アルメニアという国
アルメニア。この名前を口にするだけで、なぜか胸の奥が少し温かくなる。コーカサス山脈の南に位置する小さな内陸国。世界で最初にキリスト教を国教とした国として知られ、数千年の歴史を刻んできた古い文明の地だ。
首都エレバンは、紀元前8世紀にウラルトゥ王国の要塞都市として建設されたとされ、世界でも最古の都市の一つとして数えられる。アララト山を望む高原に広がるこの街は、赤とピンクの凝灰岩で築かれた建物群が特徴的で、「ピンクシティ」とも呼ばれている。
アルメニア人の多くは、1915年のオスマン帝国によるジェノサイドの記憶を心に刻みながらも、その豊かな文化と伝統を大切に守り続けている。アルメニア文字という独自の文字体系、美しい教会建築、そして何よりも家族を大切にする温かな心。そんなアルメニアの人々の暮らしに少しでも触れてみたい。そう思って、私は一人でエレバンを訪れることにした。

1日目: ピンクシティへの第一歩
エレバンのズヴァルトノッツ国際空港に降り立った瞬間、乾いた空気が頬を撫でた。10月の午後、太陽はまだ高い位置にあったが、空気には既に秋の気配が漂っている。空港から市内へ向かうタクシーの窓越しに見えるのは、遠くに聳えるアララト山の雄大な姿だった。運転手のアルメンさんは片言の英語で「アララト山は私たちの心の故郷だ」と教えてくれた。現在はトルコ領内にあるため、アルメニア人にとっては見ることはできても登ることのできない山。その複雑な想いが、彼の声の奥に滲んでいた。
ホテルにチェックインを済ませ、まず向かったのは街の中心部にある共和国広場だった。夕方の斜光が、周囲の建物を美しいバラ色に染めている。この広場を囲む建物は全て、地元産の凝灰岩で造られているため、統一感のある美しい景観を作り出している。国立歴史博物館、国立美術館、政府庁舎が広場を取り囲み、中央には大きな噴水が設けられている。
噴水の周りには、夕涼みを楽しむ家族連れや恋人同士、友人たちが集まっていた。子どもたちが噴水の水しぶきに手を伸ばして遊んでいる姿を見ていると、どこの国でも変わらない日常の温かさを感じる。アルメニア語での会話は理解できないが、笑い声や子どもたちの声は万国共通の言葉だった。
夜が近づくにつれ、噴水に音楽と光のショーが始まった。クラシック音楽に合わせて踊る水と光の競演は、想像以上に美しく、多くの観光客や地元の人々が足を止めて見入っていた。隣に座っていた初老の女性が、流暢な英語で「これは私たちの誇りなのよ」と微笑みかけてくれた。彼女の名前はアニさん。長年フランスで暮らしていたが、最近故郷に戻ってきたのだという。
アニさんの案内で、近くの伝統的なレストラン「タヴェルナ・エレバン」へ向かった。石造りの建物の中は、アルメニア絨毯や伝統工芸品で飾られ、温かみのある照明に包まれていた。彼女が勧めてくれたのは、アルメニア料理の定番であるケバブとドルマだった。ケバブは日本で食べるものとは全く違い、香辛料の効いた挽肉を炭火で丁寧に焼いたもので、口の中に肉の旨味と煙の香りが広がった。ドルマは、ブドウの葉で米と挽肉を包んだ料理で、酸味の効いた爽やかな味わいが印象的だった。
「アルメニア料理の特徴は、中東とヨーロッパの境界に位置する地理的な条件から生まれた独特の味わいにあるの」とアニさんが教えてくれた。確かに、使われている香辛料やハーブは中東の影響を感じさせるが、調理法や盛り付けにはヨーロッパの洗練された感覚が息づいている。
食事の後、アニさんと別れて一人で夜の街を歩いた。共和国広場の噴水ショーは終わっていたが、広場周辺のカフェやレストランはまだ賑わっていた。アルメニアの人々は夜更かしが好きなようで、午後10時を過ぎても多くの人が街を歩いている。その光景を見ていると、この街の人々の生活のリズムが少しずつ見えてくるような気がした。
ホテルに戻る途中、小さな教会の前を通りかかった。夜闇の中に浮かび上がる十字架の形が、街の明かりに照らされて神々しく見えた。アルメニア正教会の特徴的な建築様式で、尖塔ではなく円錐形の屋根を持つ美しい建物だった。1700年以上前からキリスト教が根付いているこの国の深い信仰心を、その建物の佇まいから感じ取ることができた。
