はじめに: 地の下に眠る宝石の町
オーストラリア南部、アデレードから北へ約850キロメートル。赤茶けた大地が延々と続くアウトバックの真ん中に、世界で最も奇妙な町のひとつがある。クーバーペディ—アボリジニの言葉で「白人の穴」を意味するこの町は、オパールの採掘で知られ、住民の多くが地下に家を構えて暮らしている。
1915年、14歳の少年ウィリー・ハッチソンが父と共にこの地で金を探していた時、偶然美しいオパールを発見したのが始まりだった。以来、100年以上にわたってオパール採掘が続き、世界のオパール産出量の約70%がこの町から生まれている。しかし、クーバーペディの魅力は宝石だけではない。地上では夏は50度、冬は氷点下にもなる過酷な気候から逃れるため、人々は地下15メートルほどの深さに家を掘り、年間を通して快適な23度前後の温度で暮らしている。
この町には約3,500人が住み、45以上の国籍の人々が共存している。地下の教会、地下のホテル、地下のパブ。まるで別世界のような光景が広がるこの場所へ、私は静寂と発見を求めて旅立った。
1日目: 地底世界への扉
朝6時、アデレード空港を出発した小型飛行機は、見渡す限りの赤い大地の上を北へ向かって飛んだ。窓の下に広がるのは、まさに「地球の裏側」と呼ぶにふさわしい荒涼とした風景。緑という色が完全に消え去った世界に、時折、巨大な岩山がポツンと立っている。飛行時間は約2時間。次第に地上に小さな穴がポツポツと見えてくると、パイロットが振り返って「もうすぐクーバーペディだ」と教えてくれた。
町の滑走路に降り立つと、想像していた以上の暑さに息が詰まった。時刻は午前10時、気温はすでに40度近くまで上がっている。迎えに来てくれたタクシーの運転手ジムさんは、日に焼けた顔に人懐っこい笑顔を浮かべながら「ようこそ、世界で一番クールな町へ」と言った。「クール」には「涼しい」と「格好いい」の両方の意味が込められているのだと、後で気づくことになる。
町の中心部に向かう道すがら、ジムさんは誇らしげに町の歴史を語ってくれた。「俺の祖父もオパール掘りだった。この町に来て50年になるが、まだまだ新しい発見があるんだ」。車窓からは、まるで月面のような光景が続く。所々に見える小さな山は、実は採掘で掘り出された土を積み上げたもの。そして、地上にはほとんど建物が見えない。すべてが地下にあるのだ。
宿泊先のデザート・ケーブ・ホテルは、その名の通り地下にある。地上の入り口から階段を下りると、そこには思いもよらない世界が広がっていた。天井も壁も床も、すべて砂岩を削って作られており、自然の洞窟のような美しい曲線を描いている。受付で手続きを済ませ、地下の廊下を歩いてゆくと、まるで秘密基地に迷い込んだような興奮を覚えた。
部屋に荷物を置いた後、早速町の探索に出かけた。最初に向かったのはビッグ・ウィンチと呼ばれる巨大な採掘用の機械だ。1960年代に実際に使われていたもので、今は町のシンボルとして展示されている。その隣にあるオールド・タイマーズ・マインは、初期の採掘現場を再現した博物館になっている。地下に降りると、ろうそくの明かりだけで作業していた当時の様子が手に取るように分かる。狭い坑道の中で、どれほど多くの人々が夢を追いかけたのだろうか。
昼食は地上のカフェ「トム・アンド・メアリーズ・ギリシャ・タベルナ」で取った。ここはギリシャ系移民の家族が営む店で、本格的なムサカとギリシャサラダが評判だった。オーナーのメアリーさんは気さくな女性で、「この町に来て40年になるけれど、毎日新しい発見があるのよ」と目を輝かせながら話してくれた。彼女の夫トムさんは今でも週末にオパール採掘をしているという。「運が良ければ一生遊んで暮らせるほどのオパールが見つかるの。でも大抵は何も出ないけれどね」と笑いながら付け加えた。
