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  1. たび幻記/

古代ローマの記憶が息づく街 ― ドイツ・トリール空想旅行記

空想旅行 ヨーロッパ 西ヨーロッパ ドイツ
目次

モーゼル川が育んだ、ドイツ最古の街

AIが考えた旅行記です。小説としてお楽しみください。

ドイツ西部、ルクセンブルクとの国境近くに位置するトリール。人口約11万人のこの街は、「北のローマ」と称されることもある、ドイツで最も古い歴史を持つ都市だ。紀元前16年、ローマ皇帝アウグストゥスによって「アウグスタ・トレウェロールム」として建設されて以来、2000年以上の時を刻んできた。

モーゼル川の緩やかな流れに沿って広がるこの街には、黒く巨大なポルタ・ニグラをはじめとする古代ローマ遺跡が今も息づいている。中世の教会建築、バロック様式の宮殿、そして美しい木組みの家々が、異なる時代の記憶を重ね合わせるように街を彩っている。周囲に広がるモーゼル渓谷は、世界有名なワイン産地としても知られ、急斜面に連なるブドウ畑が独特の景観を作り出している。

哲学者カール・マルクスの生誕地でもあるこの街は、重厚な歴史の重みと、穏やかな地方都市の暮らしが同居する不思議な場所だ。石畳の路地を歩けば、2000年前のローマ人も同じ道を歩いたのだと実感する。そんな時間の層が幾重にも折り重なった街に、私は2泊3日の旅に出た。

1日目: 黒い門が迎える、時間の入口

ルクセンブルク空港からバスに揺られること約1時間、午前11時過ぎにトリール中央駅に到着した。駅舎を出ると、目の前に広がるのは思いのほか静かな街並みだった。10月下旬の空気はひんやりと澄んでいて、落ち葉が風に舞っている。スーツケースを引きながら旧市街へと向かう道すがら、すでに古い建物が点在し始める。

宿は旧市街の中心部、マルクト広場近くの小さなゲストハウスを選んだ。3階建ての伝統的な建物で、クリーム色の壁と深緑の窓枠が印象的だ。オーナーのエルケさんは60代くらいの穏やかな女性で、流暢な英語で部屋への案内をしてくれた。部屋は簡素だが清潔で、窓からは石畳の通りが見下ろせる。荷物を置いて一息ついてから、さっそく街歩きに出かけることにした。

最初に向かったのは、徒歩5分ほどの距離にあるポルタ・ニグラだ。角を曲がった瞬間、その巨大な黒い門が視界に飛び込んできて、思わず立ち止まった。高さ30メートル近い砂岩の建造物は、1800年以上の風雨に晒されて黒ずんでいる。近づいて見上げると、精巧に積み上げられた石のひとつひとつに、時の重みが刻まれているのがわかる。鉄の釘を一本も使わず、石と石を鉄のクランプで繋いだというローマの建築技術に、ただ圧倒される。

門の内部は見学できるようになっていて、狭い階段を登っていくと、かつて兵士たちが見張りをしたであろう上層部に辿り着く。そこから眺める旧市街の赤い屋根の連なりは美しく、遠くには教会の尖塔が空に向かって伸びている。観光客はまばらで、オーストリアから来たという老夫婦と少し言葉を交わした。「この門は何度見ても感動するのよ」と奥さんが微笑む。

昼食は門の近くの小さなレストラン「Zum Domstein」で取った。地元の人々で賑わう店内は温かく、壁には古い写真やワインボトルが飾られている。メニューを見ながら迷った末、モーゼル地方の名物である「ツヴィーベルクーヘン」というオニオンタルトと、地元のリースリングワインを注文した。サクサクのパイ生地に甘く炒めたタマネギとベーコン、サワークリームが絶妙に調和していて、白ワインの酸味がそれを引き立てる。ゆっくりと食事を楽しみながら、窓の外を行き交う人々を眺めた。

午後は、マルクト広場を中心に旧市街を散策した。広場の中央には聖ペテロの噴水があり、周囲をカラフルなファサードの建物が取り囲んでいる。カフェのテラス席では、地元の人たちがコーヒーを飲みながらおしゃべりを楽しんでいる。広場の一角には青果店や花屋が並び、日常の暮らしの匂いがする。観光地でありながら、人々の生活が息づいている場所だと感じた。

