大西洋の風が吹く街
アイルランド西部、ゴールウェイ。この街の名を耳にするとき、多くの人はまず大西洋の風を想像するだろう。アラン諸島を臨むゴールウェイ湾に面したこの港町は、アイルランド第三の都市でありながら、どこか田舎町の温もりを失わない不思議な場所だ。
中世から続く石畳の道、カラフルに塗られた建物が連なるショップストリート、週末になれば路上で繰り広げられる伝統音楽のセッション。ゴールウェイは「アイルランドの文化首都」とも呼ばれ、ゲール語が今も日常的に使われるゲールタハト地域への玄関口でもある。
街の周辺には、月面のような岩肌が広がるバレン高原、荒々しい大西洋岸の断崖、そして何百年も前の修道院の廃墟が点在する。石灰岩の大地と、どこまでも続く石垣。アイルランド西部の風景は、厳しくも美しい。
二泊三日という短い滞在で、この街のすべてを知ることはできない。けれど、風の音と、パブから漏れる笑い声と、冷たい雨に濡れた石畳の感触だけは、確かに持ち帰れる気がした。

1日目: 石畳に響く足音
ダブリンから長距離バスに揺られること約二時間半。窓の外の風景が、なだらかな緑の丘から次第に荒涼とした石の大地へと変わっていくのを眺めているうちに、バスはゴールウェイのコーチステーションに滑り込んだ。十一月初旬の午後、空はどんよりと曇り、冷たい風が頬を刺す。
宿へ向かう道すがら、この街の第一印象が形作られていく。エア・スクエアを抜け、コリブ川に架かるサーモン・ウィアー・ブリッジを渡る。川面は灰色で、水流は思いのほか速い。橋の上から見下ろすと、産卵のために遡上するサーモンが見られることもあるというが、今日は影も形もない。ただ、水の音だけが耳に残る。
宿にチェックインを済ませ、荷物を置いて街へ繰り出したのは午後三時過ぎ。まずはショップストリートへ。この通りは歩行者天国になっていて、中世の面影を残す石造りの建物が両側に並ぶ。観光客向けのアランセーターの店、伝統工芸品を扱う店、そして至るところにパブ。看板はどれも手描きのような温かみがあり、建物の壁はピンク、黄色、緑、青と、まるで絵本の中のように彩られている。
通りの途中で、ストリートミュージシャンがフィドルを弾いていた。伝統的なリールのメロディが、石畳の間を風に乗って流れていく。帽子の中には数ユーロ硬貨が光っている。立ち止まって聴いていると、隣にいた年配の女性が「この曲は『The Wind That Shakes the Barley』よ」と教えてくれた。麦を揺らす風、という意味だという。この土地の人々にとって、風はいつも身近な存在なのだろう。
夕暮れ時、少し早いが夕食をとることにした。選んだのは、地元の人にも人気だという小さなシーフードレストラン。カキが名物だと聞いていたが、それ以上に惹かれたのはフィッシュアンドチップスだった。大西洋で獲れたばかりの白身魚に衣をつけて揚げたもの。外はカリッと、中はふわりと柔らかく、レモンを絞ると魚の甘みが引き立つ。添えられたマッシーピーという豆のペーストは、素朴で温かい味がした。
食後、まだ日が完全には落ちていない時刻に、スパニッシュ・アーチまで歩いた。十六世紀に造られたという古いアーチで、かつてスペインとの貿易で栄えた時代の名残だという。今はただ静かに、コリブ川の河口に佇んでいる。アーチの向こうには湾が広がり、遠くにアラン諸島のシルエットがぼんやりと見える。
夜、宿に戻る前にパブに寄った。「Tigh Neachtain」という、ゴールウェイで最も古いパブのひとつ。中に入ると、天井まで届きそうな高い棚にウイスキーのボトルがずらりと並び、壁には古い写真や絵画が飾られている。カウンターでギネスを一杯頼み、隅の席に腰を下ろす。
ギネスは、ダブリンで飲んだものとは少し違う気がした。より滑らかで、クリーミーで、泡が舌の上でゆっくりと溶けていく。アイルランドの人々は「ギネスは店によって味が違う」と言うが、それは本当なのかもしれない。
パブの奥では、楽器を手にした数人が集まり始めていた。トラディショナル・ミュージックのセッションが始まるようだ。フィドル、ティン・ホイッスル、バウロン (アイルランドの伝統的な太鼓) 、そしてアコーディオン。特に打ち合わせをするでもなく、誰かが曲を弾き始めると、他の人が自然に加わっていく。
音楽は途切れることなく続き、一曲が終わればまた次の曲へ。速いリールから、物悲しいエアへ。時折、誰かが歌い出すこともある。ゲール語の歌だろうか、意味は分からないが、その旋律には何か遠い記憶を呼び起こすような力があった。