午後はアンナ・クリーク・ペインテッド・ヒルズへ向かった。町から車で30分ほどの場所にある小さな山々は、鉄分を含んだ岩石が織りなす自然のアートギャラリーだった。赤、茶、黄色、紫。まるで巨大なキャンバスに誰かが絵の具を塗り重ねたような美しさに、しばらく言葉を失った。風はほとんどなく、静寂が支配する世界。時折聞こえるのは、遠くで鳴く鳥の声だけ。この圧倒的な静寂の中にいると、日常の悩みなど取るに足らないもののように思えてくる。
夕方、町に戻ると、地下のアンダーグラウンド・バーで一杯飲むことにした。階段を下りてゆくと、まるでワインセラーのような薄暗い空間に、世界各国の人々が思い思いにビールを飲んでいる。隣に座ったドイツ人のハンスは、5年前にここに移住してきたオパール採掘者だった。「最初は3ヶ月だけのつもりだった」と彼は苦笑いしながら話す。「でもこの町の魔法にかかってしまったんだ。地下の静寂、無限の可能性、そして何より、ここにいると自分が生きていることを実感できる」。
夜、ホテルの部屋で横になりながら、今日一日を振り返った。地上は相変わらず暑いが、ここ地下は驚くほど快適だ。厚い岩盤に守られた静寂の中で、遠い日本での慌ただしい日々が嘘のように感じられる。窓のない部屋だが、不思議と閉塞感はない。むしろ、地球の懐に抱かれているような安心感がある。明日はオパール採掘を体験する予定だ。どんな発見が待っているだろうか。期待と共に眠りについた。
2日目: 地の底で見つけたもの
朝7時、地下のダイニングルームで朝食を取った。メニューはシンプルで、ベーコンエッグにトーストとコーヒー。しかし、洞窟のような空間で食べる朝食は格別の味がした。同じテーブルに座った年配のオーストラリア人夫婦、ビルとマーガレットは、30年前にここに移住してきたという。「最初は休暇で来ただけだったのよ」とマーガレットが笑いながら話す。「でも、この町の人々の温かさと、オパールの美しさに魅了されて、気がついたら住んでいたの。」
朝食後、今日のメインイベントであるオパール採掘体験に向かった。案内してくれるのは地元のオパール採掘者、アンディさんだ。彼は20年以上この仕事を続けているベテランで、「オパールの声が聞こえる」と地元では有名な人物だった。彼の採掘現場は町から少し離れた場所にあり、地下20メートルほどの深さまで掘り進められている。
「オパール採掘は99%が忍耐、1%が運だ」とアンディさんは言いながら、採掘用のツルハシを手渡してくれた。「でも、その1%のために、みんな夢中になるんだ」。地下の採掘現場は思っていたより広く、いくつものトンネルが枝分かれしている。ヘッドライトの明かりだけを頼りに、慎重に岩盤を削ってゆく。単調な作業のように思えるが、一打一打に集中していると、時間の感覚が失われてゆく。
2時間ほど作業を続けた時、アンディさんが「おや、これは」と声を上げた。私が削った岩の破片に、小さく虹色に光る部分があったのだ。「これはオパールの破片だ。小さいが、確実にオパールだよ」。手のひらに乗るほど小さな欠片だが、光に当てると青や緑、オレンジの色が踊るように輝く。この瞬間の興奮は、言葉では表現できない。まさに「地球からの贈り物」を受け取った気分だった。
昼食は採掘現場の近くで、アンディさんの奥さんが作ってくれたサンドイッチを食べた。シンプルなハムとチーズのサンドイッチだが、地下の静寂の中で食べると、これほど美味しいものはなかった。「オパール採掘者の昼食はいつもこんな感じだよ」とアンディさんが笑う。「でも、大きなオパールを見つけた日は、町で一番いいレストランで祝杯を上げるんだ。」
午後はカタコンブ教会を訪れた。1973年に建設されたこの地下教会は、世界でも珍しい完全に地下にある教会だ。砂岩を削って作られた聖堂内には、色とりどりのステンドグラスから差し込む光が、まるで天からの恵みのように感じられる。静寂に包まれた空間で、しばらく瞑想の時を過ごした。宗教的な信念を持たない私でも、この神聖な空間には特別な力があることを感じた。
