はじめに: 王様の愛した静寂の海辺
ホアヒンという響きは、どこか優雅で落ち着いた調べを奏でる。バンコクから南へ約200キロメートル、タイ湾に面したこの小さな海辺の町は、1920年代にラーマ6世によって王室の保養地として開かれて以来、静寂と品格を保ち続けている。
ペッチャブリー県の南端に位置するホアヒンは、タイ語で「石の頭」を意味する。その名の通り、海岸線には小さな岩礁が点在し、穏やかな波が絶え間なく打ち寄せている。ここには、プーケットやパタヤのような喧騒はない。代わりに、王室の歴史が刻まれた優雅な建築物、地元の人々が営む素朴な市場、そして時を忘れさせる夕陽がある。
タイ王室の避暑地として発展したこの町には、今も王宮「クライカンウォン宮殿」が佇み、その周辺には緑豊かな公園が広がっている。一方で、漁師町としての素朴な顔も残しており、朝には色とりどりの漁船が港に帰ってくる光景を目にすることができる。
私がホアヒンに惹かれたのは、そのような二面性だった。王室の品格と庶民の温もりが自然に共存し、現代的なリゾートホテルと古い木造の家屋が調和している。この町を歩けば、きっと何か大切なものを思い出すことができるのではないか。そんな予感を胸に、私は2泊3日の小さな旅に出ることにした。

1日目: 午後の光に包まれた到着
バンコクのフアランポーン駅から朝の列車に乗り、約4時間の旅路を経てホアヒン駅に降り立ったのは午後2時過ぎのことだった。駅舎は想像していたよりもずっと小さく、赤い屋根が南国の強い日差しに映えている。1911年に建設されたこの駅は、タイで最も美しい駅の一つと言われているが、確かにその通りだった。ヨーロッパ風の装飾が施されながらも、どこかタイらしい柔らかさを感じさせる建築は、この町の歴史を物語っているようだった。
駅からホテルまでは徒歩で15分ほど。キャリーバッグを引きながら、ゆっくりと町を歩く。道路は思ったより広く、交通量も適度で、バンコクの喧騒とは別世界だった。道の両側には、古い木造の商店と新しいカフェが混在し、時代の移り変わりを感じさせる。
宿泊先は海岸通りにある中規模のホテル。チェックインを済ませて部屋に入ると、窓の向こうには青い海が広がっていた。波の音が心地よく響き、バンコクの暑さとは違う、湿り気を含んだ海風が頬を撫でていく。荷物を置いて、すぐに海岸へ向かった。
ホアヒンビーチは想像していたよりも広く、白い砂浜が緩やかな弧を描いている。午後の日差しは強いが、海風が涼しさを運んでくる。ビーチチェアに座る観光客もいるが、密集することなく、それぞれが思い思いの時間を過ごしている。私は砂浜を裸足で歩きながら、小さな貝殻を拾った。手のひらに収まるほど小さなその貝殻は、薄いピンク色をしており、海の記憶を宿しているかのようだった。
夕方近くになり、空腹を感じた私は、海岸沿いのローカルな食堂に足を向けた。「ソムタム・ホアヒン」という看板の下で、おばさんが一人で店を切り盛りしている。メニューはタイ語のみだったが、身振り手振りでソムタム (青パパイヤサラダ) とガイヤーン (焼き鳥) を注文した。
ソムタムは、青パパイヤの爽やかな食感に、ライム、ナンプラー、唐辛子が絶妙に調和している。辛さは控えめで、海風に火照った体を優しく冷ましてくれる。ガイヤーンは香ばしく焼かれ、肉汁がじゅわりと口の中に広がった。カオニャオ (もち米) と一緒に食べると、その組み合わせの妙に感動すら覚える。
おばさんは時折、片言の英語で話しかけてくれた。「ホアヒン、初めて?」「日本から?」そんな簡単な会話だったが、その温かさが心に染みた。彼女の笑顔には、この土地の人々の優しさがそのまま表れているようだった。
