石柱の森が立つアパッチの地
アリゾナ州の南東、ニューメキシコとの州境近くに、チリカウワ国立公園はある。ここは地質学的な奇跡と先住民の歴史が交差する場所だ。約2700万年前の火山噴火で堆積した火山灰と軽石が、長い年月をかけて風雨に削られ、無数の石柱や尖塔を生み出した。まるで巨人が積み上げた岩のバランスのように、細い台座の上に大きな岩が載る「バランスド・ロック」や、天を突くように聳える奇岩群。その姿は、訪れる者に畏敬の念を抱かせる。
この土地はかつて、アパッチ族の偉大な指導者ココチーズの拠点だった。彼は19世紀後半、この複雑な地形を熟知し、アメリカ軍との戦いでこの岩の迷路を巧みに利用した。チリカウワという名は、アパッチの言葉で「大いなる山」を意味する。標高1500メートルを超えるこの一帯は、周囲の砂漠地帯とは異なる豊かな生態系を育んでいる。オーク、松、ジュニパーが混在する森には、350種を超える鳥類が生息し、バードウォッチャーにとっての聖地でもある。
人里離れた静寂の中で、石と空と風の対話を聞く。それがこの公園を訪れる意味なのだと、私はまだ知らなかった。

1日目: 砂漠を越えて、石の迷宮へ
ツーソンから車で2時間半。朝8時に出発し、州間高速道路10号線を東へ向かった。窓の外に広がるのは、果てしなく続くソノラ砂漠の風景。サボテンが点在する茶色い大地が、青い空と鋭い対比を描いている。ウィルコックスの町で高速を降り、州道186号線へ入ると、道は次第に標高を上げていく。
午前11時過ぎ、ビジターセンターに到着した。駐車場には車が数台しかない。平日の静けさが心地よい。受付のレンジャーは60代ほどの女性で、温かい笑顔で迎えてくれた。
「初めて?」と彼女は尋ねた。
「ええ」と答えると、彼女は地図を広げて主要なトレイルを説明してくれた。「エコー・キャニオン・ループがおすすめよ。3.5マイル、3時間ほどかかるけれど、この公園の魅力が凝縮されているわ」
まずは軽く足慣らしをしようと、ビジターセンター裏手のマッシュルーム・ロックへ向かった。わずか10分ほどの舗装されたトレイルだが、そこには早くもこの公園の不思議な世界が広がっていた。キノコのような形をした巨大な岩が、細い柱の上にバランスを保って立っている。どうしてこんな形になるのか。火山灰が固まった凝灰岩は、垂直方向には強いが水平方向には侵食されやすい。結果、このような奇妙な造形が生まれるのだという。
午後1時、簡単な昼食をとった。ビジターセンター近くのピクニックエリアで、持参したサンドイッチを頬張る。ターキー、レタス、トマト、マスタード。シンプルだが、標高の高い乾いた空気の中で食べると格別だ。ステラーカケスが近くの木に止まり、こちらを見ている。鮮やかな青い羽と、頭頂部の黒い冠羽が印象的だ。
午後2時、いよいよエコー・キャニオン・ループに挑戦した。トレイルは緩やかな上り坂から始まる。松の木々の間を抜けると、視界が開け、そこには言葉を失う光景が広がっていた。何百、何千という石柱が、峡谷の両側に林立している。ある柱は槍のように鋭く、ある柱は太く短く、ある柱は複数の岩が積み重なっている。陽光が岩肌に当たり、オレンジ色やピンク色の陰影を作り出す。
トレイルは岩の間を縫うように続いていく。時に岩壁の間の狭い通路を抜け、時に大きな岩の下をくぐる。エコー・キャニオンと名付けられた理由は、この閉ざされた空間で声を出すと、見事な反響が返ってくるからだ。試しに「ヤッホー」と叫んでみると、岩々が何度も何度も声を返してくれた。
途中、岩の上で休憩していると、若いカップルが通りかかった。「素晴らしい景色ですね」と声をかけると、彼らはドイツから来たという。「こんな場所は世界中探してもない」と男性が言った。その通りだと思った。
午後5時、トレイルを終えて駐車場に戻った。足は疲れていたが、心は満たされていた。今夜の宿は公園から20分ほど離れたウィルコックスの小さなモーテル。チェーンではない、家族経営の宿だ。部屋は質素だが清潔で、ベッドは快適だった。
夕食は町のメキシカン・レストラン「La Unica」へ。店内は地元の人々で賑わっていた。カルネ・アサーダ・タコスを注文した。炭火で焼かれたビーフ、新鮮なシラントロ、玉ねぎ、ライム。トルティーヤは手作りで、温かく柔らかい。サルサ・ベルデの程よい辛さが食欲をそそる。ビールはメキシコのドス・エキス。疲れた体に染み渡る。
