はじめに: 隠れた温泉の里
ポーランド政府公認のヘルスリゾート (健康保養地) は全国に43ヶ所。そのうち温泉保養地 (ズドルイzdrójはポーランド語で温泉) は26ヶ所で、大半がチェコとの国境地帯をなすスデーティ山脈の麓に点在している。その中でも、クドバ=ズドルイは炭酸泉で知られる小さな温泉町だ。
チェコ国境からわずか数キロメートル、スデーティ山脈の緑豊かな丘陵地帯に佇むこの町は、まるで時が止まったかのような静寂に包まれている。19世紀から続く温泉療養の伝統を受け継ぎ、現在でも多くの人々が健康回復を求めて訪れる。ドイツ語圏の影響を受けた建築様式と、ポーランドの素朴な文化が交じり合った独特の風情が、この地を特別な場所にしている。
私がこの町を選んだのは、その名前の響きと、日本人観光客がほとんど訪れない隠れた魅力に惹かれたからだった。都市の喧騒から離れ、自然の恵みを肌で感じながら、ゆっくりと時間を過ごしてみたい。そんな思いを胸に、私は初春のクドバ=ズドルイへと向かった。
1日目: 静寂な温泉町への到着
ヴロツワフからバスに揺られること約2時間、窓外の景色は次第に起伏のある丘陵地帯へと変わっていく。スデーティ山脈の稜線が霞んで見える頃、バスは小さな町の中心部に到着した。降りた瞬間、澄んだ空気が頬を撫でていく。街の匂いとは全く違う、森の湿った土と清らかな水の香りが漂っている。
宿泊するペンションは、町の中心部から徒歩5分ほどの緑に囲まれた場所にあった。19世紀末の建物を改装した素朴な建物で、白い壁にダークグリーンの雨戸が印象的だ。受付で迎えてくれたのは、温かい笑顔の女性。流暢な英語で町の見どころを説明してくれた。部屋は2階の角部屋で、窓からは庭園とその向こうに広がる森が見える。
荷物を置いて、まずは町の中心部を散策することにした。メインストリートは石畳で、両側には温泉療養関連の施設が並んでいる。Pijalnia (飲泉所) と呼ばれる建物の前で、地元の人々が小さなカップで温泉水を飲んでいる。好奇心に駆られて近づいてみると、管理人の老人が親切に説明してくれた。この炭酸泉は消化器系に良いとされ、一日に数回、決められた時間に飲むのが効果的だという。
コップに注がれた温泉水は、微かに鉄の香りがして、舌にピリッとした刺激を感じる。不思議と体の中から温まるような感覚があった。老人は私が日本人だと知ると、日本の温泉文化について興味深そうに質問してきた。言葉の壁を超えて、温泉という共通の話題で心が通じ合う瞬間だった。
夕食は町唯一のレストラン Karczma Sudecka で。石造りの建物の中は、木の梁が美しく、温かみのある照明が心地よい。ポーランドの伝統料理、ビゴス (ザワークラウトの煮込み) とピエロギ (餃子のような料理) を注文した。ビゴスは肉とキャベツが絶妙に調和し、長時間煮込まれた深い味わい。ピエロギは手作りの生地がもちもちとして、中のジャガイモとチーズが優しい味を演出している。
地元のビールと共に、ゆっくりと食事を楽しんでいると、隣のテーブルの初老の夫婦が話しかけてきた。ドイツから毎年この時期に温泉療養に来ているという。彼らの話では、この町の魅力は単なる温泉だけでなく、時間がゆっくりと流れる静けさにあるという。現代社会の忙しさを忘れ、自分自身と向き合う時間を持てる場所だと語っていた。
夜のクドバ=ズドルイは、街灯が少なく、静寂に包まれている。ペンションに戻る道すがら、満天の星空を見上げた。都市部では決して見ることのできない、無数の星々が輝いている。部屋の窓を開けると、森からは夜鳥の鳴き声が聞こえてくる。こうして、静かな温泉町での最初の夜が更けていった。
2日目: 自然との対話と療養の時
朝は鳥のさえずりで目が覚めた。窓を開けると、霧が庭園を覆い、幻想的な光景が広がっている。ペンションの朝食は、地元の食材を使ったシンプルで健康的なもの。新鮮な野菜とパン、そして地元産のハチミツが素朴な美味しさを演出している。
午前中は、温泉療養施設 Uzdrowisko Kudowa-Zdrój を訪れた。19世紀に建設された格調高い建物で、現在でも多くの人々が療養に訪れている。受付で一日利用券を購入し、まずは温泉プールへ。水着を着用して入る温泉は、日本の温泉文化とは異なる体験だった。
プールには様々な年齢の人々がいて、皆、ゆっくりと水中で身体を動かしている。炭酸泉の気泡が肌に付着し、血行が促進されるのを感じる。隣で水中ウォーキングをしている女性と言葉を交わした。彼女はポーランド南部から来ており、関節炎の治療のために月に一度この町を訪れているという。温泉の効能について詳しく教えてくれ、この地が単なる観光地ではなく、人々の健康を支える重要な場所であることを理解した。
昼食は町の小さなカフェ Kawiarnia Pod Lipą で。菩提樹の下という意味のこの店は、実際に大きな菩提樹の木陰にテーブルが置かれている。ポーランドの伝統的なスープ、ジュレク (酸味のあるライ麦スープ) を注文した。ソーセージと卵が入った心温まる味で、身体の芯から温まる。
