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  1. たび幻記/

古代の記憶が波音に溶ける ― イタリア・シラクーザ空想旅行記

空想旅行 ヨーロッパ 南ヨーロッパ イタリア
目次

二つの海に抱かれた古代都市

AIが考えた旅行記です。小説としてお楽しみください。

シチリア島の南東に位置するシラクーザは、地中海の光が特別な場所だ。紀元前8世紀にギリシャ人によって築かれたこの都市は、かつてアテネをも凌ぐ繁栄を誇り、プラトンが理想国家の実現を夢見て訪れた土地でもある。旧市街のオルティージャ島は、イオニア海に突き出た小さな半島で、バロック様式の建築と古代遺跡が混在する独特の景観を持つ。石灰岩の白い建物が太陽に照らされて眩しく輝き、狭い路地には洗濯物がはためく。現代のシラクーザは、古代ギリシャの栄光と、中世からバロック期にかけての歴史が幾重にも折り重なった、まるで時間の地層のような街だ。

海の幸に恵まれたこの地の料理は、シチリア料理の中でも特に魚介類が豊富で、アラブやスペインの影響を受けた独特の味わいがある。初夏の風は潮の香りを運び、石畳の路地には猫が昼寝をしている。私がこの街を訪れたのは、何か特別な理由があったわけではない。ただ、古代の詩人たちが愛した光を、自分の目で見てみたかった。それだけだった。

1日目: 石の記憶に触れる

カターニア空港からバスに揺られて約1時間、シラクーザの街が見えてきたのは午前10時を過ぎた頃だった。車窓からは、オレンジ畑が延々と続き、その向こうに青い海が光っている。バスを降りると、5月の陽射しはすでに強く、サングラスなしでは目を開けていられないほどだった。

宿は旧市街オルティージャ島の小さなB&Bを選んだ。16世紀の建物を改装した宿で、石造りの階段を上がると、天井の高い部屋にアンティークの家具が配置されている。窓を開けると、路地を挟んだ向かいの建物が手の届きそうな距離にあり、誰かの家のキッチンから昼食の支度をする音が聞こえてきた。荷物を置いて、すぐに街に出た。

オルティージャ島は歩いて回れる広さで、迷路のような路地が縦横に走っている。アポロ神殿の遺跡を通り過ぎ、ドゥオモ広場へ向かった。広場に面して建つシラクーザ大聖堂は、紀元前5世紀のアテナ神殿の上に建てられた不思議な建築物だ。バロック様式のファサードの内部には、ドーリア式の円柱がそのまま残されている。異教の神殿がキリスト教の聖堂になり、さらに何度も改築を重ねて今の姿になった。石の壁に手を触れると、ひんやりとして、何千年もの時間が閉じ込められているような感覚があった。

昼食は広場近くの小さなトラットリアで取った。店の外にテーブルが二つだけ出ていて、メニューは手書きの黒板に書かれている。パスタ・コン・レ・サルデ—イワシと野生フェンネル、松の実、レーズンを使ったシチリアの伝統料理を注文した。アラブの影響を感じさせる甘みと塩気のバランスが絶妙で、白ワインによく合う。店主のおじさんは、私がひとりで来たことを気にも留めず、ただ「ブオーノ?」と聞いてきた。頷くと、満足そうに厨房へ戻っていった。

午後はゆっくりと路地を歩いた。オルティージャの街は、どこを歩いても絵になる。黄色やオレンジ色の壁、鉄製のバルコニー、石造りのアーチ。狭い路地を抜けると突然海が現れて、漁師が網を繕っている姿が見えた。島の先端にあるアレトゥーザの泉は、淡水の湧き水で育つパピルスが茂る不思議な場所だ。ギリシャ神話では、ニンフのアレトゥーザがこの泉に姿を変えたという。実際に見ると、確かに神話が生まれるのも納得できる、神秘的な雰囲気があった。海のすぐそばに淡水が湧くという地理的な奇跡が、古代の人々には神の業としか思えなかっただろう。

夕暮れ時、海沿いの遊歩道を歩いた。イオニア海は穏やかで、水平線がオレンジ色に染まっていく。地元の人たちが散歩していて、若いカップルがベンチで寄り添い、老人がひとり海を眺めている。夕食はもう少し後にしようと思い、ジェラート屋に入った。レモンとピスタチオのジェラートを選ぶと、店員は「シチリアーノ!」と言って笑った。確かに、この二つはシチリアを代表する味だ。レモンは酸味が強くて爽やかで、ピスタチオは濃厚なナッツの風味がある。

