大西洋が抱く砂の楽園
サウスカロライナ州の北東部、大西洋に面して延びる黄金色の砂浜。マートルビーチは、その名の通り、かつてこの一帯に生い茂っていたワックスマートルという常緑低木にちなんで名付けられた。全長60マイルにおよぶグランドストランドと呼ばれる海岸線の中心に位置するこの町は、1900年代初頭に製材業の町として発展し、やがてアメリカ東海岸を代表するビーチリゾートへと変貌を遂げた。
この地域は、南部の温暖な気候に恵まれ、春から秋にかけては多くの観光客で賑わう。しかし冬の終わりから早春にかけては、潮風に乗って運ばれる穏やかな空気が町全体を包み込み、喧騒とは異なる落ち着いた表情を見せる。ゴルフコースが点在し、「ゴルフの首都」とも称されるこの地には、南部料理の伝統と新鮮なシーフードが融合した独特の食文化が息づいている。ローカントリー料理と呼ばれる、サウスカロライナ沿岸部の郷土料理は、ガンボやグリッツ、シュリンプ&グリッツといった料理に受け継がれている。
私がこの地を訪れることにしたのは、派手な観光地としてのマートルビーチではなく、潮騒と共に流れる時間の中で、何気ない日常の断片を拾い集めたいと思ったからだった。

1日目: 潮風に導かれて
マートル・ビーチ国際空港に降り立ったのは、午後2時を少し回った頃だった。小さな空港のターミナルを抜けると、3月下旬の柔らかな日差しが肌を撫でる。気温は摂氏18度ほど。レンタカーを借り、キングス・ハイウェイを南へ車を走らせた。道の両側には、パームツリーが点在し、ところどころにミニゴルフ場やシーフードレストランの看板が目に入る。オフシーズンのせいか、交通量は少なく、窓を開けると潮の香りが車内に流れ込んできた。
宿泊先は、ビーチフロントにある小さなホテル。チェックインを済ませて部屋に入ると、バルコニーから大西洋が一望できた。波は穏やかで、砂浜には散歩をする人影がまばらに見える。荷物を置き、そのままビーチへと向かった。
砂浜に足を踏み入れると、靴を脱いで裸足になった。砂は思ったより冷たく、足裏にざらりとした感触が心地よい。波打ち際まで歩き、寄せては返す波を眺めた。遠くで釣りをする老人が一人、膝まで海水に浸かりながら、じっと竿を握っている。その姿が、まるで風景の一部になっているようだった。
しばらく歩いてから、ブロードウェイ・アット・ザ・ビーチと呼ばれるエンターテインメント複合施設へ足を運んだ。レイク・ブロードウェイという人工湖を中心に、レストランやショップが並ぶエリアだ。観光地らしい華やかさはあるが、どこか懐かしいアメリカの遊園地のような雰囲気が漂っている。湖のほとりのベンチに座り、水面に映る夕暮れの空を眺めた。対岸では、家族連れが鴨に餌をやっている。子どもの笑い声が、静かな水面を渡ってくる。
夕食は、評判を聞いていた「シーキャプテンズハウス」というシーフードビュッフェレストランへ。1930年代から続くこの店は、地元の人々にも愛されている老舗だという。入口をくぐると、木の温もりを感じる内装と、どこか家庭的な空気が迎えてくれた。ビュッフェ台には、フライドシュリンプ、カニの脚、牡蠣のフライ、ハッシュパピー(コーンミールを揚げた南部の伝統料理)、コールスロー、マカロニ&チーズなど、南部らしい料理が並ぶ。
皿に少しずつ盛り、席に着いた。シュリンプは衣がサクサクと軽く、レモンを絞るとほのかな甘みが引き立つ。ハッシュパピーは外はカリッと、中はしっとりとした食感で、バターを塗って頬張ると、素朴な甘さが口の中に広がった。周囲を見渡すと、年配の夫婦や、三世代で訪れている家族の姿が多い。みな、ゆっくりとした時間を楽しんでいるようだった。
ホテルに戻ると、バルコニーに出て夜の海を見た。波音だけが規則正しく響き、遠くに漁船の灯りが小さく揺れている。初日の静けさが、心に染み入るようだった。
2日目: 海辺の記憶を辿る
