はじめに
ランサローテ島は、スペイン・カナリア諸島の最も東に位置する火山島である。この島の名前は、14世紀のジェノヴァ人航海士ランツェロット・マロチェロに由来するとされているが、地元の人々はこの土地を「ティマンファヤ」と呼んでいた。それは「燃える山」という意味だった。
18世紀から19世紀にかけて起こった大規模な火山噴火により、島の3分の1が溶岩に覆われた。しかしこの破壊的な出来事こそが、現在のランサローテ島の独特な美しさを生み出している。黒い溶岩台地に緑のブドウ畑が点在し、白い家々が火山灰の大地に映える風景は、まるで月面にいるような錯覚を起こさせる。
20世紀後半、この島は芸術家セサル・マンリケの手により、自然と芸術が調和した独特の観光地として生まれ変わった。彼の哲学「自然に対する攻撃ではなく、自然との調和」は、今もこの島の開発指針となっている。高い建物はなく、すべての建物は白く塗られ、緑か青の窓枠で統一されている。
大西洋の風が常に吹き抜けるこの島は、年間を通じて温暖で乾燥している。雨はほとんど降らず、植物は火山灰の中から生命力を見つけ出すように育っている。ここは地球でありながら、どこか別の惑星のような不思議な感覚に包まれる場所だった。
1日目: 月面着陸のような到着
アレシフェ空港に降り立った瞬間、乾いた風が頬を撫でていった。空港の建物も例外なく白く、青い窓枠が印象的だった。レンタカーのキーを受け取り、島の中心部へ向かう道すがら、車窓に広がる風景に息を呑んだ。黒い溶岩の大地に、まるで宝石のように散らばる白い家々。そして遠くに見える緑の円錐形の丘—それがこの島独特のブドウ畑だった。
午前中はまず宿泊先のホテルにチェックイン。プエルト・デル・カルメンの海岸沿いにある小さなホテルは、やはり真っ白な建物で、部屋のバルコニーからは大西洋が一望できた。荷物を置いて一息つくと、既に太陽は高く昇り、海面がきらきらと輝いている。
昼前、まずは島の象徴的な場所、ティマンファヤ国立公園へ向かった。入口で専用バスに乗り換え、「火星ツアー」と呼ばれる見学コースが始まる。バスが進むにつれ、風景は次第に現実離れしていく。赤茶色と黒の溶岩が作り出す奇怪な形状、まるで巨大な彫刻のような岩の塊。ガイドがスペイン語と英語で説明するが、この光景の前では言葉は無力に感じられた。
途中、バスが停車し、ガイドが地面に穴を掘って枯れ草を入れると、瞬時に煙が立ち上がった。地下わずか10センチのところで、温度は400度を超えているという。18世紀の火山噴火から300年近く経った今でも、この大地は生きているのだ。
午後は少し趣を変えて、ハリア地区の塩田へ足を向けた。ここは古くからの塩の産地で、海水を浅い池に引き込み、太陽の熱で蒸発させて塩を作る。四角い池が幾何学模様を描いて並び、その中に映る空の青さと、池の縁に積まれた真っ白な塩の山が、まるで抽象画のような美しさを作り出していた。
塩田の管理人は年配の男性で、スペイン語しか話さなかったが、身振り手振りで塩作りの工程を説明してくれた。「この塩は特別だ」と彼は胸を張った。確かに一粒口に含むと、ただの塩辛さではない、何か深い味わいがあった。彼は小さな袋に塩を入れて土産に持たせてくれた。
夕刻、プエルト・デル・カルメンの海岸通りを歩いた。観光客向けのレストランが並ぶが、地元の人が通うらしい小さなタパスバーに入ってみた。「カサ・ペドロ」という名前で、壁には古い漁船の写真が飾られている。
カウンターに座ると、店主のペドロが愛想よく迎えてくれた。彼の勧めで、この島名物の「パパス・アルガーダス」 (塩茹でジャガイモ) と「モホ・ベルデ」 (緑のソース) を注文した。小さなジャガイモを皮付きのまま海水で茹で、表面に塩の結晶を付けたもので、それにコリアンダーとニンニクで作った緑のソースをつけて食べる。シンプルながら、火山灰の大地で育ったジャガイモの味は、他では味わえない独特の甘みがあった。
「この島の料理はシンプルだが、それぞれに意味がある」とペドロは言った。「厳しい自然の中で、先祖たちが工夫して作り上げた味だ」。彼の話を聞きながら、地元産の白ワインを飲んだ。このワインも火山灰の土壌で育ったブドウから作られており、ミネラルの味が強く、どこか土の匂いがした。
夜、ホテルのバルコニーに出ると、空には無数の星が輝いていた。光害の少ないこの島では、天の川もはっきりと見える。波の音を聞きながら、今日一日で見た風景を反芻していた。火山の島、塩の池、そして素朴な料理。どれも日本では体験できない、この土地だけの記憶だった。
