童話が息づく街
デンマーク第三の都市オーゼンセ。フュン島の中心に位置するこの街は、世界的な童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの生誕地として知られている。人口約20万人のこの街には、中世から続く石畳の道、カラフルな木骨組みの家々、そして運河が織りなす穏やかな景観が広がる。
オーゼンセという名は「オーディンの聖域」を意味し、ヴァイキング時代にまで遡る古い歴史を持つ。街の中心部には、デンマーク最古級のサンクト・クヌーズ教会が威厳を保ち、旧市街にはアンデルセンが幼少期を過ごした黄色い小さな家が今も残されている。
産業革命期には造船業で栄え、現在は文化と教育の街として知られるオーゼンセ。南デンマーク大学のキャンパスがあり、若い世代の活気と伝統的な北欧の落ち着きが共存している。夏には白夜に近い長い日照時間があり、冬には早い夕暮れとともに街灯が灯る。どの季節も、この街には独特の時間の流れがある。
私がオーゼンセを訪れることにしたのは、童話の街という響きに惹かれたこともあるが、それ以上に「等身大のデンマーク」を感じたかったからだ。コペンハーゲンのような喧騒ではなく、もっと静かで、人々の暮らしが見える場所。そんな期待を胸に、私は初夏のオーゼンセへと向かった。

1日目: 石畳の記憶
コペンハーゲン中央駅から電車に揺られること約1時間半。車窓には緑豊かな田園風景が広がり、赤い屋根の農家が点在していた。デンマークの田舎は想像以上に平坦で、どこまでも続く麦畑と風力発電の白い風車が、まるで絵本のワンシーンのようだった。
オーゼンセ駅に降り立ったのは午前10時過ぎ。近代的な駅舎を出ると、すぐに旧市街への案内標識が目に入る。キャリーケースを引きながら石畳の道を歩くと、車輪の音が小気味よく響いた。
宿泊先はコンゲンス・ハーヴェ(王の庭園)近くの小さなホテル。チェックインには早い時間だったが、親切なフロントスタッフが荷物を預かってくれた。「アンデルセン博物館は見ましたか?」と流暢な英語で尋ねられる。まだですと答えると、「それなら今日のうちに。明日は月曜で少し混みますから」と微笑んだ。
身軽になった私は、まず街の中心部へと歩き出した。コンゲンス・ハーヴェは小さいながらも手入れの行き届いた庭園で、芝生ではランチを食べる人々が寛いでいた。隣接するオーゼンセ城は現在市庁舎として使われており、白い壁が初夏の陽光を反射している。
昼食はトーヴェット広場近くのカフェで。デンマークの伝統的なオープンサンドイッチ、スモーブローを注文した。ライ麦パンの上に、ニシンのマリネ、ゆで卵、赤玉ねぎが美しく盛り付けられている。一口食べると、酢の酸味とハーブの香りが口いっぱいに広がった。隣のテーブルではデンマーク語が飛び交い、笑い声が絶えない。観光地でありながら、地元の人々の生活が色濃く残る街なのだと実感する。
午後、アンデルセン博物館を訪れた。2021年に全面リニューアルされたこの博物館は、地下にも広がる迷路のような構造で、まるでアンデルセンの物語の中に迷い込んだような感覚になる。彼の生涯が丁寧に展示されており、貧しい靴屋の息子として生まれた少年が、いかにして世界的な作家になったのか、その足跡を辿ることができた。
特に印象的だったのは、アンデルセン自身の旅行記や日記が展示されているコーナーだ。彼は生涯に何度もヨーロッパ各地を旅し、その経験が物語の源泉となった。ガラスケースの中の手書きの原稿を見つめながら、旅することと物語を紡ぐことの深い関係に思いを馳せた。
博物館を出ると、すぐ隣にアンデルセンの生家がある。黄色い壁の小さな家は、今にも倒れそうなほど古く、内部は質素そのものだった。狭い部屋、低い天井。ここで少年は何を夢見ていたのだろう。窓から差し込む光の中で、彼は既に遠い世界を想像していたに違いない。
夕方、旧市街を散策した。オーヴァーゴーデと呼ばれるエリアには、16世紀から19世紀にかけての木骨組みの家が並んでいる。カラフルに塗られた壁、不揃いな窓、石畳に反射する夕日。時間がゆっくりと流れるような錯覚に陥る。路地裏の小さなギャラリーを覗くと、地元アーティストの作品が展示されていた。店主らしき女性が「どうぞ、ゆっくり見ていって」と声をかけてくれる。
夕食は川沿いのレストランで。オーゼンセ川にかかる橋のたもとにある店で、テラス席からは行き交う人々が見えた。注文したのは、デンマークの国民食ともいえるフリカデラ(肉団子)。豚肉とタマネギで作られた肉団子は、驚くほどジューシーで、茹でたジャガイモと甘酸っぱいビーツのピクルスが添えられていた。地元のビール、オーデンセ・ピルスナーを一緒に頼むと、ウェイターが「良い選択です」とウインクした。