朝は、ホテル近くの小さなカフェ「ペギーズ・パンケーキハウス」で迎えた。地元で長年愛されている朝食専門店で、朝7時にもかかわらず、すでに常連客で賑わっていた。メニューには、パンケーキ、ワッフル、オムレツ、ビスケット&グレイビーなど、アメリカの朝食の定番が並ぶ。私はブルーベリーパンケーキとベーコン、それにグリッツを注文した。
運ばれてきたパンケーキは、直径20センチほどの大きなもので、表面にはバターが溶け、メープルシロップがたっぷりとかかっている。一口食べると、ふわりとした生地の中にブルーベリーの酸味が広がり、シロップの甘さと絶妙に調和する。グリッツは、とうもろこしを挽いた粉を煮たもので、クリーミーな舌触りと素朴な風味がある。バターと塩を少し加えると、ベーコンの塩気とよく合った。
食後、ハンティントン・ビーチ州立公園へ向かった。マートルビーチから南へ車で約20分、静かな自然が残るエリアだ。公園内には、アタラヤ城という1930年代に建てられたムーア様式の邸宅跡がある。富豪の冬の別荘として建てられたこの城は、今は朽ち果てつつあるが、当時の優雅な暮らしの痕跡をとどめている。
城の周囲を歩くと、海風に晒された石壁に、蔦が絡みついている。窓枠の向こうには、大西洋が広がり、かつてここで暮らした人々も、同じ景色を見ていたのだろうかと想像した。建物の中は立ち入り禁止だが、外から覗くと、タイルの床や暖炉の跡が見える。時間が止まったような静寂の中で、歴史の重みを感じた。
公園のビーチを歩いた。ここは観光地のビーチとは異なり、人影はほとんどない。波に洗われた流木が砂浜に転がり、海鳥が時折、波間に降りてくる。足元には、小さな貝殻やシーグラスが散らばっている。しゃがんで拾い上げると、波に磨かれて角の取れた青い欠片が、手のひらに冷たく収まった。
午後は、ブルックグリーン・ガーデンズへ足を運んだ。マートルビーチの南、ムレルズ・インレット近くにある広大な庭園で、かつてのプランテーションの敷地を利用した場所だ。9,100エーカーにおよぶ敷地には、彫刻庭園、野生動物保護区、歴史的建造物が点在している。
入口を抜けると、樫の古木が天蓋のように枝を広げ、スパニッシュモスと呼ばれる銀灰色の植物が垂れ下がっている。南部特有の風景だ。庭園内には、アメリカの彫刻家たちの作品が配置され、緑の中に静かに佇んでいる。池のほとりには、ブロンズ像が立ち、水面に映るその姿が二重の存在感を放っていた。
野生動物保護区では、白尾鹿や野生の七面鳥、アリゲーターなどを観察できる。木道を歩いていると、沼地の中に目だけを出したアリゲーターの姿が見えた。動かずにじっとしているその様子は、まるで風景の一部のようで、自然の中での生き物の在り方を静かに教えてくれるようだった。
夕暮れ時、マーシュウォーク(Marshwalk)と呼ばれる、ムレルズ・インレットの入り江沿いに作られた木製の遊歩道を訪れた。ここには、シーフードレストランが立ち並び、入り江を眺めながら食事ができる。「クリーク・ラスカルズ」というカジュアルなレストランで、生牡蠣とシュリンプ&グリッツを注文した。
生牡蠣は、氷の上に並べられ、レモンとカクテルソースが添えられている。一つ口に含むと、海の塩気と、ほのかなミルキーな甘みが広がる。新鮮そのものだった。シュリンプ&グリッツは、ローカントリー料理の代表格だ。クリーミーなグリッツの上に、ガーリックとバターで炒めたエビがのり、アンドゥイユソーセージとベーコンが加わる。一口食べると、濃厚でありながら、どこか優しい味わいが口いっぱいに広がった。南部の食文化の奥深さを、改めて感じた。
デッキ席から入り江を眺めると、夕日が水面をオレンジ色に染めている。対岸の湿地帯では、白鷺が一羽、静かに佇んでいた。潮の満ち引きと共に変わる風景を、ぼんやりと眺めながら、この土地に流れる時間の穏やかさに身を委ねた。
3日目: 別れの朝、持ち帰る記憶
