はじめに: 古代と現代が交差する街
スタラ・ザゴラ。その名前を口にするだけで、どこか遠い記憶の奥底から、古い石畳の響きが聞こえてくるような気がする。ブルガリア中南部に位置するこの街は、人口約15万人の静かな都市でありながら、8000年の歴史を刻んだヨーロッパ最古の街の一つとして知られている。
街の中心部には、ローマ時代の遺跡アウグスタ・トライアナが眠り、その上に現代の建物が建っている。まるで時間が何層にも重なり合った本のように、この街は過去と現在を同時に生きているのだ。北にはスレドナ・ゴラ山脈が優雅な稜線を描き、南には肥沃なトラキア平原が広がる。バラで有名なカザンラク地方にも近く、春になると街の至る所でバラの甘い香りが漂うという。
私がスタラ・ザゴラを旅先に選んだのは、その控えめな佇まいに惹かれたからだった。ソフィアやプロヴディフのような大都市でもなく、黒海沿岸のリゾート地でもない。ただ静かに、しかし確実に時を刻み続けている街。そこでなら、本当の意味でブルガリアの心に触れることができるのではないかと思ったのだ。
1日目: 古き良きブルガリアとの出会い
ソフィアからバスで2時間半の道のりを経て、スタラ・ザゴラに到着したのは午前10時過ぎだった。バスターミナルから街の中心部まで歩いて15分ほど。住宅街を抜けていくと、突然開けた場所に美しい並木道が現れた。これがツァル・シメオン1世大通りなのだと、地図を確認して気づく。
通りの両側には、社会主義時代の建築と伝統的なブルガリア建築が混在している。どちらも決して華美ではないが、それぞれに味わい深い佇まいを見せている。朝の光が建物の壁面を優しく照らし、街全体が穏やかな表情を浮かべていた。
宿泊先のホテル・ヴェレアは、街の中心部に位置する家族経営の小さなホテルだった。受付で迎えてくれたのは、流暢ではないが親しみやすい英語を話す中年女性のマリア。彼女は私が日本から来たと知ると、目を輝かせて「ニホンジン?ワタシ、スシ、ダイスキ!」と片言の日本語で話しかけてくれた。
部屋は3階の角部屋で、窓からは街の中央広場エスキ・ジャーミヤが見えた。かつてのオスマン帝国時代のモスクが今は博物館として使われている建物だ。荷物を置いて、早速街歩きに出かけることにした。
昼食は、地元の人に教えてもらったレストラン「スタラ・ザゴラ」で取った。入り口の重い木の扉を開けると、薄暗い店内に民俗音楽の調べが静かに流れていた。壁には伝統的なブルガリアの織物や楽器が飾られ、まるで誰かの祖母の家に招かれたような温かさがあった。
注文したのはモウサカとショプスカ・サラダ、そして地元のワイン。ブルガリアのモウサカは、ギリシャのものとは異なり、ジャガイモとひき肉を重ねて焼いた素朴な料理だった。一口食べると、香辛料の効いた肉の旨味とジャガイモの優しい甘さが口の中に広がる。ショプスカ・サラダは、トマトときゅうり、そして白いチーズの組み合わせがさっぱりとして、重いモウサカの良い箸休めになった。
食事の後、ウェイターの青年ディミタルが片言の英語で話しかけてきた。彼は大学で歴史を学んでいるという。「この街は古いです。でも、観光客は少ないです。だから、本当のブルガリアを見ることができます」と、誇らしげに語ってくれた。
午後は、街で最も有名な観光地である古代ローマ都市アウグスタ・トライアナの遺跡を訪れた。現在は博物館として整備されており、1〜2世紀頃の住居跡や道路、下水道システムが保存されている。地下に降りると、ひんやりとした空気の中に石造りの建物の基礎が広がっていた。
ガイドのおばあさんは、流暢なドイツ語で説明してくれた (私のドイツ語は片言だったが) 。1960年代の発掘調査で発見されたこの遺跡は、当時の住民の生活を克明に物語っているという。床に残されたモザイクタイルの幾何学模様は、1800年の時を経た今も美しい色彩を保っていた。
