アルプスの村へ
スイスのベルナーオーバーラント地方に位置するグリンデルヴァルトは、標高約1,000メートルの高原に広がる小さな山岳リゾート村だ。アイガー北壁の麓に位置し、その威容は村のどこからでも見上げることができる。19世紀後半から登山家たちの拠点として発展してきたこの村は、今では四季を通じて訪れる旅行者を迎え入れている。
村の中心部には木造のシャレーが立ち並び、バルコニーには赤いゼラニウムの花が飾られている。ドイツ語圏に属するこの地域では、スイスドイツ語が日常的に話されているが、観光地ゆえに英語も広く通じる。教会の鐘の音が谷間に響き渡り、牛たちの首につけられたカウベルの音が牧草地から聞こえてくる。そんな牧歌的な風景の背後には、アイガー、メンヒ、ユングフラウという3,000メートル級の名峰が連なっている。
冬はスキーリゾートとして賑わい、夏はハイキングの拠点となるグリンデルヴァルト。私が訪れたのは初夏、雪解けが進み高山植物が咲き始める6月の初旬だった。

1日目: 雲の切れ間から見えた峰々
チューリッヒ空港から列車を乗り継いで約3時間。インターラーケン・オストで黄色い登山列車に乗り換えると、窓の外の景色は次第に山深くなっていく。ブリエンツ湖の青い水面が遠ざかり、谷間を縫うように列車は登っていく。グリンデルヴァルト駅に降り立ったのは午後2時過ぎ。晴れていたチューリッヒとは打って変わって、村は低く垂れこめた雲に覆われていた。
駅前から徒歩5分ほどのシャレーホテルにチェックインする。木の温もりが感じられる部屋は、質素だが清潔で機能的だった。窓を開けると、冷たく澄んだ空気が流れ込んでくる。標高1,000メートルの空気は平地とは明らかに違い、深呼吸すると肺の奥まで染み渡るような爽快感がある。雲の向こうにはアイガーがあるはずだが、まだその姿は見えない。
荷物を置いて村の中心部へ向かう。メインストリート沿いには、スポーツショップ、スーパーマーケット、レストランが軒を連ねている。観光地ではあるが、派手な看板はなく、建物の多くが伝統的な木造建築の様式を守っている。スーパーマーケット「Coop」に立ち寄り、翌日のハイキング用に水とチョコレートを買う。スイスの物価の高さは予想していたが、それでもミネラルウォーター1本が3フラン (約450円) することには少し驚いた。
午後4時を過ぎた頃、雲が少しずつ動き始めた。カフェでコーヒーを飲みながら空を見上げていると、雲の切れ間から岩壁が姿を現した。アイガー北壁だ。その圧倒的な存在感に息を呑む。垂直に切り立った灰色の岩壁は、多くの登山家の命を奪ってきた「死の壁」として知られている。雲が流れるたびに表情を変える岩肌を、私はしばらく見つめ続けた。
夕食は村の中心部にある「Restaurant Glacier」で取ることにした。石造りの重厚な建物で、中に入ると暖炉の火が迎えてくれる。メニューはドイツ語とフランス語、そして英語で書かれている。スイスの郷土料理であるレシュティ (じゃがいものパンケーキ) を注文した。表面はカリカリに焼かれ、中はホクホクとしている。付け合わせのサラダはシンプルだが、野菜の味がしっかりしている。地元のビール「Eiger Bier」も一緒に頼んだ。爽やかな苦味が、一日の疲れを癒してくれる。
レストランの窓からは、日が長いこの季節、夕暮れ時のアイガーが見えた。午後8時を過ぎてもまだ明るく、山肌がオレンジ色に染まっていく。隣のテーブルでは家族連れがスイスドイツ語で楽しそうに会話している。子どもたちの笑い声が店内に響く。ここでは時間がゆっくりと流れているように感じられた。
ホテルに戻る道すがら、教会の前を通りかかった。小さな石造りの教会で、鐘楼が夜空に向かって伸びている。教会の掲示板には、日曜日のミサの時間と、夏のハイキング情報が貼られていた。山岳リゾートらしく、遭難時の緊急連絡先も大きく書かれている。この村の人々にとって、山は生活の一部であり、常に敬意を払うべき存在なのだろう。
部屋に戻ると、窓の外はすっかり暗くなっていた。雲は去り、満天の星空が広がっている。都会では決して見ることのできない星の数に圧倒される。天の川までくっきりと見える。明日は晴れるだろうか。そんなことを考えながら、旅の初日は静かに更けていった。
2日目: フィルストへ、そして氷河の記憶
朝6時、まだ薄暗い中で目が覚めた。窓のカーテンを開けると、アイガーが朝日に照らされて赤く染まり始めていた。モルゲンロートと呼ばれる現象だ。数分間だけ見られるこの光景を逃すまいと、ベランダに出て眺める。冷たい空気の中、山肌が赤から黄金色へ、そして白へと変化していく様子は、まるで山が呼吸しているかのようだった。
