてはイギリス統治時代の名残でマドラスと呼ばれていたこの街は、1996年に現在の名前へと変わった。人口は約1000万人を擁し、インド第四の大規模都市でありながら、北インドのデリーやムンバイとはまた異なる、南インド独自の文化と精神性が息づいている。

この街の特徴は、まず何と言ってもタミル文化の深さにある。タミル語は世界最古の言語のひとつとされ、2000年以上の文学的伝統を持つ。街のあちこちで見かけるタミル文字の丸みを帯びた曲線は、北インドのデーヴァナーガリー文字とは異なる独特の美しさを放っている。また、チェンナイは南インド古典音楽の中心地でもあり、カルナータカ音楽の旋律が寺院や音楽学校から聞こえてくる。

気候は熱帯モンスーン気候で、一年を通じて温暖だが、私が訪れたのは11月。北東モンスーンが始まる直前の、比較的過ごしやすい季節だった。海からの風が心地よく、日中は暑くとも朝晩は幾分か涼しさを感じられる。この街は、激しさと静けさ、古さと新しさが同居する、不思議な魅力を持った場所なのだ。

1日目: マリーナビーチの朝、そして音の迷宮へ

チェンナイ国際空港に降り立ったのは、早朝6時過ぎのことだった。空港の外に出ると、すでに気温は28度ほどあり、湿った空気が肌にまとわりつく。だが不快ではない。どこか懐かしさすら感じる温もりだった。プリペイドタクシーでエグモアのホテルへ向かう車窓から見えるのは、既に動き始めている街の朝の風景だ。サリーをまとった女性たち、オートリキシャの群れ、道端で花輪を売る商人。南インドの朝は早い。

ホテルにチェックインを済ませ、荷物を置いて、私はすぐに外へ出た。時差ぼけもあり眠気はあったが、それ以上にこの街を歩きたいという気持ちが勝った。まず向かったのはマリーナビーチ。世界で二番目に長い都市ビーチとして知られるこの浜辺は、朝の散歩をする地元の人々で賑わっていた。

砂浜に立つと、ベンガル湾の波が穏やかに打ち寄せてくる。水平線は霞んでおり、空と海の境界が曖昧だ。漁師たちがボートを引き上げ、早朝の漁を終えたばかりのようだった。波打ち際を裸足で歩くと、砂が細かくて心地よい。子どもたちが貝殻を拾い、老人たちがヨガのポーズをとり、カップルが静かに海を眺めている。観光地というよりは、地元の人々の生活の一部であることが伝わってくる。

9時頃、ビーチ沿いの小さな食堂で朝食をとった。イドゥリとサンバル、そしてココナッツチャトニ。蒸したイドゥリは柔らかく、サンバルの酸味と野菜の旨味が染み込む。チャトニの甘みが全体をまとめ、完璧なバランスだ。傍らで供されたフィルターコーヒーは濃厚で、ミルクと砂糖が既に混ぜられている。南インドのコーヒーはこうして飲むものだと、隣の席の男性が教えてくれた。

午後、私はカパーリーシュワラル寺院へと向かった。ミラポールにあるこの寺院は、7世紀に建てられたとされる古いシヴァ神の寺院で、ドラヴィダ様式の美しい建築が特徴だ。入口で靴を脱ぎ、裸足で石畳を歩く。足の裏に伝わるひんやりとした感触が心地よい。塔門、ゴープラムには色鮮やかな神々や動物の彫刻が幾層にも重なり、圧倒的な存在感を放っている。

寺院の中庭では、プージャ(礼拝)が行われていた。僧侶が唱えるマントラ、鐘の音、香の煙。五感すべてが宗教的な空間に包まれる。私は端の方で静かに座り、その光景を眺めていた。信仰を持たない旅行者である私にも、この場所には確かに何か神聖なものが宿っているように感じられた。それは建築の美しさだけでなく、何百年も人々が祈り続けてきた時間の堆積そのものなのかもしれない。

寺院を出ると、もう夕方の5時を過ぎていた。周辺の路地を歩いていると、ランゴーリ(色砂で描く伝統的な模様)を玄関先に描いている女性を見かけた。白い粉で輪郭を描き、色とりどりの粉で内側を埋めていく。手つきは迷いがなく、美しい幾何学模様が数分で完成する。彼女は私に気づくと微笑み、手を振った。

