はじめに: 小さな州都の静かな魅力
人口1万人にも満たない、アメリカで最小規模の州都の一つであるモントピリア。バーモント州の中央部、グリーン山脈に抱かれたこの小さな街は、大都市の喧騒とは無縁の静けさに包まれている。ここには派手な観光地はない。けれども、そのささやかな美しさに心を奪われる人は多い。
1世紀半以上にわたって州議会が開かれてきた美しいギリシャ復古調の州議事堂の金色のドームが街のシンボルとして丘の上に輝き、その周囲に広がる5ブロックほどの小さなダウンタウンには、地元の人々が営む個性的な店が軒を連ねている。ここは政治の中心地でありながら、どこか素朴で人間味のある温かさを感じさせる場所だ。
この街を特別なものにしているのは、バーモント州が誇るメープルシロップの文化である。春の終わりから初夏にかけて、街の周辺では砂糖カエデの樹液を採取する風景が見られ、その甘い香りが風に乗って運ばれてくる。また、ファーマーズマーケットでは地元の生産者たちが丹精込めて育てた野菜や工芸品を並べ、訪れる人々との温かな交流が生まれている。
私がモントピリアを選んだのは、喧騒から離れて静寂の中で自分と向き合う時間を持ちたかったからだった。大自然に囲まれた小さな州都で過ごす2泊3日は、きっと心に深い印象を残してくれるだろう。
1日目: 金色のドームに迎えられて
6月上旬の朝、ボストンから車で北西に約3時間、ようやくモントピリアの街並みが見えてきた。最初に目に飛び込んできたのは、やはり州議事堂の金色のドームだった。朝の柔らかな光を受けて、まるで宝石のように輝いている。周囲の緑深い丘陵地帯の中で、その優雅な姿は思わず息を呑むほど美しい。
宿泊先のこぢんまりとしたB&Bにチェックインした後、まずは街の中心部へと向かった。メインストリートは想像していた以上にコンパクトで、歩いて10分もあれば端から端まで見渡せるほどだ。しかし、その短い通りには個性的な店が密集している。手作りのセーターやニット製品を扱う店、地元アーティストの作品を展示するギャラリー、古い本を丁寧に整理した書店。どの店も、大都市のチェーン店では味わえない人の温もりを感じさせる。
昼食は、地元の人に勧められた小さなカフェで。バーモント州らしく、メニューにはメープルシロップを使った料理がいくつも並んでいる。私は地元産のベーコンとメープルシロップをかけたパンケーキを注文した。一口食べると、メープルシロップの深い甘みがゆっくりと口の中に広がる。これまで食べたことのあるメープルシロップとは明らかに違う、複雑で奥深い味わいだった。まるで森の恵みをそのまま凝縮したような、自然の力強さを感じる味だ。
午後は州議事堂の見学ツアーに参加した。金色のドームは州議事堂の象徴で、現役で使われている議場の中では最も古いものの一つだという。建物の中に入ると、大理石の床と木製の装飾が美しく調和した重厚な空間が広がっている。ガイドの方の説明によると、この建物は1859年に建設され、バーモント州の政治の中心として160年以上の歴史を刻んできた。議場のギャラリーから見下ろす議員席は、まさにアメリカの民主主義の歴史を物語る神聖な場所だった。
夕方、国定歴史建造物に指定されている展望塔があるハバード公園へ向かった。街の東側の丘の上にあるこの公園は、地元の人々の憩いの場となっている。54段の石段を上って展望塔の頂上に立つと、モントピリアの街並みが一望できる。西の空がオレンジ色に染まり始め、州議事堂のドームが夕日を受けて金色に輝いている。周囲の山々は深い緑に覆われ、その静寂な美しさに心が洗われるような気持ちになった。
夜は B&B のオーナーご夫妻と暖炉の前で地元のメープルビールを飲みながら、バーモント州の歴史や文化について話を聞いた。メープルシロップの製造は、この地域で200年以上続く伝統産業であること、春先の短い期間にしか樹液を採集できないため、その時期は地域全体が忙しくなることなど、興味深い話をたくさん聞かせてもらった。外から聞こえるのは時折通り過ぎる車の音だけ。都市部では決して味わえない、深い静寂に包まれた夜だった。
2日目: メープルの森で感じた自然の営み
朝、鳥のさえずりで目が覚めた。窓の外では、リスが木から木へと跳び移っている。こんな自然豊かな環境で一夜を過ごせたことの幸せを噛みしめながら、ゆっくりと身支度を整えた。
朝食は B&B の庭で取った。手作りのマフィンとフレッシュなベリー、そして何よりも素晴らしかったのは、近所の農家から届いたばかりの生乳で作ったヨーグルトに地元産のメープルシロップをかけたものだった。朝の清々しい空気の中で食べるこの簡素な食事は、高級レストランのコース料理よりもずっと心に響くものがあった。
午前中は、モース家の農場として知られるメープルシュガーワークスを訪れた。街から車で15分ほど北に向かったところにあるこの農場は、4世代にわたってメープルシロップを作り続けている家族経営の場所だ。到着すると、農場主のご主人が笑顔で出迎えてくれた。
