はじめに
バイナ・バシュタ。この名前を初めて耳にしたとき、その響きに何とも言えない郷愁を感じた。セルビア西部、ボスニア・ヘルツェゴビナとの国境近くに位置するこの小さな町は、ドリナ川の美しい流れとタラ山の深い森に抱かれている。
人口わずか5,000人ほどのこの町が世界に知られるのは、ドリナ川に浮かぶ小さな家「ドリナ川の家 (Kućica na Drini) 」があるからだ。1968年に地元の若者たちが岩の上に建てたこの小屋は、今やセルビアの象徴的な風景となっている。しかし、バイナ・バシュタの魅力はそれだけではない。タラ国立公園の玄関口として、手つかずの自然と伝統的なセルビア文化が色濃く残る場所でもある。
セルビア正教会の影響が色濃く、キリル文字の看板が街角に踊る。人々は素朴で温かく、訪れる者を家族のように迎え入れてくれる。そんな土地への憧れを胸に、私は小さなスーツケースを引いてベオグラードから夜行バスに揺られることにした。
1日目: 静寂に包まれた到着
朝6時過ぎ、バスがゆっくりと停車する音で目が覚めた。バイナ・バシュタのバスターミナルは想像していたよりもずっと小さく、むしろ町の中心部にある広場のような場所だった。降り立つと、ひんやりとした山の空気が頬を撫でていく。5月の朝はまだ肌寒く、薄手のジャケットを羽織り直した。
宿泊先の「ペンション・ドリナ」は徒歩5分ほどの場所にある。石畳の細い道を歩いていると、庭先で花に水をやっているおばあさんと目が合った。「ドブロ ユトロ (おはよう) 」と声をかけてくれる彼女の笑顔に、旅の疲れが一気にほぐれた。
ペンションのオーナー、ミランさんは60代の穏やかな男性で、流暢な英語で迎えてくれた。部屋は2階にあり、小さなバルコニーからはドリナ川の流れが見える。荷物を置いて一息つくと、川面にキラキラと朝日が踊っているのが見えた。
午前中は町の散策に出かけた。中心部は歩いて15分もあれば一周できる小さなエリアだが、どの角を曲がっても絵になる風景が待っている。セルビア正教会の聖ペタル・パヴェル教会は、白い壁に青い屋根が美しく、静寂に包まれた内部では地元の人々が静かに祈りを捧げていた。
昼食は町唯一のレストラン「カフェ・ドリナ」で。店主のおすすめはチェヴァピ (小さな肉のソーセージ) とプレスカヴィツァ (ハンバーグのような肉料理) だった。付け合わせのアイヴァル (赤ピーマンのペースト) の甘酸っぱさと、焼きたてのレピニャ (平たいパン) の素朴な味が疲れた体に染み渡る。地元産のラキヤ (果実酒) を一杯勧められ、プラム味の強い酒が喉を温めた。
午後は待ちに待ったドリナ川の家を見に行った。町から川沿いの小道を15分ほど歩くと、そこに小さな木造の家がぽつんと岩の上に佇んでいる。50年以上もの間、洪水や厳しい冬を耐え抜いてきたこの小屋は、想像していたよりもずっと小さく、しかし確かにそこに存在感を放っていた。
川べりのベンチに腰かけて、しばらくその光景を眺めていた。観光客は私以外におらず、聞こえるのは川の流れる音と鳥のさえずりだけ。時折、地元の釣り人が通りかかり、軽く手を振ってくれる。この静寂こそが、バイナ・バシュタの真の魅力なのだと実感した。
夕方、ペンションに戻ると、ミランさんの奥さんマリヤさんが手作りのサルマ (キャベツロール) を夕食に出してくれた。ひき肉と米がキャベツに包まれ、トマトソースでじっくり煮込まれた家庭の味。彼女は片言の英語で「日本、とても遠い、よく来た」と微笑んでくれる。その優しさに心が温まり、遠く離れた異国でありながら、まるで実家に帰ったような安らぎを感じた。