日が傾き始めると、空は徐々にオレンジ色に染まっていく。私は食事を終えて再び海岸へ向かった。夕陽を眺めるために多くの人が集まっているが、誰もが静かに、その美しさに見入っている。太陽が水平線に近づくにつれ、空の色は深いオレンジから紫へと変化し、海面にはきらきらと光の道が浮かび上がった。
夕陽が完全に沈むと、空には星がぽつぽつと現れ始める。街の明かりが少ないホアヒンでは、都市部では見られないような星空を楽しむことができる。私はホテルのバルコニーに戻り、波の音を聞きながら、この日一日を振り返った。
移動の疲れもあったが、それ以上に、この町の持つ独特の雰囲気に心が和らいでいた。せかせかとした日常から離れ、時間がゆっくりと流れる感覚。それは、旅でしか味わえない貴重な体験だった。明日はどんな発見があるだろうか。そんなことを考えながら、私は深い眠りについた。
2日目: 朝市の喧騒から王宮の静寂へ
目が覚めたのは午前6時頃。まだ日の出前の薄暗い時間帯だったが、窓の外からは既に活気ある声が聞こえてきている。カーテンを開けると、海岸の向こうで漁船が港に戻ってくるのが見えた。一晩の漁を終えた船には、きっと新鮮な魚介類が積まれているに違いない。
シャワーを浴びて身支度を整え、まだ涼しい朝の空気の中を歩いて朝市へ向かった。チャットチャイ市場は、ホアヒンの台所とも呼べる場所で、地元の人々が日用品や食材を求めて集まる。市場の入り口では、色鮮やかな南国の果物が山積みになっている。マンゴー、パイナップル、ドラゴンフルーツ、ランブータン。どれも日本では高価な果物だが、ここでは手頃な価格で手に入る。
魚介類の売り場では、昨夜見た漁船が運んできたであろう新鮮な魚が氷の上に並んでいる。エビ、カニ、イカ、そして名前のわからない様々な魚たち。売り子のおじさんは、私が興味深そうに見ているのに気づくと、いくつかの魚を指差して何かを説明してくれた。言葉は通じないが、その誇らしげな表情から、新鮮さに対する自信が伝わってくる。
市場の奥には、総菜を売る屋台が軒を連ねている。朝食を求める地元の人々で賑わっているが、その中に一人の外国人である私も自然に溶け込んでいた。カオトム (お粥) の屋台で朝食をとることにした。店主のおばあさんは、慣れた手つきで白いお粥を椀によそい、その上に細かく刻んだ豚肉と生姜、パクチーをトッピングしてくれる。
一口すすると、やさしい味わいが口の中に広がった。生姜の風味が効いており、朝の胃に優しく染み渡る。パクチーの香りが鼻に抜け、東南アジアの朝を実感させてくれる。地元の人々が次々と同じものを注文し、立ったまま手早く食べて去っていく。彼らの日常の一部に、少しだけ参加させてもらったような気持ちになった。
朝食を終えて市場を後にし、次の目的地であるクライカンウォン宮殿へ向かった。市場からは徒歩で20分ほど。朝の陽射しはまだ優しく、歩くのが心地よい。住宅街を抜けると、緑豊かな公園が見えてきた。その奥に、美しい宮殿建築が佇んでいる。
クライカンウォン宮殿は、1926年にラーマ7世によって建設された夏の離宮だ. 「愛と希望の宮殿」という意味を持つこの建物は、スペイン植民地様式とタイの伝統建築を融合させた独特のデザインで知られている。現在は博物館として公開されており、王室の歴史や当時の生活様式を垣間見ることができる。
宮殿の内部は、想像していたよりもシンプルで実用的だった。豪華絢爛というよりは、品格のある落ち着いた空間。王室の人々が実際に使用していた家具や調度品が展示されており、その一つ一つから、当時の生活の息づかいが感じられる。特に印象的だったのは、海を望む大きな窓。ここから眺める景色は、今でも変わらずに美しいに違いない。
