世界の果てに残された古い魂
スコットランド本土の北端から僅か10キロメートル。ペントランド海峡の向こうに浮かぶオークニー諸島は、まるで時が止まったかのような静寂に包まれている。約70の島々からなるこの群島のうち、人が住むのは20ほど。そこには5000年前の新石器時代から連綿と続く人々の営みが、風化した石の中に息づいている。
オークニーという名前は、古ノルド語の「オルクネヤル (アザラシの島々) 」に由来するという。9世紀から15世紀まで、この地はヴァイキングたちの支配下にあり、彼らの文化と伝統が深く根を下ろした。一方で、それよりもはるか昔、紀元前3200年頃に築かれたスカラ・ブレイ遺跡は、古代人の生活を完璧に保存し、「スコットランドのポンペイ」と呼ばれている。
メインランド島を中心とした島々には、現在約22,000人が暮らしている。彼らの多くは農業や漁業、そして観光業に従事し、伝統的な暮らしを大切にしながら、穏やかな日々を送っている。島特有の強い風は風力発電に活用され、オークニーは再生可能エネルギーの先進地としても注目を集めている。
冬は長く厳しいが、夏になると白夜に近い明るさが続き、野生の花々が草原を彩る。ヒース (ヘザー) の紫、海鳥たちの白、そして限りなく広がる海の青。ここは自然と人間が長い時間をかけて築き上げた、静謐で美しい世界だった。

1日目: 海峡を越えて、時の島へ
朝6時半、カークウォールの港に向かうフェリーに乗るため、スコットランド北部のスクラブスター港にいた。10月の朝は冷たく、海風が頬を刺すように冷たい。手袋をはめた手でコーヒーカップを握りしめながら、ペントランド海峡の向こうに霞んで見える島影を見つめていた。
フェリー「MV ハマヴォー」は定刻通り出港した。乗客は思っていたより多く、地元の人々に混じって、私のような観光客の姿も見える。甲板に出ると、潮風が強く吹きつけ、髪が激しく舞った。海峡は思った以上に荒く、船は大きく揺れる。しかし、その揺れさえも、これから始まる旅への期待を高めてくれた。
1時間20分の航海を経て、カークウォール港に到着したのは午前8時過ぎ。港は小さく、どこか懐かしい漁村の佇まいを残している。予約していたB&B (ベッド・アンド・ブレックファスト) の主人、マーガレットさんが迎えに来てくれていた。60代半ばと思われる彼女は、温かい笑顔で「ウェルカム・トゥ・オークニー」と声をかけてくれた。
B&Bは港から車で10分ほどの小さな農場の一角にあった。石造りの古い建物は、18世紀に建てられたものだという。部屋は質素だが清潔で、窓からは牧草地と遠くに見える海が一望できた。荷物を置いてすぐ、マーガレットさんが入れてくれた紅茶を飲みながら、今日の予定を相談した。
「まずはカークウォール大聖堂を見てから、午後はスカラ・ブレイに行くのがいいわ」と彼女はアドバイスしてくれた。「でも急がずに、ゆっくりと島の空気を感じることが大切よ」。その言葉が、この島での過ごし方を教えてくれているようだった。
カークウォール大聖堂は、島の中心部にある赤砂岩造りの美しい建物だった。1137年に建設が始まったこの大聖堂は、ヴァイキングの聖王マグナスに捧げられている。内部は荘厳で、ステンドグラスから差し込む光が石の柱を幻想的に照らしていた。観光客は少なく、静寂の中で祈りを捧げる地元の人の姿があった。
大聖堂の隣にある司教宮殿の遺跡を散策していると、地元の老人に声をかけられた。「初めてオークニーに?」と流暢な英語で話しかけてくれた彼は、元教師のジョンさんだった。「この島の魅力は急いでは分からない。時間をかけて、風の音を聞いてみなさい」。そんな会話をしているうちに、昼の時間が近づいてきた。
昼食は大聖堂の近くにある小さなカフェ「ザ・レール」で取った。オークニー産のビーフシチューと、島で焼かれたというパンは素朴だが味わい深い。窓の外を見ると、石畳の道を地元の人々がゆっくりと歩いている。その光景は、時間の流れ方が本土とは違うことを実感させてくれた。
午後は車でスカラ・ブレイ遺跡に向かった。カークウォールから西海岸まで約20分のドライブは、起伏のある牧草地の中を縫って走る気持ちの良い道だった。羊たちが のんびりと草を食む姿や、石で作られた境界線が、この土地の長い歴史を物語っている。