ホテルの朝食は7時から。バイキング形式で、チーズやハム、パン、ミューズリーなどが並ぶ。特に種類豊富なチーズには目を奪われた。エメンタール、グリュイエール、アッペンツェラーなど、スイスを代表するチーズが揃っている。濃厚な味わいのチーズと香ばしいパンを合わせ、しっかりと朝食を取る。今日は長いハイキングになるからだ。
午前8時半、フィルスト行きのゴンドラ乗り場へ向かう。すでに何人もの登山客が列を作っていた。ドイツ人、フランス人、アジアからの旅行者。様々な言語が飛び交う。6人乗りのゴンドラに乗り込むと、ゆっくりと上昇していく。眼下には緑の牧草地が広がり、牛たちが草を食んでいる。高度を上げるにつれて、アイガー北壁がより大きく、より近く見えてくる。同乗した老夫婦は何度もここを訪れているらしく、見える山々の名前を互いに確認し合っている。
約25分でフィルスト駅 (標高2,168メートル) に到着。ゴンドラを降りた瞬間、冷たい風が頬を撫でる。6月とはいえ、ここはまだ冬の名残が感じられる高度だ。展望台からは、グリンデルヴァルトの谷が眼下に広がり、その向こうにアイガー、メンヒ、ユングフラウの三山が並んで見える。雲一つない青空に、白い峰々が輝いている。
バッハアルプゼー湖へのハイキングコースを選んだ。片道約1時間、比較的平坦な道のりだ。トレイルは整備されているが、所々に雪解け水が流れており、慎重に足を運ぶ必要がある。高山植物が咲き始めており、黄色いタンポポのような花、青い小さな花が岩の隙間から顔を出している。風に揺れる花々を見ながら歩いていると、前方から下山してくる登山者とすれ違う。「Grüezi」 (スイスドイツ語の挨拶) と声をかけ合う。山では見知らぬ者同士でも挨拶を交わすのが習慣だ。
40分ほど歩いたところで、バッハアルプゼー湖が見えてきた。標高2,265メートルに位置する小さな湖で、水面にシュレックホルンの山頂が映り込んでいる。湖畔には山小屋があり、休憩する登山者で賑わっている。私も腰を下ろし、持ってきたサンドイッチを食べる。パンにチーズとハムを挟んだだけのシンプルなものだが、山で食べると格別に美味しい。湖の水は驚くほど透明で、底の石まではっきりと見える。手を浸してみると、氷のように冷たい。つい数週間前まで、この湖は氷に覆われていたのだろう。
湖畔で1時間ほど過ごした後、フィルストへと戻る。下りは登りよりも楽だが、足元には注意が必要だ。石が濡れている箇所では滑りやすい。ゆっくりと景色を楽しみながら歩く。振り返るとバッハアルプゼー湖が青く光っている。
フィルスト駅に戻ったのは午後2時頃。ゴンドラで下山し、村へ戻る。ホテルで少し休憩してから、午後はグレッチャーシュルフト (氷河峡谷) へ向かうことにした。村の南側にあるこの峡谷は、かつてこの地を覆っていた氷河が削り取った跡だ。入口でチケットを購入し、中に入る。
峡谷は深く、狭い。両側の岩壁は滑らかに磨かれ、氷河の力を物語っている。木製の遊歩道が整備されており、安全に奥まで進むことができる。所々に説明板があり、氷河の仕組みや、この地域の地質学的な歴史が解説されている。最深部では、岩壁の間から流れ落ちる滝が見られる。轟音を立てて落ちる水は乳白色で、氷河から溶け出したものだろう。水しぶきが顔にかかり、ひんやりとする。
峡谷を出ると、すでに午後5時を回っていた。村を散策しながら、夕食の場所を探す。今夜はもう少しカジュアルな場所にしようと、「Cafe 3692」というカフェ兼レストランに入った。名前の数字は、ユングフラウの標高を表している。ここではフォンデュが名物だと聞いていた。
チーズフォンデュを注文すると、テーブルに運ばれてきたのは、陶器の鍋と、バスケットいっぱいのパンのキューブだった。鍋の中では白ワインとニンニクで煮込まれたチーズがぐつぐつと泡立っている。長いフォークにパンを刺し、溶けたチーズに絡める。熱々のチーズは濃厚で、ワインの風味が効いている。一口食べると、口の中にチーズの芳醇な香りが広がる。スイス人にとって、フォンデュは単なる料理ではなく、人々が集まり語り合うための社交の場でもあるのだと聞いたことがある。確かに、周囲のテーブルを見渡すと、皆がフォンデュを囲んで楽しそうに会話している。
食事を終えて外に出ると、まだ夕暮れには早い時間だった。6月のスイスは日が長く、午後9時頃まで明るい。村の中心部から少し離れた静かな道を歩く。牧草地では牛たちが草を食み、遠くで羊飼いの姿が見える。カウベルの音が谷間に響く。その音は不規則なリズムを刻みながらも、どこか心地よい。
教会の近くのベンチに腰掛け、山々を眺める。夕日に照らされたアイガーが、黄金色に輝いている。昨日の雲に隠れた姿とは全く違う、穏やかで優しい表情だ。山は刻一刻と表情を変える。それがこの地に人々を惹きつける理由の一つなのだろう。隣のベンチには地元の老人が座り、同じように山を見つめていた。何も言葉を交わすことはなかったが、この場所の美しさを共有しているという感覚があった。