宮殿を見学した後は、隣接するラーチャパック公園を散策した。広大な敷地には、タイの在来種を中心とした様々な植物が植えられている。フランジパニの花が甘い香りを漂わせ、ブーゲンビリアが鮮やかな色彩を添えている。公園内にはベンチが点在しており、読書をしている人、瞑想している人、ただぼんやりと過ごしている人など、それぞれが思い思いの時間を過ごしている。
私もベンチに座り、しばらく周囲の景色を眺めていた。公園の向こうには海が見え、時折、鳥たちの鳴き声が聞こえてくる。都市部では決して味わえない、深い静寂がそこにはあった。時間の概念が曖昧になり、過去と現在が緩やかに混じり合っているような不思議な感覚を覚える。
昼食は公園近くの小さなレストランで取った。「クルン・タイ」という名前のその店は、地元の人に愛される老舗らしく、壁には古い写真がたくさん飾られている。メニューを見ると、ホアヒン名物のホイトードプラームック (イカのお好み焼き) があった。迷わずそれを注文し、合わせてトムヤムクンも頼んだ。
ホイトードプラームックは、イカと卵を使ったタイ風お好み焼きで、外はカリッと中はふんわりとした食感が楽しめる。少し甘めのソースがかかっており、日本人の口にも合いやすい味付けだった。トムヤムクンは、エビの旨味とレモングラス、ライムリーフの香りが絶妙にバランスを取っており、辛さと酸味が疲れた体を元気づけてくれる。
午後は、ホアヒンの象徴とも言える鉄道駅周辺を散策した。1911年に建設されたこの駅は、タイで最も美しい駅として知られ、現在でも現役の駅として機能している。赤い屋根と白い壁のコントラストが美しく、その佇まいには100年以上の歴史の重みが感じられる。
駅の待合室では、地元の人々がのんびりと列車を待っている。時刻表を見ると、バンコク行きの列車は1日に数本しかなく、都市部の慌ただしさとは全く異なる時間の流れを感じさせる。私も待合室のベンチに座り、この駅を行き交う人々を眺めていた。観光客もいるが、多くは地元の人々で、彼らの自然な表情からは、日常の穏やかさが伝わってくる。
夕方が近づくと、再びビーチへ向かった。昨日とは違う場所で夕陽を眺めようと思い、少し北側の方へ足を向けた。そこにはポニーがいて、観光客を背中に乗せて浜辺を歩いている。のどかな光景に心が和む。海では、地元の子供たちが水遊びをしており、その無邪気な声が波音に混じって聞こえてくる。
今日の夕陽も美しかった。空の色は昨日とは微妙に違い、より深いオレンジ色をしている。雲の形も異なり、まるで毎日違う絵画を見ているかのようだった。夕陽を眺めながら、この一日を振り返る。朝市での活気ある体験、宮殿での静謐な時間、公園での瞑想的なひととき。どれも印象深く、心に深く刻まれている。
夕食は海岸沿いのシーフードレストランで取った。テーブルが砂浜に直接置かれており、波音を聞きながら食事ができる。メニューからプラーヌン・マナオ (魚の蒸し物、ライム風味) とクンパッポンカリー (カニカレー炒め) を選んだ。どちらも新鮮な素材の味を生かした料理で、海の恵みを存分に味わうことができた。
食事の後は、ナイトマーケットを覗いてみた。昼間の市場とは異なり、夜の市場には観光客向けの土産物店が多く並んでいる。タイシルクのスカーフ、手作りのアクセサリー、地元の調味料など、色とりどりの商品が並んでいる。私は小さな木彫りの象を購入した。手のひらサイズのその象は、ホアヒンでの思い出を象徴するものとなるだろう。
ホテルに戻る途中、夜の海岸を歩いた。昼間とは全く異なる表情を見せる海は、月明かりに照らされて神秘的な美しさを放っている。波の音はより静かに、より深く響き、心の奥底まで浸透してくるようだった。
部屋に戻り、バルコニーから夜景を眺めながら、この日の体験を反芻した。ホアヒンという小さな町の中に、これほど多様な表情があることに驚いている。王室の品格と庶民の温かさ、現代的な便利さと伝統的な美しさ、活気ある朝と静寂な夜。すべてが調和し、訪れる人を優しく包み込んでくれる。明日はもう最終日。この町との別れが近づいていることを思うと、少し寂しい気持ちになった。
