はじめに
タンジェ。この街の名前を口にするだけで、何か特別な響きが心に宿る。モロッコ北端に位置し、ジブラルタル海峡を挟んでヨーロッパと向き合うこの古都は、アフリカとヨーロッパ、大西洋と地中海が出会う場所だ。紀元前から続く歴史の中で、フェニキア人、ローマ人、アラブ人、ベルベル人が行き交い、20世紀前半には国際管理都市として多くの芸術家や作家たちが集った。ポール・ボウルズ、ジャック・ケルアック、ウィリアム・バロウズ―彼らがこの街に魅せられたのは、きっとタンジェが持つ独特の混沌と美しさ、そして時間の流れ方にあったのだろう。
白い建物が丘陵地に散らばり、青い海と空が織りなす風景。メディナ (旧市街) の迷路のような路地には、香辛料の香りとミントティーの甘い匂いが漂い、モスクからのアザーン (礼拝の呼びかけ) が一日のリズムを刻む。ここは確かにアフリカでありながら、地中海の穏やかさも持ち合わせた、不思議な魅力を放つ街なのだ。
1日目: 海峡の向こうから届いた風
朝の6時、カサブランカからの夜行列車が静かにタンジェ・ヴィル駅のホームに滑り込んだ。車窓から見えるのは、まだ薄暗い空の下に広がる白い街並み。大西洋からの潮風が頬を撫でて、長い移動の疲れを一瞬で吹き飛ばしてくれる。
駅前でタクシーを拾い、メディナに近いリヤド (伝統的な邸宅を改装した宿) へ向かった。運転手のハッサンさんは流暢なフランス語で話しかけてくる。「初めてのタンジェか?いい時期に来たな。今は観光客も少なくて、本当のタンジェを感じられるぞ」。窓の外を流れる朝の街並みを眺めながら、彼の言葉に頷く。確かに、まだ観光地化されていない、生活感のある風景がそこにあった。
リヤド・ダル・ヌールに到着すると、アンダルシア様式の美しい中庭に息を呑んだ。タイル装飾 (ゼリージュ) が施された壁面、噴水の水音、そして天井から差し込む柔らかな光。オーナーのファティマさんが笑顔で迎えてくれ、ミントティーを勧めてくれる。砂糖がたっぷり入った甘いお茶が、旅の疲れを癒してくれた。
部屋に荷物を置いて、さっそく街歩きを始める。メディナの入り口であるグラン・ソッコ (大市場) は、朝の活気に満ちていた。野菜売りの声、ロバの鳴き声、人々の話し声がアラビア語、ベルベル語、フランス語で混じり合う。カフェ・セントラルで朝食を取ることにした。クロワッサンにオリーブオイルをたらし、フレッシュオレンジジュースを飲みながら、行き交う人々を眺める。商人たち、学校に向かう子どもたち、買い物に出かける女性たち―それぞれが自分の生活のリズムで動いている。
午後は、いよいよメディナの奥深くへ。狭い路地を歩いていると、すぐに方向感覚を失う。しかし、それこそがメディナの醍醐味だ。迷うことを恐れず、心の赴くままに歩いてみる。陶器屋、絨毯屋、香辛料屋―どの店も個性的で、店主たちは皆気さくに話しかけてくる。特に印象的だったのは、小さな香辛料屋のおじいさんだった。サフラン、クミン、パプリカなど色とりどりのスパイスを前に、「これは心を落ち着かせる」「これは体を温める」と一つ一つ丁寧に説明してくれる。言葉は通じなくても、その優しさは確実に伝わってきた。
夕方、カスバ (要塞) に向かった。高台から見下ろすタンジェの街は、夕日に染まって金色に輝いている。遠くにはスペインの山々が霞んで見え、足元には白い建物が密集するメディナが広がる。海峡を行き交う船の汽笛が聞こえ、風にのってジャスミンの香りが漂ってくる。この瞬間、私は確かにアフリカとヨーロッパの境界に立っていることを実感した。