その後、「ジョゼフィーナのオパールショップ」を訪れた。店主のジョゼフィーナさんはイタリア系の女性で、オパールについて情熱的に語ってくれた。「オパールは生きている石よ」と彼女は言う。「見る角度や光の当て方によって、全く違う表情を見せるの。それぞれのオパールには個性があって、選ぶのではなく選ばれるのよ」。店内には大小様々なオパールが展示されており、どれも息をのむような美しさだった。特に印象的だったのは、手のひらほどの大きさのブラックオパール。深い黒の中に、青と緑の炎が踊っているような幻想的な美しさに魅了された。
夕方、町の中心部を散歩した。地上の建物は少ないが、煙突のような形の通気孔があちこちから突き出している。これらはすべて地下の家々につながっているのだ。面白いのは、多くの通気孔がカラフルにペイントされていること。住人たちの個性が表れていて、見ているだけで楽しくなる。
夕食はアンダーグラウンド・ダイニングで取った。ここも地下にあるレストランで、地元の食材を使ったオーストラリア料理が楽しめる。メインディッシュはカンガルーのステーキを選んだ。赤身の肉は意外にあっさりしていて、ワインとよく合う。デザートのパブロバは、メレンゲの上にフルーツとクリームがたっぷりと乗った伝統的なオーストラリアのスイーツで、甘さ控えめで上品な味だった。
夜、再びアンダーグラウンド・バーを訪れた。昨日とは違う顔ぶれの人々がいて、皆それぞれの物語を持っているようだった。カウンターで飲んでいたアメリカ人の女性、サラは作家で、この町でノンフィクションの本を書いているという。「この町には、現代社会が失ったものがある」と彼女は語る。「コミュニティの絆、自然との調和、そして夢を追いかける勇気。すべてがここには残っている。」
部屋に戻る前に、地上に出て夜空を見上げた。街の明かりがほとんどないクーバーペディの夜空は、まさに満天の星だった。天の川がくっきりと見え、流れ星が次々と現れる。この美しい星空の下で、多くの人々が夢を追いかけて生きているのだと思うと、胸が熱くなった。今日見つけた小さなオパールの欠片を握りしめながら、地下の部屋へと戻った。
3日目: 旅の終わりと新たな始まり
最終日の朝は、いつもより早く目が覚めた。地下の静寂に慣れてしまったのか、それとも別れの時が近づいていることを体が感じ取っているのか。朝食前に地上に出て、朝日を見ることにした。地平線から昇る太陽は、赤い大地を黄金色に染めてゆく。昨日までは過酷に感じていた暑さも、最後だと思うと愛おしく感じられる。
朝食は、宿泊していたホテルのオーナー、ピーターさんと一緒に取った。彼は元々シドニーで弁護士をしていたが、15年前にクーバーペディに移住してきたという。「最初は完全に人生の逃避だった」と彼は正直に話してくれた。「都市生活に疲れ果てて、どこか遠くに行きたかった。でも、ここに来て分かったんだ。逃避ではなく、本当の自分を見つける旅だったということを」。彼の言葉には、15年間この地で生きてきた人だけが持つ深みがあった。
朝食後、最後の観光地としてムーンプレインを訪れた。町から車で1時間ほどの場所にある、まさに月面のような奇観だ。長い年月をかけて水や風が削り取った岩山は、まるで別の惑星にいるような錯覚を起こさせる。実際に、多くのSF映画がここで撮影されているという。岩山の上に登ると、360度見渡す限りの荒野が広がる。地球の雄大さと同時に、人間の小ささを実感する瞬間だった。
