はじめに: 赤土の丘とコロニアルの記憶
アルゼンチン北西部、アンデスの山々に抱かれた州、サルタ。ブエノスアイレスの喧騒からはるか遠く、乾いた風が赤土を巻き上げるこの地は、どこか時間の流れが異なるように感じられる。
ここにはスペイン植民地時代の面影を色濃く残すコロニアル建築が連なり、素朴な人々の暮らしがゆっくりと根を張っている。白壁の教会、石畳の通り、広場に響くギターの音。標高1,200メートルの空気はどこまでも澄み、乾いているのに優しさを孕んでいる。
サルタの魅力は自然と文化の交差にある。北部にはカラフルな岩山が連なるケブラダ・デ・ウマワカが広がり、南にはワインの産地カファジャテが佇む。人々は先住民族の誇りとスペインの伝統を携えながら、現代に静かに生きている。
そんな土地に、私はふと訪れてみたくなった。一人で、あてもなく。ただ、あの赤土の風景に触れてみたくなったのだ。
1日目: 赤茶の街と午後のエンパナーダ
ブエノスアイレスから飛行機で2時間強。サルタの空港に降り立ったのは、午前10時を少し過ぎたころだった。
空港を出ると、まず目に飛び込んできたのは、乾いた丘陵地帯の向こうに浮かぶアンデスの山並み。その下に、赤茶けた屋根が連なるサルタの街が見えた。空は広く、どこまでも青かった。
タクシーで市内へ向かい、旧市街の小さな宿に荷物を置いた。白い壁に木の窓枠、内側には中庭があり、古びたタイルの床に陽が差していた。荷をほどき、ひと息つくと、時計はちょうど正午を指していた。
午後、街を歩く。サルタ大聖堂の前を通り、9月24日広場へ。子どもたちが追いかけっこをし、老人がベンチに座って新聞を読む。街全体が、まるで昼寝をしているようだった。
小さな食堂で昼食をとる。頼んだのは牛肉とオリーブ入りのエンパナーダ。皮はサクッと香ばしく、中はジューシー。手で持って頬張ると、肉の旨味とスパイスがじわりと広がる。グラスには地元産のトロンテス。柑橘の香りがほのかに漂い、軽やかで喉ごしが良い。
夕方、セロ・サン・ベルナルドの丘へ登る。ケーブルカーの窓から街を見下ろすと、赤茶の屋根の向こうにアンデスの稜線が溶けていく。丘の上は風が強く、髪が頬を撫でた。
夜は広場近くのレストランで。民俗音楽のライブが始まり、チャランゴの音色が夜を彩る。私は羊肉の煮込みを食べながら、旅の始まりにふさわしい静かな夜に身を委ねた。
2日目: ケブラダの色、ヴィクーニャの影
朝6時、まだ暗いうちに宿を出た。今日の目的地は北へ200キロ、世界遺産にも登録されているケブラダ・デ・ウマワカ。
バンに揺られながら、景色が少しずつ変わっていくのを見つめる。最初は乾いた草原、次第に岩山が迫り、色彩が増していく。赤、黄、緑、紫。鉱物の含有量で変わるというその色たちは、まるで大地の絵の具だった。
午前10時、ウマワカの村に到着。小さな市場では手編みの毛織物や民芸品が並ぶ。アイマラ語が飛び交い、観光客の声が混じる。手に取ったヴィクーニャのスカーフは、信じられないほど柔らかかった。
村を抜けて、プルママルカの七色の丘へ。岩肌がまるで層になって流れている。太陽の位置で色が変わり、午後になると赤がいっそう濃くなるという。私はひとり丘の麓に座り、水筒のマテ茶をすすった。地元の少年が近くにやってきて、何気なく話しかけてきた。スペイン語で、拙いながらも会話をする。彼の名前はミゲル。学校は午後かららしい。
午後はティルカラの村へ。石造りの教会と小さな博物館、乾いた空気とキヌア畑。どこか懐かしい風景が続いた。
夕方、帰路の車中でうとうとしながら、目を覚ますと空はすでに茜色だった。夕陽がアンデスを染め上げ、遠くにリャマの群れが見えた。
夜、宿の中庭で静かな夕食。チキンの煮込みとクスクス、そしてまた一杯のトロンテス。風が通り抜け、星が静かに瞬いていた。
3日目: 朝の市場と静かな別れ
最終日の朝、少し早く起きて市内の市場へ。八百屋には見たことのない果物が並び、肉屋からはスパイスの匂いが漂う。細い路地にあるパン屋で焼きたてのチパ (チーズパン) を買い、ベンチで頬張る。まだ街は静かで、陽射しも柔らかい。
宿に戻って荷造りをし、最後にもう一度9月24日広場を歩いた。昨日と同じように、老人がベンチに座って新聞を読み、鳩が足元を歩いていた。旅の中で風景が変わったのか、自分のまなざしが変わったのか、分からなかった。
午後の便で、私は再びブエノスアイレスへと向かった。飛行機の窓から、赤土の大地がゆっくりと遠ざかっていく。あの空気、あの静けさは、もうここにはない。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
この旅は、実際にはどこにも行かなかった。
だけど、今でもマテ茶の苦味と、アンデスの風の音を思い出すことがある。サルタの静けさは、私のどこか深いところに触れたようだった。
空想でありながら、確かにあったように感じられる旅。赤茶けた大地と、優しい人々、そして静かな時間。それらが心に残っている限り、この旅は確かにあったと言っていいのかもしれない。