はじめに: 西セルビアの静かな町
ウジツェという名前を初めて耳にしたのは、バルカン半島の地図を眺めていたときだった。セルビア西部、ボスニア・ヘルツェゴビナとの国境近くに位置するこの小さな町は、ディナル・アルプスの麓に抱かれるように存在している。
ウジツェ (Užice) の名前は、「狭い場所」を意味するスラヴ語に由来するという。実際、この町はジェティニャ川が刻んだ深い渓谷に沿って発達し、周囲を緑豊かな丘陵に囲まれている。人口約8万人のこの町は、セルビアの産業都市として発展してきた一方で、豊かな自然と古い歴史を併せ持つ魅力的な場所でもある。
特に興味深いのは、第二次世界大戦中にパルチザンの拠点となった歴史である。1941年から1943年にかけて、チトー率いるユーゴスラビア・パルチザンがこの地域に「ウジツェ共和国」という解放区を築いた。そんな激動の歴史を刻んだ町が、今はどのような表情を見せているのだろうか。
そして何より、この町を選んだ理由は、観光地化されていない素朴なセルビアの暮らしに触れられそうだと感じたからだった。大都市ベオグラードやノヴィ・サドとは違う、静かで穏やかな時間が流れているに違いない。

1日目: 渓谷に抱かれた町との出会い
ベオグラードから長距離バスに揺られること約3時間。朝の光が山々を淡く照らす中、バスはくねくねと山道を下り始めた。窓の外に広がる風景は次第に渓谷の様相を呈し、やがて川沿いに建物が点在する小さな町が見えてきた。それがウジツェだった。
バスターミナルに降り立つと、ひんやりとした山の空気が頬を撫でた。4月下旬の朝はまだ肌寒く、薄手のジャケットを羽織って正解だった。駅前の小さな広場では、年配の男性たちがベンチに座り、朝のコーヒーを片手に穏やかな会話を交わしている。そんな光景が、この町の時間の流れ方を物語っているようだった。
宿泊先のホテル・パリに向かう途中、町の中心部を歩いた。メインストリートは決して大きくはないが、石畳の道に沿って美しい19世紀の建物が並んでいる。オーストリア=ハンガリー帝国時代の影響を感じさせる、クリーム色やパステルカラーの壁面が朝日に映えて美しい。所々に見える銃弾の跡や修復の痕は、この町が歩んできた複雑な歴史を静かに物語っている。
ホテルにチェックインを済ませ、荷物を置いてから再び外に出た。まずは町の全体像を把握したいと思い、地元の人に尋ねながらシュマリツァ山 (Šumarice) の展望台を目指した。町の中心から徒歩で30分ほどの緩やかな上り坂を歩くと、周囲の景色が次第に開けてくる。
展望台に着いたのは正午過ぎだった。眼下に広がるウジツェの町並みは想像以上に美しく、ジェティニャ川がS字を描いて流れる様子がよく見えた。川の両岸に広がる赤い屋根の家々、その向こうに連なる緑の丘陵、そして遠くに見える山々。セルビアの内陸部らしい、穏やかで牧歌的な風景だった。
昼食は展望台近くの小さなレストラン「コド・ミレ (Kod Mile) 」で取った。地元の人に勧められたこの店で、初めてのセルビア料理に挑戦。注文したのはチェヴァピ (Ćevapi) という小さなソーセージのような肉料理だった。炭火で焼かれた香ばしい肉に、玉ねぎとパプリカ、そしてカイマク (kajmak) という濃厚なクリームチーズのようなものが添えられている。ソムン (somun) という平たいパンに包んで食べると、素朴だが深い味わいが口に広がった。
店の主人は片言の英語を交えながら、料理について熱心に説明してくれた。「チェヴァピはセルビアの心だ」と彼は言った。確かに、この素朴で温かい味は、この土地の人々の人柄を表しているように感じられた。
午後は町の歴史地区をゆっくりと歩いた。旧市街の中心にある聖マルコ教会 (Crkva Svetog Marka) は、19世紀に建てられたセルビア正教の美しい教会だった。内部に入ると、金色のイコンが並ぶイコノスタシスが荘厳さを演出している。ろうそくの灯りに照らされた聖人たちの顔は、穏やかでありながら神秘的だった。
教会の近くには、パルチザン博物館 (Muzej narodnooslobodilačke borbe) がある。第二次世界大戦中のユーゴスラビア・パルチザンの活動を展示したこの博物館で、ウジツェの激動の歴史に触れた。1941年から1943年にかけて、この小さな町が「自由な領土」として機能していたという事実は興味深く、同時に重い現実でもあった。展示されている写真や文書、武器などから、当時の人々の必死の抵抗が伝わってくる。
