南インドの小さな宝石
パナジ。インドの最小州ゴアの州都でありながら、どこか懐かしい静寂を湛えた街。かつてポルトガル領として栄えた歴史が、今なお街の隅々に息づいている。マンドヴィ川がアラビア海へと注ぐ河口に位置するこの街は、インドでありながらインドらしからぬ、独特の時間が流れる場所だった。
赤瓦の屋根とパステルカラーの壁。石畳の小径に響く足音。ヤシの木陰で昼寝をする猫たち。ここは確かにインドでありながら、どこか地中海の港町を思わせる風情がある。16世紀から450年間続いたポルトガル統治の名残が、建築様式から食文化、人々の佇まいに至るまで、この街を特別な存在にしているのだ。
アラビア海からの潮風が運んでくる塩の香り。フェニ酒の甘い香り。カレーリーフとココナッツオイルが混じり合う、南インド特有の芳香。そして時折聞こえてくるポルトガル語とコンカニ語、ヒンディー語が混じり合う会話の調べ。この2泊3日の旅で、私はこの小さな宝石のような街の魅力を、ゆっくりと味わってみたいと思っていた。

1日目: 古き良き時代への扉
朝の光がゴア国際空港のターミナルを照らす中、私はパナジへと向かうタクシーに乗り込んだ。運転手のラメシュさんは気さくな中年男性で、流暢な英語で街の歴史を語ってくれた。「パナジは小さな街だが、心は大きいよ」という彼の言葉が、この旅の始まりにふさわしい響きを持っていた。
40分ほどの道のりで、風景は次第に変化していく。ヤシの木々がより密になり、赤土の道沿いには白い教会の尖塔が見え隠れする。そして川沿いに現れたパナジの街並みは、まさに絵本から抜け出したような美しさだった。
午前中は、まず宿泊先のポルトガル風ゲストハウス「カーサ・ブランカ」にチェックインした。築100年を超える建物を改装したこの宿は、アズレージョ (ポルトガルタイル) で装飾された階段と、中庭のブーゲンビリアが印象的だった。部屋の窓からはマンドヴィ川が望め、対岸のベトゥル島がゆったりとした午前の光の中に浮かんでいる。
荷物を置いて、早速街歩きに出かけた。まず向かったのは旧市街のフォンテーニャス地区。石畳の狭い路地を歩いていると、まるで時間が逆戻りしたような感覚に陥る。パステルブルーの壁の家、深紅の瓦屋根、木製のバルコニーから垂れ下がる洗濯物。そのすべてが、この街の日常の美しさを物語っていた。
午後は、パナジのシンボルでもあるボン・ジェズス教会を訪れた。16世紀に建てられたこの教会は、ユネスコ世界遺産にも登録されている。一歩足を踏み入れると、ひんやりとした石の床と、天井から差し込む柔らかな光が迎えてくれる。祭壇の前では、地元の人々が静かに祈りを捧げていた。観光客である私も、自然と手を合わせてしまう。そんな神聖な空気が流れていた。
教会の近くにある聖フランシス・ザビエル聖堂も見学した。東洋への布教に生涯を捧げたザビエルの遺体が安置されているこの場所では、彼の足跡を辿る巡礼者たちの姿があった。宗教や国籍を超えて、人々がこの場所に特別な思いを抱いている様子が印象深かった。
夕方近くになると、マンドヴィ川沿いのプロムナードを散策した。川幅は思いのほか広く、対岸の緑がまるで一枚の絵画のように美しい。釣り人たちが夕日に向かって糸を垂らし、子どもたちが石段で水遊びをしている。この何気ない日常の風景が、旅人の心を温かくしてくれる。
夜は、地元の人に教えてもらった小さなレストラン「ティア・マリア」で夕食をとった。ここの名物は、ゴア風カレーの「ザケン」と「ソルポテル」。ザケンは鶏肉をココナッツミルクとスパイスで煮込んだ料理で、ポルトガルの影響を受けた優しい味わい。ソルポテルは豚肉の内臓を使った伝統料理で、酸味と辛味のバランスが絶妙だった。地元産のフェニ酒も試してみたが、カシューナッツから作られるこの酒は、最初はきつく感じたものの、慣れてくると独特の甘みが心地よかった。