そこから歩いて5分ほどのところにあるトリール大聖堂へ向かった。ドイツ最古のカトリック教会であるこの建物は、ローマ時代の基礎の上に建てられ、ロマネスク様式とゴシック様式が混在している。重厚な石造りの外観は威厳に満ちていて、内部に足を踏み入れると、ひんやりとした空気と静寂が体を包んだ。高い天井から差し込む光が、石柱を照らしている。奥の礼拝堂には、キリストが十字架にかけられた際に着ていたとされる「聖衣」が保管されているという。真偽はともかく、この場所が長い間、人々の信仰の拠り所であったことは確かだ。

大聖堂を出て、隣接するリープフラウエン教会へ。こちらは優美なゴシック様式で、バラ窓から入る光が内部を色彩豊かに染めている。人影はほとんどなく、ただ静かに佇んでいると、旅の疲れが癒されていくようだった。

夕方近くになって、カール・マルクスの生家を訪ねた。ブリュッケン通りにある淡いピンク色の建物は、今は博物館になっている。1818年にこの家で生まれたマルクスの生涯と思想を紹介する展示は興味深かったが、思想の是非はともかく、この静かな街から世界を変える思想が生まれたという事実に、歴史の不思議を感じた。

日が傾き始めた頃、モーゼル川沿いを歩いた。川面は夕日を受けてオレンジ色に輝き、対岸の丘にはブドウ畑が広がっている。釣りをする人、犬を連れて散歩する人、ジョギングをする人。ゆったりとした時間が流れていた。

夕食は宿の近くの居酒屋風レストラン「Kartoffel Kiste」で。「じゃがいも小屋」という名の通り、ジャガイモ料理が評判の店だ。カウンター席に座り、ザワークラウトとソーセージ、そしてクリームをかけたベイクドポテトを注文した。地元のビールと一緒に味わうシンプルな料理は、旅の初日を締めくくるのにふさわしかった。隣に座った地元の男性が「初めてのトリール?」と話しかけてきて、おすすめの場所をいくつか教えてくれた。「ローマ遺跡だけじゃない。この街の本当の魅力は、普通の暮らしの中にあるんだ」という言葉が印象に残った。

宿に戻り、窓を開けると、夜の静けさの中に教会の鐘の音が響いていた。

2日目: ローマの残響と、モーゼルの恵み

朝、エルケさんの用意してくれた朝食をダイニングルームでいただいた。焼きたてのブレートヒェン(小型パン)、チーズ、ハム、ゆで卵、そして濃いコーヒー。ドイツの朝食はシンプルだが、どれも素材の味がしっかりしていて満足感がある。同じテーブルにフランスから来た若いカップルがいて、昨日ワイナリーツアーに行ったという話を聞いた。

9時過ぎに宿を出て、この日はローマ時代の遺跡群を中心に巡ることにした。まず向かったのは、トリール大聖堂の南側にあるカイザー・テルメン(皇帝浴場跡)だ。かつてローマ帝国北方最大規模を誇った公衆浴場の遺構で、今は赤レンガの壁の一部と地下通路が残されている。地下に降りていくと、複雑に入り組んだ通路が迷路のように続いている。暖房システムや水路の跡が見られ、当時の高度な技術力に驚かされる。薄暗い地下を歩いていると、1700年前、ここで裸のローマ人たちが談笑しながら身体を洗っていた光景が目に浮かぶようだった。

そこから徒歩15分ほど歩いて、アウラ・パラティーナ(コンスタンティヌスのバジリカ)へ。この巨大な煉瓦造りの建物は、もともとローマ皇帝の謁見の間として4世紀に建てられたもので、今はプロテスタント教会として使われている。外観は驚くほどシンプルで、装飾のない赤煉瓦の壁が圧倒的な存在感を放っている。内部に入ると、その広大な空間に息を呑んだ。長さ67メートル、幅27メートル、天井高33メートル。柱のない一室空間としては世界最大級だという。太陽光が大きな窓から差し込み、空間全体が光に満たされている。

