メインコンテンツへスキップ
  1. たび幻記/

アドリア海を望む交差の町 ― モンテネグロ・ウルツィニ空想旅行記

空想旅行 北米・中南米 モンテネグロ
目次

はじめに: アドリア海の隠れた宝石

AIが考えた旅行記です。小説としてお楽しみください。

モンテネグロの南端に位置するウルツィニは、アドリア海沿岸で最も魅力的でありながら、まだ観光地化されていない隠れた宝石のような町だ。人口約1万人ほどのこの小さな海辺の町は、5世紀にわたるオスマン帝国の支配により、バルカン半島でも珍しくイスラム教徒が多数を占める地域として知られている。

町の中心部には中世の城塞が海を見下ろすように建ち、その足元には石畳の旧市街が迷路のように広がっている。ミナレットの細い尖塔が空に向かって伸び、朝と夕方にはアザーンの美しい響きが町全体に流れる。一方で、美しい砂浜と透明度の高い海は、隣国アルバニアとの国境近くまで続き、地中海性気候の温暖な日差しを浴びながら、時が止まったような静寂を保っている。

ウルツィニの魅力は、オスマン朝時代の建築、アドリア海の絶景、そして多様な文化が混在する独特の雰囲気にある。セルビア正教、カトリック、イスラム教が共存するこの地では、それぞれの宗教建築が歩いて数分の距離に並び、異なる文化の香りを同時に感じることができる。また、新鮮な魚介類とバルカン半島の伝統料理が融合した独特の味覚も、この町ならではの体験となるだろう。

1日目: 石畳に響く足音と海風の歓迎

ポドゴリツァから約2時間のバスの旅を経て、ウルツィニに到着したのは午前10時過ぎだった。バスターミナルから旧市街への道のりは緩やかな上り坂で、遠くに見えるアドリア海の青い輝きが次第に大きくなっていく。石造りの家々の間を縫って歩いていると、どこからともなく潮の香りと、かすかにスパイスの匂いが混じった独特の空気が漂ってくる。

宿泊先のゲストハウスは旧市街の中心部にあり、15世紀に建てられたというオスマン様式の古い建物を改装したものだった。重い木の扉を開けると、アラビア風の絨毯が敷かれた石の床が迎えてくれる。部屋は簡素だが清潔で、小さなバルコニーからは城塞と海が一望できた。荷物を置いて一息つくと、さっそく町の散策に出かけることにした。

昼食は地元の人に勧められた小さなレストラン「カフェ・テラサ」で取った。城塞の城壁沿いにあるテラス席からは、エメラルドグリーンの海が眼下に広がり、遠くアルバニアの山々がかすんで見える。注文したのは「リバ・ナ・ジャラ」という地元の魚料理で、その日の朝に獲れたというブランツィン (シーバス) を炭火で焼き、オリーブオイルとレモン、そして地元産のハーブで味付けしたシンプルな一品だった。魚の身は驚くほど柔らかく、海の塩味とハーブの香りが口の中で踊る。地元産の白ワイン「ヴラナツ」と合わせると、午後の陽光に包まれながら、時間を忘れて食事を楽しんだ。

午後は旧市街をゆっくりと歩いた。石畳の路地は狭く、時には肩幅ほどしかない通りもある。両側に建つ石造りの家々は、どれも異なる時代の建築様式を重ねているようで、ビザンチン、ヴェネツィア、オスマンの影響を同時に感じることができる。バルシャ・タワーと呼ばれる円形の塔は14世紀のもので、ヴェネツィア共和国時代の面影を残している。その隣には18世紀に建てられたというモスクがあり、青いタイルで装飾されたミナレットが印象的だった。

夕方近くになると、地元の人々が路地に出てきて井戸端会話を始める。年配の女性たちは黒い服に身を包み、男性たちは石の階段に座って将棋に似たゲームに興じている。言葉は通じないが、微笑みかけるとにこやかに手を振り返してくれる。異邦人である私を温かく受け入れてくれるような、素朴な優しさがそこにはあった。

夜は旧市街のレストラン「スタリ・ウルツィニ」で夕食を取った。16世紀の石造りの建物の中にあるこのレストランは、ろうそくの灯りだけで照らされ、中世にタイムスリップしたような雰囲気に包まれている。名物の「チェヴァピ」は羊と牛のひき肉を練って棒状にし、炭火で焼いた料理で、フラットブレッドに包んで玉ねぎとスメタナ (サワークリーム) と一緒に食べる。素朴でありながら深い味わいがあり、地元の赤ワインとよく合った。

食事を終えて宿に戻る途中、城塞の上から夜の海を眺めた。月明かりが水面にキラキラと反射し、遠くの漁船の明かりが星のように瞬いている。昼間の喧騒は完全に静まり、波の音とときおり聞こえるモスクからの夜の祈りの声だけが空気を満たしていた。この静寂の中で、私は既にウルツィニの魔法にかかり始めていることを感じていた。

2日目: 大浜と小島の自然に包まれて

朝は鳥のさえずりと遠くから聞こえるアザーンの声で目を覚ました。バルコニーに出ると、朝日がアドリア海を金色に染め上げ、新しい一日の始まりを告げている。簡単な朝食を済ませた後、この日は自然と文化をたっぷりと味わう一日にすることに決めた。

