カリブ海に浮かぶ色彩の島
キュラソーは、ベネズエラ沖わずか60キロほどのカリブ海南部に浮かぶ小さな島だ。オランダ領として今も独特の文化を保ち続けるこの島は、パステルカラーの建物が並ぶウィレムスタットの街並みで知られている。かつてオランダ東インド会社の拠点として栄えた歴史を持ち、アフリカ、ヨーロッパ、カリブの文化が交差する場所でもある。
島の名前は、オレンジの皮を使った青いリキュール「キュラソー」の由来としても有名だが、実際に訪れてみると、それ以上に鮮やかな色彩に満ちた場所だとわかる。カリブ海特有の強い日差しの下、建物はパステルブルー、イエロー、ピンクに塗られ、まるで絵本の世界に迷い込んだようだ。公用語はオランダ語だが、パピアメント語という独自のクレオール言語も広く話されている。
私がこの島を訪れようと思ったのは、ただ美しい海を見たいからではなく、オランダとカリブが混じり合う不思議な文化の交差点を、この目で確かめたかったからだ。

1日目: ハンダ湾の風と、ポンダの夕暮れ
キュラソー国際空港に降り立ったのは、午後2時を少し過ぎた頃だった。機内から一歩外に出ると、カリブ海特有の湿度を帯びた熱風が頬を撫でる。だが不思議と不快ではない。貿易風が常に吹いているこの島では、暑さの中にも心地よい風が混じる。
空港から首都ウィレムスタットへ向かうタクシーの窓からは、乾いた大地にサボテンが点在する風景が広がっていた。キュラソーはカリブ海の中でもハリケーンベルトの南に位置し、年間降水量が少ない。そのため植生は意外にも荒涼としていて、熱帯雨林を想像していた私は少し驚いた。
ウィレムスタットの中心部、プンダ地区に到着すると、一気に風景が変わった。港に面して並ぶパステルカラーの建物群。その多くは18世紀から19世紀に建てられたもので、オランダ様式とカリブの気候に適応した工夫が融合している。建物はどれも細長く、ファサードには美しい装飾が施されている。かつて税金が間口の広さで決まっていたため、奥行きを長くして間口を狭くしたのだという。
ホテルにチェックインした後、まだ日が高かったので、さっそく街を歩き始めた。プンダ地区の中心、ハンダ湾沿いの遊歩道を歩く。対岸のオトロバンダ地区へ渡るクイーン・エマ橋は、船が通るたびに横に開く可動橋だ。地元の人々はこれを「スウィング・オールド・レディ」と呼ぶらしい。橋の上を歩いていると、ちょうど橋が開き始めた。ゆっくりと橋が横に回転し、大型の貨物船が通過していく。その間、橋の両側には人々が集まり、まるでショーを見るように眺めている。
午後4時頃、少し喉が渇いたので、港沿いのカフェに入った。「Café Gouverneur de Rouville」という、歴史ある建物を改装した店だ。注文したのは地元のビール「Amstel Bright」と、定番のスナック「ケシ・イエナ」。これはエダムチーズをくり抜いて中に鶏肉やレーズンを詰めて焼いたもので、オランダとカリブの食文化が見事に融合した一品だった。チーズの濃厚さと、スパイスの効いた鶏肉の組み合わせが意外にも軽やかで、ビールとよく合う。
カフェの外のテーブルに座り、行き交う人々を眺めていると、様々な肌の色の人々が自然に混じり合っている様子が目に入る。アフリカ系、ヨーロッパ系、そして混血の人々。キュラソーは奴隷貿易の中継地だった歴史を持つが、今ではその多様性が島の文化的豊かさを生み出している。
夕方になると、日差しが少し和らぎ、建物の色がいっそう鮮やかに見えてきた。オレンジ色に染まり始めた空と、パステルブルーの建物のコントラストが美しい。私は再び歩き始め、裏通りに入ってみた。観光客向けの大通りとは違い、そこには地元の人々の生活がある。洗濯物が干され、子どもたちが路地で遊んでいる。どの家も色とりどりに塗られていて、まるで街全体がキャンバスのようだ。