スカラ・ブレイに到着した時、私は言葉を失った。5000年前の新石器時代の村落が、まるで昨日まで人が住んでいたかのように完璧に保存されているのだ。石で作られた家々、ベッド、棚、暖炉。当時の人々の生活が手に取るように分かる。風が遺跡の間を吹き抜けるたび、古代の人々の声が聞こえてくるような錯覚を覚えた。
ビジターセンターで学んだことによると、この村は砂嵐によって埋もれ、1850年の大嵐で再び姿を現したという。まさに時のカプセルのような奇跡だった。遺跡の説明をしてくれたガイドのエリンさんは、「ここに立つと、人間の営みの連続性を感じる」と話してくれた。確かに、5000年という時の隔たりが、この瞬間には意味を失っているように思えた。
夕方、B&Bに戻ると、マーガレットさんが夕食の準備をしてくれていた。新鮮なサーモン、島で採れたポテト、そして庭で育てた野菜のサラダ。シンプルだが、素材の味がしっかりと感じられる食事だった。
「オークニーの食べ物は飾らないの。でも、この土地と海が与えてくれるものには、どんな高級料理にも負けない豊かさがあるのよ」とマーガレットさんは語った。食後、居間でピートファイア (泥炭を燃やした暖炉) の前に座り、島の歴史について話を聞いた。戦時中の話、漁業で栄えた時代の話、そして現在の若者たちが島を離れていく現実について。
夜10時を過ぎても外はまだ薄明るく、部屋の窓から見える景色は神秘的だった。遠くで羊の鳴き声が聞こえ、風が屋根を撫でていく音が子守唄のように響いていた。ベッドに入りながら、今日一日で出会った人々の温かさと、この島の持つ不思議な力について考えていた。明日はどんな発見が待っているのだろうか。そんな期待を胸に、深い眠りについた。
2日目: 風と石が織りなす古代への扉
朝6時半、鳥のさえずりで目が覚めた。窓を開けると、澄んだ空気が部屋に流れ込んできた。昨夜降った雨のせいで、草原がより一層緑鮮やかに見える。マーガレットさんが用意してくれた朝食は、オークニー名物のキッパー (燻製ニシン) 、スクランブルエッグ、オートケーキという島の伝統的な組み合わせだった。
「今日はストロムネスの街を歩いてから、リング・オブ・ブロッガーとメスハウへ行くといい」とマーガレットさんがアドバイスしてくれた。「特にメスハウは、この時期なら人も少なくて、静かに古代の空気を感じられるはず」。
ストロムネスまでは車で約40分。途中、ロッホ・オブ・ハレイという美しい湖を通り過ぎた。湖面に映る雲の影がゆっくりと移ろいでいく様子は、まるで大地が呼吸をしているかのようだった。この島の自然は、決して派手ではないが、見る者の心に深く染み入る静かな美しさを持っている。
ストロムネスは カークウォールとは対照的な街だった。石畳の細い道が港まで続き、18世紀から19世紀にかけて建てられた商家の建物が軒を連ねている。かつてここは、北海とバルト海を結ぶ重要な貿易港として栄えた場所だった。今は静かな漁港だが、当時の繁栄の面影を建物の佇まいから感じることができる。
港を歩いていると、漁師のアンドリューさんに出会った。50代の彼は、代々この島で漁業を営む家系の出身だという。「最近は魚の種類も変わってきた。温暖化の影響かもしれない」と話しながら、網の手入れを続けていた。「でも、この海は俺たちの命だ。どんな変化があっても、付き合っていくしかない」。その言葉には、海と共に生きる人の強さと諦念が込められていた。
港近くの「ジュリア・カフェ」で昼食を取った。オークニー産のクラブケーキ (カニのコロッケ) とポテトスープは、海の恵みを存分に味わえる一品だった。カフェの窓からは港が一望でき、漁船が静かに揺れている様子を眺めながら食事を楽しんだ。
午後はいよいよリング・オブ・ブロッガーへ向かった。この新石器時代の環状列石は、世界遺産にも登録されている貴重な遺跡だ。ストロムネスから車で15分ほどの場所にある、小さな丘の上に佇んでいる。
車を降りて歩いて近づくと、その荘厳さに圧倒された。27個の巨大な石が直径104メートルの円を描いて立っている。最も高いものは4.7メートルもあり、4500年前の人々がどのようにしてこれらの石を運び、立てたのか想像もつかない。石の表面には長い年月の風雨が刻んだ模様があり、まるで古代文字のようにも見える。