食事を終えて外に出ると、夜9時を過ぎているのにまだ薄明るかった。北欧の夏の長い日照時間を実感する。川沿いを歩きながらホテルへ戻ると、街灯が一つ一つ灯り始めていた。部屋に戻り、窓から旧市街の屋根を眺める。赤やオレンジの屋根が重なり合い、その向こうにサンクト・クヌーズ教会の尖塔が見えた。明日はどんな一日になるだろう。期待と疲労が混ざり合いながら、深い眠りに落ちた。
2日目: 緑と歴史の交差点
朝、ホテルの朝食ビュッフェで目を奪われたのは、チーズとハムの種類の多さだった。デンマークパンも何種類もあり、迷った末にルーネというライ麦パンを選んだ。硬めの食感と独特の酸味が新鮮だ。デンマーク人は朝食を大切にすると聞いていたが、確かにこれだけ充実していれば一日のエネルギーが湧いてくる。
午前中は少し郊外へ足を伸ばすことにした。バスに乗って15分ほどの場所にあるフュン村野外博物館を訪れるためだ。この博物館は、フュン島各地から移築された18世紀から19世紀の農家や風車、鍛冶屋などが保存されている。
広大な敷地に点在する建物を巡りながら、当時の農村生活を垣間見ることができた。藁葺き屋根の農家の中には、実際に使われていた農具や家具が展示されており、暖炉の周りには木製のベンチ。この国の長い冬を、人々はどのように過ごしていたのだろう。
池の周りには鴨が泳ぎ、羊や鶏が放し飼いにされている。子どもたちが歓声を上げながら動物たちに近づいていく。ボランティアのガイドが伝統的なパン作りの実演をしており、焼きたてのパンの香りが風に乗って漂ってきた。試食させてもらうと、素朴な味わいの中に小麦の甘みが広がる。
「このパンは昔、週に一度しか焼けなかったんです」とガイドの老人が説明してくれた。「だから保存がきくように硬めに焼いたんですよ」。歴史は教科書の中だけにあるのではなく、こうして人々の営みの中に息づいているのだと感じた。
昼過ぎに市内へ戻り、サンクト・クヌーズ教会を訪れた。デンマーク王クヌーズ2世を記念して建てられたこの教会は、13世紀に完成したゴシック様式の建築物だ。内部に入ると、ひんやりとした空気と薄暗さに包まれる。ステンドグラスから差し込む光が、床に色とりどりの模様を描いていた。
祭壇の豪華な装飾、天井まで伸びる白い柱、そして静寂。観光客は数人いたが、皆小声で話し、足音を立てないように歩いている。私も自然と足取りが軽くなり、この空間の持つ荘厳さに敬意を払うように振る舞っていた。椅子に腰かけて天井を見上げると、幾何学的なアーチが美しい。何世紀もの間、どれだけ多くの人々がここで祈りを捧げたのだろう。
教会を出て、ブランツ・パサージュと呼ばれる商店街を歩いた。ガラス張りの屋根の下に、衣料品店、雑貨店、カフェが並んでいる。デンマークデザインの店を覗くと、シンプルで機能的な食器や家具が並んでいた。店員に「日本から来たんです」と伝えると、「デンマークデザインは日本でも人気だと聞いています」と嬉しそうに答えてくれた。
午後遅く、オーゼンセ港まで足を伸ばした。かつては造船業で栄えたこの港も、今では静かなマリーナに変わっている。ヨットが整然と並び、波が穏やかに揺れていた。港沿いのベンチに座り、ぼんやりと海を眺める。時折カモメが鳴き、遠くで子どもたちが遊ぶ声が聞こえる。何かをしなければという焦りもなく、ただその場にいることが心地よかった。
夕方、市場広場で週末マーケットが開かれているのを見つけた。地元の農家が野菜や果物、チーズを売っており、焼き菓子の屋台からは甘い香りが漂っている。イチゴを一パック買い、その場で一粒食べると、濃厚な甘みが口いっぱいに広がった。北欧の夏は短いが、その分、自然の恵みが凝縮されているようだ。
夕食はホテル近くの小さなビストロで。デンマーク風のローストポークを注文した。皮はパリパリに焼かれ、肉は柔らかくジューシー。付け合わせの赤キャベツの煮込みは、ほんのり甘く、肉の旨味を引き立てていた。隣のテーブルでは家族連れが誕生日を祝っており、ケーキが運ばれてくると皆で歌を歌った。デンマーク語の誕生日の歌は、どこか素朴で温かい響きだった。
ホテルに戻る途中、旧市街の路地を通った。夜10時を回っていたが、まだ完全には暗くなっていない。薄闇の中で、古い建物のシルエットが浮かび上がる。石畳に自分の足音だけが響き、まるで時間が止まったような静けさに包まれた。部屋に戻り、窓を開けて夜気を吸い込む。遠くで教会の鐘が鳴り、一日が終わろうとしていた。