夕食は地元の人に勧められた「Plasa Bieu」というローカルフードマーケットへ。ここは旧市場を改装した場所で、複数の食堂が軒を連ねている。私が選んだのは「カルニ・ストゥバ」という伝ドのシチュー料理と、トウモロコシの粉で作った「フンギ」という付け合わせ。カルニ・ストゥバは牛肉をトマトとスパイスでじっくり煮込んだもので、深い味わいがある。フンギはポレンタに似た食感で、シチューのソースをよく吸ってくれる。
食堂のおばさんは陽気な人で、「初めてのキュラソー?」と片言の英語で話しかけてきた。「明日はシャボテンスープも食べてみて」と勧めてくれる。この島では、実際にサボテンを食材として使うらしい。彼女の笑顔と、素朴だが心のこもった料理に、旅の初日から温かい気持ちになった。
夜、ホテルに戻る前に、もう一度ハンダ湾沿いを歩いた。ライトアップされた建物群が水面に映り、昼間とはまた違う幻想的な風景を作り出している。遠くから、どこかのバーでサルサの音楽が聞こえてくる。キュラソーの最初の夜は、色と音と味に満ちた、豊かな時間だった。
2日目: 青の洞窟と、シャローの記憶
朝、ホテルの朝食ビュッフェで、パパイヤとパッションフルーツをたっぷりと盛った皿を持って席に着いた。南国のフルーツは、日差しの強さをそのまま甘さに変えたような濃厚さがある。オランダ風のチーズやハムも並んでいて、ここでも文化の混交を感じる。
この日は島の自然を体験しようと、西部のビーチエリアへ向かうことにした。レンタカーを借り、海岸線を西へ走る。キュラソーの道路は比較的整備されていて、運転しやすい。窓を開けると、潮の香りと、時折サボテンの花の甘い香りが混じった風が入ってくる。
最初に向かったのは「Playa Lagun」という小さな入り江。ここは島内でも特に美しいシュノーケリングスポットとして知られている。崖に囲まれた小さなビーチで、透明度の高い海が目の前に広がる。私は持参したシュノーケルセットを身につけ、ゆっくりと海に入った。
水温は心地よく、視界は驚くほどクリアだ。少し泳ぐと、すぐに色とりどりの熱帯魚が現れた。黄色と青のストライプの魚、銀色に輝く魚の群れ、そして岩陰には大きなウツボも潜んでいる。珊瑚礁はカリブ海の他の場所ほど大規模ではないが、健全な状態を保っているように見えた。
水中で無重力のように漂いながら、私はこの島が「ダイビングパラダイス」と呼ばれる理由を理解した。海の透明度、豊かな海洋生物、そして何より、人の手がそれほど入っていない自然な姿がここにはある。30分ほど泳いだ後、ビーチに戻ると、地元の家族連れが到着していた。子どもたちが嬉しそうに水に飛び込む声が、入り江に響く。
午前中のもう一つの目的地は「Shete Boka National Park」。島の北岸にある自然保護区で、荒々しい波が崖に打ち付ける場所だ。南側の穏やかなカリブ海とは対照的に、北側は大西洋からの波が直接打ち寄せる。
公園内を歩くと、いくつかの入り江があり、それぞれに名前がついている。中でも「Boka Tabla」は圧巻だった。洞窟のような地形に波が押し寄せ、轟音とともに水しぶきが上がる。まるで地球の鼓動を聞いているようだ。遊歩道から見下ろすと、波が岩を削り、時間をかけて作り上げた造形美に目を奪われる。
この場所は、海亀の産卵地としても知られている。春から秋にかけて、ウミガメたちはこの荒々しい海岸を選んで卵を産みに来るのだという。看板には「産卵期は夜間の立ち入りを制限しています」と書かれていた。自然を守りながら、観光も成立させる。その微妙なバランスを、この島は大切にしているのだろう。
正午を過ぎて、西端の「Westpunt」という小さな村に到着した。ここには「Playa Forti」という絶壁に囲まれたビーチがある。崖の上にはレストランがあり、そこから見下ろす海の青さは息をのむほどだ。
