波と大地が出会う場所
チアンジュール。西ジャワ州の南端、ジャワ海とインド洋のあいだに広がるこの地域は、インドネシアの中でも特別な静けさを保っている。バリやジョグジャカルタのような華やかさはない。けれど、ここには古くからのスンダ文化が息づき、黒砂のビーチと緑深い丘陵地帯が織りなす風景が旅人を迎えてくれる。
ジャカルタから車で約3時間。都市の喧騒を抜けると、道沿いに現れるのは青々とした水田と椰子の木々だ。チアンジュールは古くから農業と漁業で栄えた土地で、人々はゆったりとした時間の中で暮らしている。バンテン王国時代の痕跡も残り、歴史と自然が静かに共存する場所だ。
特に有名なのはサワルナ・ビーチをはじめとする美しい海岸線。火山性の黒い砂浜が延々と続き、荒々しい波がインド洋から打ち寄せる光景は、どこか原初的な力強さを感じさせる。そして内陸には、伝統的な村々が点在し、アンクルン (竹製の楽器) の音色やワヤン・ゴレック (木偶人形劇) といったスンダ文化の伝統が今も受け継がれている。
私がチアンジュールを訪れようと思ったのは、何気なく見た一枚の写真がきっかけだった。黒い砂浜に打ち寄せる白い波、その向こうに沈む夕陽。そこには観光地化されていない、素朴なインドネシアの姿があった。2泊3日という短い時間だけれど、この土地の空気を吸い、人々の暮らしに触れてみたいと思った。

1日目: 黒砂の海岸に立つ
ジャカルタのスカルノ・ハッタ空港を早朝に出発し、手配したドライバーの運転で西へ向かう。高速道路を抜け、徐々に田園風景が広がり始めると、窓から入る風が少しずつ潮の香りを含んでくる。途中、小さな町で朝食をとった。路上の屋台で買ったナシ・ウドゥック (ココナッツミルクで炊いた米) とアヤム・ゴレン (フライドチキン) 。温かい米に染み込んだココナッツの甘みと、スパイシーな鶏肉の組み合わせが、旅の始まりにふさわしい活力をくれた。
午前10時過ぎ、チアンジュールの町に到着した。宿は海岸沿いにある小さなゲストハウス。白い壁に青い窓枠が印象的な建物で、オーナーのイブ・スリがにこやかに迎えてくれた。部屋はシンプルだが清潔で、窓を開けると潮風と波の音が部屋いっぱいに広がる。荷物を置いて、早速外へ出た。
目の前に広がるのがパンタイ・チアンジュール、この地域を代表する海岸だ。砂は確かに黒い。火山灰が長い年月をかけて堆積したものだという。素足で踏むと、細かく柔らかい感触が心地よい。波は予想以上に荒く、白い泡を立てて絶え間なく押し寄せる。泳ぐには危険だと地元の人から聞いていたが、その迫力ある姿を見ているだけで、自然の力強さに圧倒される。
海岸沿いを歩いていると、漁師たちが網を手入れしている姿が見えた。日焼けした肌、慣れた手つき。彼らは私に気づくと軽く手を振り、微笑んだ。インドネシア語はほとんど話せないが、「アパ・カバール? (元気ですか?) 」と声をかけると、「バイク、バイク (元気だよ) 」と返ってくる。それだけで十分だった。言葉が通じなくても、笑顔は共通の言語だ。
昼食は海岸近くのワルン (食堂) で。イカン・バカール (焼き魚) とナシ・プティ (白米) 、そしてサンバル (辛味噌) 。魚は朝獲れたばかりだというだけあって、身がふっくらとしていて塩味がちょうどいい。サンバルの辛さが汗を誘うが、それがまた食欲をそそる。冷たいエス・テ・マニス (甘いアイスティー) が喉を潤してくれた。
午後は少し内陸へ足を延ばした。バイクタクシーの運転手に頼んで、近くの伝統的な村へ連れて行ってもらう。村の入口には竹で作られた門があり、その向こうに藁葺き屋根の家々が並んでいる。子どもたちが道で遊び、鶏が自由に歩き回る。時間がゆっくり流れている場所だ。
村の中心には小さな広場があり、そこでちょうど女性たちが集まっていた。バティック (ろうけつ染めの布) を作っているという。色とりどりの布が木陰に干されていて、風に揺れている。一人の女性が手招きして、作業を見せてくれた。熱した蝋を細い道具で布に垂らし、模様を描いていく。その集中した表情と、繊細な手の動きに見入ってしまう。完成した布を触らせてもらうと、手織りの優しい質感が指先に伝わってきた。
夕方、宿に戻る途中で小さな市場に立ち寄った。野菜、果物、香辛料、魚。どれも新鮮で、色鮮やかだ。ランブータン (毛の生えた果物) を買って、その場で食べる。甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がる。市場の活気、人々の笑い声、値段交渉の声。日常の営みがそこにあった。