夜は港近くの魚料理の店を訪れた。その日の朝に獲れた魚が氷の上に並べられていて、好きなものを選んで調理法を指定する。私はスパダ、カジキマグロのグリルを選んだ。シンプルにオリーブオイルとレモン、塩だけで焼かれた魚は、身がふっくらとして甘みがある。付け合わせのカポナータ—ナスのトマト煮込みも、温かいものと冷たいものの中間くらいの温度で供され、複雑な味わいだった。隣のテーブルでは家族連れが賑やかに食事をしていて、子どもたちが走り回り、祖母らしき女性が優しく叱っている。

宿に戻ったのは夜10時を過ぎていた。石造りの部屋は昼間の熱を保っていて、窓を開けると海からの風が入ってくる。遠くで教会の鐘が鳴り、誰かの笑い声が路地に響いた。ベッドに横になり、今日一日で見たものを思い返した。古代神殿の柱、バロック建築の曲線、海の青、石の白。シラクーザという街は、時間の層が複雑に折り重なっていて、それがこの街独特の豊かさを生んでいる。そんなことを考えながら、いつの間にか眠りに落ちた。

2日目: ネアポリス考古学公園と海辺の午後

朝食は宿の小さなダイニングルームで取った。オーナーのシニョーラが焼いたコルネットという三日月形のクロワッサンに、エスプレッソとオレンジジュース。シチリアのオレンジは色が濃く、甘みと酸味のバランスが素晴らしい。シニョーラは片言の英語で「今日はどこへ?」と聞いてきた。「ネアポリス考古学公園」と答えると、「とても美しいわよ。でも暑いから、帽子を忘れないで」と言って、自分の麦わら帽子を指差した。

オルティージャ島から本土側へ渡り、バスに乗って約15分でネアポリス考古学公園に着いた。ここには古代ギリシャ時代の遺跡が広大な敷地に点在している。まず目に入ったのは、ギリシャ劇場だった。紀元前5世紀に建造され、岩盤を削って作られた半円形の観客席は、今でも夏には古代劇が上演されるという。客席に座ってみると、舞台の向こうに海が見え、風が吹き抜けていく。ここで2500年前の人々が、アイスキュロスやエウリピデスの悲劇を見ていたのだと思うと、時間の感覚が曖昧になった。

劇場の近くには、ディオニュシオスの耳と呼ばれる巨大な人工洞窟がある。高さ23メートル、奥行き65メートルのこの洞窟は、かつて石切り場として使われていた。内部は驚くほど音響効果が良く、小さな声でも洞窟全体に響く。暴君ディオニュシオスが囚人の会話を盗み聞きするために作ったという伝説があるが、実際には単なる石切り場だったらしい。それでも、洞窟の形が耳に似ているというだけで、こんな劇的な物語が生まれるのは、いかにもイタリアらしい。

公園内を歩いていると、地元の小学生たちの遠足に遭遇した。子どもたちは古代ローマの円形闘技場の周りを走り回り、先生が「静かに!」と叫んでいる。ひとりの男の子が転んで泣き出すと、女の子たちが駆け寄って慰めている。遺跡という厳粛な場所にも、こうした日常の風景があることが、なぜか嬉しかった。

昼前に公園を出て、近くのバールで軽い昼食を取った。アランチーニ—ライスコロッケのようなシチリア料理と、カプチーノ。アランチーニは小さなオレンジという意味で、黄金色の衣の中にはトマトソースで味付けしたライスと、小さなチーズが入っている。揚げたてで熱々、表面はカリッとして中はもっちりしている。立ち食いカウンターで食べながら、地元の人たちの会話を聞いていた。シチリア方言は標準イタリア語とかなり違っていて、ほとんど理解できなかったが、リズムだけは心地よかった。

午後はオルティージャ島に戻り、海辺でゆっくりと過ごすことにした。島の南側には小さな岩場の海岸があり、地元の人たちが泳いでいる。私は泳ぐ準備をしてこなかったので、岩の上に座って海を眺めた。5月のイオニア海は透明度が高く、岩の隙間に小魚が泳いでいるのが見える。若い男性がダイビングをして、しばらく潜ったまま上がってこない。心配になりかけた頃、水面に顔を出して、手に何かを持っている。ウニだった。彼は岸に上がると、ナイフでウニを割って、オレンジ色の身をそのまま口に入れた。「食べる?」と聞いてきたが、丁重に断った。彼は肩をすくめて笑い、また海に潜っていった。

