はじめに
ジョージア西部の古都クタイシは、首都トビリシから約230キロ西に位置する静かな町である。リオニ川のほとりに佇むこの街は、ジョージア王国の古都として1000年以上の歴史を刻んできた。バグラティ大聖堂とゲラティ修道院という二つのユネスコ世界遺産が街を見守り、コルキス平野の緑豊かな自然に抱かれている。
人口は約15万人。トビリシの喧騒とは対照的に、時間がゆっくりと流れる穏やかな空気が街全体を包んでいる。ソビエト時代の面影を残す建物と、中世の教会が混在する街並みは、ジョージアの複雑な歴史を物語っている。コーカサス山脈の麓に広がるこの地は、古くからヨーロッパとアジアを結ぶ交易路の要衝として栄え、多様な文化が交錯する場所でもあった。
1日目: 古都への扉
朝7時、トビリシの宿を出発したマルシュルートカ (乗り合いバス) は、丘陵地帯を縫うように走り続けた。窓の外に広がるジョージアの田園風景を眺めながら、約4時間の道のりを過ごす。やがて、リオニ川の流れが見えてくると、クタイシの街が姿を現した。
午前11時過ぎ、クタイシの中央バスターミナルに到着。石畳の旧市街まで歩いて15分ほどの距離である。重いバックパックを背負い、まずは宿泊先のゲストハウスへ向かった。路地に入ると、ソビエト時代のアパートと古い石造りの家が並んでいる。洗濯物が窓から風になびき、バルコニーにはトマトやバジルの鉢植えが置かれている。生活の匂いが漂う、等身大の街並みだった。
ゲストハウスのオーナー、ナナさんは60代の女性で、片言の英語と身振り手振りで温かく迎えてくれた。「ガマルジョバ (こんにちは) 」と挨拶すると、彼女の顔がぱっと明るくなった。部屋は質素だが清潔で、窓からは中庭の葡萄棚が見える。
荷物を置いて街歩きを始めたのは午後1時頃。まずは腹ごしらえにと、ナナさんに教えてもらった地元の食堂へ向かった。「レストラン・サメグレロ」という小さな店で、地元の人々で賑わっている。メニューはジョージア語のみだったが、厨房を指差すと店主が笑顔で案内してくれた。
注文したのは、ハチャプリ・イメルリ (イメレティ地方のチーズパン) とチャホフビリ (鶏肉のトマト煮込み) 。ハチャプリは焼きたてで、中のチーズがとろりと溶けている。素朴な味わいだが、小麦の香りとチーズの塩気が絶妙なバランスを保っている。チャホフビリは、トマトの酸味と香草の風味が鶏肉の旨味を引き立てている。添えられたショティ (ジョージアのパン) で汁気を拭い取りながら食べる。隣の席に座っていた老人が、「ゲマリエリ (美味しい) ?」と声をかけてきた。「ディアフ・ゲマリエリ (とても美味しい) 」と答えると、満足そうに頷いてくれた。
午後3時、食事を終えて旧市街の散策を開始。まずは街の象徴であるバグラティ大聖堂を目指した。丘の上に建つ大聖堂までは、石畳の坂道を20分ほど歩く。途中、古い教会や民家の間を縫うように進む。壁には蔦が絡まり、所々に野良猫が日向ぼっこをしている。
バグラティ大聖堂は11世紀に建てられた壮大な建築物である。ソビエト時代に破壊された部分もあるが、近年修復され、その威容を取り戻している。内部に入ると、薄暗い空間にフレスコ画が浮かび上がる。ろうそくの明かりが石壁を照らし、静寂の中に祈りの気配が漂っている。地元の人々が静かに十字を切り、祈りを捧げている姿が印象的だった。
大聖堂から見下ろすクタイシの街並みは美しい。リオニ川が蛇行し、その両岸に赤い屋根の家々が点在している。遠くにはコーカサス山脈の稜線が霞んで見える。夕方の陽射しが街全体を黄金色に染め始めていた。
午後5時頃、丘を下りて旧市街の中心部へ。デビッド・アグマシェネベリ広場周辺を歩いた。ソビエト時代の建物が立ち並ぶ中に、コロナードと呼ばれる白い柱廊がある。地元の人々が夕涼みをしながら談笑している。子供たちが広場で遊んでいる声が響き、日常の穏やかな時間が流れている。