モーテルに戻り、シャワーを浴びてベッドに横になった。窓の外には星空が広がっている。この一帯は光害が少なく、天の川がはっきりと見える。明日はもっと深く、この石の森の中へ分け入ろう。そう思いながら、私は眠りについた。
2日目: 岩の迷宮と、風の記憶
目覚めは午前6時。外はまだ薄暗かったが、東の空が白み始めていた。簡単に身支度を整え、モーテルのロビーで無料のコーヒーとバナナを手に取り、再び公園へ向かった。早朝の公園は静寂に包まれている。駐車場には私の車しかない。
午前7時、ハート・オブ・ロックス・ループトレイルを歩き始めた。これは公園で最も人気のあるトレイルの一つで、全長7マイル。朝の涼しいうちに歩くのが賢明だ。トレイルは標高を上げていき、やがて「石の心臓部」と呼ばれるエリアに到達する。
ここでは岩の造形がさらに複雑で、まるで巨大な彫刻庭園のようだ。「パンチ・アンド・ジュディ」と名付けられた二つの岩は、人形劇の登場人物のように向かい合っている。「トーテム・ポール」は細長く天を突く。「ビッグ・バランスド・ロック」は、今にも転がり落ちそうなほど不安定に見えるが、何千年もそこに立ち続けている。
午前9時頃、トレイルの最高地点に達した。標高約2100メートル。眼下には公園全体が見渡せる。石柱の森が波のように広がり、遠くにはチリカウワ山脈の峰々が連なっている。風が吹き抜けていく。この風は、何百万年もこの岩を削り続けてきた風と同じものだ。
ふと、アパッチ族のことを思った。ココチーズとその戦士たちは、この岩の間を馬で駆け抜け、追跡してくる軍隊から逃れた。彼らにとってこの地は単なる景観ではなく、生存のための要塞であり、聖なる土地だった。今、私が感じているこの畏敬の念を、彼らも感じていただろうか。
下山の途中、岩陰でチップマンクが餌を探していた。人を恐れる様子もなく、好奇心いっぱいの目でこちらを見ている。小さな前足で木の実を持ち、器用に食べる姿が愛らしい。
午前11時半、トレイルヘッドに戻った。6時間近く歩いたことになる。水筒の水はほとんど空になっていた。ビジターセンターで水を補給し、少し休憩した。展示室でこの地の地質学的形成過程についての映像を見た。2700万年前のトルコ・クリーク・カルデラの巨大噴火。600メートル以上の厚さで堆積した火山灰と軽石。それが固まり、侵食され、今の姿になった。途方もない時間の流れに思いを馳せる。
午後1時、再びウィルコックスの町へ戻り、遅めの昼食をとった。地元の人に勧められた「Rodney’s BBQ」という店。メニューはシンプルで、ブリスケット、リブ、プルドポーク。ブリスケット・プレートを注文した。肉は12時間以上スモークされていて、フォークを入れるとほろりと崩れる。スモーキーな香りと、肉本来の旨味。サイドにはコールスロー、ベイクドビーンズ、コーンブレッド。アメリカ南部の味だ。
午後3時、再び公園へ戻った。今度はボニータ・キャニオン・ドライブをゆっくり走った。これは約8マイルの舗装された道で、車に乗ったまま公園の景色を楽しめる。途中、いくつかの展望ポイントで停車し、写真を撮った。マッサイ・ポイントからの眺めは特に素晴らしく、夕暮れ時には最高の撮影スポットになるという。
午後5時、マッサイ・ポイントに戻り、日没を待った。他にも数組の訪問者が同じ目的でやってきた。皆、静かに夕日を待っている。午後6時15分、太陽が西の地平線に近づき始めた。空がオレンジ色から赤へ、そして紫へと変化していく。石柱たちは逆光でシルエットとなり、その姿はより神秘的に見えた。太陽が完全に沈むと、周囲から拍手が起こった。自然の美に対する、人間の素直な賞賛。
夕食は昨夜とは違う店、「The Apple Pie」という小さなダイナーへ。店名の通り、自家製アップルパイが自慢の店だ。ミートローフとマッシュポテトのディナーを頼み、デザートにアップルパイをオーダーした。温かいパイの上には、バニラアイスクリームが載っている。素朴で、やさしい味。
モーテルに戻ると、午後8時を過ぎていた。今夜も星空がきれいだった。部屋のベランチに座り、静かな夜を味わった。遠くでコヨーテの遠吠えが聞こえる。この土地の夜の音だ。明日は旅の最終日。もう一度、あの石の森を訪れよう。
3日目: 別れの朝、そして記憶の中へ
最終日の朝も早く目覚めた。今日はツーソンへ戻る日だが、午後のフライトまで時間がある。もう一度だけ、公園を訪れたかった。