午前中は「ヴェリカ・プラジャ」 (大浜) を訪れた。ウルツィニから南に約3キロメートルに位置するこのビーチは、全長13キロメートルにも及ぶ美しい砂浜で、地元の人々は「ヨーロッパ最後の楽園」と呼んでいる。旧市街からは小さなバスに揺られて20分ほどで到着した。

砂浜に足を踏み入れた瞬間、その美しさに言葉を失った。細かな金色の砂が延々と続き、透明度の高い海水は浅瀬では薄いブルー、沖に向かって徐々に深い青へと変化していく。まだ観光シーズンには早い時期だったこともあり、ビーチにはほとんど人影がなく、まるで私だけのプライベートビーチのようだった。

海に入ると、水はまだ少し冷たかったが、泳ぐには十分な温度だった。波は穏やかで、海底の砂が足裏に心地よく、しばらく海の中で浮かびながら空を見上げた。雲一つない青空が広がり、時折海鳥が優雅に舞い踊る。この静寂の中で、日頃の喧騒や心配事が波と一緒に洗い流されていくような感覚を味わった。

昼食は浜辺の小さなレストラン「プラジャ」で取った。木製のテラスから海を眺めながら、地元の漁師が朝獲ったという海の幸を堪能した。「フルーティ・ディ・マーレ」は新鮮な貝類、エビ、イカを白ワインとガーリックで蒸し焼きにした料理で、海の恵みが凝縮された味わいだった。デザートには地元産のイチジクとはちみつを使った「フィクス・ウ・メドゥ」をいただいた。自然の甘味が口の中に広がり、海風に吹かれながら食べるデザートは格別だった。

午後は「アダ・ボヤナ」という小島を訪れた。ウルツィニから車で約30分、ボヤナ川の河口に形成された三角形の島で、モンテネグロとアルバニアの国境に位置している。この島は自然主義者に人気のスポットとして知られているが、私が興味を引かれたのはその独特の生態系だった。

島への橋を渡ると、まるで別世界に足を踏み入れたような感覚に包まれた。川と海が混じり合う汽水域には、珍しい動植物が生息しており、バードウォッチングには絶好の場所だった。地元のガイド、ミルコさんに案内してもらいながら島を歩いた。彼は30年以上この島の自然を観察し続けているという生粋の自然愛好家で、流暢な英語で島の歴史と生態系について説明してくれた。

「この島は毎年少しずつ形を変えているんだ」とミルコさんは言った。「川の流れと海の波が運ぶ砂によって、自然が作り出す芸術作品のようなものさ。」実際に、島の先端部分では川と海の水が混じり合う場所があり、透明度の違いで水の境界線がはっきりと見えた。この自然現象を目の当たりにして、自然の力の偉大さと美しさに深い感動を覚えた。

夕方、島から戻ってウルツィニの旧市街で夕食を取った。今夜選んだのは「レストラン・ピラテ」という海賊をテーマにしたユニークなレストランだった。店主のアフメッドさんは陽気な中年男性で、自分の店を「アドリア海の海賊の隠れ家」と呼んでいた。

「ウルツィニは昔、バルバリア海賊の拠点だったんだ」とアフメッドさんは語った。「16世紀から18世紀にかけて、この町には多くの海賊が住んでいて、地中海を股にかけて活動していた。今でも旧市街には当時の面影が残っているよ。」

夕食には「プスニ・ジャンジュク」という伝統料理を注文した。これは羊肉をヨーグルトとハーブで煮込んだ料理で、オスマン帝国時代から受け継がれているレシピだという。肉は箸で切れるほど柔らかく、ヨーグルトの酸味とミントやディルなどのハーブが絶妙にバランスを取っていた。地元産の「プロコルド」という強いブランデーと一緒に味わうと、体の芯から温まった。

夜は再び城塞の上で星空を眺めた。都市部では決して見ることのできない満天の星が頭上に広がり、天の川もはっきりと見えた。海からの風が頬を撫で、波の音が静かに響く中で、この美しい町での2日目が終わった。明日はもう帰る日だと思うと、少し寂しさを感じずにはいられなかった。

3日目: 別れの朝と心に残る記憶

最後の朝は、いつもより早く目を覚ました。まだ日の出前の薄暗い時間に、そっとベッドを抜け出してバルコニーに出る。東の空がうっすらと明るくなり始め、海の水平線が黄金色に輝き始めていた。この美しい光景を目に焼き付けておきたくて、しばらくじっと海を見つめていた。

朝食は宿のオーナーであるファティマさんが特別に用意してくれた伝統的なモンテネグロの朝食だった。「ブレク」という薄いパイ生地にチーズを挟んで焼いたペイストリーと、濃厚なトルココーヒー、そして地元産のはちみつとチーズ。シンプルでありながら、どれも素材の味がしっかりしていて、旅の最後にふさわしい心温まる食事だった。