夕食は、リオニ川沿いのレストラン「リオニ」で。川のせせらぎを聞きながら、ムツヴァディ (ジョージア風焼肉) とフカリ (ジョージアの白ワイン) を楽しんだ。ムツヴァディは豚肉を串に刺して炭火で焼いたシンプルな料理だが、肉の旨味が濃厚で、香草の風味が口の中に広がる。フカリは辛口で、ほのかな酸味が料理とよく合う。
川面に映る街の灯りを眺めながら、静かな夜を過ごした。クタイシの第一印象は、穏やかで人懐っこい街だった。観光地化されすぎず、地元の人々の日常の中に溶け込めるような、そんな魅力を感じた一日だった。
2日目: 自然と祈りの調べ
朝6時、鳥の鳴き声で目が覚めた。窓を開けると、清々しい空気が部屋に流れ込んでくる。中庭の葡萄の葉が朝露に濡れ、陽の光でキラキラと光っている。
朝食はナナさんが用意してくれた。ジョージアの伝統的な朝食で、ナドゥギ (カッテージチーズ) 、蜂蜜、ショティ、そして濃い紅茶。ナドゥギは程よい酸味があり、蜂蜜の甘さと絶妙なバランスを保っている。ショティは前日の残りを温め直してくれたもので、外は香ばしく中はもっちりとしている。
午前8時、ゲラティ修道院へ向かうためにタクシーを手配した。運転手のギオルギさんは50代の男性で、英語は話せないが、ジョージア語と身振り手振りで親切に案内してくれる。街を出ると、緑豊かな丘陵地帯を抜けて修道院へ向かった。
9時頃、ゲラティ修道院に到着。12世紀に建てられたこの修道院は、ジョージア正教会の重要な聖地である。敷地内に入ると、静寂が支配する神聖な空間が広がっている。石造りの建物は質実剛健で、装飾は控えめだが、その分、建築の美しさが際立っている。
主聖堂内部のフレスコ画は息を呑む美しさだった。ビザンチン様式の影響を受けた宗教画が壁面一面に描かれ、暗い空間の中で神秘的な光を放っている。地元の人々が静かに祈りを捧げている姿を見ていると、信仰の深さを感じずにはいられなかった。
修道院の中庭では、修道士の一人が庭仕事をしていた。挨拶をすると、にこやかに手を振ってくれた。言葉は通じないが、その穏やかな表情から、平安な心境が伝わってきた。修道院の静寂の中で、時間がゆっくりと流れているのを感じた。
午前11時、修道院を後にしてクタイシ市内へ戻った。途中、ギオルギさんが「プロメテウスの洞窟を見に行くか?」と提案してくれた。車で30分ほどの距離にある鍾乳洞で、クタイシの隠れた名所だという。
正午頃、プロメテウス洞窟に到着。入口は小さな建物で、内部は意外にも広大な空間が広がっていた。色とりどりのライトアップされた鍾乳石が、幻想的な世界を作り出している。地下に流れる川の音が洞窟内に響き、神秘的な雰囲気を醸し出している。
洞窟内の遊歩道を歩きながら、自然の造形美に見とれた。数万年をかけて形成された鍾乳石は、まるで彫刻作品のような美しさを持っている。最奥部では、地下川をボートで下ることができる。15分ほどの船旅だが、洞窟の中を流れる静かな川は、まるで別世界への入り口のようだった。
午後2時、洞窟見学を終えてクタイシ市内に戻った。昼食は、中央市場近くの「カフェ・クタイシ」で。ここでは、ジョージア西部の郷土料理であるゲブザリア (豆のスープ) とエラルジ (とうもろこし粉の料理) を味わった。
ゲブザリアは白いんげん豆をベースにしたスープで、玉ねぎ、にんにく、香草が効いている。素朴な味わいだが、豆の甘みと香草の風味が口の中で調和している。エラルジは、とうもろこし粉をチーズと一緒に煮込んだ料理で、もちもちとした食感が特徴的だ。地方の素朴な料理だが、どこか懐かしさを感じる味わいだった。
午後4時、中央市場を散策した。野菜、果物、香辛料、チーズなど、地元の食材が豊富に並んでいる。特に印象的だったのは、ジョージア特産のスパイス類。コリアンダー、フェヌグリーク、サフランなど、色鮮やかなスパイスが量り売りされている。市場の女性たちは人懐っこく、試食をすすめてくれた。
ジョージアワインの試飲もできる店があり、イメレティ地方産の白ワイン「ツィナンダリ」を味わった。フルーティーで軽やかな味わいで、食事との相性も良さそうだ。小さなボトルを購入し、夕食時に楽しむことにした。