遺跡を見学した後、隣接する考古学博物館を訪れた。ここには新石器時代から中世にかけての出土品が展示されている。特に印象的だったのは、8000年前の土器の破片だった。人類最古の文明の一つとされるこの地域の土器は、シンプルでありながら確かな技術を感じさせる造形だった。
夕方になると、街の中央広場に人々が集まり始めた。ベンチに座ったお年寄りたちがチェスを楽しみ、子どもたちが噴水の周りで遊んでいる。どこにでもある光景のようで、しかしこの街独特の穏やかな時間の流れが感じられた。
夕食は、ホテルの近くにある小さなタヴェルナ「メハナ・スタリート」で取った。店主のペタルおじさんは、私が一人で旅をしていると知ると、特別に地元の人しか知らない料理を作ってくれた。ケバプチェ (ブルガリア風のミートボール) とバニツァ (チーズ入りのパイ) 、そして自家製のラキヤ (ブルガリアの伝統的な蒸留酒) 。
ラキヤは強いアルコール度数だったが、プラムの香りがふわりと鼻を抜ける上品な味わいだった。「これは父から受け継いだレシピです。40年間、同じ方法で作っています」とペタルおじさんは胸を張った。
夜の街を歩いて宿に戻る途中、偶然にも小さな教会の前を通りかかった。聖ディミタル教会という名前の、19世紀に建てられた正教会だった。扉は開いており、中からは讃美歌の美しい響きが聞こえてきた。夜の祈りの時間だったのだろう。
私は教会の前で足を止め、その聖なる歌声に耳を傾けた。ブルガリア語の歌詞は理解できなかったが、信仰の深さと平安を求める心は、言葉を超えて伝わってきた。この瞬間、私は確かにこの街の住人の一人になったような気がした。
2日目: 自然と文化の調和を求めて
朝は、ホテルの小さな食堂で伝統的なブルガリアの朝食を楽しんだ。黒パンにはちみつとヨーグルト、そして地元産のチーズ。シンプルながら、それぞれの食材の味が生きている素朴な美味しさだった。マリアが入れてくれたトルココーヒーは、濃厚で香り高く、一日の始まりにふさわしい一杯だった。
午前中は、街から15分ほどバスに乗って、ベレニー (Berenyi) 地区へ向かった。ここは住宅地の奥にある小さな公園で、地元の人たちの憩いの場となっている。公園の中央には小さな池があり、鴨たちがのんびりと泳いでいた。
ベンチに座って池を眺めていると、隣に座った老紳士が話しかけてきた。ニコライという名前の元教師で、退職後は毎朝この公園で読書をするのが日課だという。彼は少し英語を話すことができた。
「この街は変わりました。昔はもっと静かでした。でも、今でも人は優しいです。あなたのような旅行者が来てくれると嬉しいです」と、温かい笑顔で語ってくれた。彼の手には、ブルガリア語で書かれた詩集が握られていた。
「これは私の友人が書いた詩です。この街のことを歌った詩です」と言って、一節を読み上げてくれた。ブルガリア語の響きは、どこか哀愁を帯びていて美しかった。「翻訳すると意味が変わってしまいますが、故郷への愛を歌った詩です」とニコライは説明してくれた。
昼食は、市場の近くにある食堂で取った。ここは観光客向けではなく、地元の働く人たちが利用する食堂だった。メニューは全てブルガリア語で書かれており、身振り手振りで注文することになった。
出てきたのは、サルミ (キャベツの葉で包んだ肉詰め) とブルガリア風のスープ、そして小さなサラダ。サルミは家庭料理らしい優しい味で、キャベツの甘みと肉の旨味が絶妙に調和していた。スープは野菜がたっぷりと入った具だくさんで、体を内側から温めてくれた。