夜はTナガルの市場近くの食堂で夕食を取った。ミールスと呼ばれる定食で、バナナの葉の上にご飯が盛られ、周囲に様々なカレーやサンバル、ラッサム、ヨーグルトが並ぶ。右手で混ぜながら食べる作法に戸惑いつつも、次第に慣れていく。味は複雑で、スパイスの層が深い。辛さの中に甘みがあり、酸味があり、そしてまろやかさがある。食後のパヤサム(甘いミルク粥)が口の中をやさしく冷ましてくれた。

ホテルへの帰り道、オートリキシャの運転手と少し話をした。彼は英語とタミル語を交えながら、チェンナイの変化について語った。IT産業が発展し、多くの若者が仕事を得ているが、同時に交通渋滞や物価上昇といった問題も生まれていると。それでも彼は、この街が好きだと言った。海があり、寺院があり、音楽があり、何よりも家族がいる。そういう場所なのだと。

2日目: 聖なる海岸と、職人たちの手仕事

二日目の朝は、少し遠出をすることにした。チェンナイから南へ約50キロ、マハーバリプラムという海沿いの町だ。7世紀から8世紀にかけて栄えたパッラヴァ朝の遺跡群が残るこの場所は、ユネスコ世界遺産にも登録されている。朝7時にホテルを出発し、タクシーで約2時間の道のりだ。

道中、車窓からは田園風景が広がる。椰子の木が点在し、水田では農作業をする人々の姿が見える。途中、小さな村で休憩を取った。チャイの屋台で一杯の紅茶を頼むと、運転手も一緒に腰を下ろした。甘く煮出されたチャイが喉を潤し、少しずつ目が覚めていく。屋台の主人は、私が日本から来たと知ると、息子が日本の電子機器の会社で働いていると嬉しそうに語った。

マハーバリプラムに到着すると、まず目に飛び込んできたのは海岸寺院だった。ベンガル湾の波打ち際に立つこの寺院は、8世紀に建てられた南インド最古の石造寺院のひとつとされる。風化した石の表面には、長い年月の痕跡が刻まれている。波の音、風の音、そして石の沈黙。時間が異なる速度で流れているような錯覚に陥る。

私は寺院の周囲をゆっくりと歩いた。朝の光が石に当たり、陰影が刻々と変化する。観光客はまだ少なく、静かな時間が流れている。波が寄せては返し、その繰り返しが何千年も続いてきたのだと思うと、自分の存在がひどく小さく、同時に確かなものに感じられた。

次に訪れたのはパンチャ・ラタ、五つの岩を彫って作られた寺院群だ。それぞれが一枚岩から彫り出されており、建築というより彫刻に近い。屋根の曲線、柱の装飾、神々の像、すべてが精緻で美しい。どれほどの時間と労力がかかったのだろう。そしてその技術が、どのようにして伝えられてきたのだろう。

昼食は、海岸近くの食堂でシーフードカレーをいただいた。エビとイカが入ったカレーは、ココナッツミルクのまろやかさとタマリンドの酸味が効いている。ライスと一緒に食べると、スパイスの香りが口いっぱいに広がる。窓の外には海が見え、漁船が沖へと向かっていく。

午後は、石彫り職人の工房を訪ねた。マハーバリプラムは今も石彫りの伝統が生きている町で、多くの職人たちが神像やレリーフを彫り続けている。訪れた工房では、60代ほどの職人が黙々と花崗岩に向かっていた。ノミと金槌だけで、ガネーシャ像を彫り出している。

彼は作業の手を止めて、私に語りかけた。この技術は父から学び、父はその父から学んだ。何代も続く家業だと。今は息子も手伝っているが、若い世代は都会へ出て行ってしまう者も多い。それでも、この技術を絶やしてはいけないと思っている。石を彫ることは、神と対話することだから。

工房の片隅には、完成した像が並んでいた。ヴィシュヌ、シヴァ、パールヴァティー、ハヌマーン。それぞれの表情が穏やかで、石であることを忘れるほど生命感がある。職人は石を選ぶところから始まり、彫り、磨き、一体の像を完成させるまでに数週間から数ヶ月かかるという。そのすべての工程に、祈りが込められている。