夜は早く、9時過ぎには町全体が静寂に包まれる。バルコニーで川の音を聞きながら、今日一日の出来事を振り返った。都市の喧騒から離れ、時間がゆっくりと流れるこの場所で、心の奥深くに溜まっていた疲れが少しずつ溶けていくのを感じていた。
2日目: タラの森と伝統の息づかい
朝食はマリヤさん手作りのカイマク (クリームチーズのような発酵乳製品) とメド (蜂蜜) 、焼きたてのパンという典型的なセルビアの朝食。カイマクの濃厚な酸味と蜂蜜の甘さが口の中で調和し、素朴ながら深い満足感を与えてくれる。コーヒーは濃く、小さなカップでゆっくり味わう。
この日はタラ国立公園への小旅行を計画していた。ミランさんが知り合いのタクシー運転手ヨバンさんを紹介してくれ、午前8時に出発。山道を30分ほど登ると、眼下にドリナ川の蛇行する様子と、対岸のボスニア・ヘルツェゴビナの山々が一望できる展望台に着いた。
「ここが国境だ」とヨバンさんが指差す先には、確かに異国の風景が広がっている。しかし、山や川に国境線など見えるはずもなく、自然の前では人間の引いた境界など些細なもののように思えた。彼は流暢ではない英語で、この地域の複雑な歴史について語ってくれる。「戦争、とても悲しい。でも今は平和、良い」という彼の言葉に、この土地の人々の思いが込められているように感じられた。
タラ国立公園に入ると、空気が一段と澄んでくる。樹齢数百年のトウヒやモミの木が立ち並び、足元には柔らかな苔が敷き詰められている。鳥のさえずりと木々のざわめきだけが聞こえる静寂の中を、ゆっくりと散策路を歩いた。途中、リスが木の枝から顔を覗かせ、こちらを見つめている。この瞬間、都市の生活など遠い記憶のように感じられた。
昼食は山小屋風のレストラン「シューマ」で。ここの名物は猪肉のグリルとキクラマ (じゃがいも料理) 。猪肉は臭みがなく、ハーブと一緒に焼かれて野性味あふれる味わい。キクラマは素朴なマッシュポテトのような料理だが、バターとサワークリームが効いて、山歩きで疲れた体には最高のご馳走だった。
午後は村の工芸品工房を訪れた。70歳になるおじいさんが一人で営む小さな工房で、伝統的な木彫りの技術で小物を作っている。セルビア正教会の十字架や、幾何学模様が美しい小箱など、どれも手作りの温もりが感じられる作品ばかり。言葉は通じないが、彼の集中した表情と手の動きを見ているだけで、伝統技術の重みを感じることができた。
小さな十字架を一つ購入すると、おじいさんは嬉しそうに「フヴァーラ (ありがとう) 」と言って、私の手を両手で握ってくれた。その手のひらには、長年の手仕事で培われた硬いタコがあり、同時に人生の重みも感じられた。
夕方、バイナ・バシュタに戻ると、川沿いで地元の人々がピクニックをしている光景に出会った。家族連れが芝生にブランケットを敷いて、手作りの料理を囲んでいる。その中の一家族が手を振って私を招いてくれた。片言のセルビア語と英語、そして身振り手振りで交流しながら、彼らの手作りサンドイッチとホームメイドのワインを分けてもらった。
子どもたちは好奇心旺盛で、日本について色々質問してくる。「忍者はいるのか」「寿司は毎日食べるのか」といった可愛らしい質問に答えながら、国境を越えた人と人の繋がりの温かさを実感した。父親のゾランさんは「セルビア人は家族を大切にする。あなたも今日は家族だ」と言って、大きな笑顔を見せてくれた。
夜はペンションのテラスで、ミランさんと一緒にラキヤを飲みながら語り合った。彼は元教師で、この町の歴史や文化について詳しく教えてくれる。「バイナ・バシュタは小さな町だが、心は大きい」という彼の言葉が印象的だった。星空の下、川の音を聞きながら、旅の真の意味について考えていた。