夜はゲストハウスのテラスで過ごした。イブ・スリが作ってくれたナシ・ゴレン (インドネシア風チャーハン) とクルプック (えびせんべい) 。シンプルな夕食だが、旅の初日の疲れた体には十分すぎるご馳走だった。遠くで波が打ち寄せる音を聞きながら、ゆっくりとコーヒーを飲む。空には満天の星。都会では決して見られない星の数だ。
ここに来て正解だった。そう思いながら、部屋に戻って眠りについた。波の音が心地よい子守唄になった。
2日目: 大地と人の温もりに触れる
朝、鶏の鳴き声で目が覚めた。窓の外はまだ薄暗いが、空が少しずつ明るくなっていく。朝食前に海岸を散歩しようと外へ出ると、すでに漁師たちが船を出す準備をしていた。朝靄の中、船が一艘ずつ海へと漕ぎ出していく。静かで、神聖な時間だ。
戻ると、イブ・スリが朝食を用意してくれていた。ナシ・クニン (ターメリックライス) 、テンペ・ゴレン (テンペの揚げ物) 、そして目玉焼き。ナシ・クニンはお祝い事でよく食べられる料理だというが、その鮮やかな黄色が朝の食卓を明るくする。テンペは大豆を発酵させた伝統食品で、外はカリッと、中はもっちりとした食感。これも素朴だが滋味深い味わいだ。
今日は一日、チアンジュールの自然を満喫する予定だ。まず向かったのは内陸部のチタラム川上流域。ここには美しい棚田が広がっていると聞いていた。バイクタクシーで30分ほど山道を登ると、視界が開けた瞬間、息を呑んだ。緑の絨毯が階段状に連なり、遠くの山々まで続いている。風が吹くと、稲穂が波のように揺れる。
棚田の脇には小さな水路があり、冷たく澄んだ水が流れている。農夫が水牛を連れて田んぼを耕していた。泥の中をゆっくりと進む水牛と、その背中を叩いて声をかける農夫。何百年も前から変わらない風景がここにある。
近くの農家の女性が、休憩していかないかと声をかけてくれた。家の前に敷かれたゴザに座り、出されたお茶を飲む。甘く煮出されたジャワティーだ。彼女は片言の英語で、この土地の稲作について教えてくれた。年に三回収穫できること、先祖代々この土地を守ってきたこと。誇りと愛情を持ってこの土地と向き合っている姿が印象的だった。
昼前、さらに奥へ進むとチソロク村という小さな集落に着いた。ここは伝統的なスンダ文化が色濃く残る場所だという。村の入口で出会った少年が、案内してくれることになった。彼の名前はアディ。10歳だという。流暢な英語に驚くと、学校で習っているのだと誇らしげに言った。
アディが連れて行ってくれたのは、村の長老の家だった。長老は竹で作られた楽器、アンクルンを演奏してくれた。竹筒が揺れるたびに、優しく澄んだ音色が響く。単純な構造なのに、複数の音程が重なって美しいハーモニーを奏でる。長老は私にも一つ持たせてくれ、一緒に演奏した。下手くそな演奏だったが、笑いながら教えてくれる長老の優しさが嬉しかった。
昼食は村の家庭料理をご馳走になった。ソト・アヤム (鶏肉のスープ)、ペルケデル(ジャガイモのコロッケ)、それにサユール・アッサム (タマリンドの酸っぱいスープ) 。どれも家庭の味で、温かく優しい。特にソト・アヤムは、ターメリックとレモングラスの香りが効いていて、体の芯から温まる。食後にはピサン・ゴレン (バナナの天ぷら) まで出してくれた。
午後は村を散策した。アディが学校や友達の家、村の小さな寺院を案内してくれる。寺院といっても小さな祠のようなもので、花が供えられていた。村人たちは私を見ると必ず笑顔で挨拶してくれる。外国人が珍しいのだろうが、それ以上に、人を歓迎する文化がここには根付いている。
夕方、村を後にする時、アディと村の人たちが手を振って見送ってくれた。短い時間だったが、温かい交流ができたことが何より嬉しかった。ポケットに入れていたお菓子をアディに渡すと、大喜びで受け取ってくれた。
宿に戻る途中、夕陽が沈むのを見るために再び海岸へ立ち寄った。西の空が茜色に染まり、黒い砂浜とのコントラストが美しい。波の音と夕陽。何も考えず、ただその瞬間に身を委ねる。こういう時間が、旅には必要なのだと思う。
夜は近くのレストランで少し贅沢をした。グライ・イカン (魚のカレー) とウダン・バカール (焼きエビ) 。スンダ地方のカレーはココナッツミルクとスパイスが絶妙に調和していて、辛さの中に甘みがある。エビは大ぶりで、身がぷりぷりしていた。食事を終えて外に出ると、満月が海を照らしていた。月明かりの下、黒い砂浜が銀色に光って見えた。