夜はメディナの小さなレストランで夕食を取った。タジン・ダジャージュ (鶏肉のタジン) を注文する。円錐形の蓋が特徴的な土鍋で蒸し焼きにされた鶏肉は、オリーブやレモンの酸味とスパイスの香りが絶妙に調和している。付け合わせのクスクスは粒がふっくらとしていて、野菜の甘みが口の中に広がる。デザートにはパスティーヤを頼んだ。アーモンドとシナモンが効いた甘いパイで、食事の最後を優雅に締めくくってくれる。
リヤドに戻ると、中庭で他の宿泊客と出会った。フランス人の老夫婦とドイツ人の画家。彼らもまた、タンジェの魅力に取り憑かれた人たちだった。ミントティーを飲みながら、それぞれの旅の話に花を咲かせる。画家のハンスは「この街の光は特別だ」と語り、フランス人のマダム・デュポンは「20年前に初めて来てから、毎年訪れている」と微笑む。異なる国の人々が、同じ街への愛を語り合う―これもまた、タンジェならではの光景なのかもしれない。
部屋に戻り、窓を開けて夜風に当たりながら、一日を振り返る。朝の列車の到着から始まったこの日は、まるで長い夢のようだった。メディナの迷路、香辛料の香り、優しい人々の笑顔、そして海峡を渡る風―すべてが新鮮で、心に深く刻まれている。明日はどんな発見が待っているのだろうか。
2日目: 風と海の調べに包まれて
朝、アザーンの美しい響きで目が覚める。時計を見ると5時半。まだ薄暗い空に、モスクのミナレット (尖塔) がシルエットを描いている。窓を開けると、海からの風が部屋に流れ込み、新しい一日の始まりを告げている。
リヤドの屋上テラスで朝食を取った。フレッシュなパン、オリーブ、チーズ、そしてモロッコの蜂蜜。眼下に広がるメディナの屋根が朝日に照らされ、遠くの海がキラキラと輝いている。この高さから街を見下ろすと、タンジェがいかに美しい立地にあるかがよく分かる。丘陵地に築かれた白い街が、青い海と空に抱かれるように佇んでいる。
午前中は、まずアメリカン・レガシー・ミュージアムを訪れた。かつてアメリカ領事館だった建物で、今はタンジェの国際都市としての歴史を展示している。特に興味深かったのは、1950年代から60年代にかけてこの街に住んだアメリカの作家たちに関する展示だ。ポール・ボウルズの写真や手紙、ウィリアム・バロウズが使った古いタイプライターなどが展示されている。彼らがタンジェで何を見つけ、何を書いたのか―その一端を垣間見ることができた。
美術館を出て、プチ・ソッコ (小市場) を通り抜ける。グラン・ソッコよりもさらに庶民的で、地元の人々の生活に密着した市場だ。魚屋では、大西洋で取れた新鮮な魚が氷の上に並んでいる。サバ、イワシ、タイ―どれも目が澄んでいて、海の匂いがする。八百屋では色とりどりの野菜が山積みになっている。真っ赤なトマト、艶やかなナス、黄色いパプリカ。売り手のおばさんは私に気づくと、トマトを薄切りにして味見をさせてくれた。甘くて酸味のバランスが絶妙で、思わず笑顔になる。
昼食は、地元の人に教えてもらった小さな食堂で取った。メニューはアラビア語とフランス語だけだったが、隣のテーブルの人が食べているものを指差して注文する。出てきたのはハリーラという豆のスープだった。レンズ豆とトマトをベースにしたスープで、シナモンとジンジャーの香りが効いている。パンを浸しながら食べると、体の芯から温まる。シンプルだが、深い味わいのある料理だった。
午後は、タンジェビーチへ向かった。メディナから徒歩で15分ほどの距離にある、広い砂浜だ。11月の海は少し冷たいが、散歩には最適だった。波打ち際を歩きながら、ジブラルタル海峡の向こうに見えるスペインの山々を眺める。ここから見ると、ヨーロッパはすぐそこにある。しかし、足元の砂浜にはモロッコの大地が広がっている。この不思議な感覚―二つの大陸の境界に立っているという実感が、心を深く揺さぶる。