パブを出たのは十時を過ぎていた。外はすっかり暗く、街灯が石畳を照らしている。ショップストリートを歩いて宿へ戻る道すがら、遠くから笑い声が聞こえてきた。ゴールウェイの夜は、まだ始まったばかりだった。
2日目: 石と海の国へ
朝、宿の小さなダイニングルームで朝食をとった。アイリッシュ・ブレックファストという伝統的な朝食で、ベーコン、ソーセージ、目玉焼き、ブラック・プディング、ホワイト・プディング、焼いたトマトとマッシュルーム、そしてトーストが皿に盛られている。量が多すぎるのではないかと思ったが、食べ始めると意外にも完食してしまった。冷たい朝には、こういう重めの食事が体を温めてくれる。
今日は、モハーの断崖とバレン高原を巡るツアーに参加することにしていた。午前九時、街の中心部で小型バスに乗り込む。乗客は十人ほど。ドライバー兼ガイドのショーンは、五十代半ばと思しき陽気な男性で、マイクを握ると止まらないタイプだった。
バスはゴールウェイの街を出て、海岸沿いの道を南下していく。窓の外には、延々と続く石垣が見える。アイルランド西部の特徴的な風景だ。石灰岩の大地から掘り出された石を積み上げて作られた石垣は、土地を区切り、家畜を囲い、そして風を防ぐ。ショーンによれば、これらの石垣を全部つなげると地球を二周半できるほどの長さになるという。
最初の目的地、モハーの断崖に着いたのは十時半頃。駐車場からビジターセンターを抜け、岬へと続く道を歩く。そして、視界が開けた瞬間、息を呑んだ。
高さ二百メートルを超える断崖が、八キロにわたって大西洋に面して切り立っている。黒い岩肌に波が打ち寄せ、白い飛沫を上げる。海は深い灰色で、空との境界が曖昧だ。風が、本当に強い。体が持っていかれそうになるほどの風が、絶え間なく吹きつける。
崖の縁には柵があるが、それでも足がすくむ。下を覗き込むと、はるか下方に波が砕け散っているのが見える。海鳥たちが風に乗って飛び交い、時折、断崖の岩棚に止まる。ツノメドリ、ウミガラス、カモメ。ショーンの説明では、春から夏にかけてはもっと多くの海鳥がここで繁殖するという。
崖沿いの小道を歩いていくと、オブライエンズ・タワーという石造りの塔が見えてくる。十九世紀に建てられた展望台で、中の狭い螺旋階段を上ると、さらに高い位置から断崖と海を見渡すことができる。風が強すぎて、長くは立っていられない。けれど、この風景は忘れられないものになるだろうと思った。
モハーの断崖を後にして、バスはバレン高原へと向かった。風景は一変する。緑の牧草地から、灰色の石灰岩が露出した荒涼とした大地へ。まるで月面のようだと言われるバレンは、氷河期の名残だという。氷河が削り取った岩盤が、今も剥き出しのまま広がっている。
バスは、プールナブローン・ドルメンという古代の墳墓の前で停まった。巨大な平らな石が、数本の石柱に支えられている。紀元前三千年以上前に造られたものだという。誰が、何のために、こんな大きな石を運び、積み上げたのか。周囲には何もなく、ただ石の大地が広がるばかり。風だけが、五千年前と変わらず吹いている。
昼食は、バレンの小さな村のパブでとった。ビーフ・アンド・ギネス・シチュー。牛肉をギネスビールで長時間煮込んだもので、肉はほろほろと崩れ、濃厚なソースがパンに染み込む。寒い日には、これ以上ないほど温まる料理だった。
午後、バスはさらに内陸へと進み、キルマクダー教会の廃墟に立ち寄った。十二世紀に建てられたという古い教会で、今は屋根もなく、壁だけが残っている。墓地には古い墓石が並び、ケルト十字が刻まれたものもある。風化して文字は読めないが、何百年もの間、この地で暮らし、死んでいった人々の記憶がここにはある。
ゴールウェイに戻ったのは午後五時過ぎ。バスを降りると、街の喧騒が妙に新鮮に感じられた。荒涼とした石の大地から戻ってきたせいか、人の声や笑い声が、生きているということの証のように思えた。
夕食は、ラテン・クォーターと呼ばれるエリアの小さなビストロで。アイルランド産のラム肉のローストを頼んだ。ローズマリーとガーリックで味付けされた肉は柔らかく、脂の甘みが口の中に広がる。付け合わせのコルカノン (マッシュポテトとキャベツを混ぜたもの) も、素朴ながら滋味深い。