夕方近く、メルカート、市場を訪れた。オルティージャ島の中心部にある小さな市場で、魚、野菜、果物、チーズなどが並んでいる。魚売り場では、店主が大きな声で客を呼び込み、マグロの塊を豪快に切り分けている。野菜売り場では、真っ赤なトマト、艶やかなナス、山盛りのズッキーニの花が並ぶ。果物屋のおばさんは、私がイチジクを眺めていると「まだ早いわよ、夏まで待ちなさい」と言った。その代わりにと、小さなアプリコットを一つくれた。その場で食べると、甘くてジューシーで、果汁が滴り落ちた。

夜は少し奮発して、海沿いのリストランテを予約していた。テラス席からは、ライトアップされたマニアーチェ城が見える。前菜に生ウニのパスタ、メインにブランジーノ (スズキ) の塩釜焼きを注文した。ウニのパスタは濃厚で、海の味が口いっぱいに広がる。塩釜焼きは、テーブルで塩の殻を割ってくれるパフォーマンス付きで、中から現れた魚は信じられないほどふっくらとしていた。ワインはシチリアの白、グリッロを選んだ。ミネラル感があって、魚料理によく合う。

隣のテーブルには、年配のイタリア人夫婦が座っていた。二人は終始穏やかに会話をしていて、時々手を取り合っている。きっと何十年も連れ添ってきたのだろう。そんな光景を見ながら、ひとりで旅をすることの自由と、同時にほんの少しの寂しさを感じた。でも、それは悪い感情ではなかった。ひとりだからこそ、こうした風景をゆっくりと味わえる。そう思いながら、ワインを一口飲んだ。

宿に戻る道、路地に迷い込んだ。地図を見ようとスマートフォンを取り出していると、窓から「どこへ行くの?」と声がかかった。見上げると、バルコニーから中年の女性が身を乗り出している。宿の名前を告げると、「ああ、アンナの家ね」と言って、道順を教えてくれた。この街では、みんながみんなを知っている。そんな小さな共同体の温かさを感じながら、宿への道を辿った。部屋に戻ると、窓から三日月が見えた。明日はもう最終日だ。そう思うと、少し名残惜しい気持ちになった。

3日目: 光の中の別れ

最終日の朝は、いつもより早く目が覚めた。まだ街が静かな時間に外に出て、朝の光の中を歩きたかった。午前6時、路地はまだ薄暗く、掃除をする人の姿がちらほら見える。パン屋の窓からは、焼きたてのパンの香りが漂ってくる。海沿いの遊歩道に出ると、朝日が水平線からゆっくりと昇ってくるところだった。

イオニア海の朝は静かだ。波の音だけが規則正しく響き、漁船が港を出ていく。空はオレンジ色から次第に青く変わり、建物の白い壁が朝日を反射して輝き始める。ベンチに座って、この光景をしばらく眺めていた。シラクーザの光は特別だと、誰かが言っていた。確かに、この朝の光には何か神聖なものがある。古代の詩人たちがこの光に魅せられたのも、よく分かる。

朝食後、チェックアウトまでの時間を使って、もう一度ドゥオモ広場を訪れた。朝の広場は観光客もまばらで、地元の人たちが新聞を読んだり、犬を連れて散歩したりしている。大聖堂の前に立ち、もう一度あのドーリア式の円柱を見上げた。ギリシャの神殿がキリスト教の聖堂になり、地震で崩れ、また建て直され、バロック様式の装飾が加わった。この建物ひとつが、シラクーザの歴史そのものだ。

午前10時に宿を出て、荷物を預けて最後の散策に出た。向かったのはベッリーニ庭園。オルティージャ島の対岸、本土側にある小さな公園だ。木陰にベンチがあり、地元の老人たちがチェスをしている。私もベンチに座って、木々の間から差し込む光を眺めた。旅の最後に、こうして静かな時間を過ごすのが好きだ。次にどこへ行こうかと考えるのではなく、ただここにいた時間を反芻する。