ホテルに戻ったのは午後10時近く。それでもまだ空には薄明かりが残っていた。シャワーを浴びて、ベッドに横になる。窓の外では星が瞬き始めている。明日はもう最終日だ。そう思うと、少し寂しさを感じた。
3日目: 別れの朝と、また会う日まで
最終日の朝も快晴だった。今日は午後の列車でインターラーケンへ向かわなければならないため、午前中だけの時間となる。朝食を済ませ、荷物をまとめてチェックアウトを済ませる。フロントのスタッフが「良い旅を」と笑顔で送り出してくれた。
スーツケースは駅のコインロッカーに預け、最後の散策に出かける。向かったのは村の北側にある小さな展望台、プフィングシュテック。村からは徒歩20分ほどの緩やかな登り道だ。朝の澄んだ空気の中を歩く。すれ違うジョギング中の地元の人が挨拶をしてくれる。
展望台に着くと、そこからはグリンデルヴァルトの谷全体が見渡せた。緑の牧草地、点在するシャレー、そしてその背後にそびえる三山。2日間歩いたこの村が、一枚の絵画のように目の前に広がっている。ベンチに座り、しばらくその景色を目に焼き付ける。
午前10時、村の中心部に戻る。出発までまだ時間があったので、最後にもう一度カフェに立ち寄ることにした。「Cafe Glacier」という小さなカフェで、窓際の席に座る。カプチーノを注文し、窓の外を眺める。通りを行き交う人々、スキーストックを持った登山者、買い物袋を下げた地元の人。この村の日常が、ゆっくりと流れている。
カプチーノを飲みながら、この2泊3日を振り返る。アイガーの威容、バッハアルプゼー湖の静寂、氷河峡谷の神秘、そして村の人々の温かさ。短い滞在だったが、多くのものを見て、感じることができた。特に印象的だったのは、この村の人々が山と共に生きているということだ。山は彼らにとって生活の糧であり、畏敬の対象であり、誇りでもある。観光地として発展しながらも、伝統的な生活様式や建築様式を守り続けているのは、そうした山への敬意の表れなのだろう。
正午、グリンデルヴァルト駅へ向かう。黄色い登山列車が既にホームに停まっていた。荷物を持ち、列車に乗り込む。発車のベルが鳴り、列車はゆっくりと動き出した。窓の外、グリンデルヴァルトの景色が後ろへと流れていく。牧草地、教会、そしてアイガー。列車が谷を下るにつれて、山々は徐々に小さくなっていく。
インターラーケンへ向かう車窓からは、ブリエンツ湖の青い水面が見えた。湖畔の小さな村々を通り過ぎていく。グリンデルヴァルトとは対照的な、穏やかで平和な風景だ。しかし心はまだ、あの山々に残っている。
列車の中で、私はこの旅で撮った写真を見返していた。朝日に染まるアイガー、バッハアルプゼー湖の水面、氷河峡谷の岩壁。どの写真も美しいが、実際に見た景色の感動には及ばない。写真には収められない空気の冷たさ、風の音、カウベルの響き、チーズフォンデュの香り。それらすべてが、この旅の記憶を形作っている。
インターラーケン・オストに到着したのは午後1時過ぎ。ここからチューリッヒへ向かう列車に乗り換える。グリンデルヴァルトから離れていくことに、確かに寂しさを感じた。しかし同時に、また必ず戻ってきたいという思いも芽生えていた。今度は違う季節に、違うハイキングコースを歩いてみたい。冬のスキー、秋の紅葉、春の花々。この村には、まだ見ぬ顔がたくさんあるのだろう。
列車がチューリッヒへ向けて加速する中、私は窓に映る自分の顔を見た。少し日焼けした頬、満足げな表情。確かに私は、この2泊3日でこの場所を訪れ、この空気を吸い、この景色を見た。そんな実感があった。
空想の中の確かな記憶
この旅は、実際には行われていない。キーボードと画面の前で紡がれた、架空の旅行記である。しかし、ここに書かれたグリンデルヴァルトの風景、アルプスの山々、スイスの料理や文化は、実在するものだ。アイガー北壁は確かにそこに存在し、バッハアルプゼー湖は今日も静かに山の上で輝いている。フォンデュの香りは実際にカフェに満ち、カウベルの音は牧草地に響いている。
人は必ずしも物理的にその場所を訪れなくても、心の中で旅をすることができる。文章を通じて、映像を通じて、あるいは誰かの話を通じて。そうした「想像の旅」もまた、私たちの経験の一部となり、いつか実際に訪れる日への憧れを育ててくれる。
このグリンデルヴァルトへの空想の旅が、誰かの心に小さな種を蒔くことができたなら幸いだ。そしていつか、その種が芽吹き、本当にその地を踏む日が来たとき、この旅行記が思い出されることがあれば、それはこの上ない喜びである。
山は、そこにある。待っている。