ベンチに座ってしばらくその空間に身を委ねた。観光客は数人しかおらず、静寂の中で自分の呼吸音が聞こえるほどだった。この場所で、かつて皇帝が玉座に座り、帝国の運命を決する決断を下していたのだと思うと、時間の流れの不思議さを感じずにはいられない。

昼前、すぐ隣にあるプファルツ庭園を散策した。選帝侯の宮殿の裏手に広がるこの庭園は、バロック様式の幾何学的な美しさと、秋の自然が調和している。落ち葉を踏みしめながら歩き、ベンチに座って休んだ。庭園を手入れしている老人が、丁寧に枯れた花を摘んでいた。

昼食は旧市街に戻り、「Weinstube Kesselstatt」という伝統的なワイン居酒屋で。ランチタイムの特別メニューで、ラインラント地方の郷土料理「ザウマーゲン」を注文した。豚の胃袋にジャガイモと豚肉、香辛料を詰めて煮込んだ料理で、見た目はワイルドだが味は意外にマイルドだ。付け合わせのザワークラウトの酸味が、濃厚な肉料理のバランスを取っている。もちろん、地元産のリースリングも忘れずに。このワインの繊細な果実味と鉱物的なミネラル感が、モーゼル地方のテロワールを物語っているようだった。

午後は少し足を延ばして、モーゼル川沿いのバスに乗り、近郊のワイン村を訪ねることにした。トリールから約15分、ツェルティンゲンという小さな村で降りた。斜面に張り付くように広がるブドウ畑、川沿いに並ぶ白壁の家々。まるで絵葉書のような風景だ。

村の中心にある家族経営の小さなワイナリー「Weingut Josef Milz」を訪ねた。予約なしで訪れたにもかかわらず、若い当主のトーマスさんが快く迎え入れてくれた。「ちょうど今、樽から瓶詰めする作業をしているところなんだ」と言って、醸造所を案内してくれた。ステンレスタンクと伝統的な木樽が並ぶ空間には、発酵中のワインの甘い香りが漂っている。

その後、テイスティングルームで3種類のリースリングを試飲させてもらった。辛口、やや辛口、甘口。それぞれに個性があり、特にやや辛口の2023年ヴィンテージは、白桃とアプリコットの香りに、シャープな酸味が絶妙なバランスだった。「このブドウは、あそこの斜面で育ったんだよ」とトーマスさんが窓の外を指差す。急斜面のブドウ畑は、すべて手作業で管理しているという。「機械は入れないからね。でも、この土地が与えてくれる味わいは何物にも代えがたい」。

結局、そのやや辛口のリースリングを2本購入した。トーマスさんは「日本から来たのか。遠いところをありがとう」と笑顔で送り出してくれた。帰りのバスを待つ間、川沿いのベンチに座って、対岸の景色を眺めた。秋の午後の光が川面をキラキラと照らし、時折、観光船が静かに通り過ぎていく。

夕方、トリールの街に戻り、もう一つの重要な遺跡、ローマ橋を訪ねた。モーゼル川に架かるこの橋は、紀元2世紀に建造され、今も現役で使われている。黒い玄武岩の橋脚は、2000年近く川の流れに耐えてきた。橋の上に立ち、川を眺めていると、ローマ軍団がこの橋を渡り、交易の隊商が行き交い、巡礼者が祈りながら歩いていった、あらゆる時代の人々の足跡が重なって見えるようだった。

夕食は、地元の人に勧められた「Zum Christophel」という家庭的なレストランへ。石造りの地下室を改装した店内は居心地よく、キャンドルの明かりが温かい。モーゼル地方の伝統料理「ディボレ」(パンのスープ)と、鱒のムニエルを注文した。川で獲れたという鱒は新鮮で、バターの香りが食欲をそそる。デザートには、リンゴのコンポートにバニラアイスを添えたものを。シンプルだが、素材の良さが光る料理ばかりだった。

宿に戻る途中、ライトアップされたポルタ・ニグラの前を通った。昼間とは違う、幻想的な姿。観光客はほとんどおらず、ただ黒い門だけが、静かに時間の番人として立ち尽くしていた。