昼食は、初日に入ったトラットリアに戻った。同じテーブルに座り、今度はペーシェ・スパーダのインヴォルティーニ—カジキマグロの肉巻きを注文した。薄切りのカジキで、パン粉、レーズン、松の実を巻いて焼いた料理で、これもアラブの影響を感じさせる味付けだ。店主は私の顔を覚えていて、「また来たね」と言って笑った。「明日はもういないけど」と答えると、「じゃあ、また来年」と軽く言った。イタリア人のこういう軽やかさが、私は好きだ。

午後2時、バスに乗る前に、もう一度海を見に行った。アレトゥーザの泉の前に立ち、パピルスの茂みの向こうに広がる青い海を見つめた。2泊3日という短い滞在だったが、この街のことは忘れないだろう。古代の記憶と現代の生活が自然に混ざり合い、人々が穏やかに暮らしている。観光地でありながら、観光地だけではない。そんなバランスが、シラクーザにはあった。

バス停へ向かう道、最後にジェラートを買った。今度はアーモンドとオレンジの花のフレーバー。アーモンドはシチリアの特産で、ほろ苦くて香ばしい。オレンジの花は繊細な香りで、口の中に春の空気が広がるようだった。バスが来るまでの10分間、ジェラートを食べながら、通り過ぎる人々を眺めた。スーツ姿のビジネスマン、買い物袋を抱えた主婦、学校帰りの子どもたち。彼らにとって、これは日常の午後だ。でも私にとっては、シラクーザで過ごす最後の時間だった。

バスが来た。荷物を載せて座席に座ると、バスはゆっくりと動き出した。窓から見えるオルティージャ島の建物が、少しずつ遠ざかっていく。白い壁、青い海、石畳の路地。バスが橋を渡り、本土に入る頃には、島全体が小さく見えた。私はずっと窓の外を見ていた。別れを惜しむように。でも同時に、また戻ってこられるという確信もあった。シラクーザは、そういう街だった。一度訪れたら、必ずまた戻りたくなる。

カターニア空港へ向かうバスの中で、私はスマートフォンに撮った写真を見返していた。ドゥオモの円柱、アレトゥーザの泉、海辺の夕暮れ。でも写真には写らないものがたくさんあった。トラットリアの店主の笑顔、市場のおばさんの声、石畳を歩く時の足音、潮風の匂い、ジェラートの冷たさ。それらは記憶の中にだけ残る。そして、それでいいのだと思った。

空想の旅が残したもの

シラクーザでの2泊3日は、実際には私が経験したものではない。これは空想の旅だ。けれども、この文章を書きながら、私は確かにあの街を歩いたような気がしている。ドゥオモの石に触れ、イオニア海の風を感じ、パスタ・コン・レ・サルデの複雑な味を舌で確かめた。それは錯覚かもしれないが、旅とは本来そういうものではないだろうか。

実際に足を運ぶことだけが旅ではない。本を読み、写真を見て、誰かの話を聞いて、頭の中で風景を組み立てる。そうして作り上げた心象風景は、時に実際の風景よりも鮮明だったりする。なぜなら、それは自分の想像力と感性によって彩られているからだ。

もちろん、本物のシラクーザを訪れることができたら、それは素晴らしいことだろう。実際の光、本物の海、生身の人々との出会い。それらに勝るものはない。でも、今すぐには行けなくても、こうして想像の中で旅をすることはできる。そして、その空想の旅が、いつか本当の旅への扉を開くかもしれない。

シラクーザという街は、時間の層が折り重なった場所だ。古代ギリシャの栄光、中世の争い、バロック期の繁栄、そして現代の穏やかな日常。それらすべてが、この小さな街に刻まれている。そこに惹かれるのは、人間の営みの連続性を感じられるからかもしれない。私たちは、何千年も前の人々と同じように、海を眺め、美味しいものを食べ、日々を過ごしている。

この空想旅行記が、読んでくださった方にとって、何かしらの旅の種になれば嬉しい。それは実際にシラクーザを訪れることかもしれないし、別の場所への旅かもしれない。あるいは、ただ心の中で異国の風景を思い描くことかもしれない。どんな形であれ、旅は私たちの日常に小さな窓を開けてくれる。その窓から差し込む光が、日々の暮らしを少しだけ豊かにしてくれる。そう信じている。

シラクーザの朝の光を、私はこれからも忘れないだろう。たとえそれが、想像の中だけの光であったとしても。

hoinu
著者
hoinu
旅行、技術、日常の観察を中心に、学びや記録として文章を残しています。日々の気づきや関心ごとを、自分の視点で丁寧に言葉を選びながら綴っています。

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