浜辺にはラクダがいた。観光客向けのアトラクションだが、これもタンジェらしい光景だ。ラクダ使いのおじさんと少し話をした。彼はベルベル語なまりのフランス語で、「ラクダは砂漠の船だが、海を見るのも好きなんだ」と冗談を言って笑わせてくれる。確かに、ラクダたちは海を見つめているように見えた。
夕方、カフェ・ハファに向かった。タンジェで最も有名なカフェの一つで、崖の上から海を見下ろす絶景のロケーションにある。ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズやビートルズのジョン・レノンも訪れたという伝説の場所だ。テラス席でミントティーを飲みながら、夕日が海に沈んでいく様子を眺める。オレンジ色の光が海面に反射し、空がピンクや紫に染まっていく。時が止まったような、神秘的な瞬間だった。
隣のテーブルには地元の老人たちが集まって、アラビア語で熱心に議論している。その向こうでは、若いカップルが静かに海を見つめている。カフェの中では、ウードの音色が流れている。すべてが調和して、タンジェという街の音楽を奏でているようだった。
夜は、メディナの奥にある家庭的なレストランで夕食を取った。パスティーヤ (鳩肉のパイ) とラムのタジンを注文する。パスティーヤは薄いパイ生地に包まれた鳩肉が、アーモンドとシナモンの甘い香りと絶妙に調和している。甘いのかしょっぱいのか分からない、不思議だが癖になる味だ。ラムのタジンは、肉がほろほろと崩れるほど软らかく煮込まれていて、プルーンの甘みとスパイスの香りが深い味わいを生み出している。
食事の後、メディナの夜の散歩を楽しんだ。昼間とは全く違う雰囲気で、路地に灯る暖かな明かりが幻想的な世界を作り出している。カフェからは音楽が聞こえ、家々の窓からは家族の笑い声が漏れてくる。人々の生活の音が、夜のメディナに温かみを与えている。
リヤドに戻り、中庭でしばらく星空を眺めた。都市部でありながら、空気が澄んでいるのか、多くの星を見ることができる。アフリカの大地と地中海の空が出会う場所で見る星は、特別な輝きを放っているようだった。今日一日で感じたタンジェの多面性―歴史と現代、アフリカとヨーロッパ、伝統と革新―すべてが心の中で融合し、深い満足感を与えてくれる。
3日目: 別れの調べと心に残る調和
最後の朝。いつものようにアザーンで目覚めたが、今日は少し違った感情が心を占めている。まだ2日しか経っていないのに、この街が既に恋しく感じられる。それは、タンジェが持つ独特の魅力が、短時間で深く心に刻まれたからかもしれない。
最後の朝食を屋上テラスで取りながら、この2日間を振り返る。メディナの迷路で道に迷ったこと、香辛料屋のおじいさんの優しい笑顔、カフェ・ハファで見た夕日、そして毎日出会った人々の温かさ。どれも鮮明に心に残っている。
午前中は、まだ訪れていなかったカスバ博物館を見学した。17世紀に建てられた宮殿を改装した博物館で、モロッコの工芸品や考古学的な発見が展示されている。特に印象的だったのは、古代ローマ時代のモザイクだった。2000年近く前に作られたとは思えないほど鮮やかな色彩で、当時の職人の技術の高さに驚かされる。この博物館を歩いていると、タンジェがどれほど長い歴史を持つ街なのかを実感する。
博物館の庭園からは、メディナと海の美しい景色が一望できる。最後にもう一度、この景色をじっくりと目に焼き付けておきたかった。白い建物の屋根が幾重にも重なり、その向こうに青い海が広がる。雲の影が建物の上を移り、光と影が織りなす美しいパターンを作り出している。