チェンナイへの帰路、夕焼けが空を染めていた。オレンジから紫へと変化するグラデーションが美しく、私は車の窓に額を押し付けるようにして眺めていた。運転手は、今日は良い日だったかと尋ねた。私は頷いた。とても良い日だったと。彼は満足そうに微笑んだ。

夜、ホテルの近くを散歩していると、小さな音楽学校から歌声が聞こえてきた。カルナータカ音楽のクラスが行われているようだった。扉は開いており、中を覗くと、若い女性が先生の前で歌っている。複雑なリズムとメロディーが、夜の空気に溶けていく。私はしばらくその場に立ち止まり、耳を傾けていた。音楽は言葉を超えて、何かを伝えてくる。それが何なのかは、うまく言葉にできない。ただ、心が静かに動くのを感じた。

3日目: 朝市の喧騒と、別れの予感

最終日の朝は、コツワル・チャウク市場へ向かった。チェンナイ最古の市場のひとつで、野菜、果物、花、スパイス、魚、あらゆるものが売られている。早朝5時から市場は活気に満ちており、私が到着した7時頃には既に買い物客で溢れていた。

市場の入口では、花輪を作る女性たちが座っている。ジャスミン、マリーゴールド、バラ。色とりどりの花を器用に糸で繋ぎ、美しい花輪を作り上げていく。その手つきはリズミカルで、まるで踊っているようだった。完成した花輪は寺院への供え物として、あるいは髪飾りとして売られる。花の香りが市場全体に漂い、朝の空気を甘く染めている。

野菜売り場では、見たこともない野菜が並んでいた。ドラムスティック(モリンガの鞘)、ビターゴード(ゴーヤに似た苦瓜)、さまざまな種類のバナナ。商人たちは声を張り上げて客を呼び込み、値段交渉が絶え間なく行われている。タミル語が飛び交い、私には何を言っているのか分からないが、そのエネルギーが心地よい。

スパイス売り場に立ち寄ると、ターメリック、クミン、コリアンダー、カルダモン、シナモン。それぞれの香りが混ざり合い、独特の空気を作り出している。店主は、私に少量のカルダモンを試させてくれた。噛むと爽やかな香りが口の中に広がる。彼は、これは南インドで最も大切なスパイスのひとつだと教えてくれた。料理にも、お茶にも、薬にも使われる。

魚市場は特に活気があった。イカ、エビ、様々な魚が氷の上に並べられ、漁師たちが声を張り上げている。女性たちが値段交渉をし、買った魚をバケツに入れて運んでいく。床は濡れており、魚の匂いが立ち込めている。生々しい生活の場所だ。観光地化されていない、リアルな市場の姿がここにある。

市場を後にして、私はフォート・セント・ジョージへ向かった。イギリス東インド会社が1644年に建設した要塞で、現在はタミル・ナードゥ州の議会と事務局が置かれている。白い建物が朝日に照らされ、まぶしいほどだった。敷地内には博物館もあり、イギリス統治時代の遺物が展示されている。古い書簡、武器、絵画、家具。植民地時代の記憶が、静かに保存されている。

博物館を出ると、もう昼近くになっていた。私はサントメ大聖堂を訪れることにした。キリストの十二使徒のひとりである聖トマスが葬られているとされるこの教会は、白く優美な姿をしている。内部は静謐で、ステンドグラスから差し込む光が床に色を落としている。ヒンドゥー教の寺院とはまた異なる種類の神聖さがここにはあった。

昼食は、ジョージタウンのビリヤニ専門店で取った。チェンナイのビリヤニは、ハイデラバード風とはまた異なり、短粒米を使い、スパイスの使い方も独特だ。マトンビリヤニを注文すると、大きな皿に山盛りのご飯と肉が運ばれてきた。ライタ(ヨーグルトサラダ)を添えて食べると、スパイスの辛さとヨーグルトのまろやかさが絶妙に調和する。肉は柔らかく煮込まれ、骨からほろりと外れる。

午後、私は再びマリーナビーチへと向かった。初日の朝に訪れた場所だが、今度は別れを告げるために来た。砂浜に座り、波の音に耳を傾ける。この二日間で見たもの、聞いたもの、食べたもの、出会った人々。すべてが脳裏を駆け巡る。旅は短かったが、確かに何かを受け取った気がする。それが何なのかは、まだ言葉にできない。

