はじめに: 三つの川が出会う街
パッサウ。この名前を口にするだけで、なぜか胸の奥が温かくなる。ドイツ南東部、オーストリアとの国境に近いこの小さな街は、ドナウ川、イン川、イルツ川という三つの川が合流する地点に位置している。「三川の街 (Dreiflüssestadt) 」と呼ばれるパッサウは、水の流れが作り出した自然の奇跡と、1000年以上の歴史が織りなす文化の宝庫だった。
バロック様式の建物が川沿いに並び、聖シュテファン大聖堂の緑色のドームが街のシンボルとして空に向かって伸びている。中世から続く司教座都市として栄えたこの街には、オーストリア・ハンガリー帝国時代の面影も色濃く残っている。石畳の路地を歩けば、まるで時間が止まったような錯覚に陥る。そんな静謐な美しさに惹かれて、私はパッサウへの旅を決めた。
1日目: 川の合流点で感じた運命
ミュンヘンから電車で約2時間半。車窓から見える緑豊かなバイエルンの田園風景を眺めているうちに、パッサウ中央駅に到着した。駅を出ると、すぐに石造りの建物と教会の尖塔が目に入る。空気は澄んでいて、どこか懐かしい香りがした。
午前中は、まず街の中心部へ向かった。駅から旧市街までは徒歩で15分ほど。ドナウ川沿いの遊歩道を歩きながら、対岸に見えるオーバーハウス地区の色とりどりの家々を眺めた。川面に映る建物の影がゆらゆらと揺れて、まるで水彩画のようだった。
聖シュテファン大聖堂に着いたのは、ちょうど午前のミサが終わった頃だった。重厚な扉を押し開けて中に入ると、世界最大級のパイプオルガンの荘厳な響きが残響として空間に漂っていた。17,974本のパイプが作り出すハーモニーは、人間の魂を別次元へ運ぶような力を持っていた。バロック装飾に彩られた内部は、光と影が織りなす神秘的な空間で、思わず息を呑んだ。
昼食は、大聖堂近くの老舗レストラン「ツア・ブラウエン・ドナウ」で取った。看板メニューのザウアーブラーテン (牛肉の酢漬けロースト) を注文すると、付け合わせの赤キャベツとクヌーデル (ダンプリング) と一緒に運ばれてきた。肉は柔らかく、甘酸っぱいソースが絶妙で、ビールとの相性も完璧だった。隣のテーブルの地元の老夫婦が、私の拙いドイツ語に微笑みかけてくれたのが印象的だった。
午後は、三川合流地点へ向かった。旧市街の東端にあるドライフリュッセエック (三川の角) は、まさにパッサウの象徴的な場所だった。左手にドナウ川の青、右手にイン川の緑、そして足元を流れるイルツ川の茶色。三つの異なる色の水が一つになる瞬間を、私はベンチに座ってじっと見つめていた。水の色の違いは、それぞれの川が通ってきた土地の記憶を物語っているようだった。
夕方は、ヴェステ・オーバーハウス (オーバーハウス要塞) に登った。13世紀に建てられたこの要塞からは、パッサウの街全体が一望できる。夕日に照らされた赤い屋根の家々、川面に映る黄金色の光、遠くに見えるアルプスの稜線。すべてが絵画のように美しく、シャッターを切る手が止まらなかった。
夜は、旧市街のワインバー「アルテ・レーベン」で地元のリースリングを味わった。すっきりとした辛口で、一日の疲れを癒してくれた。バーテンダーのハンスさんは、パッサウ生まれパッサウ育ちで、街の歴史について情熱的に語ってくれた。「この街は水の力で生まれ、水の恵みで育った」という彼の言葉が、胸に深く響いた。
ホテルの部屋の窓からは、ライトアップされた聖シュテファン大聖堂が見えた。静寂に包まれた夜のパッサウは、昼間とはまた違った表情を見せていた。川のせせらぎが子守唄のように聞こえて、深い眠りに誘われた。
2日目: 森と古城に包まれた文化の一日
朝、ホテルの朝食ルームで地元産のハチミツとチーズ、焼きたてのブレッツェルを頂いた。窓の外では、早朝の霧がドナウ川から立ち上り、街全体を幻想的な白いベールで包んでいた。この光景だけで、今日一日が特別なものになりそうな予感がした。
午前中は、ドナウ川クルーズに参加した。約2時間のコースで、パッサウから上流のエンゲルハルツェルまでを往復する。船上から見る景色は、陸からとはまったく違っていた。両岸には中世の城跡や修道院が次々と現れ、まるで童話の世界を旅しているようだった。特に印象的だったのは、岩山の上に建つヴォルト城。12世紀の面影を残すその姿は、時の流れを超越した威厳を放っていた。
クルーズから戻ると、パッサウ市立博物館を訪れた。旧司教居住区にあるこの博物館には、街の2000年の歴史が凝縮されている。ローマ時代の遺物から中世の宗教美術、19世紀の市民生活の様子まで、丁寧に展示されていた。特に興味深かったのは、三川合流による洪水の歴史を記録した展示だった。自然の恵みと脅威、両方と共存してきた人々の知恵と努力を感じることができた。
昼食は、イン川沿いの小さなガストホフ「ツム・グリューネン・バウム」で。地元の川魚料理が自慢の店で、イン川で獲れたフォレレ (マス) のミューラー風を注文した。バターとアーモンドで香ばしく焼かれた魚は、身がふっくらとしていて、レモンの酸味が絶妙なアクセントになっていた。付け合わせのゆでたジャガイモとほうれん草も、素材の味を大切にした優しい味付けだった。
