タトラの麓に息づく山の文化
ポーランド南部、スロバキアとの国境近くに位置するザコパネは、タトラ山脈の麓に広がる標高約800メートルの高原の町だ。19世紀末から避暑地として発展し、今では冬のスキーリゾートとしても知られているが、この町の真の魅力は、山岳地帯特有の民族文化「グラル文化」が今も息づいていることにある。
木造の伝統家屋が立ち並ぶ通りを歩けば、独特の装飾が施された建物に目を奪われる。屋根の下の軒先には、幾何学模様や花のモチーフが彫り込まれ、窓枠には色鮮やかな塗装が施されている。これは「ザコパネ様式」と呼ばれ、19世紀末に建築家スタニスワフ・ヴィトキエヴィチによって体系化された、ポーランド固有の建築スタイルだ。
グラル人と呼ばれる山岳民族の末裔たちは、今も伝統的な民族衣装を着て羊飼いとしての生活を営んでいる。彼らの音楽、料理、言葉には、厳しい山の環境で培われた独自の文化が凝縮されている。
私がこの町を訪れることにしたのは、都会の喧騒から離れて、山の静けさの中で何かを見つけたいと思ったからだ。特別な目的があったわけではない。ただ、タトラの峰々に囲まれた小さな町で、ゆっくりと時間を過ごしてみたかった。

1日目: クルプヴキ通りと羊飼いのチーズ
クラクフから南へバスで2時間。窓の外の風景が次第に山がちになり、針葉樹の森が濃くなっていくのを眺めているうちに、ザコパネのバスターミナルに到着した。11月初旬、観光シーズンの谷間とも言える時期で、夏の登山客も冬のスキー客もまだ少ない。空気はひんやりとしていたが、陽射しは柔らかく、心地よかった。
宿に荷物を置いて町の中心部へ向かう。メインストリートであるクルプヴキ通りは、土産物店やレストランが軒を連ね、観光地らしい賑わいを見せている。けれども、その賑わいはどこか控えめで、押し付けがましさがない。木造の建物が多く、通り全体が温かみのある茶色の色調に包まれている。
昼食には、地元料理の店に入った。メニューを眺めていると、「オスツィペック」という単語が目に留まる。羊乳のチーズだと店員が教えてくれた。グラル地方の伝統的なチーズで、燻製にして焼いて食べるのだという。注文すると、グリルで焼かれた紡錘形のチーズが、クランベリージャムと共に運ばれてきた。
一口食べて、その複雑な風味に驚いた。燻製の香ばしさ、羊乳特有のコクと塩気、そしてジャムの甘酸っぱさが口の中で混ざり合う。硬めの食感が噛むほどに味わい深くなり、山の暮らしを支えてきた保存食の知恵を感じさせる。メインには「クヴァシニツァ」という酸味のあるスープと、「モスカル」と呼ばれる羊肉の煮込みを頼んだ。どちらも素朴だが、深い旨味があった。
午後は、町から少し離れた場所にある「ヴィトキエヴィチ家の別荘」を訪ねた。ザコパネ様式の建築を確立した建築家の自宅兼アトリエで、今は博物館として公開されている。中に入ると、木の温もりに包まれた空間が広がっていた。柱や梁には細やかな彫刻が施され、民芸品と芸術が溶け合ったような独特の美意識が感じられる。窓からはタトラ山脈が見え、建物と自然が一体となった設計思想を肌で感じることができた。
夕方、クルプヴキ通りに戻り、小さなカフェに入った。窓際の席に座り、「グジャネ・ピヴォ」という温かいビールを注文する。蜂蜜とスパイスで温められたビールは、体の芯から温まる冬の飲み物だ。外では、日が傾き始めた空の下で、伝統衣装を着た音楽家がヴァイオリンを奏でていた。哀愁を帯びた旋律が、山の風に乗って流れてくる。