環状列石の中央に立つと、不思議な感覚に包まれた。風の音が変わり、時間の流れが緩やかになったような錯覚を覚える。ここで古代の人々が何らかの儀式を行っていたのだろうか。星を観測していたのだろうか。答えは永遠に分からないが、この場所には確実に特別な力が宿っている。
リング・オブ・ブロッガーから歩いて5分の場所にあるブロッガー橋では、恋人同士が愛を誓う伝統があると聞いた。若いカップルが手を繋いで橋を渡っている姿を見て、この土地に根付く優しい風習に心が温まった。
最後の目的地、メスハウ遺跡には夕方近くに到着した。この5000年前の墓室は、スカラ・ブレイと同時期に作られたものだ。狭い通路を通って内部に入ると、精巧に積まれた石の技術に驚かされる。そして最も神秘的なのは、冬至の日にだけ、太陽の光が通路を通って奥の部屋まで差し込むという設計だった。
メスハウの内部は薄暗く、ひんやりとしていた。石の壁に手を当てると、5000年という時の重みを感じる。ここで古代の人々が死者を弔い、来世への旅立ちを祈ったのだろう。その営みは、現代の我々と何も変わらない、人間としての根源的な想いから生まれたものに違いない。
B&Bに戻る途中、夕日が西の海に沈んでいく光景に出会った。オークニーの夕日は、本土で見るそれとは違う、独特の美しさがある。海に浮かぶ小さな島々のシルエットが、まるで水墨画のように幻想的だった。
夕食はマーガレットさんお手製のラム肉のロースト。島で育った羊の肉は臭みがなく、柔らかくて美味しかった。「オークニーの羊は海風に当たって育つから、肉に独特の風味があるのよ」と説明してくれた。デザートのオークニー・ファッジ (キャラメル菓子) は、地元の名物だという。
食後、マーガレットさんの夫のデイビッドさんも加わって、島の音楽について話を聞いた。オークニーには独特のフィドル音楽があり、ヴァイキング時代から伝わる旋律も残っているという。デイビッドさんが古いフィドルを取り出して、短い曲を演奏してくれた。素朴で美しいメロディーが、暖炉の火に照らされた部屋に響いた。
「音楽は島の記憶なんだ。言葉では伝えられない想いを、メロディーに込めて次の世代に渡していく」とデイビッドさんは語った。その夜、ベッドに入っても、あの美しいフィドルの調べが頭から離れなかった。そして、今日一日で触れた古代の遺跡と現代の島民の生活が、不思議な調和を保っていることに気づいた。時は流れても、人間の本質的な部分は変わらないのかもしれない。
3日目: 別れの朝に刻まれた永遠の記憶
最後の朝は、これまでで最も美しい日の出から始まった。東の海から昇る太陽が、牧草地に長い影を落とし、遠くの島々を金色に染めている。昨日の雨が嘘のように、空は抜けるような青さだった。こんな美しい朝に島を離れなければならないのが、なんだか惜しく感じられた。
朝食の席で、マーガレットさんは最後の日の過ごし方についてアドバイスをくれた。「イタリアン教会堂とオールド・マン・オブ・ホイを見てから、午後の船で帰るのがいいわ。でも午前中だけでも、もう一度カークウォールの街を歩いてみて。きっと昨日とは違う発見があるはず」。
チェックアウト前に、B&Bの庭を散歩した。マーガレットさんが大切に育てている花壇には、島の厳しい気候に適応した花々が咲いている。「ここで花を育てるのは簡単じゃない。でも、だからこそ咲いた時の喜びは大きいの」と彼女は話してくれた。その言葉は、島の人々の生き方そのものを表しているように思えた。
カークウォールの街に戻る前に、イタリアン教会堂を訪れた。第二次世界大戦中、この島に抑留されていたイタリア人捕虜たちが建設した小さな教会だ。ニッセン小屋 (かまぼこ型の兵舎) を改造して作られたとは思えないほど美しく、内部の壁画や装飾は本格的なイタリア様式だった。
教会の前には、建設に携わったイタリア人たちの記念碑があった。故郷から遠く離れた島で、彼らは神への祈りと故郷への思いを込めて、この美しい教会を作り上げたのだ。戦争という悲劇的な状況の中でも、人間は美しいものを創造する力を失わない。その事実に深く感動した。
その後、島の西端にあるオールド・マン・オブ・ホイへ向かった。海岸から137メートルの高さでそびえ立つ砂岩の海蝕柱は、オークニーの象徴的な風景の一つだ。崖の上の展望台からその姿を見下ろすと、自然の造形美に息を呑んだ。