2日目: 芸術と自然が織りなす調和
朝、ホテルの朝食はシンプルながら、地元の食材を使ったものだった。火山灰で育ったトマトは小ぶりだが味が濃く、山羊のチーズは少し塩気が強い。パンにオリーブオイルをかけて食べるのが、この島の伝統的な朝食スタイルだった。
午前中は、セサル・マンリケが手がけた「ハメオス・デル・アグア」へ向かった。これは火山活動で形成された地下洞窟を利用したコンサートホールだ。入口から階段を降りていくと、次第に気温が下がり、地下深くに美しい湖が現れる。湖面は透明で、底には白い砂が敷かれている。そこに泳いでいるのは、目の見えない白いカニ。この洞窟だけに生息する固有種だった。
洞窟の奥には天然の音響効果を活かしたコンサートホールがあり、時折ここでクラシックコンサートが開かれるという。マンリケの天才的なセンスは、自然の美しさを壊すことなく、むしろその美しさを際立たせる空間を作り出していた。洞窟を出ると、上部に作られたカフェテラスから海を眺めることができる。白い建物、青い海、そして黒い溶岩海岸のコントラストが絵画のようだった。
続いて向かったのは「ミラドール・デル・リオ」。島の北端にある展望台で、これもマンリケの設計だ。断崖の上に建てられた白い建物は、まるで崖と一体化するように設計されている。展望台からは、対岸のラ・グラシオサ島が手に取るように見えた。
ラ・グラシオサ島は無人島で、白い砂浜と青い海だけの世界が広がっている。「グラシオサ」とは「優雅な」という意味で、その名の通り上品な美しさを湛えていた。展望台のカフェで地元のコーヒーを飲みながら、この風景を眺めていると、時間の感覚が薄れていく。
午後は島の内陸部、ラ・ヘリアのワイナリーを訪れた。ここは世界でも珍しい栽培方法で知られる。火山灰の大地にすり鉢状の穴を掘り、その中にブドウの木を植える。そして半円形の石垣で囲んで風よけとする。上空から見ると、緑の円が規則正しく並んだ幾何学模様を描いている。
ワイナリーの主人、カルロスに案内してもらいながらブドウ畑を歩いた。「この方法は300年前から続いている」と彼は説明した。「火山灰は水分を保ち、石垣が強い風からブドウを守る。厳しい環境だからこそ、ブドウは力強く育つ」。確かに、この過酷な環境で育ったブドウから作られるワインは、独特の個性を持っていた。
ワイナリーの試飲室で、マルヴァジア種の白ワインを味わった。辛口だが、どこか甘い香りがあり、火山性土壌特有のミネラル感が強い。「このワインは、ランサローテの大地そのものの味だ」とカルロスは誇らしげに言った。
夕方、ヤイサ村の小さな教会を訪れた。「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロス・レメディオス教会」は、18世紀の火山噴火の際、溶岩が教会の直前で止まったという奇跡で知られている。白い壁に緑の扉を持つ小さな教会だが、地元の人々の深い信仰を感じさせる静寂に満ちていた。
教会の隣にある小さなカフェで、地元のお年寄りたちがドミノをしながら談笑していた。言葉は通じなかったが、彼らの表情は穏やかで、この島の人々の暮らしぶりを垣間見ることができた。
夜は、アレシフェの旧市街を散歩した。細い石畳の道に古い建物が並び、バルコニーには花が飾られている。「チャルコ・デ・サン・ヒネス」という小さな湖の周りには、レストランやバーが軒を連ねていた。
その中の一軒、「レストラン・ラ・ロンハ」で夕食をとった。この店は元々魚市場だった建物を改装したもので、天井が高く、石造りの壁が印象的だった。メニューには新鮮な魚介類が並んでいる。店主の勧めで「ヴィエハ」という地元の魚のグリルを注文した。白身の魚で、シンプルに塩と地元のオリーブオイル、レモンで味付けされている。添えられたのは、またしても「パパス・アルガーダス」と今度は赤いソース「モホ・ロホ」だった。
食事をしながら、隣のテーブルの地元の家族を観察していた。三世代が一緒に食事をしており、子供たちは元気に走り回っている。祖父母は穏やかに笑い、両親は子供たちを優しく見守っている。言葉は分からなくても、家族の温かさは万国共通だった。
ホテルに戻る道すがら、海岸を歩いた。月明かりに照らされた波が、リズミカルに岸に打ち寄せている。今日一日で体験した様々な場面—地下洞窟の神秘、断崖からの絶景、火山灰のブドウ畑、素朴な教会、そして温かい人々との出会い。それらすべてが、この島の多面的な魅力を物語っていた。
