はじめに: 川と大地と記憶の国、セネガンビア
セネガンビアとは、セネガルとガンビアにまたがる地域の歴史的呼称だ。西アフリカのこの一帯は、かつて交易と文化の交差点だった。アトランティックの風が吹き抜ける海岸線、ガンビア川が大地を貫くように流れ、人々の暮らしは長い時間の中でその流れとともにあった。
セネガルのサバンナとガンビアの熱帯林、漁村と都市、イスラムと土着信仰の混在。フランス語と英語、ウォロフ語やマリンケ語、マンディンカ語が行き交う音の世界。食卓にはヤッサ (レモン風味の鶏料理) 、ドモダ (ピーナッツソースの煮込み) 、アタヤ (ミントティー) が並ぶ。
この地は決して“観光名所”ではない。けれど、だからこそ旅人の心をゆっくりと解きほぐす。喧騒の都市を離れ、川辺に身を置いたとき、なにか深い記憶のようなものがふと胸に浮かぶ。そんな旅が、ここにはある。
1日目: バンジュールからの風
成田から乗り継ぎを重ね、ガンビアの首都・バンジュールに着いたのは早朝だった。空港を出ると、湿った土と海の匂いが混じった空気が身体にまとわりつく。
迎えに来てくれた青年、エブライマと握手を交わし、まずは宿へと向かう。道すがら、彼は「ここは小さな国だけど、心は大きい」と笑った。彼の英語は柔らかく、時折混ざるマンディンカ語が心地よい。
宿は川沿いの静かなロッジ。荷をほどくと、しばらくベッドに沈み、ぼんやりと窓の外を眺めた。目の前にはガンビア川がゆったりと流れ、カワセミが飛び去っていく。
午後、エブライマの案内でセレクンダ市場へ。人々の声、野菜の匂い、鮮やかな布地が折り重なるようにして、空間が生きていた。
露店でドモダとライスを頼むと、女性が笑顔で皿を差し出した。彼女はマンディンカ語で「初めてか?」と聞いてくる。うなずくと、彼女は「熱いけど、心に残る味だよ」と。
確かにその通りだった。ピーナッツの香り、ほんのり辛いソース。食べ終えた頃には、汗とともに旅の緊張がほどけていた。
ロッジに戻ると、宿の中庭で男性たちがアタヤ (ミントティー) を煮出していた。声をかけると、すぐに輪に招かれた。
三度に分けて淹れるアタヤの儀式。苦み、甘さ、そしてまた苦み。彼らの会話に混じりながら、ガンビアの夜風を感じた。星が濃い。
2日目: 川の記憶と村の温もり
まだ暗いうちにロッジを出て、小舟でガンビア川を上る。川辺にはマングローブが茂り、水鳥が羽ばたく。静寂の中に、生の気配が満ちている。
途中、川岸の村に立ち寄る。子どもたちが「タブロ!」 (ようこそ) と手を振る。土壁の家、薪の香り、ヤギの鳴き声。どこか懐かしい風景だった。
村の女性がシアバターを手のひらに取らせてくれた。甘く、土のような匂い。手にすりこむと、自分もこの土地の一部になった気がした。
午後はジャンジャンブレ村を訪れる。ここでは伝統音楽の体験ができる。太鼓の音に合わせて、足元から身体が自然と動く。
ジャンベのリズムは単なる音ではなく、祖先の記憶のようだった。教えてくれた青年アダマは「太鼓は言葉だ」と言った。彼の言葉が胸に残る。
夕方にはバオバブの木の下で皆で食事を囲んだ。コスコスに近い米料理と、たっぷりの野菜シチュー。食べながら、ひとりがフルートを吹き出し、風がそれを運んでいった。
ロッジに戻ると、エブライマと一緒に川を眺めた。「君の国では星がどんなふうに見える?」と聞かれた。
「ここほど近くない」と答えると、彼は笑って「それはこの国の宝だ」と。
星の下、アタヤをまたひとくち。言葉は少なく、けれど心は澄んでいた。
3日目: 旅の終わりと振り返り
朝、近くのモスクから礼拝の声が聞こえてきた。川の流れと混ざり合い、静けさの中に祈りが染み込んでいくようだった。
出発の前、ロッジのスタッフと握手を交わす。名残惜しさよりも、不思議な満足感があった。旅は短くても、心の奥に何かが沈んでいた。
エブライマが空港まで車を出してくれた。途中、彼は「次は家族と来て」と言った。「君の家族にも、この川を見てほしい」と。
飛行機の中から、ガンビア川が銀色に光っていた。その流れは、まるで一本の線となって自分の胸の奥へ続いているようだった。
短い旅だった。けれど、何かが確かに刻まれた。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
この旅は実際には存在しない。私はガンビアにも、セネガルにも行っていない。けれど、地図と写真、言葉の中から立ち上がる風景は、確かに私の中を通り過ぎた。
アタヤの苦味、ドモダの温かさ、ジャンベの響き、川の流れ。どれもが空想でありながら、どこかで確かに感じられた記憶となっている。
旅とは何か。現地に立つことだけが旅ではない。想像のなかで心を動かす時間も、旅の一つのかたち。
セネガンビアという土地が与えてくれたのは、その静かな証明だった。