強い風が吹く断崖で、海鳥たちが舞い踊っている。フルマー、パフィン、ガネットなど、様々な鳥たちがこの厳しい環境を生きる場所としている。彼らの姿を見ていると、この島が野生動物にとっても貴重な sanctuary (聖域) であることが分かる。
カークウォールに戻ると、昨日は気づかなかった小さな路地や、地元の人だけが知っているような小さな店を発見した。アンティークショップでは、ヴァイキング時代の遺物のレプリカや、島の歴史を綴った古い書物を見ることができた。店主のおばあさんは、「この島の本当の宝物は、観光ガイドには載っていない」と微笑みながら教えてくれた。
昼食は港近くの「ザ・ショア」というレストランで、オークニー産のラム肉のパイを食べた。島での最後の食事にふさわしい、心のこもった料理だった。サクサクのパイ生地の中に、柔らかく煮込まれたラム肉と野菜がぎっしりと詰まっている。一口ごとに、この島の大地の味がしたような気がした。
午後2時、港でマーガレットさんとお別れをした。「またいつでも帰ってきなさい。オークニーはあなたを覚えているから」という彼女の言葉が胸に深く響いた。短い滞在だったが、彼女とデイビッドさんには本当の家族のような温かさで迎えてもらった。
フェリー「MV ハマヴォー」が港を離れると、オークニーの島影がゆっくりと小さくなっていった。甲板に立って振り返ると、訪れた遺跡や出会った人々の顔が蘇ってきた。2泊3日という短い時間だったが、この島は私の心に深い印象を刻み込んでいった。
海峡の真ん中で、360度を海に囲まれた時、ふと思った。オークニー諸島は確かに地理的には辺境の地かもしれない。しかし、ここには人類の記憶の源流がある。5000年前の人々の営み、ヴァイキングたちの勇気、戦時中のイタリア人の祈り、そして現在の島民たちの穏やかな日常。すべてが重なり合って、この島独特の魅力を作り出している。
スクラブスター港に着いた時、私はもう以前の自分とは違っていた。オークニーの風と石と海が、私の心の中に新しい部屋を作ってくれたような気がした。これから本土に戻り、日常生活に戻っても、あの島の記憶は私の中で静かに息づき続けるだろう。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
この旅は、私の想像の中で紡がれた空想の記録だった。実際にオークニー諸島の土を踏むことも、マーガレットさんやデイビッドさんと出会うことも、古代遺跡の石に触れることもなかった。しかし、不思議なことに、この旅の記憶は私の心の中に確かに存在している。
オークニーの朝の澄んだ空気、スカラ・ブレイの石組みの精巧さ、メスハウの神秘的な薄闇、リング・オブ・ブロッガーで感じた古代への畏敬、そして島の人々の温かい笑顔。これらすべてが、頭の中だけの体験でありながら、実際の記憶として心に刻まれている。
空想の旅が持つ不思議な力は、現実の制約を超えて、その土地の本質に触れることができることかもしれない。時間やお金、物理的な距離といった障壁を越えて、私たちは想像力によって世界中のどこへでも旅することができる。そして、その体験は決して「偽物」ではなく、心に与える影響においては現実の旅と変わらない価値を持っている。
オークニー諸島という、風と石と海に囲まれた島々で過ごした架空の3日間は、私に多くのことを教えてくれた。人間の営みの連続性、自然との調和の大切さ、シンプルな生活の中にある豊かさ、そして見知らぬ人への素直な優しさ。これらの学びは、空想の中の体験であっても、確実に私の人生を豊かにしてくれた。
いつか本当にオークニー諸島を訪れる日が来るかもしれない。その時、この空想の旅で出会った景色や人々と、現実の島がどのように重なり合うのか、とても興味深い。きっと想像とは違う部分もあるだろうが、この島が持つ本質的な魅力は、空想の中で感じたものと変わらないのではないだろうか。
旅は、移動することだけではない。新しい世界に心を開き、異なる文化や自然、人々との出会いを通じて、自分自身の内側を豊かにしていくことなのだ。その意味において、この空想のオークニー諸島への旅は、間違いなく私にとって本物の旅だった。
風の音が今も耳に残っている。5000年前の石の記憶が、今も心の奥で静かに響いている。オークニー諸島という、空想でありながら確かに存在する島への旅は、これからも私の中で続いていくだろう。

