はじめに: 千の丘の国への憧れ
アフリカ大陸の心臓部に位置するルワンダは、「千の丘の国 (Land of a Thousand Hills) 」と呼ばれる美しい内陸国だ。首都キガリは標高1,500メートルの高原に築かれ、赤道直下でありながら年間を通じて涼しく過ごしやすい気候に恵まれている。緑豊かな丘陵地帯が幾重にも重なり合う風景は、まさに自然が描いた水墨画のように美しい。
この国を語る上で避けては通れないのが、1994年のジェノサイドという深い傷跡だ。しかし、現在のルワンダは和解と復興の象徴として世界から注目を集めている。キガリは「アフリカで最もクリーンな都市」と称されるほど美しく整備され、女性の社会進出率も世界最高水準を誇る。コーヒーの産地としても名高く、近年は高品質なスペシャルティコーヒーの生産地として国際的な評価を得ている。
キニヤルワンダ語、英語、フランス語が公用語として使われ、多様な文化が融合する独特の魅力を持つこの国。伝統的なイントーレ (戦士の踊り) や、色鮮やかなウムシャナナ (女性の伝統衣装) 、そして何より人々の温かい笑顔が旅人を迎えてくれる。
1日目: 雲に包まれた丘陵の街への到着
キガリ国際空港に降り立った瞬間、予想していたアフリカのイメージとは全く違う風景が目に飛び込んできた。空港は清潔で現代的、職員の対応も丁寧で温かい。空港からキガリ市内へ向かうタクシーの窓から見える光景は、まるで絵画のように美しかった。緑の丘陵地帯に点在する赤い屋根の家々、そして遠くに霞む山並み。「千の丘」という表現が決して誇張ではないことを、この目で確かめることができた。
午前中に到着したものの、時差ボケもあってまずはホテルでひと休み。宿泊先はキガリ中心部の小さなブティックホテルで、ロビーには地元アーティストの絵画が飾られ、受付のスタッフが流暢な英語で街の見どころを教えてくれた。彼女の名前はグレース。笑顔がとても印象的で、「キガリは歩いて回れる街だから、ゆっくり散歩してみて」と勧めてくれた。
午後、ホテルから歩いて15分ほどの距離にあるキミサガラ市場を訪れた。市場に一歩足を踏み入れると、色とりどりの野菜や果物、香辛料の香りが鼻をくすぐる。トマト、キャベツ、バナナ、アボカド、そして見たことのない熱帯の果物まで、まさに自然の恵みが溢れていた。市場の女性たちは美しいウムシャナナを身にまとい、頭上に大きなかごを載せて優雅に歩いている。その姿は、まるで踊りを踊っているかのように美しかった。
ひとりの女性が流暢な英語で話しかけてくれた。彼女の名前はイモキュラ。「これはウジリ (キャッサバ) よ。ルワンダの主食のひとつなの」と、白い根菜を見せてくれる。「そしてこれがイニャマ・ンディジ (牛肉) を煮込むときに使うアマソース」。トマトベースの赤いソースは、見ているだけで食欲をそそる。彼女の説明を聞きながら、ルワンダの食文化の豊かさを感じた。
夕方、市場での買い物を終えてホテル近くの小さなレストラン「ヘブン」に向かった。店内は温かみのある照明に包まれ、壁には伝統的な楽器インゴマ (太鼓) が飾られている。メニューを見ると、「イビラハンガ」 (豆の煮込み) 、「ウムオケ」 (野菜の蒸し物) 、「イニャマ・ンディジ」 (牛肉の煮込み) など、昼間市場で教えてもらった料理の名前が並んでいる。
注文したのは、ルワンダの国民食とも言える「ウガリ」 (トウモロコシの粉で作った主食) と「イビラハンガ」、そしてルワンダビール「ムツィグ」。料理が運ばれてくると、その素朴でありながら深い味わいに驚いた。イビラハンガは豆の甘みと、香辛料の効いたトマトソースが絶妙にマッチしている。ウガリはほんのり甘く、どんな料理にも合う不思議な魅力がある。ムツィグビールは軽やかで、標高の高いキガリの夜風に涼しさを運んでくれた。
夜、ホテルのバルコニーから市内を見渡すと、丘陵地帯に散らばる街の灯りが星のように輝いている。遠くから聞こえてくるのは、夜の虫の声と、どこかで歌われている民謡だろうか。キニヤルワンダ語の美しい響きが、夜の静寂に溶けていく。この瞬間、私は確かにルワンダという国の鼓動を感じていた。
