はじめに
ヒマラヤの懐に抱かれた小さな王国、ブータン。その首都ティンプーは、標高2,320メートルの高地に位置し、古い仏教文化と現代的な暮らしが静かに共存している街だ。人口わずか15万人ほどのこの都市には、信号機が一つもない。代わりに、白い手袋をはめた警察官が交差点で優雅に手信号を送る光景が日常となっている。
ブータンは世界で唯一、GNH (国民総幸福量) を国の指標とする国として知られ、物質的な豊かさよりも精神的な豊かさを重視する。国土の7割以上が森林で覆われ、憲法で森林率60%以上の維持が義務づけられている環境先進国でもある。人々は今でも伝統衣装のゴ (男性用) やキラ (女性用) を日常的に着用し、仏教の教えが生活の隅々に息づいている。
私がこの神秘的な王国を訪れることになったのは、現代社会の喧騒に疲れた心が、本当の豊かさとは何かを求めていたからかもしれない。標高の高さと澄んだ空気、そして人々の穏やかな笑顔に包まれた2泊3日の旅は、私の価値観を静かに揺さぶることになった。
1日目: 雲の王国への扉
パロ空港への着陸は、まさに雲を縫うような体験だった。世界でも有数の難しい空港として知られるだけあり、機体は深い谷間を縫うように高度を下げていく。窓の外には緑深い山々が迫り、その斜面に点在する白い家々が、まるで絵本の世界のように美しかった。
空港からティンプーまでの車窓からの景色は息を呑むものだった。パロ川に沿って走る道は曲がりくねり、道端には色とりどりのタルチョ (祈祷旗) が風にはためいている。運転手のペマさんは流暢な日本語で「ブータンへようこそ」と微笑みかけてくれた。彼は10年前に日本の大学に留学していたそうで、その縁で日本人観光客のガイドを務めているという。
「ブータンでは、朝起きたら『今日も幸せな一日でありますように』と祈るんです」とペマさんが教えてくれた。車は標高を上げるにつれて空気が薄くなり、私の心拍数も自然と上がっていく。しかし、その軽い息苦しささえも、この特別な場所に来たのだという実感を与えてくれた。
ティンプーの街に入ると、まず目に飛び込んできたのは美しい伝統建築だった。すべての建物が伝統的なブータン様式で統一され、色鮮やかな装飾が施されている。街の中心部でも高層ビルは見当たらず、どこか時が止まったような静寂がある。
宿泊先のホテルは、伝統的な建築様式を活かしたブティックホテルだった。木造の建物は温かみがあり、ロビーには仏教の曼荼羅が描かれた美しいタンカ (仏画) が飾られている。チェックインを済ませ、部屋に荷物を置くと、すぐに街歩きに出かけた。
午後の陽光が街を優しく照らす中、タシチョ・ゾンへ向かった。この要塞寺院は13世紀に建てられ、現在は政府機関と僧院の両方の機能を持つ建物だ。白い壁と深紅の屋根のコントラストが美しく、午後の光の中で神々しく輝いている。敷地内では、深紅の袈裟を纏った若い僧侶たちが静かに歩いており、その姿に心が洗われるような気持ちになった。
建物の中庭では、年配の僧侶が若い僧たちに仏教の教えを説いていた。ゾンカ語なので内容は理解できないが、その穏やかな口調と聞き入る若者たちの真剣な表情から、大切な何かが伝承されている瞬間に立ち会っているのだと感じた。
夕食は地元のレストランで伝統料理を味わった。エマ・ダツィ (唐辛子とチーズの煮込み) は想像以上に辛く、汗をかきながらも病みつきになる味だった。赤米は日本の玄米に似た食感で、噛むほどに甘みが増していく。店の女将さんは美しいキラを身にまとい、「辛すぎませんか?」と心配そうに声をかけてくれた。彼女の優しさに触れ、ブータンの人々の温かさを早くも実感した。
夜、ホテルの部屋で窓を開けると、澄んだ夜気が頬を撫でていく。街の明かりは控えめで、満天の星空が手に取るように近く感じられた。遠くから聞こえてくるのは、寺院からの読経の声。その低く響く声に包まれながら、私は深い眠りについた。
2日目: 伝統と自然に包まれて
朝の空気は驚くほど澄んでいた。標高の高さを忘れるほど清々しく、肺の奥まで清らかな空気が行き渡る感覚がある。ホテルの朝食はブータン式とコンチネンタルの両方が用意されており、私は迷わずブータン式を選んだ。バター茶は塩気があって最初は戸惑ったが、高地での生活には理にかなった飲み物なのだとすぐに理解した。トゥクパ (麺料理) は心も体も温まる優しい味で、これから始まる一日への活力を与えてくれた。