夕方6時、リオニ川沿いを散歩した。川辺には柳の木が並び、夕陽が川面に映って美しい。地元の人々が犬を連れて散歩していたり、ベンチに座って談笑していたりする。平凡だが、心地よい時間が流れている。
夕食は宿に戻り、ナナさんが作ってくれたホームメイドの料理を楽しんだ。ロビオ (豆の煮込み) 、プハリ (野菜の胡桃和え) 、そしてハチャプリ。どれも家庭的な味わいで、心が温まる。購入したワインとともに、ナナさんと片言のやり取りをしながら食事を楽しんだ。
夜9時、部屋に戻って一日を振り返る。ゲラティ修道院の静寂、プロメテウス洞窟の神秘、市場の活気、川辺の平安。クタイシの多様な表情を体験できた充実した一日だった。
3日目: 別れの調べ
最終日の朝は、いつもより早く目が覚めた。明日にはこの街を離れることを思うと、名残惜しい気持ちが湧いてくる。
朝食後、ナナさんに別れの挨拶をした。「マドロバ (ありがとう) 」と言うと、彼女は私の手を握り、何か長々とジョージア語で話してくれた。言葉は分からないが、その温かさは十分に伝わってきた。最後に、手作りのチュルチュヘラ (ジョージアの伝統菓子) を持たせてくれた。
午前9時、最後の街歩きを始めた。これまで通らなかった路地を歩き、見落としていた小さな教会や古い建物を発見する楽しみがあった。旧市街の奥には、小さな正教会がひっそりと佇んでいる。扉は開いており、中では老婆が一人、静かに祈りを捧げていた。
その教会の近くで、面白い光景に出会った。中庭で、おじいさんが孫と思われる少年にジョージアの伝統的な踊りを教えていた。手拍子に合わせて、軽やかなステップを踏む少年の姿が微笑ましい。ジョージアの文化が次世代に受け継がれている瞬間を目撃した気がした。
午前11時、最後の食事として「レストラン・アルゴ」を訪れた。ここでは、クタイシ名物のハチャプリ・アチャルリ (アジャリア風チーズパン) を注文した。舟型のパンの真ん中に卵が落とされ、溶けたチーズと混ぜ合わせて食べる料理だ。熱々のチーズと半熟卵の組み合わせは絶品で、最後の食事にふさわしい満足感を与えてくれた。
正午過ぎ、荷物を取りにゲストハウスへ戻った。ナナさんが見送ってくれ、頬にキスをして別れを惜しんでくれた。「ナフヴァムディス (また会いましょう) 」という彼女の言葉が心に残った。
午後1時、バスターミナルへ向かった。途中、もう一度バグラティ大聖堂を見上げた。丘の上に堂々とそびえ立つ大聖堂は、この街の象徴であり、訪れる人々を見守り続けている。
トビリシ行きのマルシュルートカに乗り込み、窓際に座った。出発の時間が近づくと、運転手が「ガマルジョバ」と挨拶してくれた。他の乗客たちも親しみやすい人々ばかりで、最後まで ジョージアの人々の温かさを感じることができた。
午後2時、バスが動き出した。窓の外に流れるクタイシの街並みを見つめながら、3日間の思い出を反芻した。バグラティ大聖堂の荘厳さ、ゲラティ修道院の静寂、プロメテウス洞窟の神秘、市場の活気、そして何より、出会った人々の温かさ。短い滞在だったが、この街は確実に心の中に根を下ろした。
バスは丘陵地帯を抜け、やがてクタイシの街が見えなくなった。それでも、リオニ川の流れる音、教会の鐘の音、人々の笑い声は、記憶の中に鮮明に残っている。
最後に
この旅は空想の産物である。しかし、文献や写真、現地を訪れた人々の体験談を通じて描いたクタイシの姿は、決して虚構ではない。静かに流れるリオニ川、古い石畳の路地、教会の鐘の音、市場の賑わい、そして人々の温かな笑顔。これらすべてが、確かにそこに存在している。
空想でありながら、この旅はまるで実際に体験したかのような実感を伴っている。記憶の中に残る風景や音、匂い、味わいは、現実のものと変わらない鮮明さを持っている。旅とは、もしかすると、足跡を残すことではなく、心の中に風景を刻み込むことなのかもしれない。
いつか機会があれば、この空想の旅を現実のものにしたい。その時、この記憶が現実と重なり合い、新たな発見と感動を生み出してくれることを願っている。クタイシの街が、今日も静かに、そして美しく、時を刻み続けていることを信じながら。