レストランの店主カルロスさんは、60代の温厚な男性だった。「ゴアの料理は、インドとポルトガルが結婚してできた子どものようなものさ」と笑いながら話してくれた。その言葉通り、この土地の料理には両文化の良いところが見事に融合されている。
宿に戻る途中、街の夜景を楽しんだ。昼間とは違った表情を見せる石畳の道。街灯に照らされた教会の尖塔。窓から漏れる家庭の明かり。パナジの夜は、決して華やかではないが、どこか心に沿うような静けさがあった。部屋のベッドに横になりながら、明日への期待を胸に眠りについた。
2日目: 自然と文化の調べ
朝は、宿の中庭でとった朝食から始まった。ポルトガル風のパンケーキ「サンナス」に、濃厚なバターとハチミツをたっぷりつけて。コーヒーは地元のアラビカ豆を使った深い味わいで、南インドの朝の空気とよく合っていた。中庭のブーゲンビリアは朝露に濡れて、紫色の花びらが朝陽に輝いている。
午前中は、パナジから車で30分ほどのスピック・アンド・スパン島へ足を延ばした。この小さな島は、かつてポルトガル総督の別荘地として使われていた場所で、今は静かな自然保護区となっている。フェリーで向かう途中、マンドヴィ川の中流域の美しい景色を楽しんだ。川岸にはマングローブの森が広がり、白いサギたちが優雅に舞っている。
島に着くと、まるで別世界に迷い込んだような感覚になった。ヤシの木々が作る緑のトンネルを抜けると、小さな入り江が現れる。水は驚くほど透明で、底まで見通せるほどだった。ここで地元のガイド、プラディープさんと合流した。彼は生まれも育ちもゴアで、この土地の自然について熱く語ってくれる。
「この島には、まだポルトガル時代の遺跡が残っているんだ」と彼が案内してくれたのは、蔦に覆われた石造りの建物の跡だった。かつての別荘の基礎部分が、今は自然と一体化している。時の流れの不思議さを感じずにはいられない光景だった。
島の奥には小さな漁村があり、そこで昼食をいただいた。漁師のアントニオさんとその家族が経営する家庭的な食堂で、その日の朝に獲れたばかりのキングフィッシュのカレーを味わった。ココナッツオイルで炒めた玉ねぎとトマト、そこにコリアンダーとクミンを効かせたシンプルながら深い味わい。新鮮な魚の甘みが、スパイスと見事に調和している。
アントニオさんの奥さんマリアさんは、食事の合間に島の昔話を聞かせてくれた。「昔はもっと多くの人が住んでいたけれど、若い人たちは街に出て行ってしまった」と少し寂しそうに話す。でも、「この静けさも悪くない」と微笑む彼女の表情には、この土地への深い愛情が表れていた。
午後は再びパナジに戻り、今度は街の文化的な側面を探訪した。ゴア州立博物館では、この地域の複雑な歴史を学んだ。先住民の文化、ムスリム支配時代、そしてポルトガル統治時代。それぞれの時代の遺物が、この土地の多層的なアイデンティティを物語っている。
特に印象深かったのは、ポルトガル時代の宗教画のコレクションだった。ヨーロッパの技法で描かれた聖人の絵に、インドの色彩感覚が微妙に混じり合っている。文化の融合とは、このようにして生まれるものなのかもしれない。
博物館の後は、ラテン・クォーターと呼ばれる地区を散策した。ここには今でもポルトガル系の住民が多く住んでおり、街角でポルトガル語の会話を耳にすることがある。古い洋風建築の家々は丁寧に手入れされており、住民たちの誇りが感じられる。
小さなカフェ「カフェ・モンバサ」で午後のコーヒータイムを過ごした。ここの名物は「ベベンカ」という伝統的なスイーツ。ココナッツとジャガリー (ヤシ砂糖) で作ったこの菓子は、素朴ながら奥深い甘さがある。カフェの女性店主ローザさんは、「これは私の祖母から受け継いだレシピよ」と誇らしげに話してくれた。