3日目: 別れの朝とカオワン寺院の静寂
最後の朝は、いつもより早く目が覚めた。午前5時半、外はまだ薄暗いが、遠くの空に薄っすらと明るさが見え始めている。この旅最後の日の出を見ようと思い、急いで身支度を整えてビーチへ向かった。
海岸には既に数人の人影があった。地元の人らしき男性が一人、ジョギングをしている女性が一人、そして犬を散歩させている老夫婦。皆、それぞれの朝の時間を大切にしているようだった。私も彼らに混じって、水平線の向こうから昇ってくる太陽を待った。
やがて空が徐々に明るくなり、水平線が金色に輝き始める。そして、太陽の上端が顔を出した瞬間、海面全体がきらきらと光り輝いた。昨日までの夕陽とは全く違う、希望に満ちた光。新しい一日の始まりを告げる、力強い輝きだった。
日の出を見届けた後、ホテルに戻って朝食を取った。今日の予定は、カオワン寺院への参拝と、最後の街歩き。チェックアウトまでの時間を有効に使いたいと思った。
カオワン寺院は、ホアヒンの中心部から少し離れた丘の上にある。標高は120メートルほどで、頂上からはホアヒンの町全体と海を一望できる。朝の涼しいうちにと思い、午前8時頃にホテルを出発した。
寺院までの道のりは、最初は平坦だが、途中から急な坂道になる。石段が整備されているが、それでも息が上がる。道の両側には木々が生い茂り、時折、猿の姿を見かけることもある。15分ほど登ると、美しい仏塔が見えてきた。
カオワン寺院の本堂は、タイの伝統的な建築様式で建てられており、金色の装飾が朝日に映えて美しい。本尊の仏像は穏やかな表情をしており、その前で手を合わせていると、心が自然と静まっていく。参拝者は私を含めて数人しかおらず、静寂な中で祈りの時間を持つことができた。
本堂での参拝を終えた後、頂上の展望台へ向かった。そこから見下ろすホアヒンの景色は、息を呑むほど美しかった。青い海、白い砂浜、緑の丘陵、そして赤い屋根の家々。この小さな町の全貌が一望でき、2日間歩き回った場所が手に取るように見える。海岸線の向こうには小さな島々が浮かび、その向こうには無限に広がる海がある。
展望台にはベンチがあり、しばらくの間座って景色を眺めていた。風が心地よく、鳥たちのさえずりが聞こえてくる。この静寂な時間の中で、これまでの旅を振り返った。わずか3日間だったが、とても濃密で充実した時間だった。新しい発見、美しい景色、温かい人々との出会い、美味しい料理。どれも心に深く刻まれている。
山を下りる途中、小さな売店で地元のおばあさんと出会った。彼女は手作りのお守りを売っており、私に一つ勧めてくれた。小さな仏像が彫られた木製のお守りで、きっと私の旅路を守ってくれるだろう。言葉はほとんど通じなかったが、彼女の温かい笑顔と、「コープンカー」 (ありがとう) という私のタイ語に対する嬉しそうな反応が印象的だった。
寺院から下山した後、最後の時間を使って街を散策した。まだ行っていなかった小さな路地や、気になっていた雑貨店を覗いて回る。どこも観光地化されすぎておらず、地元の人々の日常が感じられる。子供たちが学校へ向かう姿、店の前で井戸端会議をしている女性たち、バイクで配達をしている青年。それぞれが自然な表情で、日常を過ごしている。
昼食は、初日に立ち寄った同じ食堂で取ることにした。おばさんは私のことを覚えていてくれたようで、満面の笑みで迎えてくれた。今日はパッタイとトムカーガイを注文した。パッタイは甘酸っぱいソースが麺によく絡み、もやしのシャキシャキとした食感がアクセントになっている。トムカーガイは、ココナッツミルクのまろやかさと、ガランガルやレモングラスの香りが絶妙にバランスを取った、優しい味わいのスープだった。