午後は、少し足を伸ばしてマリアハルフ巡礼教会へ向かった。パッサウから車で約30分、ドナウ川を見下ろす丘の上に建つバロック様式の美しい教会だ。内部の天井画は息をのむほど美しく、光の使い方が絶妙だった。何より感動したのは、教会からの眺望だった。ドナウ川がゆったりと蛇行し、緑豊かな丘陵地帯が地平線まで続いている。この景色を見ていると、人間の営みの小ささと自然の偉大さを同時に感じた。
帰り道、小さな村のベーカリーに立ち寄った。そこで出会ったマリアさんという老婦人が、地元の伝統菓子アプフェルシュトルーデルを作っているところだった。薄く伸ばした生地にリンゴと シナモンを包んで焼き上げるお菓子で、彼女は50年以上作り続けているという。焼きたてを一切れ頂いたが、バターの香りとリンゴの甘酸っぱさが口の中で調和して、まさに家庭の温かさを感じる味だった。
夕方、パッサウに戻ってからは、旧市街をゆっくりと散策した。石畳の小路には、アンティークショップや手工芸品店が並んでいる。その中の一軒で、地元の陶工が作った青いドナウ川をモチーフにした小さな皿を購入した。店主のゲルハルトさんは、「この青は、ドナウ川の一番美しい瞬間の色を再現した」と教えてくれた。
夜は、地元の人々が集まるビアガーデン「アウグストィーナー・ブロイ」で過ごした。中庭のマロニエの木の下で、地元の人たちと一緒にビールを飲みながら、ドイツ語と英語と身振り手振りで交流した。隣に座った大学生のマルクスくんは、パッサウ大学で歴史を学んでいて、街の中世建築について熱心に説明してくれた。若い世代が自分の故郷を深く愛していることが伝わってきて、胸が温かくなった。
3日目: 別れの朝に約束を胸に
最終日の朝は、いつもより早く目が覚めた。まだ薄暗い街を歩いて、再び三川合流地点へ向かった。朝靄に包まれた川面は、昨日とはまた違った表情を見せていた。静寂の中で水が流れる音だけが聞こえ、自然の神聖さを改めて感じた。ここで30分ほど佇んでいると、徐々に朝日が川面を照らし始め、三つの川が金色に輝いた。
朝食後、最後の時間を使って聖シュテファン大聖堂のオルガンコンサートに参加した。毎日正午に行われる30分間の演奏会で、世界最大級のパイプオルガンの真の実力を堪能できる。バッハの「トッカータとフーガ ニ短調」が響き渡ると、教会全体が楽器になったかのような臨場感に包まれた。音楽が持つ力、そして人間の創造性の素晴らしさを、全身で感じることができた。
午前の終わりには、パッサウガラス博物館を訪れた。この博物館は、ボヘミアンガラスの世界最大級のコレクションを誇っている。色とりどりのガラス工芸品が展示されており、光の屈折が作り出す美しさに魅了された。特に印象的だったのは、19世紀のビーダーマイヤー様式のグラスセットで、当時の市民の生活の豊かさを物語っていた。
昼食は、最初の日に立ち寄った「ツア・ブラウエン・ドナウ」で、今度はシュヴァイネブラーテン (豚の関節肉のロースト) を味わった。皮がパリパリに焼かれた豚肉は、中がジューシーで、ザワークラウトとの組み合わせが絶妙だった。同じレストランでも、違う料理を食べることで、新たな発見があった。
午後は、お土産を買いながら最後の街歩きを楽しんだ。地元の特産品である「パッサウアー・ゼンフ」 (パッサウ産マスタード) や、修道院で作られたリキュール「クロスターリケル」を購入した。どちらも長い伝統を持つ地元の味で、帰国してからもパッサウの記憶を呼び起こしてくれるだろう。
夕方、荷物をまとめながら、この2泊3日を振り返った。パッサウは決して大きな街ではないが、その分、街の隅々まで歩くことができ、地元の人々との距離も近く感じられた。三つの川が合流するように、異なる文化や時代が自然に調和している街。その中で過ごした時間は、まるで自分の中に新しい川が生まれたような感覚だった。
駅に向かう途中、最後にもう一度ドナウ川を眺めた。川は変わらず静かに流れ続けている。私がいてもいなくても、この美しい風景は存在し続ける。でも、きっと私の心の中には、パッサウの川の記憶が永遠に流れ続けるだろう。
電車が駅を出発する時、窓から見えた聖シュテファン大聖堂の緑のドームに向かって、小さく手を振った。「また必ず戻ってくる」という約束を、心の中で呟きながら。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
この旅は空想の産物である。実際に私がパッサウの石畳を歩いたわけでも、三川合流地点で夕日を眺めたわけでもない。しかし、文章を通してこの街を旅した今、まるで本当にそこにいたかのような確かな記憶が心に残っている。
パッサウという街の魅力は、その規模の小ささにあるのかもしれない。大都市では感じられない、人と人、人と自然、そして過去と現在のつながりを、身近に感じることができる場所。三つの川が合流するように、旅人の心も自然とその街の一部になっていく。
空想であっても、心を込めて想像した旅は、確かに私たちの内側に何かを残していく。それは写真や土産物以上に価値のある、目に見えない宝物なのかもしれない。パッサウへの空想旅行は終わったが、心の中でドナウ川は今も静かに流れ続けている。
そして、いつの日か本当にパッサウを訪れた時、この空想の記憶と現実の体験が重なり合って、さらに深い感動を生み出すことだろう。空想と現実の境界線が曖昧になるその瞬間こそが、旅の真の醍醐味なのかもしれない。