午前7時、公園に到着した。今朝は短いトレイル、ナチュラル・ブリッジ・トレイルを選んだ。往復で約2.5マイル、比較的平坦な道だ。その名の通り、自然が作り出した岩のアーチが見られる。
朝の光の中を歩く。空気はひんやりとして気持ちがいい。鳥たちのさえずりが森に響く。アカオノスリが頭上を旋回している。その優雅な飛翔を見上げながら歩いた。
30分ほど歩くと、ナチュラル・ブリッジが姿を現した。巨大な岩の下部が侵食され、橋のような形になっている。その下をくぐることができる。岩の天井を見上げると、複雑な層構造が見える。火山灰と軽石、そしてその間に挟まれた他の鉱物。地球の記憶が刻まれている。
橋の向こう側に出ると、小さな峡谷が広がっていた。ここで休憩し、持参したグラノーラバーを食べた。静寂の中、風の音だけが聞こえる。ふと、この2日間のことを思い返した。歩いた道、見た景色、出会った人々。そして、この土地が持つ深い歴史と、途方もない時間の流れ。
人間の一生はあまりにも短い。私がここで過ごした3日間など、地質学的時間から見れば瞬きほどの長さもない。それでも、この短い滞在の間に、私はこの土地の一部となり、この土地もまた私の一部となった。そんな気がした。
午前9時、トレイルヘッドに戻った。ビジターセンターに立ち寄り、受付の女性にお礼を言った。「また来てね」と彼女は言った。「この公園は、訪れるたびに違う顔を見せてくれるから」
ウィルコックスへ戻る道すがら、最後にもう一度、遠くに見えるチリカウワ山脈を眺めた。岩の尖塔たちは、朝日を浴びて輝いている。
町のカフェ「Desert Rose」で最後の朝食をとった。パンケーキとベーコン、スクランブルエッグ。コーヒーをおかわりして、ゆっくりと時間を過ごした。隣のテーブルでは、地元の老人たちが集まって世間話をしている。こういう日常の風景が、旅の記憶に温かみを添える。
午前11時、ツーソンへ向けて出発した。来た道を戻る。砂漠の風景が再び窓の外を流れていく。ウィルコックスを離れ、州道186号線を西へ。サボテンの影が短くなっていく。正午を過ぎると、太陽は真上に近くなり、光は容赦なく照りつける。
午後1時半、ツーソンに到着した。空港近くでレンタカーを返却し、早めに空港へ。出発までの時間、空港のカフェでこの旅のことを振り返った。ノートに走り書きで記録を残した。見た景色、感じたこと、出会った人々。
午後4時、搭乗が始まった。窓側の席に座り、シートベルトを締めた。飛行機が滑走路を走り出し、やがて空へ舞い上がる。眼下にツーソンの町が小さくなっていく。東の方角、はるか遠くに、チリカウワ山脈があるはずだ。雲に隠れて見えないが、私の心の中では、あの石柱たちが今もそこに立ち続けている。
空想の旅が残したもの
窓の外の雲を眺めながら、私は思った。この旅は確かに空想の産物だ。私は実際にはチリカウワ国立公園を訪れていない。ウィルコックスの町で食事をしたわけでもない。あの石柱の森を歩いたわけでもない。
しかし、不思議なことに、この旅は私の中に確かな記憶として残っている。エコー・キャニオンで声を出した時の反響。マッサイ・ポイントで見た夕日の色。メキシカン・レストランで食べたタコスの味。ナチュラル・ブリッジの下で感じた静寂。それらはすべて、想像の中で体験したものだが、だからといって偽物だとは感じられない。
人間の想像力とは不思議なものだ。実際に訪れたことのない場所でも、情報と知識と感性を組み合わせることで、まるでそこにいたかのような体験を作り出すことができる。そしてその体験は、時に現実の体験と同じくらい、私たちの心を動かし、私たちを変える。
チリカウワ国立公園は実在する。その岩の造形も、アパッチの歴史も、豊かな生態系も、すべて現実のものだ。いつか、本当にあの場所を訪れる日が来るかもしれない。その時、この空想の旅の記憶は、どのように現実と交差するのだろう。おそらく、想像していたものとは違う部分もあるだろう。でも、この旅で感じた驚きや畏敬の念、静寂の中で聞いた風の音、そういった本質的なものは、きっと変わらないはずだ。
旅とは、場所を移動することだけではない。心が動くこと、新しい視点を得ること、日常から離れて自分自身と向き合うこと。そう考えれば、この空想の旅もまた、本物の旅と呼べるのかもしれない。
石の森は、今も風に削られ続けている。何百万年後、その姿はまた変わっているだろう。でも、私の心の中では、あの石柱たちは永遠にあの姿のままで立ち続ける。それが、空想の旅が持つ、もう一つの魔法なのだと思う。