午後は、町の周辺を散策することにした。Park Zdrojowy (温泉公園) は、19世紀に造られた美しい庭園で、様々な樹木と花々が植えられている。小径を歩いていると、ベンチに座って読書をする人々や、ゆっくりと散歩する老夫婦の姿が見える。皆、この町特有の穏やかな時間の流れを楽しんでいるようだった。
公園の奥には、小さな展望台がある。そこから見渡すクドバ=ズドルイの全景は、まるで絵画のように美しい。赤い屋根の家々が森に囲まれ、遠くにはスデーティ山脈の稜線が霞んで見える。この瞬間、私は完全にこの町の魅力に取り憑かれていた。
夕方には、地元の人々に教えてもらった森の散歩道を歩いた。Ścieżka Zdrowia (健康の小径) と呼ばれるこの道は、様々な樹木の間を縫うように続いている。途中、小さな教会 Kaplica Stella Maris を発見した。石造りの素朴な建物で、中には美しいステンドグラスが輝いている。静寂の中で、心が洗われるような感覚を覚えた。
夜は、ペンションのテラスで地元産のワインを楽しんだ。ワインはやや酸味があり、この地の土壌と気候を反映した独特の味わい。星空を見上げながら、この2日間で感じた様々な感情を反芻していた。都市の生活では忘れがちな、自然との調和や、時間の大切さを改めて実感している。
3日目: 別れの朝と心に残る記憶
最終日の朝は、特別に早起きして日の出を見ることにした。ペンションから徒歩10分ほどの小高い丘に登ると、東の空が次第に明るくなっていく。やがて太陽が森の向こうから顔を出し、クドバ=ズドルイの町全体を金色に染めた。この瞬間の美しさは、言葉では表現しきれない。
朝食後、町の中心部を最後に歩いた。昨日までは気づかなかった小さな詳細にも目が向く。古い建物の装飾、石畳の隙間に生える苔、飲泉所の前で談笑する地元の人々。これらすべてが、この町の魅力を構成する要素だった。
お土産を買いに立ち寄った小さな店で、店主の老婦人と話をした。彼女は生まれも育ちもクドバ=ズドルイで、町の変遷を見てきたという。昔に比べて観光客は少なくなったが、それでも毎年同じ時期に訪れる人々がいて、彼らとの交流が生活の楽しみだと語っていた。地元産のハーブティーとハチミツを購入しながら、この町の人々の温かさを改めて感じた。
最後の食事は、到着初日と同じレストラン Karczma Sudecka で。今度はポーランドの伝統的なデザート、マコヴィエツ (ケシの実のケーキ) を注文した。甘さ控えめで、ケシの実の香ばしさが口の中に広がる。コーヒーと共に味わいながら、この3日間の出来事を振り返っていた。
バスの出発時刻が近づき、ペンションに戻って荷物をまとめた。部屋の窓から最後にもう一度、庭園と森の風景を眺めた。わずか3日間だったが、この場所は私の心の中に深く刻まれている。
ペンションの女性が見送りに来てくれた。「また必ず戻ってきます」と言うと、「いつでもお待ちしています」と笑顔で答えてくれた。バス停までの道のりも、もう慣れ親しんだ景色となっている。
バスに乗り込み、窓から町を見下ろした。小さな温泉町は、相変わらず静かに佇んでいる。出発の時が来ても、まるで時が止まったかのような穏やかさを保っている。バスが動き出すと、町の姿は次第に小さくなっていったが、心の中の印象は一層鮮明になっていく。
ヴロツワフに向かう道中、窓外の景色を眺めながら、私はこの旅が単なる観光ではなく、自分自身との対話の時間だったことを理解した。温泉の効能、自然の美しさ、地元の人々との交流、そして何より、現代社会では忘れがちな「ゆっくりとした時間」の価値を再発見できた。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
この旅は空想の産物であったが、クドバ=ズドルイという実在の町の魅力を通じて、確かに心の中で体験することができた。日本人観光客がほとんど訪問しないこれらの温泉保養地だからこそ、そこには素朴で純粋な魅力が残されている。
温泉という共通の文化を持つ日本人にとって、ポーランドの温泉療養文化は新鮮でありながら親しみやすいものだった。炭酸泉の刺激、森に囲まれた静寂、地元の人々の温かさ、そして時間がゆっくりと流れる贅沢。これらすべてが、空想を通じて確かに感じられた体験となった。
現代社会において、私たちは常に時間に追われ、効率性を求められる。しかし、クドバ=ズドルイのような場所では、時間の価値観が全く異なる。健康を回復し、自然と調和し、人との温かい交流を楽しむ。これこそが、本当の豊かさなのかもしれない。
この空想の旅を通じて、私は新たな価値観と出会った。それは単なる観光体験を超えて、人生をより豊かに生きるためのヒントとなった。クドバ=ズドルイは、地図上の小さな点に過ぎないかもしれないが、心の中では確かに存在する特別な場所となったのである。