その夜、宿に戻る前に通りを散策した。街灯に照らされた木造建築は、昼間とはまた違った表情を見せていた。観光客の姿はまばらで、地元の人たちが静かに夜を過ごしている様子が窺えた。遠くに見えるタトラの峰々は、暗闇の中でシルエットとなり、どっしりとした存在感を放っていた。この町が、山と共に生きてきた長い歴史を持つことを、改めて実感した夜だった。
2日目: ケーブルカーで登るグバウフカ山と伝統の味
朝食は宿で簡単に済ませ、早めに出かけた。今日は、グバウフカ山に登る予定だ。ザコパネの町から見上げると、なだらかな稜線を描く山で、ケーブルカーが通っている。標高1,126メートルの頂上からは、タトラ山脈の主峰リシィ山をはじめとするパノラマが楽しめるという。
ケーブルカー乗り場に着くと、すでに数人が列を作っていた。平日の朝だからか、混雑はしていない。ゴンドラに乗り込み、ゆっくりと上昇していく。眼下にザコパネの町並みが広がり、木造家屋の屋根が点在する様子がよく見えた。針葉樹の森を抜けると、視界が一気に開け、タトラの岩峰群が姿を現した。
頂上に着くと、冷たい風が吹き抜けていた。展望台に立ち、360度のパノラマを眺める。南にはスロバキアとの国境を成すタトラ山脈が連なり、最高峰のリシィ山(2,499メートル)が鋭い岩肌を見せている。北には、ポーランドの平原が遥か彼方まで続いていた。山と平野の境界線に位置するこの町の地理的な特異性が、一目で理解できる場所だった。
頂上のレストランで温かいジュレク(ライ麦の発酵スープ)を飲みながら、しばらく景色を眺めた。登山客や地元の家族連れが、思い思いに時間を過ごしている。子どもたちが無邪気に走り回り、老夫婦が寄り添ってベンチに座っている。そんな何気ない光景が、妙に心に残った。
下山後、午後は町の南側にある「タトラ博物館」を訪れた。グラル文化に関する展示が充実しており、伝統的な民族衣装、農具、楽器などが並んでいる。特に印象的だったのは、羊飼いたちが使っていた「チュパガ」という装飾を施した斧だ。実用品でありながら、細やかな彫刻が施されており、山の民の美意識の高さが伝わってきた。
博物館を出て、少し歩いたところにある教会に立ち寄った。「聖家族教会」という名の木造教会で、ザコパネ様式の特徴が随所に見られる。内部は静謐で、ステンドグラスから差し込む光が、木の祭壇をやさしく照らしていた。信者ではない私も、しばらく座って静かな時間を過ごした。
夕方、クルプヴキ通りの一角で、路上市が開かれていた。地元の農家や手工芸品を作る職人たちが、小さな屋台を出している。オスツィペックのチーズを売る老婦人がいて、試食を勧められた。焼きたてのチーズは、昨日食べたものよりも柔らかく、ミルクの甘みが強かった。彼女に「美味しい」と伝えると、深い皺が刻まれた顔に笑顔が広がった。
夕食には、「カルチマ・ポ・ズブジュ」という伝統料理の店を選んだ。「ズブジュ」とは、山賊を意味するらしい。内装は素朴で、壁には古い農具や写真が飾られている。注文したのは、「プロジョーキ」という蕎麦粉のパスタのようなもので、塩漬けの羊チーズとベーコンを混ぜて食べる。もっちりとした食感と、濃厚なチーズの風味が絡み合い、素朴ながらも忘れられない味だった。
宿に戻る道すがら、空を見上げた。雲が少なく、星がよく見えた。街灯の少ない通りでは、天の川も薄っすらと確認できた。山の町の夜の静けさの中で、自分が確かにここに存在していることを実感した。
3日目: 朝市の喧騒と別れの時
最終日の朝は、町の北側で開かれている朝市に足を運んだ。地元の人たちが食材を買いに来る市場で、観光客向けではない生活の場だ。野菜、果物、乳製品、パン、ハーブなど、様々な品が並んでいる。売り子たちの掛け声が飛び交い、活気に満ちていた。
