はじめに: 青の都への憧憬
サマルカンドという名前を口にするたびに、何か特別な響きを感じてしまう。かつてシルクロードの要衝として栄え、「青の都」と呼ばれたこの街は、今もなお中央アジアの宝石として輝き続けている。
ウズベキスタンの古都サマルカンドは、紀元前6世紀頃から人が住み始めたとされる古い歴史を持つ。アレクサンドロス大王が征服し、イスラム勢力の支配を経て、14世紀後半にはティムール帝国の首都として黄金期を迎えた。ティムールが世界各地から連れてきた職人たちが生み出した建築群は、今日でも訪れる人々を圧倒する。
特に有名なのは、鮮やかな青いタイルで装飾されたイスラム建築の数々だ。レギスタン広場を囲む三つのマドラサ (神学校) 、ビビハニム・モスク、シャーヒ・ズィンダ廟群など、どれも息をのむような美しさを誇る。青という色は、この地域では神聖さと永遠を象徴し、建物に使われる青いタイルは「サマルカンド・ブルー」として世界的に知られている。
この街を歩くということは、時を超えた旅人たちの足跡をたどることでもある。マルコ・ポーロも、イブン・バットゥータも、そして数えきれないほどの商人や学者たちがこの道を通り、同じ青い空を見上げていたのだろう。
1日目: 永遠なる青との出会い
タシケントから高速鉄道アフラシヤブ号で約2時間。朝の光が車窓を照らす中、サマルカンドの駅に到着した。駅舎もまた美しく、伝統的な装飾が施されている。タクシーに乗り込むと、運転手のアフマドさんが流暢なロシア語混じりの英語で話しかけてくれた。
「サマルカンドは初めてか?それなら最高の時期に来たな。春の終わりは一番美しい季節だ」
街の中心部へ向かう道すがら、白い建物と青い装飾、そして緑の街路樹が織りなす風景が広がっていく。空気は乾燥しているが、心地よい涼しさがある。
午前中にまず向かったのは、もちろんレギスタン広場だった。タクシーから降りた瞬間、目の前に現れた光景に言葉を失った。三つのマドラサが形作る広場の荘厳さは、写真や映像では決して伝わらない迫力がある。ウルグベク・マドラサ、シェルドル・マドラサ、ティラカリ・マドラサが、まるで青い宝石箱のように太陽の光を受けて輝いている。
特に印象的だったのは、ティラカリ・マドラサの内部だった。「金で覆われた」という意味のその名の通り、ドーム内部は金箔で装飾されており、青いタイルとの対比が息をのむほど美しい。午前の光が差し込む中で、静寂に包まれたその空間は、まさに祈りの場としての神聖さを感じさせた。
昼食は広場近くの小さなレストラン「サマルカンド・プロフ・センター」で。ウズベキスタンの国民食であるプロフ (ピラフ) をいただいた。羊肉と人参、玉ねぎが炊き込まれたご飯は、スパイスの香りが絶妙で、見た目以上にさっぱりとしている。店主のおじいさんが、「プロフは男の料理だ」と誇らしげに語る姿が印象的だった。
午後は、ビビハニム・モスクへ足を向けた。かつて世界最大級のモスクとして建設されたこの建物は、ティムールの愛妃ビビハニムの名を冠している。巨大なドームと高い尖塔は、建設当時の技術の粋を集めたものだが、あまりの巨大さゆえに完成後すぐに崩壊が始まったという皮肉な歴史を持つ。
モスク内部の静寂の中で、イスラム建築の幾何学模様を眺めていると、時間の感覚が薄れていく。青いタイルに描かれた花や蔦の模様は、自然の美しさを抽象化した芸術そのものだ。午後の斜めの光が差し込む中で、その美しさはより一層際立って見えた。
夕方には、シャーヒ・ズィンダ廟群を訪れた。「生ける王」という意味を持つこの霊廟群は、ティムール一族や聖者たちが眠る神聖な場所だ。狭い路地に立ち並ぶ青いドームの霊廟は、まるで青い花が咲き乱れる庭園のようだった。
日が傾き始めた頃、一つ一つの霊廟を静かに巡った。それぞれが異なる装飾を持ち、職人たちの技術と芸術性の高さを物語っている。特に印象深かったのは、ティムールの姪ショーディ・ムルクの霊廟で、精緻なタイル装飾が夕日に照らされて、まるで生きているかのように見えた。