最終日の朝は、早起きして日の出を見に行くことにした。ホテルのバルコニーから見る海も美しいが、砂浜に立って迎える朝日を体験したかった。午前6時半、まだ薄暗い中、ビーチへ降りた。東の空が次第に明るくなり、水平線がオレンジ色に染まり始める。波音だけが静かに響く中、やがて太陽が顔を出した。
光が海面を照らし、波の一つひとつがきらきらと輝く。その光景を前に、言葉は不要だった。ただ、そこにいるだけで満たされるような感覚があった。ジョギングをする人、犬を連れて散歩する人が、ぽつりぽつりと通り過ぎていく。みな、それぞれの朝を静かに迎えている。
ホテルに戻り、簡単に朝食を済ませた後、チェックアウト前に最後の散策へ出かけた。マートルビーチ・ボードウォークを歩いた。約1.2マイルに渡って続く木製の遊歩道で、片側には大西洋、もう片側にはホテルやレストランが並ぶ。まだ観光客は少なく、清掃員が黙々と掃除をしている姿が見えた。
ボードウォーク沿いには、スカイホイールという観覧車がそびえ立っている。高さ約60メートル、ゴンドラは空調付きで、頂上からはグランドストランド全体を一望できるという。時間があれば乗りたかったが、今回は外から眺めるだけにした。朝日を浴びて白く輝くその姿は、どこか希望の象徴のようにも見えた。
ボードウォークの途中、「ザ・ボイリング・シーフード」という小さな店で、遅めの朝食代わりにローカントリー・ボイルをテイクアウトした。エビ、ソーセージ、とうもろこし、じゃがいもを、ケイジャンスパイスで茹でたもので、紙袋に入れて渡される。ベンチに座り、袋を開けると、スパイスの香りが立ち上る。熱々のエビを手で剥き、頬張る。スパイスの辛さと、エビの甘みが口の中で弾けた。とうもろこしもじゃがいもも、しっかりと味が染みている。手が汚れるのも気にせず、無心で食べた。
食べ終わり、手を拭いて、もう一度海を見た。3日間、この海を見続けた。同じ海なのに、時間帯や天気によって、まったく違う表情を見せてくれた。それは、旅そのもののようだと思った。同じ場所でも、自分の心の状態や、出会う人、食べるもの、天候によって、まったく異なる記憶として残る。
正午過ぎ、ホテルをチェックアウトし、空港へ向かった。車窓から見る景色は、到着時と同じはずなのに、どこか愛おしく感じられた。3日間という短い時間だったが、この土地は確かに私の中に何かを残していった。それは、派手な観光体験ではなく、潮風の匂いや、波音の記憶、南部料理の温かさ、人々の穏やかな暮らしぶりといった、小さな断片の集積だった。
空港でレンタカーを返却し、ターミナルへ入った。搭乗時間まで少し時間があったので、ギフトショップで小さなマグネットを一つ買った。「Myrtle Beach」と書かれたそれを手に取り、この旅の記憶を、いつか忘れないようにと思った。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
この旅は、実際には行われなかった旅である。しかし、書きながら、私は確かにマートルビーチの砂浜に立ち、潮風を感じ、シュリンプ&グリッツの温かさを味わった気がしている。それは、空想の力であり、同時に、言葉が持つ魔法でもある。
旅とは、必ずしも物理的な移動だけを指すのではない。心が動き、想像が広がり、知らない土地に思いを馳せることもまた、一つの旅の形だろう。マートルビーチという実在の場所を舞台に、私は架空の3日間を過ごした。その3日間は、現実には存在しないが、この文章を読んでくれた誰かの中で、もしかしたら少しだけ、輪郭を持ち始めるかもしれない。
空想の旅であっても、そこに込められた土地への敬意、文化への理解、人々の暮らしへの想像は、本物である。そしてそれは、いつか本当にその土地を訪れたときに、より豊かな体験をもたらしてくれるだろう。
サウスカロライナ州マートルビーチ。大西洋に面した、砂と潮風の町。そこには、確かに人々の営みがあり、歴史があり、風景がある。この空想旅行が、いつか誰かの本当の旅の、小さなきっかけになれば幸いである。