初日の夜は、まだ見ぬ明日への期待と、この土地が持つ奥深い魅力への予感に包まれながら眠りについた。
2日目: 信仰と芸術に触れる一日
朝、ホテルの窓から見えるアララト山が朝日に照らされて金色に輝いていた。標高5,165メートルの霊峰は、アルメニアの国章にも描かれている民族の象徴だ。朝食をとりながら、今日の計画を確認する。午前中はエチミアジン大聖堂、午後はマテナダラン古写本博物館とゲハルト修道院を訪れる予定だ。
エチミアジンへは、エレバンから西へ約20キロメートル。ミニバスで40分ほどの道のりだった。車窓から見える風景は、黄金色に実った小麦畑と葡萄畑が広がる穏やかな農村風景。アルメニアの大地の豊かさを実感する。
エチミアジン大聖堂は、301年にアルメニアがキリスト教を国教とした後、最初に建てられた教会として知られている。現在の建物は7世紀に再建されたもので、アルメニア正教会の総本山として機能している。赤い凝灰岩で造られた重厚な外観は、1700年という長い歴史の重みを感じさせる。
大聖堂の内部に足を踏み入れると、厳かな静寂に包まれた。高い天井には美しいフレスコ画が描かれ、金色の装飾が施された祭壇が神々しく輝いている。朝の祈りの時間だったため、黒い僧衣を着た修道士たちの聖歌が堂内に響いていた。アルメニア語の聖歌は初めて聞くものだったが、その美しい旋律は言葉の壁を越えて心に響いた。
祈りの後、大聖堂の庭園を散策した。古い墓石が点在する静かな庭で、千年以上前の文字が刻まれた石碑を見つけた。時間の流れを感じながら、この場所が持つ歴史の重さに圧倒される思いだった。
午後、エレバンに戻ってマテナダラン古写本博物館を訪れた。この博物館は、世界最大級の古写本コレクションを誇り、5世紀から18世紀にかけて書かれた約17,000点の写本が収蔵されている。アルメニア文字で書かれた美しい装飾写本は、まさに芸術作品だった。
特に印象的だったのは、13世紀に制作された福音書の写本。羊皮紙に描かれた色鮮やかな挿絵は、700年以上の時を経た今でも美しい輝きを放っている。文字を読むことはできないが、その美しさは言葉を必要としない。学芸員の方が英語で解説してくれたところによると、これらの写本はアルメニア民族のアイデンティティを保持する重要な役割を果たしてきたのだという。
博物館の見学後、タクシーでゲハルト修道院へ向かった。エレバンから約40キロメートル、山深い渓谷に建てられたこの修道院は、4世紀に設立されたアルメニア正教会の重要な聖地だ。「ゲハルト」とは「槍」を意味し、キリストを刺したとされる聖槍がここに保管されていたことからその名がついた。
修道院への道は曲がりくねった山道で、車窓からは切り立った岩壁と深い渓谷が見えた。秋の午後の太陽が岩肌を照らし、赤茶色の地層が美しいグラデーションを描いている。約1時間の道のりの後、突然視界に現れたのは、岩山に建てられた修道院の荘厳な姿だった。
修道院の建物の一部は、直接岩を削って作られている。自然の岩盤と人工の建築物が見事に調和した、世界でも珍しい建築様式だ。主聖堂の内部は、岩を削って作られた空間で、自然の音響効果により聖歌が美しく響く設計になっている。
夕方の祈りの時間に立ち会うことができた。修道士の聖歌が岩の壁に反響し、神秘的な音響空間を作り出している。その音色は、まるで大地そのものが歌っているかのような深い響きを持っていた。祈りの間、他の参拝者と共に静かに座っていると、日常の喧騒から離れた深い平安を感じることができた。
修道院の中庭には、古い十字架石 (ハチュカル) が立っていた。これはアルメニア独特の石造十字架で、複雑な装飾が施された美しい宗教芸術だ。それぞれに異なる模様が刻まれており、制作者の信仰心と芸術的才能を物語っている。
エレバンへの帰り道、夕日がアララト山を赤く染めていた。運転手のアルメンさんが「この景色を見ると、いつも故郷に帰ってきたという気持ちになる」と話してくれた。確かに、この山を望む風景には、人の心を安らげる何かがある。