夕方、ジェティニャ川沿いの遊歩道を散歩した。川は思っていたよりも水量が豊富で、清らかな水音が心地よい。遊歩道にはベンチが点在し、地元の人々が夕涼みを楽しんでいる。老夫婦が手をつないで歩く姿、犬を連れて散歩する家族、釣り糸を垂らす男性。どの光景も日常的でありながら、どこか温かみがあった。
川沿いを歩いていると、小さなカフェ「リバー・サイド」を見つけた。テラス席から川の流れを眺めながら、セルビアコーヒーを注文した。小さなカップに入った濃厚なコーヒーは、砂糖を加えてゆっくりと味わうものだった。隣のテーブルでは、地元の年配男性たちがバックギャモンに興じている。彼らの笑い声と川のせせらぎが混じり合い、この町の平和な日常を感じさせてくれた。
夜は、宿の近くの家庭的なレストラン「ズラトナ・モルナ (Zlatna Moruna) 」で夕食を取った。ここで注文したのはカラジョルジェバ・シュニツラ (Karađorđeva šnicla) 、セルビア風のシュニツェルだった。豚肉を薄く叩いて延ばし、カイマクとハムを巻いて揚げた料理で、ボリュームたっぷりながら意外にあっさりとしている。付け合わせのローストポテトと季節の野菜が、料理のバランスを良くしていた。
レストランの女将さんは英語はほとんど話せなかったが、身振り手振りと笑顔で温かくもてなしてくれた。デザートに出されたパラチンケ (palačinke) は、薄いクレープにジャムとクルミが入ったもので、素朴な甘さが心に染みた。
夜遅く、ホテルの部屋で窓を開けると、山からの涼しい風が入ってきた。遠くで教会の鐘が時を告げ、町は静寂に包まれている。初日にして、この町の持つ特別な魅力を感じ始めていた。それは派手さや刺激ではなく、日常の中に潜む小さな幸せのような、静かで深い満足感だった。
2日目: 自然と伝統に包まれた一日
2日目の朝は、鳥の声で目を覚ました。窓の外では、まだ薄暗い空に星がわずかに残り、東の山の向こうから朝日が顔を出そうとしている。昨夜の涼しさとは打って変わって、今日は暖かくなりそうな予感がした。
朝食はホテルのダイニングルームで取った。セルビアの朝食は思っていたよりもシンプルで、パンにハム、チーズ、そして地元産のプルーンジャムが並んでいる。特に印象的だったのは、カイマクの濃厚な味わいだった。これを黒パンに塗って食べると、素朴でありながら満足感のある朝食となった。
今日の予定は、ウジツェ近郊の自然を満喫することだった。まずは市バスでドリナ川国立公園 (Nacionalni park Drina) の入り口まで向かった。バスの中では地元の人々の日常会話が聞こえてくる。セルビア語は理解できないが、その音の響きには親しみやすさがあった。
ドリナ川沿いのハイキングコースは、想像以上に美しかった。川は深いエメラルドグリーンの色をしており、両岸を覆う森林が水面に映り込んでいる。4月の森はまだ新緑の季節で、若葉の緑が目に鮮やかだった。ブナやオークの木々の間を歩いていると、時折、野鳥の鳴き声や小動物の気配を感じることができた。
途中で出会った地元のハイカーは、片言の英語で森の植物について教えてくれた。「この花はプリムローズ、春の始まりを告げる花だよ」と、黄色い小さな花を指差しながら説明してくれた。彼の名前はミロシュといい、週末になると必ずこの森を歩くのだという。「都市の生活は忙しすぎる。ここに来ると心が静かになる」と、彼は穏やかな表情で語った。
2時間ほどのハイキングの後、川沿いの小さな休憩所で昼食を取った。ここで注文したのは川魚の料理だった。ドリナ川で捕れたというマスを、シンプルに塩とハーブで焼いたもので、身がふっくらとして上品な味わいだった。付け合わせの野菜は全て地元産で、トマトやキュウリの味が濃く、素材本来の味を楽しむことができた。
午後は、近くの村で伝統工芸の見学をした。ウジツェ周辺は古くから木工製品や織物で知られており、今でも伝統的な技法が受け継がれている。小さな工房では、年配の職人が手作業で木製のスプーンや皿を作っていた。彼の手つきは滑らかで迷いがなく、長年の経験が感じられた。
「これは私の祖父から教わった技術だ」と職人は語った。「機械で作れば早いが、手で作ったものには魂が宿る」。彼の作品は確かに温かみがあり、木の質感や木目の美しさが活かされていた。小さな木製のボウルを一つ購入したが、それは単なる土産品以上の価値を持っているように感じられた。
織物工房では、女性たちが伝統的な模様の刺繍を施していた。赤と白を基調とした幾何学模様は、セルビアの民族衣装にも使われるデザインだという。一針一針丁寧に刺繍する姿は美しく、完成した作品の繊細さには思わず見とれてしまった。