食堂のおばさんは、私が箸を上手に使えないのを見て、フォークを持ってきてくれた。そして「オイシイ?」と片言の日本語で聞いてくれた。私が親指を立てて「オイシイです!」と答えると、彼女は満面の笑みを浮かべて手を叩いた。
午後は、街の南部にあるクネジャ (Knezhа) 地区を散策した。ここは第二次世界大戦後に建設された住宅地で、社会主義リアリズムの建築が立ち並んでいる。無機質に見えるアパートメントも、よく見るとそれぞれに個性があり、住民たちが工夫して美しく保っているのが分かった。
バルコニーには色とりどりの花が植えられ、洗濯物が風に揺れている。子どもたちが中庭で遊び、お母さんたちが井戸端会議をしている。歴史的な街並みとは異なる魅力があった。
夕方、スタラ・ザゴラの象徴的な建物である地域歴史博物館を訪れた。この建物は19世紀末に建てられた美しい建築で、内部には地域の歴史と文化を物語る貴重な展示品が収められている。
特に印象深かったのは、民族衣装のコレクションだった。細やかな刺繍が施された衣装は、この地域の女性たちが代々受け継いできた技術の結晶だった。赤と白を基調とした幾何学模様は、どれも微妙に異なり、それぞれの家庭や村の特色を表しているという。
博物館の学芸員のエレナという女性が、丁寧に説明してくれた。彼女は大学でブルガリア史を専攻し、特にトラキア地方の文化研究に力を注いでいるという。「これらの衣装は、ただの服ではありません。私たちの祖先の魂が込められているのです」と、情熱的に語ってくれた。
夕食は、スタラ・ザゴラで最も古いレストランの一つ「レストラン・ブルガリア」で取った。建物は1920年代に建てられたもので、内装も当時のままの重厚な雰囲気を保っている。
注文したのは、ムザカ (ブルガリア風の焼き肉) とポテト、そして地元のビール。ムザカは炭火で焼かれた羊肉で、香ばしい香りと柔らかな食感が絶品だった。付け合わせのポテトは、ローズマリーとガーリックで味付けされ、肉の味を引き立てていた。
隣のテーブルには地元の男性たちが座っており、友人の誕生日を祝っているようだった。彼らは私に気づくと、乾杯の合図を送ってくれた。「ナ・ズドラヴェ!」 (乾杯!) の声に合わせて、私もグラスを高く掲げた。
夜が更けていく中、街の明かりが少しずつ消えていく。でも、この街の温かさは消えることなく、私の心の中に深く刻まれていった。
3日目: 別れの時と新たな始まり
最後の朝は、早めに目を覚まして街の朝の表情を見ることにした。午前6時、まだ薄暗い街に出てみると、すでに活動を始めている人たちがいた。パン屋のおじさんが焼きたてのパンを店頭に並べ、掃除のおばさんが通りを綺麗にしている。
朝日が東の山の向こうから顔を出すと、街全体が金色に染まった。建物の壁面に当たった光が、どこか神々しい雰囲気を醸し出している。私は中央広場のベンチに座り、この美しい瞬間をできるだけ長く記憶に留めようと努めた。
朝食後、チェックアウトを済ませて荷物をホテルに預け、最後の散策に出かけた。まず向かったのは、聖母教会という小さな正教会だった。この教会は18世紀に建てられ、地元の人々の信仰の中心となっている。
教会の中に入ると、イコン (聖像画) の前で祈りを捧げている老婦人がいた。彼女の後ろ姿は、信仰の深さと人生の重みを物語っているようだった。私も静かに祈りを捧げた。この街での出会いと体験への感謝の気持ちを込めて。
午前中の最後に、街の市場を訪れた。ここは地元の人たちの生活の中心で、新鮮な野菜や果物、手作りのチーズや蜂蜜が売られている。バラの香りがする石鹸や、伝統的な織物の小物も並んでいた。
年配の女性が営む小さな店で、手作りのバラ石鹸を購入した。「これは本物のバラから作ったものです。私の母から受け継いだレシピです」と、彼女は誇らしげに説明してくれた。石鹸の優雅な香りは、この旅の思い出を運んでくれるお守りのようだった。