午前中は国立民俗博物館を訪れた。ここはブータンの伝統的な生活様式を保存・展示する場所で、農村の暮らしを再現した建物の中には、実際に使われていた農具や生活用品が丁寧に展示されている。特に印象深かったのは、手織りの美しいテキスタイルだった。キラやゴに使われる布は、すべて手で染められ、複雑な幾何学模様が織り込まれている。一着を完成させるのに数ヶ月かかるという話を聞き、その美しさの背景にある膨大な時間と技術に感嘆した。
博物館の中庭では、おばあさんが昔ながらの糸車を回していた。彼女の指は長年の経験で器用に動き、羊毛が見る見るうちに美しい糸に変わっていく。言葉は通じないが、彼女は私に微笑みかけ、糸紡ぎを体験させてくれた。不器用な私の手つきを見て、優しく笑いながら手を添えて教えてくれる。その温かな手のぬくもりと、世代を超えた技術の伝承の瞬間に立ち会えたことに、深い感動を覚えた。
午後は市内から少し離れたメモリアル・チョルテンを訪れた。1974年に建てられたこの仏塔は、第3代国王を偲んで建設されたもので、地元の人々の信仰の中心となっている。到着すると、多くの人々が仏塔の周りを時計回りに歩いている。老若男女問わず、皆が口々に真言を唱えながら、ゆっくりと歩を進めている。
私もその輪に加わった。最初はぎこちなかったが、やがて歩くリズムが自然と身につき、心が静まっていくのを感じた。前を歩く年配の女性は、手に数珠を持ち、一歩一歩に祈りを込めているようだった。彼女の後ろ姿からは、長年の信仰の深さが伝わってきて、私も自然と手を合わせていた。
仏塔の内部は色鮮やかな仏画で埋め尽くされ、バター灯明の柔らかな光が空間を満たしている。ここで出会ったのは、日本語を勉強している大学生のツェリンさんだった。彼女は流暢ではないが一生懸命な日本語で、ブータンの仏教について説明してくれた。「私たちにとって仏教は勉強するものではなく、生活そのものです」という彼女の言葉が印象的だった。
夕方、ウィークエンドマーケットを訪れた。土曜日だけ開かれるこの市場には、近郊の農家が持ち寄った新鮮な野菜や香辛料、手工芸品が並んでいる。唐辛子だけでも何種類もあり、それぞれ辛さや香りが異なることを教えてもらった。ヤクのチーズは濃厚で、試食させてもらうとクリーミーな味が口いっぱいに広がった。
市場の片隅で、老人が手作りの木製品を売っていた。彼の作った小さな仏像は素朴ながらも味わい深く、手に取ると木のぬくもりが伝わってくる。言葉を交わすことはできなかったが、彼の職人としての誇りと、長年の経験が作品に宿っているのを感じた。
夕食は、地元の家庭に招かれた。ペマさんの紹介で、彼の親戚の家を訪問させてもらったのだ。伝統的なブータン建築の家は3階建てで、1階は家畜小屋、2階が居住スペース、3階が穀物倉庫になっている。2階のリビングは木造の温かな空間で、壁には家族の写真と仏像が丁寧に飾られていた。
家族総出で準備してくれた夕食は、これまで味わったことのない豊かな食事だった。エマ・ダツィ、ケワ・ダツィ (じゃがいもとチーズの煮込み) 、焼いた豚肉、そして香り高いバター茶。どの料理も素材の味を活かした素朴で深い味わいがあった。家族は私が箸を使えることに驚き、逆に私は彼らが器用に手で食事をすることに感心した。
食事中、おじいさんが若い頃の話をしてくれた。彼の時代にはまだ車もなく、すべての移動は徒歩だったという。それでも皆幸せだったと、目を細めて語る彼の表情からは、本当の豊かさとは何かを考えさせられた。帰り際、おばあさんが手作りのカタ (白いスカーフ) を首にかけてくれた。「幸せでありますように」という祈りが込められたこの贈り物に、胸が熱くなった。
3日目: 永遠に続く祈りの調べ
最終日の朝は、ホテルの屋上から市街を見渡すことから始まった。朝もやに包まれたティンプーの街は、まるで雲の上の都市のようだった。遠くの山々は朝日に照らされて金色に輝き、近くの建物からは炊煙が立ち上っている。この美しい光景を目に焼き付けようと、しばらくそこに佇んでいた。