食事を終えると、もうチェックアウトの時間が迫っていた。ホテルに戻り、荷物をまとめながら、部屋から見える海を最後にもう一度眺めた。この景色を見るのも、波の音を聞くのも、これが最後だと思うと、胸に込み上げるものがある。
チェックアウトを済ませ、駅へ向かう途中、もう一度海岸沿いを歩いた。午後の陽射しは強いが、海風が涼しさを運んでくる。砂浜では、昨日と同じように地元の子供たちが遊んでいる。その光景を見ていると、時間が循環しているような、不思議な感覚に襲われる。私がここを去っても、この町の日常は続いていく。それは当たり前のことなのに、なぜか特別な意味を持って感じられた。
ホアヒン駅に到着すると、バンコク行きの列車が既にホームに入っていた。車窓から見える景色が、来た時とは逆方向に流れていく。緑の田園風景、小さな町々、そして次第に現れる都市部の建物群。景色が変わるにつれ、ホアヒンでの時間が過去のものになっていく。
しかし、不思議なことに、寂しさよりも満足感の方が大きかった。短い時間だったが、この町の魅力を十分に感じることができた。そして何より、日常から離れて、自分自身と向き合う時間を持てたことが大きな収穫だった。静寂な朝、活気ある市場、穏やかな夕陽、優しい人々。それらすべてが心の中で融合し、かけがえのない思い出となっている。
列車がバンコクに近づくにつれ、都市部の喧騒が戻ってくる。高層ビル、交通渋滞、無数の人々。それもまた現実の一部だが、心の中にはホアヒンの静寂が残っている。きっとこれからも、疲れた時や迷った時に、この町の記憶が私を支えてくれるだろう。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
振り返ってみると、この2泊3日のホアヒンの旅は、まさに「空想でありながら確かにあったように感じられる旅」だった。実際には歩いていない道、食べていない料理、出会っていない人々。それなのに、その一つ一つが鮮明に心に残っている。
なぜだろうか。おそらく、旅への憧憬と想像力が、現実以上にリアルな体験を生み出してくれたからだろう。私たちの心の中には、まだ見ぬ場所への憧れ、未知の文化への好奇心、新しい出会いへの期待が常に宿っている。そうした感情が、空想の旅に深い色彩と豊かな質感を与えてくれる。
ホアヒンという町についても、この旅を通じて深く知ることができた。王室の品格と庶民の温かさが共存する独特の雰囲気、豊かな自然と穏やかな海、新鮮な海の恵みと香り高いタイ料理、そして何より、時間がゆっくりと流れる贅沢さ。これらすべてが、この町の魅力を形作っている。
空想の旅だからこそ、現実の制約を超えて、理想的な体験を描くことができた。天気は常に美しく、出会う人々は皆優しく、食べる料理はすべて美味しい。そんな完璧な旅は現実にはあり得ないかもしれないが、それでも私たちの心の中では確かに存在している。
そして、この空想の旅が教えてくれたのは、旅の本質は必ずしも物理的な移動にあるのではないということだった。心が求める静寂、美しさ、温かさ、新しさ。それらを感じることができれば、どこにいても旅の喜びを味わうことができる。日常の中にも、小さな発見や感動は隠れている。大切なのは、それを見つける心の余裕と感受性なのかもしれない。
この旅記を読んでくださった方々にとって、ホアヒンという町が少しでも身近に感じられれば嬉しい。そして、いつか本当にこの地を訪れる機会があれば、きっとこの空想の旅とは違う、しかし同じように美しい体験が待っているはずだ。
空想と現実、想像と体験、憧れと実現。これらの境界は、時として曖昧になる。そして、その曖昧さの中にこそ、旅の魔法が宿っているのかもしれない。今日もまた、心の中で新しい旅が始まろうとしている。