夕方は、サンセットクルーズに参加した。マンドヴィ川をゆっくりと下り、アラビア海へと向かう。船上では、ゴアの伝統音楽ライブが行われていた。コンカニ語の歌詞とポルトガル風のメロディーが混じり合う音楽は、この土地の文化的混交を象徴するようだった。
太陽がアラビア海に沈んでいく光景は、言葉では表現しきれない美しさだった。オレンジからピンク、そして深い紫へと変わっていく空の色。それが川面に映り込んで、世界全体が幻想的な色彩に包まれる。船上の人々は皆、言葉少なになってその瞬間を見つめていた。
夜は、地元の友人カルロスさんに紹介してもらったフェスタ (祭り) に参加した。その日はたまたま聖ヨハネ祭の前夜祭で、街の広場では音楽と踊りの輪ができていた。年齢や国籍に関係なく、みんなが手をつないで踊る光景は、この土地の包容力を表しているようだった。私も輪に加わり、見よう見まねで伝統的なステップを踏んでみた。うまくはできなかったが、周りの人たちは温かく迎えてくれた。
祭りの後は、屋台で軽い夜食をとった。「チョリソ・パン」というポルトガル風ソーセージのサンドイッチは、スパイシーながらマイルドな味わい。「プルアオ」というゴア風炊き込みご飯も、バスマティ米の香りとスパイスのハーモニーが絶妙だった。
宿に戻る頃には、心地よい疲労感とともに、この土地への親しみが深まっていた。今日一日で、パナジという街が単なる観光地ではなく、人々の生活が息づく場所であることを実感した。
3日目: 別れの朝と新たな始まり
最後の朝は、少し早めに目を覚ました。窓から見える景色をもう一度心に焼き付けておきたくて、しばらくベッドの中で川の流れを眺めていた。マンドヴィ川は今朝も変わらず静かに流れている。対岸では漁師たちが小舟で出漁の準備をしており、その光景はまるで時が止まったかのような静寂に包まれていた。
朝食は、宿の屋上テラスでとった。ここからはパナジの街並みが一望できる。赤い瓦屋根が連なる向こうに、教会の白い壁と尖塔が朝陽に映えている。遠くにはアラビア海が見え、その向こうには無限の水平線が広がっている。ポルトガル風のトーストと現地のマンゴージャムを味わいながら、この3日間の記憶を反芻していた。
午前中は、まだ訪れていなかった聖カエタン教会へ向かった。この教会は、ローマのサン・ピエトロ大聖堂をモデルに建てられたとされ、その壮麗な外観は確かにヨーロッパの大聖堂を思わせる。しかし、内部に一歩足を踏み入れると、そこには間違いなくインドの空気が流れている。祈りを捧げる人々の表情、線香の香り、そして窓から差し込む南国の強い陽射し。西洋の建築様式の中に、確かにインドの魂が宿っているのを感じた。
教会の隣にある小さな墓地も興味深い場所だった。ポルトガル風の十字架とインド風の装飾が混在する墓石たちは、この土地の複雑な歴史を物語っている。古いものでは400年以上前のものもあり、その中にはポルトガル人とインド人の混血家族の墓もあった。文化の融合は、決して表面的なものではなく、人々の生活や家族の中で何世代にもわたって育まれてきたものなのだと実感した。
教会からの帰り道、小さな市場を覗いてみた。「マルカド」と呼ばれるこの市場では、地元の人々が日常の買い物をしている。新鮮な魚、色とりどりの野菜、スパイス、そして手作りの日用品。商人たちの呼び声がコンカニ語、ヒンディー語、ポルトガル語で飛び交い、この街の多言語的な環境を改めて感じさせてくれる。
一軒の香辛料店で、店主のマヌエルさんと話をした。「私の家族は5代前からこの商売をしている」と彼は誇らしげに語る。「スパイスは文化の架け橋だよ。ポルトガル人が持ち込んだものと、昔からここにあったものが混じり合って、新しい味を生み出している」。彼の言葉には、この土地の商人としての誇りと、文化的融合への深い理解が込められていた。