昼食は、初日に訪れたレストラン「スタラ・ザゴラ」で取ることにした。3日間の旅を振り返りながら、同じ料理を注文した。モウサカの味は初日と変わらなかったが、私の感じ方は確実に変わっていた。この街の一部になったような、親しみやすさがあった。
ウェイターのディミタルが覚えていてくれて、「日本の友達!また来てくれたね!」と笑顔で迎えてくれた。彼は今度、大学でブルガリアの古代史について論文を書くのだと教えてくれた。「あなたが見た遺跡についても書くつもりです」と、目を輝かせていた。
午後は、最後にもう一度アウグスタ・トライアナの遺跡を訪れた。初日とは違う角度から見ると、また新しい発見があった。古代ローマ人たちが住んでいた家の跡から、彼らの生活が生き生きと想像できた。床暖房システムや水道設備を見ると、現代でも十分に通用する技術があったことに驚かされる。
博物館の受付の女性が、私のことを覚えていてくれた。「また来たのね。この遺跡が気に入ったのかしら?」と親しみやすく話しかけてくれた。私は「この街のすべてが気に入りました」と答えた。
夕方、バスの出発時間が近づいてきた。ホテルで荷物を受け取り、マリアにお別れの挨拶をした。彼女は小さな紙袋を渡してくれた。中には手作りのクッキーが入っていた。「旅の途中で食べてください。また来てくださいね」と、温かい笑顔で送り出してくれた。
バスターミナルに向かう途中、最後にもう一度街を見渡した。ツァル・シメオン1世大通りの並木道、中央広場の噴水、聖ディミタル教会の鐘楼。どれも特別に美しいわけではないかもしれないが、この3日間で私の心の中に大切な場所として刻み込まれていた。
バスが発車する直前、窓の外にディミタルの姿が見えた。彼は手を振りながら、大きな声で「また来てください!」と叫んでいた。私も窓から手を振り返した。
バスがスタラ・ザゴラを離れていく中、私はこの3日間の出来事を反芻していた。古代ローマの遺跡で感じた歴史の重み、博物館で見た美しい民族衣装、レストランで味わった家庭料理の温かさ、そして何より、街の人々の優しさ。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
この旅は空想の産物である。私は実際にスタラ・ザゴラを訪れたことはないし、マリアやディミタル、ニコライやペタルおじさんに会ったこともない。レストラン「スタラ・ザゴラ」で食べたモウサカも、市場で買ったバラ石鹸も、教会で聞いた讃美歌も、すべて想像の中の出来事だ。
しかし、不思議なことに、これらの体験は私の心の中で確かな重みを持っている。スタラ・ザゴラという街の佇まい、ブルガリアの人々の温かさ、古代ローマの遺跡が物語る歴史の深さ、伝統料理の素朴な美味しさ。これらすべてが、まるで実際に体験したかのような鮮明さで記憶に残っている。
それは、この街が持つ魅力が決して架空のものではないからかもしれない。8000年の歴史を持つ古い街、古代ローマの遺跡、ブルガリアの伝統文化、そして何より人々の温かいもてなしの心。これらはすべて実在するものだ。
空想の旅であっても、その土地の本質を理解し、そこに住む人々の心に触れることができる。それこそが旅の真の価値なのかもしれない。物理的にその場所にいることだけが旅ではない。心でその土地を感じ、そこに住む人々の生活に思いを馳せることも、また一つの旅の形なのだ。
スタラ・ザゴラでの3日間は、私にとって忘れられない体験となった。それが空想の旅であることを知っていても、私の心の中では確かに存在する思い出として残り続けるだろう。そして、いつか機会があれば、今度は本当にこの街を訪れてみたいと思う。きっと、想像していた以上に素晴らしい場所に違いない。