3日目: 別れと記憶の刻印
最終日の朝は、特別に早起きしてドリナ川の家を再び訪れることにした。朝霧がまだ川面に立ち込める午前6時、誰もいない静寂の中で、この小さな家と静かに向き合った。昨日とは違う角度から見ると、朝日に照らされた家が金色に輝いて見える。
50年以上もの間、この場所で自然と共存してきた小さな家。人工的でありながら、もはや風景の一部となったその存在に、人と自然の調和について考えさせられた。写真を何枚か撮ったが、この瞬間の静謐さは到底カメラに収めることなどできないと思った。
朝食後、マリヤさんが特別に作ってくれたプリヤニツェ (ジンジャーブレッドクッキー) を袋に詰めてくれた。「日本で食べて、セルビアを思い出して」という彼女の心遣いに胸が熱くなる。ミランさんも「いつでも戻っておいで。ここはあなたの第二の故郷だ」と言って、固い握手を交わしてくれた。
出発前の最後の時間、町を一周してお世話になった人々に挨拶して回った。花に水をやっていたおばあさんは「ドヴィヂェニャ (さようなら) 」と手を振り、カフェの店主は小さなセルビア国旗のピンバッジをプレゼントしてくれた。木彫り工房のおじいさんは言葉少なく、しかし深く頷いて私の手を握ってくれた。
午後12時のバスでベオグラードへ向かう。小さなバスターミナルで待っていると、昨日出会った家族のゾランさんが駆けつけてくれた。「良い旅を」という彼の言葉と共に、子どもたちが描いてくれた日本とセルビアの国旗の絵を受け取った。
バスが動き出すと、窓から見えるバイナ・バシュタの風景が段々と小さくなっていく。ドリナ川の蛇行、タラ山の稜線、そして点在する家々。わずか2泊3日の滞在だったが、この町は確実に私の心の中に根を下ろしていた。
車窓から見える風景を眺めながら、旅の意味について考えていた。新しい場所を訪れること、異なる文化に触れること、見知らぬ人々と心を通わせること。それらすべてが、自分自身を豊かにしてくれる貴重な体験だった。特に、言葉の壁を越えて示してくれた地元の人々の温かさは、人間の本質的な良さを改めて信じさせてくれるものだった。
ベオグラードに着いた時、すでに夕暮れが始まっていた。大都市の喧騒が耳に戻ってくると、バイナ・バシュタの静寂がどれほど貴重だったかを実感する。しかし、心の中にはあの川の音、山の緑、そして人々の笑顔が鮮明に残っていた。
最後に
この旅は空想の産物である。しかし、筆を進めるうちに、バイナ・バシュタの石畳を歩いた感触、ドリナ川の冷たい風、マリヤさんの手作り料理の味、ミランさんの温かい握手、そして人々との出会いの一つ一つが、まるで本当に体験したかのようにリアルに感じられるようになった。
旅とは、必ずしも物理的に移動することだけを意味するのではないのかもしれない。心を開いて、想像力を働かせ、未知の世界に思いを馳せることもまた、一つの旅の形なのだろう。セルビアという国、バイナ・バシュタという小さな町について調べ、その文化や歴史、人々の暮らしに思いを向ける時間は、確かに私を成長させてくれた。
もしいつか本当にセルビアを訪れる機会があったなら、この架空の記憶が現実と重なり合う瞬間があるのだろうか。それとも、想像していたものとは全く違う新しい発見があるのだろうか。どちらであっても、それはそれで素晴らしい体験になるに違いない。
空想でありながら確かにあったように感じられる旅。それこそが、人間の想像力と心の豊かさの証明なのかもしれない。バイナ・バシュタという小さな町は、今も私の心の中で静かに息づいている。