3日目: 別れと発見の朝
最終日の朝は、いつもより早く目が覚めた。バルコニーから見る日の出は、大西洋の水平線から昇る太陽が空を橙色に染めていく美しい光景だった。今日でこの島ともお別れだと思うと、少し寂しい気持ちになった。
朝食後、最後の目的地である「クエバ・デ・ロス・ベルデス」へ向かった。これは全長約7キロメートルの巨大な溶岩洞窟で、かつて海賊の襲撃から島民が避難場所として使っていた場所だ。ガイド付きのツアーで洞窟内を歩いていくと、天然の音響効果で声が美しく響く。
洞窟の最奥部には、マンリケが設計した秘密の仕掛けがあった。それは目の錯覚を利用したもので、実際には浅い池なのに、深い地底湖に見えるというものだった。「自然と芸術の境界線はどこにあるのか」という彼の問いかけが、この仕掛けには込められているようだった。
洞窟を出ると、もう午前も遅い時間になっていた。空港へ向かう前に、もう一度プエルト・デル・カルメンの海岸通りを歩きたくなった。昨日の夜とは違い、日中の海岸は家族連れや散歩する人々で賑わっている。海は相変わらず美しい青色で、遠くに見える火山の山並みが独特の風景を作り出していた。
海岸の小さなカフェで最後のコーヒーを飲んだ。カフェの主人は中年の女性で、片言の英語で「島はどうだった?」と尋ねてきた。「美しかった、特別だった」と答えると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。「この島は小さいけれど、見る人の心に大きなものを残すの」と彼女は言った。
空港へ向かう道中、改めてこの島の風景を目に焼き付けようとした。黒い溶岩台地に点在する白い家々、風に揺れるヤシの木、そして地平線まで続く青い海。3日間という短い滞在だったが、この島は確実に私の中に何かを残していった。
アレシフェ空港で搭乗手続きを済ませながら、この旅で感じたことを整理していた。ランサローテ島は、破壊と創造、厳しい自然と人間の工夫、伝統と芸術が絶妙なバランスで共存している場所だった。そして何より、この島の人々の穏やかで温かい人柄が、旅の記憶を特別なものにしていた。
搭乗を待つ間、売店で島の絵葉書を買った。その中に、夜空に浮かぶ天の川を撮影したものがあった。初日の夜、ホテルのバルコニーから見上げた星空を思い出す。あの時感じた静寂と美しさは、きっと長く心に残るだろう。
飛行機が離陸し、窓の下に島の全景が見えた時、不思議な感覚に襲われた。まるで宇宙船で別の惑星から地球に帰還するような感覚だった。ランサローテ島は確かに地球上の場所だが、その独特の風景と文化は、日常とは全く異なる世界を体験させてくれる特別な場所だった。
最後に
この2泊3日のランサローテ島の旅は、私に多くのことを教えてくれた。自然の破壊的な力がいかに美しい創造につながりうるか、厳しい環境の中でも人々がいかに工夫して豊かな文化を築き上げるか、そして芸術と自然がいかに調和しうるかということを。
セサル・マンリケが遺した「自然との調和」という思想は、この島のあらゆる場所で息づいていた。白い建物群、火山灰のブドウ畑、溶岩洞窟のコンサートホール、そして何より、この島に住む人々の暮らし方そのものが、その思想を体現していた。
塩田の管理人、ワイナリーのカルロス、タパスバーのペドロ、カフェの女性主人—彼らとの短い交流の中にも、この島の人々が持つ誇りと温かさを感じることができた。言葉が完全に通じなくても、笑顔と身振りだけで心が通じ合う瞬間があった。それは旅の醍醐味の一つだろう。
火山の島、芸術の島、そして人情の島。ランサローテ島は多くの顔を持っているが、それらすべてが調和して一つの美しい世界を作り上げていた。この島で過ごした時間は、日常では味わえない特別な体験だった。
この旅は空想の産物である。しかし、ランサローテ島の風景、文化、料理、そしてそこに住む人々の営みは、すべて現実に存在するものだ。そしてこの旅の記録を書きながら、まるで本当にその土地を歩き、その空気を吸い、その食べ物を味わったかのような実感を覚える。空想でありながら、確かにあったように感じられる旅—それこそが想像力の持つ不思議な力なのかもしれない。
いつか本当にランサローテ島を訪れる日が来たら、この空想の旅と現実の体験がどのように重なり、どのように異なるのかを確かめてみたい。そしてきっと、その時もまた新しい発見と感動が待っているのだろう。