夜、再びパブへ。昨夜とは違う店を選んだ。「Taaffes Bar」という、地元の人々で賑わう店。ここでもセッションが行われていて、昨夜より若いミュージシャンたちが演奏していた。隣に座った初老の男性が話しかけてきた。
「旅行者かい?どこから来たんだ?」
日本から来たと答えると、彼は目を細めて「遠いところからよく来たね」と言った。彼自身は生まれも育ちもゴールウェイで、一度も離れたことがないという。
「この街には全てがある。海も山も、音楽も、そして良い仲間もね」
彼はそう言って、ギネスのグラスを掲げた。私も自分のグラスを掲げ、軽く合わせる。
「スランチェ (乾杯) 」
音楽は夜遅くまで続いた。
3日目: 別れの朝、そしてこれから
最終日の朝は、少し早く目が覚めた。窓の外はまだ薄暗く、街もまだ静かだ。荷物をまとめ、チェックアウトの時間まで、もう一度街を歩こうと思った。
ショップストリートは、昨夜の賑わいが嘘のように静まり返っている。掃除をする店の人、パンの配達をする車、ジョギングをする人。朝のゴールウェイは、観光地としての顔ではなく、人々が実際に暮らす街としての顔を見せてくれる。
コリブ川沿いを歩いた。川面には薄い霧が立ち込めていて、対岸の建物がぼんやりと霞んでいる。橋の上に立ち、流れを見下ろす。二日前、ここに立ったときとは、何かが違う気がした。この街を少しだけ知ったからだろうか。それとも、この街が少しだけ私を受け入れてくれたからだろうか。
宿に戻り、チェックアウトを済ませる。宿の主人は「また来てくれ」と言った。社交辞令だと分かっているが、それでも嬉しかった。
バスの時間まで、まだ少し余裕があった。最後にもう一度、マーケットを覗いてみることにした。土曜日の朝、ゴールウェイ・マーケットが開かれている。地元の農家が野菜や果物を売り、パン職人が焼きたてのパンを並べ、チーズ屋がサンプルを配っている。
あるスタンドで、ブラウン・ブレッドを買った。アイルランド伝統の全粒粉パンで、ずっしりと重く、素朴な味わいだ。これを持って帰ろうと思った。この街の、この旅の、小さな記念として。
コーチステーションへ向かう道すがら、振り返ってゴールウェイの街並みを見た。カラフルな建物、尖塔、そして遠くに見える湾。風が、いつものように吹いている。
バスに乗り込み、窓際の席に座る。エンジンがかかり、バスがゆっくりと動き出す。ゴールウェイの街が、少しずつ小さくなっていく。
二泊三日という短い滞在だった。けれど、この街で見たもの、聞いたもの、食べたもの、感じたものは、確かに私の中に残っている。大西洋の風、石畳の感触、パブの音楽、人々の笑顔。そして、荒涼とした石の大地の上に広がる、どこまでも続く空。
ゴールウェイは、決して華やかな街ではない。観光地としての派手さもない。けれど、そこには何か、本質的なものがある気がした。風と石と海。そして、その厳しい自然の中で、何百年も、何千年も、人々が暮らし続けてきたという事実。
バスは、再び緑の丘の間を走っていく。私は目を閉じ、ゴールウェイの記憶を反芻した。
空想でありながら、確かに
この旅は、実際には存在しない。私はゴールウェイの石畳を歩いていないし、モハーの断崖に立っていない。パブでギネスを飲んだことも、トラディショナル・ミュージックのセッションを聴いたこともない。
けれど、書きながら、そして読み返しながら、不思議な感覚に包まれる。まるで本当にそこにいたかのような、確かな記憶。風の冷たさ、ギネスの泡の感触、フィドルの音色、石灰岩の匂い。それらは、データや情報としてではなく、体験として心に刻まれているような気がする。
おそらく、それは想像力の持つ力なのだろう。言葉によって紡がれた風景は、時に現実以上にリアルに感じられることがある。読む人の記憶や経験と結びつき、それぞれの心の中に、それぞれのゴールウェイが立ち上がる。
この空想旅行が、いつか誰かの本当の旅の始まりになれば、それは嬉しいことだ。あるいは、実際にゴールウェイを訪れたことのある人が、この文章を読んで「そう、あの風景はこんな感じだった」と思い出してくれれば、それもまた幸せなことだ。
旅は、必ずしも物理的な移動を必要としない。言葉によって、想像によって、私たちはどこへでも行くことができる。そして、その旅もまた、確かに私たちの一部になる。
ゴールウェイ。大西洋の風が吹く街。いつか、本当に訪れる日が来るだろうか。それとも、この空想の中の旅だけで終わるのだろうか。どちらでも構わない。なぜなら、私の心の中には、もうすでにゴールウェイがあるのだから。