夜は、伝統的なチャイハナ (茶屋) で現地の人々と交流した。ウズベク茶を飲みながら、近くに座っていた老人が昔のサマルカンドの話を聞かせてくれた。ロシア語と英語、そして身振り手振りを交えた会話は決して流暢ではなかったが、温かい人柄が伝わってきた。
「サマルカンドの青は、空の青さを地上に写したものなんだよ」
その言葉が、この日一日の感動をそっと包み込んでくれるようだった。
2日目: 職人の技と大地の恵み
朝、ホテルの窓から見える街並みは、まだ朝靄に包まれて幻想的だった。サマルカンドの朝は静かで、街全体がゆっくりと目覚めていく様子を感じることができる。
午前中は、サマルカンド紙工房を訪れた。この街は古くから製紙業が盛んで、8世紀頃に中国から伝わった技術が、この地で独自の発展を遂げた。工房では、桑の木の皮を原料とした伝統的な紙作りの工程を見学させてもらった。
職人のウマルさんが、丁寧に作業を説明してくれる。桑の皮を煮て、叩いて繊維を作り、それを水に溶かして紙を漉く。シンプルに見える作業だが、温度や湿度、原料の質によって仕上がりが大きく変わる繊細な技術だという。
「この紙は千年もつ。サマルカンドの紙に書かれたコーランや詩集が、今でも読めるのがその証拠だよ」
実際に紙漉きを体験させてもらった。水の中で繊維が均等に広がっていく様子は、まるで雲が形を変えていくようで美しい。完成した紙は手触りが良く、温かみのある質感だった。
午前の終わりには、近くの絨毯工房も見学した。伝統的なペルシャ絨毯の技法で作られるサマルカンド絨毯は、深い青を基調とした美しい幾何学模様が特徴だ。熟練の職人が一つ一つ丁寧に結ぶ糸は、まるで絵の具で絵を描くように色鮮やかだった。
昼食は、地元の家庭で食べるような小さな食堂で。ラグマン (手打ち麺) とマンティ (蒸し餃子) をいただいた。ラグマンのスープは野菜と肉の旨味が凝縮されており、手打ちの麺は噛むほどに小麦の甘みを感じる。マンティは一口サイズで、中の肉汁が口の中に広がる瞬間が何とも言えない幸せを運んでくれた。
午後は少し足を伸ばして、アフラシヤブの丘へ向かった。古代サマルカンドの遺跡が眠るこの丘は、現在の街から少し離れた場所にある。遺跡自体はそれほど多くは残っていないが、ここから見下ろすサマルカンドの街並みは格別だった。
青いドームが点在する街並みを一望しながら、この地に暮らした人々の歴史を思った。ソグド人、アラブ人、ペルシャ人、モンゴル人、そしてティムール朝の人々。それぞれが文化を持ち込み、融合し、新しい文化を生み出していった。今私が見ている風景は、そうした長い歴史の積み重ねの結果なのだ。
アフラシヤブ博物館では、7-8世紀頃の壁画を見ることができた。シルクロード沿いの国々の使節を描いたとされるこの壁画は、当時のサマルカンドが国際都市として栄えていたことを物語っている。中国風の衣装、ペルシャ風の装飾、インド風の装身具など、様々な文化が混在する様子が生き生きと描かれている。
夕方、街に戻る途中で地元の市場 (バザール) に立ち寄った。シヨブ・バザールは地元の人々の生活の場で、観光地とは違った活気がある。ザクロ、ブドウ、アプリコットなどの果物、香辛料、ナン、チーズなど、色とりどりの食材が並んでいる。
市場で出会ったおばあさんが、採れたてのアプリコットを分けてくれた。甘くて果汁たっぷりのその味は、この土地の太陽と大地の恵みを感じさせてくれる。言葉は通じなくても、笑顔とジェスチャーで十分にコミュニケーションが取れる温かさがあった。
夜は、伝統的なウズベク音楽の演奏を聞ける小さなレストランで夕食をとった。ドイラ (太鼓) とルバーブ (弦楽器) の音色が響く中で、シャシリク (串焼き肉) とソムサ (肉入りパイ) を味わった。音楽は言葉を超えて心に響き、遠く離れた異国にいることを忘れさせてくれる。
演奏の合間に、楽器奏者の一人が話しかけてくれた。彼は代々続く音楽家の家系で、祖父から受け継いだ楽器を大切に使っているという。
「音楽は心の言葉だ。どこの国の人でも、音楽があれば心が通じ合える」
その言葉通り、言語の壁を越えて、この夜は特別な時間となった。
3日目: 別れの朝と永遠の記憶