昼食は崖上のレストラン「Jaanchie’s」で。地元の漁師料理を出す店で、メニューはその日の漁によって変わる。私が選んだのは「Red Snapper」のグリル。新鮮な鯛に似た魚を、ニンニクとライムでシンプルに味付けしたものだ。付け合わせは「フンカ」という甘いプランテーンのフライと、豆のライス。シンプルだが、素材の良さが際立つ料理だった。
窓際の席から海を見下ろしながら食事をしていると、若者たちが崖から海へ飛び込むのが見えた。高さは10メートルほどあるだろうか。地元の若者にとっては度胸試しのような場所らしい。彼らの歓声が、波の音に混じって聞こえてくる。
午後、島の中心部に戻る途中、「Landhuis Chobolobo」というリキュール工場に立ち寄った。ここは「キュラソー・リキュール」の老舗製造所で、19世紀から続く伝統を守っている。見学ツアーに参加すると、ララハと呼ばれる地元産のビターオレンジの皮を使った製造過程を見ることができた。
ララハはバレンシアオレンジの一種で、キュラソーの乾燥した気候で育つ。果肉は苦くて食べられないが、皮には独特の香りがある。その皮を乾燥させ、アルコールに漬け込むことで、あの鮮やかな青いリキュールが生まれるのだという。もちろん青色は着色料によるもので、オレンジ色や透明なバージョンもある。
試飲コーナーでいくつかの味を試してみた。定番のブルーキュラソーは、オレンジの香りと甘さが調和している。チョコレート風味のものや、コーヒー風味のものもあり、それぞれに個性がある。小瓶を一つお土産に買い、工場を後にした。
夕方、ウィレムスタットに戻り、「Kura Hulanda Museum」を訪れた。ここは奴隷貿易の歴史を伝える博物館で、キュラソーの複雑な過去と向き合う場所だ。16世紀から19世紀にかけて、この島は奴隷貿易の重要な拠点だった。アフリカから連れてこられた人々は、この島を経由して、南北アメリカ各地へ送られていった。
館内には、当時使われていた鎖や、奴隷船の模型が展示されている。重い歴史だが、目を背けることはできない。今のキュラソーの多様性は、この痛ましい歴史の上に成り立っている。展示の最後には、アフリカ系キュラソー人の文化的貢献についてのセクションがあり、音楽、言語、料理といった分野での豊かな遺産が紹介されていた。
夕食は昨夜とは違う雰囲気を求めて、オトロバンダ地区の「Gouverneur de Rouville」というレストランへ。歴史的な邸宅を改装した店で、中庭で食事ができる。メニューには伝統料理と、モダンなフュージョン料理の両方がある。
私が注文したのは「イグアナのシチュー」。キュラソーではイグアナも食材として使われる。少し勇気が要ったが、せっかくなので挑戦してみた。味は鶏肉に似ているが、もう少し繊維質で、独特の風味がある。トマトベースのソースと、地元のハーブが効いていて、思っていたより食べやすい。前菜には、先日勧められた「サボテンスープ」も頼んでみた。サボテンのぬめりがスープにとろみを与え、酸味と塩味のバランスが絶妙だった。
食事を終えて外に出ると、夜のオトロバンダ地区は静かだった。観光客の多いプンダ地区とは対照的に、こちらは住宅街の雰囲気が強い。街灯に照らされた石畳の道を歩きながら、私はこの島が持つ多層性について考えていた。美しいビーチとカラフルな街並みの裏には、深い歴史がある。それを知ることで、風景の見え方が少し変わったような気がした。
3日目: 市場の朝と、別れの風
旅の最終日。フライトは夕方だったので、午前中はまだ時間があった。朝早く起きて、地元の人々が集う「Floating Market」へ向かった。これは、ベネズエラから船でやってくる商人たちが、新鮮な野菜や果物を売る水上マーケットだ。
港に着くと、色とりどりの小型船が並んでいた。船上には、トマト、マンゴー、パパイヤ、バナナ、そして見たこともない野菜が山積みになっている。商人たちはスペイン語とパピアメント語で客と交渉している。価格交渉の声、笑い声、船のきしむ音が混じり合い、活気に満ちた朝の風景だ。