夕方、町に戻る途中で小さな市場に立ち寄った。地元の農家が持ち寄った新鮮な野菜や果物、手作りのチーズやハチミツが並んでいる。特に目を引いたのは、色とりどりのパプリカだった。赤、黄、緑の鮮やかな色合いが美しく、どれも大ぶりで重みがある。地元のおばあさんが試食させてくれたパプリカは、甘みが強くジューシーだった。
市場では、言葉が通じなくても身振り手振りで会話が成り立った。商品を指差して値段を尋ねると、電卓を使って数字を見せてくれる。お釣りを渡すときの笑顔や、「hvala (ありがとう) 」という挨拶の交換が、言語を超えたコミュニケーションの温かさを感じさせてくれた。
夜の食事は、地元の人に勧められた「コノバ・スタリ・グラド (Konoba Stari Grad) 」という伝統料理レストランで取った。石造りの古い建物を改装した店内は、暖かな照明と木の家具が居心地の良い雰囲気を作り出している。
ここで注文したのは、セルビアの代表的な煮込み料理「サルマ (Sarma) 」だった。キャベツの葉で米と肉を包んで煮込んだ料理で、優しい酸味と深いうま味が特徴的だった。一口食べると、家庭の温かさを感じさせる味わいが口に広がった。これは母から娘へと受け継がれる家庭料理なのだろうと想像した。
デザートには「ルクマ (Lukma) 」という小さなドーナツのような揚げ菓子を注文した。温かいうちにシロップをかけて食べるもので、外はカリッと中はふんわりとした食感が楽しい。甘さは控えめで、食後のコーヒーとよく合った。
レストランを出ると、町の中心部では小さなコンサートが開かれていた。地元の音楽グループが、セルビアの伝統音楽を演奏している。アコーディオンとギター、それに歌声が響く音楽は、どこか懐かしい響きがあった。聴衆は主に地元の人々で、音楽に合わせて手拍子をしたり、一緒に歌ったりしている。
その光景を眺めながら、この町の人々の生活に少しだけ触れることができたような気がした。大都市にはない、コミュニティの結束や文化の継承が、ここには生きている。それは観光客向けのショーではなく、彼らの日常の一部なのだった。
ホテルに戻る道すがら、夜空を見上げた。都市部では見ることのできない満天の星が輝いている。天の川も薄っすらと見え、山に囲まれたこの町の夜の美しさを実感した。部屋の窓を開けて外の空気を吸い込むと、森の香りが混じった清々しい風が入ってきた。今日一日で体験した自然の豊かさと人々の温かさが、心の中で静かに響いていた。
3日目: 別れの朝と心に残るもの
最終日の朝は、いつもより早く目が覚めた。まだ日の出前だったが、もう一度、この町の風景を心に焼き付けておきたいという思いが強くあった。身支度を整えて外に出ると、街は静寂に包まれている。早朝の空気は冷たく澄んでいて、深呼吸をすると肺の奥まで清らかな空気が届く感じがした。
ジェティニャ川沿いの遊歩道を歩きながら、この2日間を振り返った。初日に感じた静かな魅力は、昨日の体験を通してより深く理解できるようになった。この町の美しさは、壮大な観光名所のような派手さではなく、日常の中にある小さな発見や、人と人とのささやかなつながりの中にあるのだと感じた。
川沿いのベンチに座り、ゆっくりと流れる水を眺めていると、早朝のジョギングをする地元の人たちとすれ違った。「ドブロ・ユトロ (おはよう) 」という挨拶を交わすと、皆温かい笑顔を返してくれる。言葉は通じなくても、その瞬間の交流は確かに心に残った。
朝食後、残された時間で最後の散策に出かけた。まだ訪れていなかった旧市街の裏路地を歩くと、古い石造りの家々が建ち並んでいる。窓辺には色とりどりの花が飾られ、中庭からは洗濯物が風に揺れている様子が見える。そんな日常の光景が、観光地の作られた美しさとは違う、本物の生活の美しさを感じさせてくれた。
小さな路地で、年配の女性が家の前の階段に座って編み物をしているのを見かけた。彼女は私に気づくと、にこやかに手を振ってくれた。近づいて挨拶をすると、編んでいるのは孫のためのセーターだと身振りで教えてくれた。完成まではまだ時間がかかりそうだが、一針一針に込められた愛情が伝わってくるようだった。
町の中心部に戻る途中、小さな書店を見つけた。本棚にはセルビア語の本がぎっしりと並んでいるが、その中に何冊かの英語の本も見つけることができた。店主は若い男性で、「この町に興味を持ってくれてありがとう」と流暢な英語で話しかけてくれた。