昼食は、グラン・ソッコ近くの老舗レストランで取った。最後の食事なので、まだ試していなかった料理を注文する。クスクス・ロワイヤル (王様のクスクス) は、羊肉、鶏肉、野菜がたっぷり乗った豪華な一皿だった。クスクスの粒は完璧に蒸されていて、野菜の出汁が染み込んでいる。肉は柔らかく、野菜は甘みがあって、すべてが調和している。これまで食べた中で最も美味しいクスクスだった。
食事の後、お土産を買いにメディナを最後に散策した。陶器屋で美しいタジン鍋を購入し、香辛料屋でサフランとラス・エル・ハヌート (モロッコの万能スパイス) を買った。どの店主も親切で、お土産を選ぶ楽しさを存分に味わうことができた。絨毯屋のおじさんは、「また戻ってこいよ」と言って手を振ってくれる。こうした人との触れ合いが、旅を特別なものにしてくれる。
午後の遅い時間、最後にもう一度カフェ・ハファを訪れた。今度は店内に座り、ゆっくりとミントティーを楽しんだ。壁には古い写真や新聞の切り抜きが貼られていて、このカフェの歴史を物語っている。常連らしい老人が一人で新聞を読んでいる姿は、何十年も変わらない日常の一コマなのだろう。そんな普遍的な時間の流れの中に、私という旅人が一瞬だけ加わらせてもらったような気持ちになった。
夕方、リヤドに戻って荷造りをした。パッキングをしながら、この短い滞在で手に入れたものを思い返す。お土産の品々はもちろんだが、それ以上に価値があるのは、心に残った体験と感情だった。メディナの迷路で感じた冒険心、地元の人々との交流で得た温かさ、海を見つめながら感じた静寂―これらは決して物質的なものではないが、確実に私の一部になっている。
最後の夜、リヤドの中庭で他の宿泊客と別れの挨拶を交わした。フランス人の老夫婦は「素晴らしい旅だったでしょう?」と尋ね、ドイツ人の画家は「この街の光を忘れないでください」と言ってくれた。短い時間だったが、同じ街への愛を共有した仲間のような気持ちになっていた。
部屋で最後の夜を過ごしながら、窓の外に見える夜景をもう一度眺めた。メディナの明かりが温かく輝き、遠くで海の音が聞こえる。明日の朝にはこの街を離れるが、タンジェで過ごした時間は永遠に心に残るだろう。この街が教えてくれたのは、異なる文化が出会う場所では、新しい美しさが生まれるということだった。アフリカとヨーロッパ、イスラムとキリスト教、伝統と現代―すべてが調和して、独特の魅力を持つ街を作り上げている。
明日の朝、私はタンジェを離れる。しかし、この街で感じた風、匂い、音、そして人々の温かさは、きっと私と共に旅を続けるだろう。
最後に
翌朝、列車に乗り込みながら、車窓から見えるタンジェの街並みに手を振った。白い建物、青い海、そして朝の光に輝くメディナ―すべてが夢のように美しかった。
この旅は架空のものだった。しかし、タンジェという街の魅力、そこで暮らす人々の温かさ、美しい風景、そして美味しい料理―これらすべてが実在することもまた確かだ。想像の中で歩いたメディナの石畳、飲んだミントティーの甘さ、聞いたアザーンの美しい響き、そして感じた海風の爽やかさ。これらは空想でありながら、心の中では確かに体験したことになっている。
旅とは、新しい場所を訪れることだけではない。それは心の中に新しい世界を作り出すことでもある。この空想の旅を通じて、私の心の中にタンジェという美しい場所が生まれた。そして、いつかきっと、本当にその土地を訪れる日が来るだろう。その時、この空想の記憶と現実の体験が重なり合って、さらに豊かな旅の物語が生まれるに違いない。
タンジェよ、ありがとう。空想の中で過ごした3日間は、確かに私の人生の一部となった。