部屋に戻り、今日一日を振り返る。人との出会い、自然の美しさ、食事の温もり。すべてが心に残る一日だった。
3日目: 別れと、また会う日まで
最終日の朝は、少しだけ名残惜しい気持ちで目覚めた。今日の午後にはジャカルタへ戻らなければならない。でも、その前にもう一度、チアンジュールの空気を吸い込んでおきたかった。
朝食後、イブ・スリに挨拶をして海岸へ向かった。今朝は波が比較的穏やかで、いつもより静かな海だ。砂浜に腰を下ろし、波を眺める。黒い砂を手ですくい、指の間からさらさらとこぼれ落ちるのを見つめる。この砂一粒一粒に、長い時間が刻まれている。
散歩をしていると、昨日会った漁師の一人が声をかけてくれた。「もう帰るのか?」と聞かれ、うなずく。「また来いよ」と笑顔で言ってくれた。簡単な言葉だが、その優しさが胸に沁みた。
宿に戻る前に、市場にもう一度立ち寄った。お土産を少し買いたかったのだ。手作りのバティックのストール、コーヒー豆、そしてサンバルのペースト。どれもこの土地の香りがする品々だ。市場のおばさんが、おまけだと言って小さな竹細工の籠をくれた。断ろうとしたが、「気持ちだから」と言って笑う。その笑顔に負けて、ありがたく受け取った。
午前中、最後にもう一つだけ訪れたい場所があった。宿から少し離れたところにある小さな丘だ。そこからはチアンジュールの町と海岸線が一望できるという。バイクタクシーで向かい、坂道を少し登る。丘の上は風が強く、椰子の木が大きく揺れていた。
眼下に広がるのは、この数日間で親しんだ風景。黒い砂浜、青い海、緑の田園地帯。小さな町並み。決して華やかではないが、確かにここに人々の暮らしがあり、歴史があり、文化がある。この土地の静けさと温かさが、改めて心に沁みた。
丘を降り、宿に戻ると、イブ・スリが最後の昼食を用意してくれていた。ミー・ゴレン (焼きそば) とエス・チェンドル (ココナッツミルクのデザート) 。ミー・ゴレンは甘辛いソースが麺に絡んで、食べ応えがある。エス・チェンドルは緑色の米粉の麺にココナッツミルクと黒糖をかけたもので、冷たく甘く、暑い昼下がりにぴったりのデザートだ。
食事を終え、荷物をまとめる。部屋を出る前に、もう一度窓から海を眺めた。波の音、潮風、遠くで聞こえる子どもたちの声。すべてを記憶に焼き付けておきたかった。
イブ・スリに別れを告げると、彼女は私の手を握って「また来てね」と言った。「絶対にまた来ます」と答えると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
ドライバーが迎えに来て、車に乗り込む。ゲストハウスを離れるとき、振り返ってもう一度手を振った。イブ・スリが玄関先で手を振り返してくれた。
ジャカルタへ向かう道中、窓の外を流れる景色を眺めながら、この旅を反芻した。たった2泊3日。でも、その短い時間の中に、たくさんの出会いと発見があった。黒い砂浜、棚田の緑、村の人々の笑顔、家庭料理の温もり、アンクルンの音色。
チアンジュールは観光地としては無名かもしれない。でも、だからこそ残っている何かがある。変わらない日常、素朴な優しさ、土地に根ざした文化。そういうものに触れられたことが、この旅の一番の収穫だった。
車窓から見える風景が徐々に都会的になっていく。高速道路に入り、ビルが増え、車の量も多くなる。でも心の中には、まだチアンジュールの波の音が響いていた。
空想の中の確かな記憶
この旅は、実際には訪れていない空想の旅だ。けれど、チアンジュールという土地は確かに存在し、黒い砂浜も、スンダ文化も、棚田も、温かい人々も、そこにある。この文章を書きながら、まるで本当に訪れたかのような感覚に包まれた。
旅とは不思議なものだ。実際に足を運ぶことだけが旅ではない。想像の中で土地を歩き、空気を感じ、人と出会う。それもまた、一つの旅の形なのかもしれない。そして、いつかこの空想の旅が、本当の旅へと変わる日が来ることを願っている。
チアンジュールの波は今も打ち寄せている。村の人々は今日も田んぼを耕し、魚を獲り、笑顔で暮らしている。その営みは変わらず続いている。空想であっても、その事実は揺るがない。
だから、この旅は確かにあった。心の中で、記憶の中で、確かに私はチアンジュールを旅した。黒い砂を踏みしめ、ナシ・ゴレンを食べ、アンクルンの音色を聞いた。そして、また訪れたいと思っている。次は空想ではなく、本当の足で。
インドネシア・チアンジュール。静かで、温かく、美しい土地。あなたもいつか、この土地を訪れてみてほしい。きっと、心に残る何かが見つかるはずだから。