夜は、地元の人に教えてもらった家庭料理のレストラン「アラガツ」で食事をした。アルメニアの家庭料理の代表であるハリッサ (麦粥に鶏肉を入れた料理) とラヴァシュ (薄焼きパン) をいただいた。ハリッサは素朴な味わいだが、長時間煮込まれた鶏肉の旨味が麦に染み込んで、体の芯から温まる料理だった。ラヴァシュは薄いが弾力があり、様々な料理と組み合わせて食べる万能のパンだった。
レストランの女将さんが、「アルメニア料理は母から娘へと受け継がれる家庭の味が基本なの」と教えてくれた。確かに、どの料理からも家庭的な温かさと愛情を感じることができた。
3日目: 別れの朝と心に残るもの
最終日の朝は、カスケード (階段状の噴水公園) から始まった。エレバンの中心部にある巨大な階段状の建造物で、上から見下ろす街の景色が美しいことで知られている。早朝の静かな時間に、500段以上ある階段を一歩ずつ登っていく。
階段の途中には、現代彫刻作品が展示されており、登りながら芸術鑑賞を楽しむことができる。特に印象的だったのは、著名な彫刻家ボテロの作品「黒い猫」だった。丸みを帯びた猫の彫刻が、朝の光に照らされて愛らしく見えた。
頂上に到着すると、エレバンの街全体を見渡すことができた。ピンク色の建物群が朝日に照らされて美しく輝き、遠くにはアララト山が威厳ある姿を見せている。この高台から見る景色は、まさにアルメニアの首都にふさわしい美しさだった。
カスケードの頂上にある現代美術館 (カフェシジャン現代美術館) では、アルメニア系アメリカ人の実業家が収集した現代アート作品を見ることができた。古い伝統と新しい芸術が共存するアルメニアの文化の多様性を感じる場所だった。
午前中の最後に訪れたのは、エレバンの名物である「ヴェルニサージュ」 (週末市場) だった。土曜日の午前中ということもあり、市場は多くの人で賑わっていた。アルメニア絨毯、銀細工、木彫り、陶器、絵画など、様々な手工芸品が所狭しと並んでいる。
特に目を引いたのは、伝統的なアルメニア絨毯だった。深い赤と青を基調とした複雑な幾何学模様は、見ているだけで時間を忘れてしまう美しさだった。絨毯職人のおじいさんが、一つ一つの模様に込められた意味を教えてくれた。「これは永遠の命を表し、これは家族の絆を表している」と、片言の英語で説明してくれる姿に、職人の誇りと愛情を感じた。
市場で小さなハチュカル (十字架石) の彫刻を購入した。手のひらサイズの石に、精巧な十字架と装飾が刻まれている。作者の若い彫刻家が「これを見るたびに、アルメニアを思い出してほしい」と言ってくれた。
昼食は、市場近くの小さな食堂で取った。メニューはアルメニア語のみだったが、店主のおばさんが身振り手振りで料理を説明してくれた。注文したのは、マンティ (小さな蒸し餃子のような料理) とアルメニア風サラダ。マンティは、薄い皮に包まれた挽肉が入った料理で、ヨーグルトソースとガーリックオイルをかけて食べる。一口食べると、スパイスの効いた肉の旨味とヨーグルトの酸味が絶妙に調和して、思わず「おいしい」と日本語で呟いてしまった。
午後は、アルメニア人虐殺記念館 (ツィツェルナカベルド) を訪れた。この記念館は、1915年にオスマン帝国によって行われたアルメニア人虐殺の犠牲者を追悼する施設だ。丘の上に建てられた記念碑は、12本の石柱が円形に配置され、中央に永遠の炎が灯されている。
記念館の展示を見学しながら、アルメニア民族が歩んできた苦難の歴史について学んだ。しかし、そこには憎しみではなく、平和への願いと記憶を次世代に伝えていこうという強い意志が感じられた。展示の最後に書かれていた「Never again (二度と繰り返してはならない) 」という言葉が、深く心に刻まれた。
記念館からの帰り道、タクシーの運転手さんが「私たちは過去を忘れない。でも、憎しみに支配されることもない。未来に向かって歩いていくんだ」と話してくれた。その言葉には、この民族の持つ強さと智慧が込められているように感じられた。