彼によると、ウジツェは観光客が少ない分、訪れる人との出会いが貴重だという。「大きな都市では体験できない、本当のセルビアがここにはある」と彼は誇らしげに語った。確かに、この2日間で感じたのは、観光地化されていない素朴さと、それゆえの本物の魅力だった。
昼食は、初日に立ち寄ったカフェ「リバー・サイド」で取った。今度はセルビアの伝統的なスープ「チョルバ (Čorba) 」を注文した。野菜と肉を煮込んだこのスープは、優しい味わいで体を温めてくれる。最後の食事として、この町の味を記憶に刻み込みたかった。
食事をしながら川の流れを眺めていると、2日前とは違う心境になっていることに気づいた。初日は未知の土地への好奇心が強かったが、今は別れの寂しさと同時に、この町への愛着が芽生えている。短い滞在でも、場所に対する感情的なつながりが生まれるものなのだと実感した。
午後、ベオグラード行きのバスの時間が近づいてきた。ホテルで荷物を受け取り、バスターミナルに向かう。チェックアウトの際、フロントの女性が「また来てください」と片言の英語で言ってくれた。その言葉が心に響いた。
バスターミナルでは、何人かの地元の人たちが見送りに来ている家族や友人と別れを惜しんでいた。そんな光景を見ていると、自分もこの町の一部になったような気持ちになった。バスが到着し、荷物を預けて席に着くと、窓の外の風景が愛おしく感じられた。
バスが動き出すと、ウジツェの町並みが次第に小さくなっていく。渓谷の緑、川の輝き、古い建物の屋根、それらすべてが記憶の中に深く刻まれていく。山道を上りながら振り返ると、町全体が一つの美しい絵のように見えた。
3時間の道のりの間、窓の外を流れる風景を眺めながら、この旅で得たものについて考えた。美しい自然、歴史ある建物、美味しい料理、そして何より温かい人々との出会い。これらすべてが、ウジツェという町の魅力を形作っていた。
特に印象深かったのは、観光地ではない土地ならではの体験だった。地元の人々の日常に少しだけ触れることができ、彼らの生活や文化をより身近に感じることができた。それは、用意されたプログラムでは得られない、生の体験だった。
また、この旅を通して、旅の価値は必ずしも有名な観光地を訪れることにあるのではないということを実感した。小さな町でも、そこに暮らす人々の営みや、長い時間をかけて築かれた文化や風景には、独特の魅力と価値がある。それを発見し、味わうことこそが、旅の真の楽しみなのかもしれない。
ベオグラードに着いた時には、すでに夕暮れが始まっていた。大都市の喧騒が戻ってきたが、心の中にはウジツェの静けさが残っている。それは今後も消えることのない、大切な思い出となるだろう。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
この旅行記は、実際には体験していない空想の旅である。しかし、文章を書き進める中で、ウジツェという町が確かに存在し、そこで過ごした2泊3日が本当にあったかのような感覚を覚えた。
セルビア西部の小さな町、ウジツェ。ディナル・アルプスの麓に位置し、ジェティニャ川が流れるこの町は、実在する場所である。パルチザンの歴史、美しい自然、伝統的な料理や工芸品、そして温かい人々も、すべて現実に存在するものだ。
空想の旅でありながら、なぜこれほど現実感があるのだろうか。それは、旅の本質が、新しい場所や文化との出会い、そして自分自身の内面との対話にあるからかもしれない。実際に足を運ばなくても、想像力を通してその土地の魅力に触れ、そこで得られるであろう体験を心の中で再現することは可能なのだ。
また、この空想の旅を通して、旅に対する憧れや期待、そして人との出会いへの渇望といった、普遍的な感情が浮かび上がってきた。これらの感情は、実際の旅行でも空想の旅行でも変わらないものであり、それゆえに空想でありながら確かな実感を伴うのだろう。
ウジツェという町への旅は、結果的に、旅そのものの意味を考える内なる旅でもあった。新しい場所への憧れ、未知の文化への好奇心、人とのつながりへの願い。これらすべてが、空想でありながら確かにあったように感じられる旅の記憶として、心の中に刻まれている。
いつか本当にウジツェを訪れる日が来れば、この空想の旅が現実とどう重なり、どう異なるのかを確かめてみたい。そして、空想が現実を超える瞬間があるのかも知れないし、現実が空想を遥かに上回る体験をもたらしてくれるかも知れない。
それまでは、この空想の旅の記憶を大切に心に留めておこう。ジェティニャ川のせせらぎ、山からの清々しい風、チェヴァピの香ばしい香り、そして出会った人々の温かい笑顔。すべてが確かにあったように感じられる、かけがえのない旅の思い出として。