一軒の乳製品店で、「ブンツ」という生のチーズを試食させてもらった。オスツィペックの原料となる、熟成前の柔らかいチーズだ。クリーミーで優しい味わいがあり、パンに塗って食べると絶品だと店主が教えてくれた。小さな容器に入ったものを一つ購入し、後で食べることにした。
市場の一角には、民芸品を売る屋台もあった。羊毛のフェルトで作られた帽子やスリッパ、刺繍の入ったテーブルクロス、木彫りの小物などが並んでいる。手に取ってみると、ひとつひとつが丁寧に作られていることが分かる。一輪の花が彫られた木製のしおりを買った。旅の記念として、ちょうどいい大きさだった。
市場を後にして、もう一度クルプヴキ通りを歩いた。二日間で見慣れた景色も、これで見納めだと思うと、少し名残惜しかった。通りの突き当たりには、タトラ山脈が見える。朝の光を浴びて、岩肌が白く輝いていた。
昼食には、簡単にザピエカンカというバゲットサンドを買って、公園のベンチで食べた。トッピングにはマッシュルームとチーズがたっぷりと乗っており、温かくてボリュームがあった。公園では、散歩をする人や犬を連れた家族がいて、のどかな時間が流れていた。
午後、バスの時間まで少し余裕があったので、町外れの「ペンション・サボワ」という古い木造建築を見に行った。かつて著名な芸術家たちが滞在した場所で、今も宿泊施設として使われている。外観を眺めるだけだったが、歴史を感じさせる佇まいに、ザコパネが芸術家たちに愛されてきた理由が少し分かった気がした。
バスターミナルに向かう道で、最後にもう一度、町を振り返った。タトラの峰々、木造の家々、伝統を守り続ける人々。この町は、観光地でありながら、どこか頑なに自分たちの文化を守り続けている。それは、誇りのようなものだと感じた。
バスに乗り込み、窓の外を眺めながら、この三日間を思い返した。特別な出来事があったわけではない。けれども、山の空気を吸い、素朴な食事をし、静かに時間を過ごす中で、何かが少しずつ自分の中に積み重なっていったような気がした。それが何なのか、言葉にするのは難しい。ただ、確かに何かを受け取ったのだと思う。
空想でありながら確かに感じられたこと
この旅は、実際には訪れていない。ザコパネの路地を歩いたことも、グバウフカ山から景色を眺めたことも、オスツィペックを食べたことも、すべて想像の中の出来事だ。けれども、書き記すことで、旅はある種の現実味を帯びる。
空想の旅には、予期せぬトラブルも、体力的な疲れもない。けれども同時に、風の冷たさや、焼きたてのチーズの香り、市場の喧騒といった、体験を通じて初めて得られる感覚も、本当の意味では存在しない。それでも、土地について調べ、文化を知り、その場所にいる自分を想像することで、何かが確かに心に残る。
ザコパネという町は、実在する。タトラ山脈も、グラル文化も、ザコパネ様式の建築も、すべて本当にある。そして、いつか本当に訪れたとき、この空想の旅が、何らかの形で役立つかもしれない。あるいは、実際に行くことは叶わなくても、想像の中で旅したことで、その土地への親しみが生まれる。
旅とは、移動することだけではなく、心が動くことでもある。そう考えれば、この空想の旅もまた、旅のひとつの形なのかもしれない。山の町の静けさ、伝統を守る人々の姿、素朴な食事の味わい。それらが、確かに心の中に風景として残っている。
この旅を終えて、私は何を得たのだろう。答えは簡単には出ない。ただ、しばらくの間、ふとした瞬間に、タトラの山々や木造の家並みを思い出すだろう。それで十分なのだと思う。