3日目: 日常の中の永遠

最終日の朝は、少しゆっくりと起きた。窓の外からは、石畳を歩く靴音や、遠くから聞こえる教会の鐘の音。この街の朝の音が、もう懐かしく感じられる。

朝食後、チェックアウト前の時間を使って、近くの朝市を覗いてみた。マルクト広場では週に数回、市が立つのだという。野菜、果物、チーズ、パン、花。地元の農家や職人が自慢の品を並べている。リンゴを売るおばあさんと少し話をした。「この辺りのリンゴは、モーゼルの水と太陽で育つから特別なのよ」と言って、一つ試食させてくれた。瑞々しくて甘酸っぱい、秋の味がした。

10時過ぎに宿をチェックアウトし、荷物は駅のロッカーに預けて、最後の散策に出た。向かったのは、まだ訪れていなかったシュテーデル美術館。小さな美術館だが、中世から近代までのトリールとモーゼル地方にまつわる美術品が展示されている。特に印象に残ったのは、19世紀の画家が描いたモーゼル渓谷の風景画だった。今とほとんど変わらない景色。100年前も、200年前も、人々はこの風景を愛でていたのだと思うと、不思議な感覚に包まれた。

美術館を出て、最後にもう一度、旧市街をゆっくりと歩いた。シュトゥールン通りの古い書店、シメオン通りの小さなチョコレート店。パン屋の前を通ると、焼きたてのパンの香りが漂ってくる。カフェのテラスでは、老婦人たちがケーキを食べながらおしゃべりに花を咲かせている。子どもたちが広場を駆け回り、犬が日向ぼっこをしている。

観光名所を巡るだけでは見えなかった、この街の本当の姿がそこにあった。2000年の歴史を持つ街が、今も人々の生活の場として息づいている。過去と現在が、特別な違和感もなく溶け合っている。それがトリールという街の、何よりの魅力なのかもしれない。

昼食は、駅に向かう前に「Café Mohrenkopf」という老舗カフェで軽く済ませた。アップルシュトゥルーデルとカプチーノ。温かいパイ生地から立ち上る湯気、シナモンの香り。この味もまた、旅の記憶の一部になるだろう。

駅へ向かう道すがら、最後にもう一度ポルタ・ニグラを見上げた。到着した日と同じ場所に立っているのに、この門の見え方が少し違っているような気がした。ただの観光名所ではなく、2000年間この街を見守ってきた存在として。

午後2時過ぎの列車に乗り込んだ。窓の外に流れていくトリールの街並み、モーゼル川、ブドウ畑。わずか2泊3日の滞在だったが、この街は確かに私の中に何かを残していった。それは写真や土産物ではなく、もっと抽象的で、でも確かな何か。時間の重なり、人々の暮らし、土地の記憶。そういったものが静かに心に沁み込んでいくような、そんな旅だった。

空想の旅が残したもの

列車が国境を越え、景色が移り変わっていく中で、私はトリールでの日々を反芻していた。

この旅は、実は一度も実現していない。私はトリールの石畳を歩いたことはなく、ポルタ・ニグラを見上げたこともない。モーゼルワインを味わったことも、ローマ遺跡の地下通路を彷徨ったこともない。すべては、資料と写真と、そして想像力が紡ぎ出した空想の産物だ。

しかし不思議なことに、この旅は私の中で確かな実感を伴っている。トーマスさんの笑顔も、エルケさんの温かい朝食も、川沿いで感じた秋の風も、どれも鮮明に心に刻まれている。もしかしたら、旅の本質とは、実際に足を運ぶことだけではないのかもしれない。ある場所に思いを馳せ、その土地の歴史や文化、人々の暮らしに想像力を働かせること。それもまた、一つの旅の形なのではないだろうか。

いつか本当にトリールを訪れる日が来たら、この空想の旅の記憶と、現実の体験がどのように重なり、どのようにずれるのか。それを確かめてみたい。そして、この文章を読んだ誰かが、いつかトリールの街を歩き、「ああ、本当にこんな場所だったんだ」と感じてくれたら、それほど嬉しいことはない。

空想でありながら、確かにあったように感じられる旅。それは、人間の想像力が持つ、小さな魔法なのかもしれない。

hoinu
著者
hoinu
旅行、技術、日常の観察を中心に、学びや記録として文章を残しています。日々の気づきや関心ごとを、自分の視点で丁寧に言葉を選びながら綴っています。

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