夕方、最後の時間を共和国広場で過ごした。初日の夜に見た噴水ショーをもう一度見たくて、広場のベンチに座って時間を待った。平日の夕方とは違い、土曜日の夕方の広場は家族連れで賑わっていた。
広場の周りを歩いていると、結婚式の記念撮影をしているカップルに出会った。美しい民族衣装を着た新郎新婦が、夕日に照らされた広場で幸せそうに写真を撮っている。その光景を見ていると、どこの国でも変わらない人生の喜びを感じることができた。
噴水ショーが始まると、多くの人が集まってきた。初日に見た時よりも、音楽と光と水の調和がより美しく感じられた。それは、この2日間でアルメニアという国とその文化に対する理解が深まったからかもしれない。
最後の夕食は、ホテル近くの伝統的なレストランで取った。これまでに食べた料理の中で特に印象に残ったケバブとドルマを再び注文し、2日間の旅を振り返りながらゆっくりと味わった。レストランの店主が、最後にアルメニアブランデー「アララット」を一杯サービスしてくれた。琥珀色のブランデーは、深い味わいと香りを持ち、この旅の最後を飾るにふさわしい一杯だった。
ホテルに戻り、荷物をまとめながら、この短い旅で感じたことを整理した。アルメニアという国は、確かに小さな国だが、その歴史と文化の深さは計り知れない。そして何より、そこに住む人々の温かさと誇り高さに感動した。
窓の外では、エレバンの夜景が美しく輝いている。明日の朝にはこの街を離れなければならないが、心の中にはアルメニアの風景と人々の笑顔がしっかりと刻まれている。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
アルメニア・エレバンでの2泊3日の旅は、想像以上に心に深く刻まれる体験だった。コーカサス山脈に囲まれた小さな国で出会った人々の温かさ、1700年以上の歴史を持つキリスト教文化の重み、そして現代と伝統が共存する街の魅力。それらすべてが、短い時間の中に凝縮されていた。
特に印象に残っているのは、どこを歩いても感じることのできた人々の生活の匂いだった。共和国広場で夕涼みを楽しむ家族、ヴェルニサージュ市場で誇らしげに作品を説明する職人、レストランで心を込めて料理を提供してくれる人々。彼らの日常の中に、アルメニアという国の本当の姿があった。
アララト山の存在も忘れることはできない。現在はトルコ領内にあり、アルメニア人にとっては「見ることはできても触れることのできない故郷」として心の中に存在している。その複雑な想いを抱えながらも、山を見上げる人々の表情には、希望と誇りが宿っていた。
この旅で最も学んだことは、平和の尊さと文化を継承することの大切さだった。虐殺記念館で学んだ歴史の教訓、エチミアジン大聖堂で感じた信仰の力、マテナダランで見た知識の継承。すべてが、人間が持つ最も美しい側面を教えてくれた。
アルメニア料理の味も、忘れることのできない思い出の一つだ。ケバブ、ドルマ、ハリッサ、マンティ。どれも素朴だが、家庭の温かさと母親の愛情が込められた料理だった。食事を通じて感じることのできる文化の深さは、どんな観光地巡りよりも価値のある体験だった。
そして、この旅を通じて改めて感じたのは、旅とは単に新しい場所を訪れることではなく、そこに住む人々の生活と文化に敬意を払い、異なる価値観を理解しようとする心の旅でもあるということだった。
アルメニアの人々が教えてくれた「記憶を大切にしながらも、未来に向かって歩いていく」という生き方は、私自身の人生にとっても大きな学びとなった。過去の重みを受け止めながらも、希望を失わずに前進していく強さ。それは、この小さな国が長い歴史の中で培ってきた智慧なのかもしれない。
この旅記は空想によるものだが、アルメニアという国の魅力と、そこに住む人々の素晴らしさは、確かに存在している現実だ。いつの日か、本当にこの地を訪れることができたなら、この空想の旅で感じた感動を、より深く、より真実に近い形で体験することができるだろう。
そんな希望を胸に、アルメニア・エレバンでの2泊3日の空想旅行を終える。心の中に刻まれたピンクシティの風景と、アララト山を望む人々の笑顔は、きっと長い間、私の中で輝き続けることだろう。