午前中は、市内で最も重要な寺院の一つであるチャンガンカ・ラカンを訪れた。11世紀に建てられたこの古い寺院は、子宝祈願で有名な場所でもある。急な坂道を登って辿り着いた寺院は小さいながらも荘厳で、内部の古い仏像からは長い歴史の重みが感じられた。
ここで出会ったのは、生後数ヶ月の赤ちゃんを抱いた若い夫婦だった。彼らは子どもの健やかな成長を祈りに来ていて、僧侶から祝福を受けていた。僧侶の唱える真言の響きと、赤ちゃんの静かな寝息が重なり合う瞬間に、生命の神聖さを強く感じた。言葉は通じなくても、親としての愛情は万国共通で、その温かな光景に心を打たれた。
寺院を後にし、最後の買い物のためにハンディクラフト・バザールを訪れた。ここは観光客向けの店が集まる場所だが、職人たちの手仕事による美しい工芸品が並んでいる。特に目を引いたのは、精巧な木彫りの仏像と、鮮やかな色彩のタンカだった。店主の話では、タンカを一枚完成させるのに数ヶ月から数年かかることもあるという。
小さな土産物店で、手作りの香の袋を購入した。店の奥さんは「これはジュニパー (杜松) の香りです。ブータンの家庭では毎朝焚いて、家を清めるんですよ」と教えてくれた。その香りを嗅ぐと、森林の清々しさと微かな甘さが鼻腔を満たし、ブータンの自然の豊かさを再び感じることができた。
昼食は、最後にもう一度エマ・ダツィを味わいたくて、初日と同じレストランを訪れた。女将さんは私を覚えていてくれて、「いかがでしたか、ブータンは?」と尋ねてくれた。「とても美しい国です。人々の心の豊かさに感動しました」と答えると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。最後の食事は、これまでの思い出を反芻しながらゆっくりと味わった。
午後は、空港へ向かう前に最後にブッダポイントを訪れた。ティンプーを見下ろす丘の上に建つ巨大な仏陀像は、51.5メートルの高さを誇り、街全体を優しく見守っているようだった。像の台座から眺めるティンプーの街は、この2日間で歩いた道のりを振り返らせてくれた。
仏陀像の前で、多くの人々が静かに祈りを捧げていた。様々な国籍の観光客も、地元の人々と同じように手を合わせ、それぞれの祈りを込めているようだった。私も自然と手を合わせ、この旅で出会ったすべての人々の幸せを祈った。風に舞うタルチョの音が、まるで天からの祝福のように聞こえた。
パロ空港へ向かう車中で、ペマさんが「また必ずブータンに戻ってきてください。一度ブータンを愛した人は、必ず戻ってくると言われています」と話してくれた。車窓から見える景色は、来た時と同じはずなのに、どこか違って見えた。それは私自身の心に何かが宿ったからかもしれない。
空港での出国手続きを済ませ、搭乗を待つ間、私は過ごした3日間を振り返っていた。ブータンで出会った人々の笑顔、澄んだ空気、美しい自然、そして何より、物質的な豊かさではない本当の豊かさに触れた実感が、心の奥深くに根付いているのを感じた。
離陸する飛行機から見下ろすブータンの山々は、雲間に隠れたり現れたりしながら、まるで最後の別れを惜しんでくれているようだった。窓に額を押し当て、この美しい王国への感謝の気持ちを込めて、そっと手を振った。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
この旅は、私の想像の中で生まれた空想の旅だ。しかし、ブータンという国の美しさ、人々の温かさ、そして物質的な豊かさを超えた真の幸福について考えさせられた体験は、まるで実際にその地を踏み、その空気を吸い、その人々と触れ合ったかのように心に刻まれている。
GNH (国民総幸福量) という概念、森林率60%以上の維持、伝統文化の保護、そして何より人々の穏やかで慈愛に満ちた生き方。これらはすべて現実に存在するブータンの魅力であり、現代社会を生きる私たちが見習うべき価値観である。
空想の旅でありながら、ブータンの人々から学んだ「本当の豊かさとは何か」という問いかけは、これから私の人生を歩む上での大切な指針となることだろう。タルチョが風に舞う音、バター茶の塩気、手織りのキラの温かな手触り、そして人々の心からの笑顔。これらの記憶は私の心の中で永遠に色褪せることはない。
いつか本当にブータンの地を踏む日が来たとき、この空想の旅で感じた温かさと感動を、現実の体験として味わえることを心から願っている。