ファティマさんは60代の女性で、生まれてからずっとウルツィニで暮らしているという。「この町は小さいけれど、世界中の文化が混じり合った特別な場所なのよ」と彼女は言った。「オスマン、ヴェネツィア、スラブ、そして現代のヨーロッパ文化。全てがここで調和している。それがウルツィニの魅力なの。」

出発まで数時間あったので、最後にもう一度旧市街を歩くことにした。3日間で歩き慣れた石畳の道も、今日は違って見えた。一つ一つの石、一軒一軒の家、そして角の向こうから聞こえてくる日常の音。全てが愛おしく、記憶に刻み込んでおきたい大切な風景だった。

旧市街の市場を訪れると、地元の人々が野菜や魚、手工芸品を売っていた。言葉は通じなくても、笑顔で挨拶を交わし、お土産用にオリーブオイルと地元産のはちみつを購入した。店主のおじいさんは片言の英語で「ウルツィニはいかがでしたか?」と尋ねてくれた。「素晴らしかった」と答えると、彼の顔が嬉しそうに輝いた。

昼食は思い出深い「カフェ・テラサ」で取ることにした。初日と同じテーブルに座り、海を眺めながら最後の食事を味わった。注文したのは「リゾット・ディ・ペシェ」という魚介のリゾット。アドリア海の恵みがたっぷり詰まった一皿で、一口食べるたびにこの3日間の記憶が蘇ってきた。

食事を終えて宿に戻り、荷物をまとめる。小さなスーツケースに3日間の思い出を詰め込んでいると、なんだか心も一緒に詰め込まれているような気がした。チェックアウトの時、ファティマさんが手作りのお守りをプレゼントしてくれた。「これを持っていれば、きっとまたウルツィニに戻ってこられるわ」と言って微笑んだ。

バスターミナルへの道のりは、来た時とは逆に下り坂だった。振り返ると、城塞がまだ海を見下ろしていて、変わらずそこに佇んでいる。きっと何百年もの間、多くの旅人を見送り、そして迎え入れてきたのだろう。

バスに乗り込み、窓際の席に座った。エンジンがかかり、ゆっくりとウルツィニを離れていく。最後に見えたのは、青いアドリア海に浮かぶ小さな漁船と、その向こうに霞んで見えるアルバニアの山々だった。

バスが山道に入り、ウルツィニの町が見えなくなった時、胸の奥に温かいものが残っているのを感じた。それは単なる観光の思い出ではなく、一つの場所、一つの文化、そして出会った人々との心の交流だった。わずか3日間の滞在だったが、ウルツィニは私の中に特別な場所としての位置を占めるようになっていた。

最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと

この旅は私の想像の中だけで繰り広げられた空想の旅である。しかし、文章を書きながら、まるで実際にその石畳を歩き、その海風を感じ、その味を味わったかのような錯覚に陥った。それは恐らく、ウルツィニという場所が持つ独特の魅力と、そこに住む人々の温かさが、想像を通してでも伝わってくるからかもしれない。

実際にモンテネグロのウルツィニは存在する美しい町であり、ここに描いた風景や文化、料理の多くは現実に基づいている。アドリア海の美しさ、オスマン帝国時代の建築、多様な宗教と文化の共存、そして地中海の豊かな食文化。これらは全て、この小さな町に実在する宝物だ。

空想の旅であっても、心の中には確かな記憶として残っている。石畳の感触、海の色、人々の笑顔、食事の味。そして何より、異なる文化が調和して生きる場所の美しさ。これらは想像の産物でありながら、現実の世界に存在する素晴らしさへの憧憬でもある。

いつの日か、この空想の旅が現実のものとなり、実際にウルツィニの石畳を歩く日が来ることを願っている。そして、その時にはきっと、この空想の記憶が現実の体験と重なり合い、より深い感動を与えてくれることだろう。

旅とは、物理的な移動だけではなく、心の中で異なる世界に触れることでもある。この空想の旅を通して、私たちは知らない場所への憧れと、そこで生きる人々への敬意を育むことができるのかもしれない。ウルツィニという美しい町が、いつまでもその魅力を保ち続けることを心から願っている。

hoinu
著者
hoinu
旅行、技術、日常の観察を中心に、学びや記録として文章を残しています。日々の気づきや関心ごとを、自分の視点で丁寧に言葉を選びながら綴っています。

関連記事

色彩と風に抱かれるカリブの島 ― フランス海外県・グアドループ空想旅行記
空想旅行 北米・中南米 フランス グアドループ
海と遺跡が語りかける旅 ― メキシコ・トゥルム空想旅行記
空想旅行 北米・中南米 メキシコ
都市のリズムと緑が交差する街 ― アメリカ・ニューヨーク空想旅行記
空想旅行 北米・中南米 アメリカ合衆国
水音に包まれるアンデスの町 ― エクアドル・バニョスデアグアサンタ空想旅行記
空想旅行 北米・中南米 エクアドル
赤土の山と光が照らす街 ― アルゼンチン・サルタ空想旅行記
空想旅行 北米・中南米 アルゼンチン
湖と都市が出会う場所 ― カナダ・トロント空想旅行記
空想旅行 北米・中南米 カナダ