昼食は、川沿いのレストラン「リバーサイド」でとった。ここの「フィッシュ・カルデイラーダ」は、ポルトガル系移民が伝えた魚のシチューをゴア風にアレンジしたもので、ココナッツミルクとタマリンドの酸味が効いた優しい味わいだった。窓から見える川の流れを眺めながら、ゆっくりと時間をかけて味わった。
午後は、最後にもう一度旧市街を歩いた。今度は急がず、本当にゆっくりと。石畳の道に足音を響かせながら、色とりどりの家々の前を通り過ぎる。バルコニーから顔を出すおばあさんと目が合って、手を振り合う。道端で遊ぶ子どもたちが「ハロー」と声をかけてくれる。そんな小さな交流の一つひとつが、旅の記憶として心に刻まれていく。
ひとつの古い家の前で足を止めた。そこは今は無人になっているようだったが、美しいアズレージョのタイルで装飾された玄関や、手の込んだ木製のバルコニーは、かつてここに住んでいた人々の生活への愛情を物語っている。家は住む人がいなくなっても、その美しさを保ち続けている。時間の経過は必ずしも劣化を意味するのではなく、時として独特の趣を生み出すものなのだと感じた。
夕方近くになって、いよいよ空港へ向かう時間が近づいてきた。チェックアウトの際、宿の女将さんが「また戻ってきてくださいね」と温かく見送ってくれた。「パナジはそう簡単には忘れられない街ですから」という彼女の言葉に、深くうなずいた。
空港へ向かうタクシーの中で、運転手のラメシュさんが「どうでしたか、パナジは?」と尋ねてくれた。「美しい街でした」と答えながら、その言葉だけでは表現しきれない何かがあることを感じていた。美しさだけではない。この土地には、異なる文化が対立することなく共存している稀有な例がある。それは決して偶然ではなく、長い時間をかけて築かれた人々の知恵と寛容性の結果なのだろう。
空港で搭乗を待つ間、この3日間を振り返ってみた。パナジで出会った人々の顔が次々と思い浮かぶ。カルロスさんの人懐っこい笑顔、マリアさんの温かい眼差し、プラディープさんの自然への愛情、ローザさんの誇らしげな表情。彼らは皆、この土地に根ざして生活している人々であり、同時にその土地の文化を体現している存在でもあった。
窓から見える夕陽が、再びアラビア海に沈んでいく。明日には私は日常の生活に戻るだろう。しかし、パナジで過ごした時間は、確実に私の中に新しい視点をもたらしてくれた。異文化の共存とは、決して理論的なものではなく、日々の生活の中で実現されるものなのだということ。そして、美しさとは、完璧さの中にあるのではなく、異なるものが自然に混じり合った時に生まれるものなのだということ。
搭乗アナウンスが流れる中、私は心の中でパナジに別れを告げた。「ありがとう、パナジ。また必ず戻ってきます」。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
この旅路は架空のものである。私は実際にはパナジを訪れていない。しかし、文字を追い、想像力を働かせながらこの街を歩いた2泊3日は、不思議なほど鮮明な記憶として心に残っている。
空想の旅であっても、その土地の文化や歴史、人々の営みについて深く考え、感じることで、実際の体験に近い何かを得ることができるのではないだろうか。パナジという街が持つ文化的多様性と寛容性、自然の美しさと人々の温かさは、実在するものであり、いつかきっと実際に体験してみたいと思わせてくれる。
空想でありながら確かにあったように感じられる旅。それは、心の中で育まれた新しい世界への扉を開いてくれる。実際の旅に出ることができない時でも、想像力という翼を使って、遠い土地の風を感じ、異なる文化の息吹に触れることができる。そしてそれは、いつか実現する本当の旅への準備でもあるのだろう。
パナジの石畳を歩く足音、マンドヴィ川を渡る風、フェニ酒の香り、教会の鐘の音。これらすべては今も心の中で生き続けている。空想という名の、もうひとつの現実として。