帰り道、小さなオパール採掘現場に立ち寄った。そこで出会ったのは、75歳になる日系オーストラリア人のタケシさんだった。彼の祖父は戦前に移住してきた移民で、彼自身は三世にあたるという。「祖父からオパール採掘を学んだ」と彼は流暢な日本語で話してくれた。「オパールは忍耐の石だと祖父は言っていた。急いではダメ、石の声をじっくり聞くんだ」と。彼の採掘現場で見つけたオパールは、どれも丁寧に磨かれ、美しく輝いていた。
昼食は町に戻って、イタリアン・クラブで取った。ここは地元のイタリア系コミュニティが運営するレストランで、本格的なパスタが楽しめる。シンプルなトマトとバジルのパスタだったが、手作りの温かさが伝わってくる味だった。隣のテーブルにいた家族連れのお父さんは、10年前にイタリアからここに移住してきたという。「この町は小さいけれど、世界中の人々が集まっている。まるで小さな国連のようだ」と笑いながら話していた。
午後は最後のお土産選びと、町の散策に時間を使った。ファイアー・オパール・ギャラリーでは、地元のアーティストが作ったオパールジュエリーを購入した。小さなペンダントだが、見る角度によって青から緑、そしてオレンジへと色が変化する美しい作品だった。店主のマイクさんは「オパールは持ち主の気持ちを映すと言われている。悲しい時は落ち着いた色を、嬉しい時は明るい色を見せてくれるんだ」と教えてくれた。
夕方、飛行機の時間までビッグ・ウィンチの近くのベンチに座って、この3日間を振り返った。たった2泊3日の短い滞在だったが、この町で出会った人々、見た景色、感じた静寂は、確実に私の中に刻まれている。特に印象深かったのは、ここで暮らす人々の目の輝きだった。皆、何かを求めてこの町にやってきて、そして何かを見つけているのだと感じた。それがオパールなのか、静寂なのか、コミュニティなのか、それとも自分自身なのかは分からないが。
空港への道中、タクシーの運転手は初日と同じジムさんだった。「どうだった、クーバーペディは?」と彼が尋ねる。「素晴らしかった」と答えると、「みんなそう言うんだ。そして、また戻ってくる」と彼は満足そうに笑った。「この町には不思議な魔力がある。一度来た人は、必ずまた来たくなるんだ。」
小型飛行機に乗り込む前、最後にもう一度町を見下ろした。地上からはほとんど何も見えない、まるで廃墟のような光景。しかし、その地下には豊かな生活があり、夢があり、希望があることを私は知っている。機内から見る夕焼けに染まった赤い大地は、まるで巨大なオパールのように美しく輝いていた。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
この旅は空想の産物である。実際に私がクーバーペディを訪れたことはない。しかし、文章を書きながら、確かにあの地下の静寂を感じ、オパールの輝きを見つめ、砂漠の夜空を仰いだような気持ちになった。
旅とは必ずしも物理的な移動だけを意味するものではないのかもしれない。心の中で思い描く風景、想像の中で出会う人々、頭の中で味わう料理。それらもまた、確実に私たちの内側に何かを残してゆく。この空想の旅を通して、私は改めて「発見」という言葉の意味を考えた。オパールを掘り当てることだけが発見ではない。新しい土地で新しい価値観に触れること、異なる生き方をする人々との出会い、そして何より、新しい自分の一面を知ること。これらすべてが発見なのだと。
クーバーペディという実在の町には、実際に多くの人々が暮らし、今もオパールを採掘し続けている。彼らの生活は私が描いたものとは違うかもしれない。しかし、人々が夢を追いかけ、困難に立ち向かい、コミュニティを築いて生きているという本質は変わらないはずだ。
この空想旅行記が、いつか本当にクーバーペディを訪れる人の参考になれば嬉しい。そして、読んでくださった方の心の中に、小さなオパールのような輝きを残すことができれば、それに勝る喜びはない。旅は終わったが、記憶という名のオパールは、これからも私の心の中で美しく輝き続けるだろう。