3日目: 別れの朝に
最終日の朝は、いつもより早く目が覚めた。出発が午後なので、まだ時間に余裕がある。もう一度、静かな朝の旧市街を歩きたいと思った。
朝食を済ませ、7時過ぎにホテルを出た。日曜の朝、街はまだ眠っている。店のシャッターは閉まり、人影もまばらだ。オーヴァーゴーデの路地を歩くと、昨日とはまた違った表情が見えた。朝の光は柔らかく、建物の壁を優しく照らしている。窓辺に置かれた花、玄関先の自転車、郵便受けの名札。そんな日常の小さなディテールが、この街で暮らす人々の営みを物語っていた。
アンデルセン像の前で立ち止まった。ベンチに座る彼の姿は、今にも語りかけてきそうだ。この街で生まれ、貧困の中で育ち、それでも夢を諦めなかった一人の人間。彼の物語が今も世界中で読まれているのは、そこに普遍的な何かがあるからだろう。
オーゼンセ川沿いを歩いた。早朝のジョギングをする人、犬を散歩させる人。朝の儀式のように、それぞれが自分の時間を過ごしている。橋の上から川を見下ろすと、水面が朝日を反射してきらめいていた。鴨が列をなして泳ぎ、その後ろを小さな雛が懸命についていく。
9時頃、開いたばかりのベーカリーカフェを見つけた。ウィーナーブロー(デニッシュペストリー)とカフェラテを注文し、窓際の席に座る。ペストリーは驚くほど軽く、バターの風味が豊かだった。デニッシュペストリーの本場で食べる味は格別だ。カフェには次第に人が増え、新聞を読む人、友人と話し込む人、それぞれの日曜の朝が始まっていく。
午前中、最後にもう一度だけ立ち寄りたい場所があった。コンゲンス・ハーヴェだ。初日に訪れた庭園は、日曜の朝、家族連れや散歩する人々で賑わっていた。芝生にシートを広げてピクニックをする家族、木陰で本を読む人、キャッチボールをする親子。平和な光景が広がっている。
私もベンチに座り、しばらくその光景を眺めていた。2泊3日という短い滞在だったが、この街の空気を少しは吸い込めただろうか。観光名所を巡るだけではなく、人々の暮らしの傍らに身を置くことで、旅は深みを増すのだと感じた。
ホテルに戻り、チェックアウトの手続きを済ませる。「楽しめましたか?」とフロントスタッフが尋ねてきた。「素晴らしい街ですね」と答えると、「また来てください。次は違う季節も良いですよ」と笑顔で見送ってくれた。
駅へ向かう道、最後にもう一度だけ振り返った。赤い屋根が連なる旧市街、その向こうに見える教会の尖塔。この景色を忘れないように、心の中に焼き付ける。
オーゼンセ駅のホームで電車を待ちながら、手帳を開いた。この3日間で感じたこと、出会った人々、食べたもの、見た景色。断片的なメモを読み返すと、それぞれの瞬間が蘇ってくる。
電車が滑り込んできた。車内に乗り込み、席に座る。窓から見えるオーゼンセの街が、ゆっくりと遠ざかっていく。また来ることができるだろうか。それは分からない。でも、この街で過ごした時間は、確かに私の中に残り続けるだろう。
田園風景が広がり、風車が回る。コペンハーゲンへの帰路、私は目を閉じて、オーゼンセの石畳の感触を思い出していた。
空想の中の確かな記憶
この旅は、実際に私が経験したものではありません。すべては想像の中で紡がれた物語です。
けれども、オーゼンセという街は実在し、そこには本当に石畳の道があり、アンデルセンの生家があり、中世の教会がそびえ立っています。フュン村野外博物館も、オーゼンセ港も、コンゲンス・ハーヴェも、すべて実在する場所です。スモーブローもフリカデラも、デンマークの人々が日常的に食べている料理です。
AIが描いたこの旅は架空のものですが、そこに登場する場所、文化、食事、人々の暮らしは、可能な限り現実に即したものを描こうとしました。だからこそ、この旅行記を読んだ誰かが、いつか本当にオーゼンセを訪れたとき、「ああ、あの旅行記に書いてあったのはこれだったのか」と感じてもらえるかもしれません。
空想でありながら、確かにそこに存在するもの。それは童話作家アンデルセンが生涯をかけて追い求めたものでもあります。彼の物語も、現実には存在しない人魚や雪の女王を描きながら、その奥には普遍的な人間の感情が息づいていました。
旅とは、物理的な移動だけを意味するのではないかもしれません。想像の中で異国の地を訪れ、その街の空気を感じ、人々の暮らしに思いを馳せること。それもまた、一つの旅の形なのではないでしょうか。
この空想旅行が、いつかあなたの本当の旅の始まりになることを願って。