私は地元の女性に混じって、マンゴーを一つ買った。ベネズエラ産のマンゴーは特に甘いのだという。船の上の商人は、果物をナイフで切って試食させてくれた。果汁が滴り落ちるほどの甘さ。「フレスコ、フレスコ(新鮮だよ)」と商人が笑う。
マーケットの近くには、魚市場もある。朝獲れたばかりのマグロ、鯛、ロブスターが並ぶ。地元の料理人たちが次々と買い付けに来ていて、プロの目利きで魚を選んでいる。私も旅人として、この朝の喧騒に少しだけ溶け込めた気がした。
市場を後にして、最後にもう一度、プンダ地区を歩いた。朝の光の中で見る建物は、昨日までとはまた違って見える。店がまだ開いていない静かな時間帯、清掃員たちが石畳を洗い、新しい一日の準備をしている。
「Mikve Israel-Emanuel Synagogue」の前を通りかかった。ここは西半球で最も古い現役のシナゴーグで、1732年に建てられた。キュラソーにはポルトガル系ユダヤ人のコミュニティがあり、宗教の自由を求めてこの島にやってきた歴史がある。中に入ると、床一面に砂が敷かれている。これは、エジプトを脱出したユダヤ人の砂漠での旅を象徴しているのだという。異なる文化や宗教を受け入れてきたこの島の寛容さを、ここでも感じることができた。
午前11時頃、最後のコーヒーを飲むために、お気に入りになったカフェに戻った。同じテーブルに座り、アイスコーヒーを注文する。目の前には変わらずハンダ湾が広がり、クイーン・エマ橋が時折開いては閉じている。観光客たちが写真を撮り、地元の人々が通勤している。2泊3日という短い時間だったが、この風景は確かに私の中に残るだろう。
正午過ぎ、ホテルをチェックアウトし、空港へ向かった。タクシーの窓から見える風景は、到着したときと同じように乾いていて、サボテンが点在している。だが今は、この風景の意味が少しわかる気がした。この島の強さ、したたかさ、そして美しさは、厳しい自然と複雑な歴史を生き抜いてきた証なのだと。
空港でチェックインを済ませ、搭乗までの時間、最後にもう一杯のキュラソー・リキュールを空港バーで注文した。鮮やかなブルーの液体が、カリブ海の色を思い出させる。一口含むと、ビターオレンジの香りが広がる。
窓の外では、次の旅行者を乗せた飛行機が着陸していく。誰かの旅が始まり、誰かの旅が終わる。空港とはそういう場所だ。私のキュラソーでの2泊3日も、今、静かに幕を閉じようとしている。
空想でありながら、確かにあったように感じられる旅
飛行機が離陸し、窓からキュラソーの島が小さくなっていくのを見ながら、私はこの旅を振り返っていた。パステルカラーの街並み、透明な海、荒々しい波、市場の喧騒、そして様々な文化が混じり合う風景。それらは、写真や映像で見ただけでは決して感じられない、空気の質感や、人々の温かさとともに記憶されている。
キュラソーという島は、美しさだけでなく、複雑さも持っていた。奴隷貿易の歴史、植民地としての過去、そして今なお続く多文化共生。その全てが、この小さな島の風景の中に層をなして存在している。
旅とは、ただ場所を訪れることではなく、その場所の時間の厚みに触れることなのかもしれない。たとえ2泊3日という短い滞在でも、朝の市場で果物を買い、地元の食堂でシチューを食べ、崖の上から海を見下ろすことで、その場所の一部になることができる。
そして今、この旅は空想の中で完結した。実際には訪れていない場所だが、書きながら、調べながら、想像しながら、私の中に確かな記憶として刻まれた。それは架空のものでありながら、同時に、いつか本当に訪れたいという願いでもある。
キュラソーの青い海と、カラフルな街並みは、今も心の中で輝いている。それは空想の旅が与えてくれた、小さな宝物だ。