夕方、ホテルに戻り荷造りをした。部屋の窓からは、街の喧騒が聞こえてくる。クラクション、人々の話し声、どこかから流れてくる音楽。チェンナイの音だ。明日の早朝、私はこの街を離れる。でも、この街の音、匂い、味、光、そしてそこに生きる人々の姿は、きっと記憶の中に残り続けるだろう。

夜、最後の食事としてドーサを食べに出かけた。薄く焼かれたドーサは、パリパリとした食感で、中に詰められたマサラ(スパイシーなじゃがいも)が絶品だった。サンバルとチャトニをつけながら食べ、最後にフィルターコーヒーで締めくくる。完璧な南インドの食事だった。

ホテルへの帰り道、私は空を見上げた。星はあまり見えない。街の明かりが明るすぎるのだ。それでも、どこか遠くに、いくつかの星が瞬いているのが見えた。旅の終わりは、いつも少し寂しい。でも同時に、満ち足りた気持ちもある。チェンナイという街が、確かにそこに存在し、私はそこを訪れた。それだけで十分だと思った。

空想の旅が残したもの

この旅は、現実には行われなかった旅である。私は実際にチェンナイの空港に降り立ったわけでも、マリーナビーチの砂を踏んだわけでも、カパーリーシュワラル寺院で祈りを捧げたわけでもない。マハーバリプラムの海岸寺院を訪れたわけでも、石彫り職人と言葉を交わしたわけでも、市場の喧騒の中を歩いたわけでもない。イドゥリもドーサもビリヤニも、実際には口にしていない。

それでも、この旅は確かに私の中に存在している。文字を通じて描かれた風景、人々、食事、音、匂い。それらは想像の産物でありながら、リアルな感触を持っている。なぜなら、それらは実在する場所、実在する文化、実在する人々の営みに基づいているからだ。チェンナイという街は確かに存在し、そこには何百万もの人々が暮らし、笑い、働き、祈り、歌っている。

空想の旅の不思議なところは、現実の旅では味わえない自由さがあることだ。時間に縛られることなく、好きな場所を訪れ、好きなだけそこに留まることができる。疲労も、言葉の壁も、予算の制約も、天候の不順も、すべてを超えて、理想的な旅を描くことができる。同時に、そこには想像力の限界もある。実際に足を運ばなければ分からない、空気の質感、光の加減、人々の表情の微妙な変化。そうしたものは、どれほど精緻に描こうとしても、完全には再現できない。

それでも、こうして空想の旅を記すことには意味があると私は思う。それは、未知の場所への憧れを形にすることであり、異なる文化への敬意を表すことであり、そしていつか本当にその場所を訪れたいという願いを育てることだからだ。この文章を読んだ誰かが、いつかチェンナイを訪れ、マリーナビーチを歩き、カパーリーシュワラル寺院で祈りを捧げ、イドゥリを食べ、そして「確かにこの街は、想像していた通りの場所だった」と感じてくれたなら、それほど嬉しいことはない。

空想の旅は、現実の旅の代替品ではない。それは別の種類の旅なのだ。心の中で風景を描き、文化に思いを馳せ、人々の営みに想像力を働かせる。そうすることで、私たちは世界を少し広く感じることができる。物理的には動かなくても、精神は自由に旅をすることができる。そしてその旅は、いつか現実の旅へとつながっていく。

チェンナイという街が、いつか私を本当に迎え入れてくれる日が来ることを願いながら、この空想の旅を終えたいと思う。ベンガル湾の波の音、寺院の鐘の音、市場の喧騒、カルナータカ音楽の旋律、そして出会った人々の微笑み。すべては想像の中の記憶だが、確かに私の心に刻まれている。旅とは、足で歩くだけではなく、心で感じることなのかもしれない。そしてこの空想の旅は、確かに私の心を動かし、遠い南インドの街への憧れを深めてくれた。

いつか、本当にチェンナイの土を踏む日まで、この記憶を大切にしたい。

hoinu
著者
hoinu
旅行、技術、日常の観察を中心に、学びや記録として文章を残しています。日々の気づきや関心ごとを、自分の視点で丁寧に言葉を選びながら綴っています。

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