最終日の朝は、早起きしてレギスタン広場を再び訪れた。朝焼けの中で青いタイルが薄桃色に染まる様子は、初日の印象とは全く違う顔を見せてくれた。観光客もまだ少なく、広場の静寂を独り占めできる贅沢な時間だった。
朝の光の中で、三つのマドラサの細部をじっくりと観察した。タイルの一つ一つに刻まれた模様、書かれたアラビア文字、そして継ぎ目の美しさ。職人たちの魂が込められた芸術作品を、心に刻み込むように見つめていた。
午前中は、グル・エミール廟を訪れた。ティムール帝国の創始者ティムールが眠るこの霊廟は、青いドームが美しく、サマルカンドを代表する建築の一つだ。内部に入ると、ティムールの墓石が安置されている。ヒスイ色の美しい墓石は、権力者の威厳を示しながらも、どこか静謐な雰囲気を漂わせている。
廟の周りを歩きながら、この地を支配した偉大な征服者の人生を思った。世界各地を征服し、各地の文化や技術をサマルカンドに集めた彼の功績は確かに偉大だが、同時に数多くの戦争の記憶も刻まれている。歴史の光と影を同時に感じる場所だった。
昼食は、もう一度プロフを食べたくて、昨日とは違う小さな食堂を探した。路地の奥にある家族経営のような店で、おかみさんが作ってくれたプロフは家庭の味がした。昨日のものより少し薄味で、やさしい味わいだった。
「明日帰るのか?サマルカンドはどうだった?」
片言の英語で話しかけてくれたおかみさんに、私は懸命に感謝の気持ちを伝えた。美しい街、優しい人々、美味しい料理、すべてが素晴らしかったと。
午後は、最後の散策として街の住宅地を歩いてみた。観光地ではない普通の街並みを見てみたかったのだ。土壁の家々、小さな庭で遊ぶ子どもたち、軒先で茶を飲む老人たち。どこか懐かしい風景が広がっている。
途中で迷子になったとき、通りがかりの青年が親切に道を教えてくれた。それどころか、わざわざホテルの近くまで案内してくれた。お礼を言うと、「サマルカンドを好きになってくれてありがとう」と言ってくれた。その言葉に、この街と人々への愛おしさがこみ上げてきた。
夕方、荷物をまとめながら、この3日間のことを振り返った。青いタイルの美しさ、職人たちの技術、美味しい料理、そして何より温かい人々との出会い。短い滞在だったが、この街の魅力の一端に触れることができた気がする。
最後の夜は、ホテルの屋上から街を眺めながら過ごした。夜景の中で青いドームがライトアップされる様子は、昼間とはまた違った美しさがある。街の向こうに広がる星空は、この地を旅した数多くの人々が見上げた同じ空だった。
明日の朝にはタシケント経由で日本に帰る。でも、この街で見たもの、感じたことは、きっと長い間心に残り続けるだろう。サマルカンドは、ただの観光地ではなく、生きた歴史と文化が息づく場所だった。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
この2泊3日のサマルカンド旅行は、実際には私が体験したものではなく、想像の中で作り上げた物語である。しかし、文献や写真、動画を通じて得た知識と、旅への憧憬を組み合わせることで、まるで本当にその場にいたかのような感覚を味わうことができた。
サマルカンドの青いタイルの美しさ、プロフの味、チャイハナでの温かい交流、職人たちの技術への敬意、そして何より、この街に暮らす人々の優しさ。これらすべては、私の想像の中で生まれたものでありながら、確かに心に残る記憶となった。
空想の旅は、現実の制約を超えて、心の中で最も美しい瞬間を作り出すことができる。時間やお金、言語の壁を気にすることなく、純粋にその土地の魅力と向き合うことができる。そして時として、そうした心の旅は、実際の旅行以上に深い感動をもたらすことがある。
いつか本当にサマルカンドを訪れる日が来たら、この空想の旅で抱いた憧憬と現実との違いを楽しみたい。きっと想像以上の美しさと、想像とは違う新たな発見があることだろう。それまでは、この青い都への憧れを心に抱き続けていよう。
空想でありながら確かにあったように感じられるこの旅は、心の中でいつまでも色褪せることのない宝物となった。