2日目: 記憶の重みと希望の光を辿る日
朝、ホテルの朝食で出されたルワンダコーヒーの香りで目が覚めた。この国のコーヒーは世界的にも評価が高く、その理由を一口飲んだだけで理解できた。酸味と甘みのバランスが絶妙で、高原特有の清涼感がある。フルーツもパパイヤ、マンゴー、パッションフルーツと、南国らしい豊かさに満ちていた。
午前中は、キガリ・ジェノサイド記念館を訪れることにした。重い足取りでタクシーに乗り、丘の上にある記念館へ向かう。1994年のルワンダ・ジェノサイドで亡くなった25万人以上の人々が眠るこの場所は、悲しみと希望が交錯する神聖な空間だった。
記念館の展示を見て回りながら、この国の人々が歩んできた道のりの重さを肌で感じた。写真や証言、遺品の数々は言葉では表現できない衝撃を与える。しかし同時に、和解と復興への力強い意志も感じ取ることができた。「Kwibuka (覚えている) 」という言葉が壁に刻まれている。忘れないこと、そして前に進むこと。その両方を大切にするルワンダの人々の強さに心を打たれた。
記念館の庭園には美しい花々が植えられ、平和を象徴する白いバラが風に揺れている。ここで出会った案内の男性ジャンは、静かな口調でこう話してくれた。「私たちは過去を忘れません。しかし憎しみではなく、愛と希望を選びました」。その言葉の重みと、彼の穏やかな表情が忘れられない。
午後は気持ちを切り替えて、キガリの現在の姿を見るために市内観光に出かけた。まず訪れたのは、カンドゥ文化村。ここではルワンダの伝統文化を体験することができる。色鮮やかなウムシャナナを身にまとった女性たちが、伝統的な「ウムシャギラレ」という歓迎の踊りを披露してくれた。太鼓のリズムに合わせて踊る彼女たちの動きは優雅で力強く、見ている私の心も自然とリズムを刻んでいた。
ここで実際にバスケット編みを体験させてもらった。「アガセケ」と呼ばれる伝統的なバスケットは、細い草を丁寧に編み上げて作る。指導してくれたのはマリーという名前の女性で、手先が器用でない私にも辛抱強く教えてくれる。「これは母から娘へ、代々受け継がれる技術なの」と誇らしげに話す彼女の手から生まれるバスケットは、まさに芸術品だった。
夕方、キガリ・シティ・タワーの展望台に上り、街を一望した。360度見渡す限り、緑の丘陵地帯が続いている。夕日に照らされた丘々は、黄金色から薄紫へと色を変えていく。この美しさに心奪われていると、隣にいた地元の青年が話しかけてくれた。彼の名前はエリック。大学で建築を学んでいるという。
「このキガリは私たちの誇りです」と彼は言った。「20年前には想像もできなかった美しい街になりました」。確かに、眼下に広がる街並みは整然としていて、緑豊か。プラスチック袋の使用が禁止されているため、街にゴミひとつ落ちていない。「私たちは『ウブワンガ』 (清潔さ) を大切にしているんです」とエリックが教えてくれた。
夜は、地元で評判のレストラン「The Hut」で夕食を取った。ここで注文したのは「イグフ」 (バナナを蒸したもの) と「インキコ」 (プランテン・バナナのシチュー) 、そして「ウブキ」 (蜂蜜酒) 。イグフは甘くて栄養満点、インキコは野菜とスパイスが効いた滋養に富む料理だった。ウブキは軽やかな甘さで、蜂蜜の自然な風味が口の中に広がる。
レストランでは生演奏も行われていて、伝統楽器のインゴマとイネンガ (ハープ) の音色が店内に響いていた。演奏者の男性が「イニャムボ」 (古典的な詩の朗読) を歌い始めると、店内の人々も静かに耳を傾けている。その光景を見ていると、ルワンダの人々の文化への深い愛情を感じることができた。
3日目: コーヒーの香りに包まれた別れの朝
最終日の朝は早起きして、キガリ郊外のコーヒー農園を訪れることにした。ホテルのフロントでグレースに相談すると、「ブファサトニ・コーヒー・カンパニー」という農園を紹介してくれた。「ここのコーヒーは世界でも有名なの。オーナーのエマニュエルさんがとても親切よ」と教えてくれる。
タクシーでキガリ中心部から30分ほど走ると、標高1,700メートルの丘陵地帯にコーヒー農園が現れた。赤い実をつけたコーヒーの木々が斜面を覆い、朝靄の中に幻想的な風景を作り出している。農園のオーナー、エマニュエルさんが温かく迎えてくれた。40代後半の穏やかな男性で、流暢な英語でコーヒー栽培について説明してくれる。
「ルワンダのコーヒーは標高の高さと、火山性土壌、そして適度な降雨量の恩恵を受けています」とエマニュエルさん。実際に農園を歩いてみると、コーヒーの木の間には別の作物も植えられている。「これはシェードツリー (日陰樹) システムです。バナナの木がコーヒーを直射日光から守り、土壌を豊かにしてくれるんです」。
コーヒーチェリーの収穫も体験させてもらった。赤く熟した実だけを選んで摘み取るのは意外に難しく、農園で働く女性たちの熟練した手つきに感心する。「良いコーヒーは愛情から生まれます」と、収穫を手伝ってくれたジョゼフィーヌさんが微笑んで言った。彼女の手は土と太陽に鍛えられ、でも指先はとても器用だった。
農園でのコーヒーテイスティングは忘れられない体験だった。採れたてのコーヒー豆を焙煎し、手挽きで丁寧に淹れてくれる。立ち上る湯気と香り、そして一口飲んだ時の複雑で豊かな味わい。フルーティーな酸味の後に来る甘みと、長い余韻。これまで飲んでいたコーヒーとは全く別の飲み物のようだった。
「このコーヒーは『千の丘の恵み』と呼んでいます」とエマニュエルさんが説明してくれる。「ルワンダの大地と、農民の心が育てた特別なコーヒーです」。確かに、一杯のコーヒーの中に、この国の自然と人々の想いが込められているのを感じることができた。
午後、キガリに戻ってから最後の街歩きを楽しんだ。キミサガラ市場で昨日出会ったイモキュラさんに挨拶し、お土産用のアガセケ (バスケット) を購入した。「日本でも使って」と、彼女が笑顔で手渡してくれたバスケットは、手作りの温もりに満ちていた。
午後の遅い時間に、ニャミランボ・ヒルという小高い丘に登った。ここからはキガリの街全体を見渡すことができる。夕日が西の空を染め始め、千の丘が静かに暮れていく。2日間過ごしたこの街が、丘陵の向こうに広がっている。赤い屋根の家々、緑豊かな庭園、整然とした道路。そして何より、この街で出会った人々の笑顔が心に浮かんでくる。
丘の上には小さなカフェがあり、最後のルワンダコーヒーを注文した。カフェの主人は年配の男性で、「ムラホ (こんにちは) 」と挨拶すると、嬉しそうに微笑んでくれた。彼は英語は話せなかったが、ジェスチャーと優しい表情で十分にコミュニケーションが取れた。言葉を超えた温かさがそこにはあった。
夜、空港へ向かうタクシーの中で振り返ると、キガリの街に明かりが灯り始めていた。短い滞在だったが、この国の美しさ、人々の強さ、そして希望に満ちた未来への歩みを肌で感じることができた。タクシーの運転手は最後に「ウラベヨ (さようなら) 」と言って手を振ってくれた。私も窓から手を振り返しながら、いつかまたこの千の丘の国を訪れたいと心から思った。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
この旅は私の想像の中で紡がれた物語だが、不思議なことに、まるで実際にルワンダの土を踏み、キガリの風を感じたかのような記憶として心に残っている。グレースの温かい笑顔、市場でのイモキュラさんとの会話、コーヒー農園での豊かな香り、そして夕日に染まる千の丘の美しさ。これらの体験は、想像によって生まれたものでありながら、確かに私の心に刻まれている。
旅とは、必ずしも肉体的な移動だけではないのかもしれない。心が動き、新しい世界に触れ、そこで出会った人々との交流を通じて自分自身を見つめ直す。そんな内なる旅もまた、真の旅なのではないだろうか。ルワンダという国の歴史と現在、自然の豊かさと人々の強さについて思いを巡らせることで、私は確かにこの美しい国を旅したのだ。
千の丘の国ルワンダ。それは想像の中の旅であったが、今でも私の心の中で、コーヒーの香りと共に美しく息づいている。