メープルシロップの製造過程を見学させてもらうと、その手間と時間のかかる作業に驚かされた。砂糖カエデの樹齢は少なくとも40年以上でなければ樹液を採取できず、1本の木から採れる樹液は1日にせいぜい1ガロン程度。それを40対1の比率で煮詰めて、ようやく1クォートのメープルシロップができる。農場主は「私たちは自然からの贈り物を預かっているだけなんです」と語った。その言葉に、人間と自然の調和した関係を感じ取ることができた。
試飲させてもらったできたてのメープルシロップは、まさに森の魂が凝縮されたような味わいだった。グレードの違いによって微妙に異なる色合いと風味。春先に採取されるライトアンバーは上品で繊細な甘さ、シーズン後半のダークアンバーは力強くコクのある味わい。それぞれに個性があり、どれも忘れがたい美味しさだった。
昼食は農場の奥さんが用意してくれた手作りのメープルクッキーとハーブティー。メープルシュガーを使ったクッキーは、素朴でありながら深みのある甘さが後を引く。農場の犬がのんびりと日向ぼっこをし、鶏たちがのどかに庭を歩き回っている。時間がゆっくりと流れるこの空間で、都市生活で忘れかけていた「ゆとり」というものを思い出した。
午後は、1977年に設立され40年間地元の生産者と消費者を結んできたキャピタルシティ・ファーマーズマーケットへ向かった。土曜日ということもあり、市場は地元の人々と観光客で賑わっている。新鮮な野菜、手作りのパン、ジャム、蜂蜜、工芸品。どの店も作り手の顔が見える温かさがある。
特に印象的だったのは、地元の女性が営むジャム屋さんだった。彼女は自分の農園で育てたベリー類を使って、添加物を一切使わない手作りのジャムを作っている。いちごジャムを試食させてもらうと、果実そのものの味がストレートに伝わってくる。「化学的なものは一切使わない。時間と愛情だけが私の秘密の材料よ」と笑顔で語る彼女の姿に、ものづくりの本質を見た気がした。
夕方、モントピリアの南東にあるハイキングコースを歩いた。街の周辺には、ハイキング、サイクリング、スキーのためのトレイルが何マイルにもわたって整備されているという通り、よく整備された道が森の奥へと続いている。ブナやカエデの巨木が作る緑のトンネルを抜けると、小さな渓流が現れた。水は驚くほど透明で、川底の石まではっきりと見える。
渓流のほとりで小休止していると、リスやシマリスが好奇心旺盛に近づいてくる。鳥のさえずりと水の流れる音だけが響く静寂の中で、自然の一部になったような不思議な感覚を味わった。この瞬間、日常の喧騒やストレスがすべて遠い過去のもののように感じられた。
夜は街に戻って、地元の人に教えてもらったパブで夕食。バーモント州産のビールと、地元で取れた川マスのグリル、メープルシロップを使ったグレーズをかけたポークチョップを注文した。どの料理も地元の食材を活かしたシンプルな調理法で、素材の良さが存分に味わえる。隣に座った地元の男性と話をしていると、彼はこの街で生まれ育ち、一度は都市部に出たものの、この土地の魅力に引かれて戻ってきたのだという。「ここには都市にはない豊かさがある」という彼の言葉が、心に深く響いた。
3日目: 別れの朝と心に残る温もり
最後の朝は、いつもより早く目が覚めた。もう今日には帰らなければならないという思いが、自然と意識を覚醒させたのだろう。窓の外では朝霧が静かに立ち込めている。その幻想的な光景をしばらく眺めながら、この2日間で体験したことを心の中で整理していた。
朝食を済ませた後、街を最後にもう一度歩いてみることにした。まだ多くの店が開いていない静かなメインストリートは、昨日までとは違った表情を見せてくれる。朝の光に照らされた石造りの建物は、長い年月を経た風格と温かみを同時に感じさせる。
州議事堂へ向かう途中にあるバーモント歴史博物館に立ち寄った。「Freedom & Unity (自由と統一) 」という展示では、1600年代から現在までのバーモント州の歴史を多面的に紹介している。先住民の時代から始まり、ヨーロッパ系移民の入植、独立戦争、そして現代に至るまでの長い物語。小さな州でありながら、アメリカ史の重要な局面で独自の役割を果たしてきたバーモント州の歴史に、深い敬意を感じずにはいられなかった。
チェックアウトの時間が近づき、B&B に戻って荷物をまとめた。オーナーのご夫妻が見送りに出てきてくれて、「またいつでも帰っておいで」と温かい言葉をかけてくれた。たった2泊だったのに、まるで親戚の家に泊まっていたかのような親しみを感じる。
街を離れる前に、もう一度州議事堂の丘の上から街を見下ろした。青空に映える金色のドーム、その足元に広がる小さな街並み、それを取り囲む緑豊かな山々。この調和のとれた美しい風景は、確実に私の心の中に刻まれている。
帰路につく車の中で、カーラジオから地元のクラシック音楽番組が流れてきた。バッハの優雅なメロディーが、過ぎ去ってゆく景色と重なって、この旅の余韻をさらに深いものにしてくれる。州境を越えてニューハンプシャー州に入る頃、モントピリアの街並みは既に見えなくなっていたが、心の中にはあの静かで温かい時間が鮮明に残っている。
道中、ふと気づいたことがある。この旅で私が得たものは、特別な観光体験でも贅沢な時間でもなかった。それは、人と自然が調和して生きることの豊かさ、そして忙しい日常の中で見失いがちな「ゆっくりと時間を過ごすことの価値」だった。メープルシロップ作りに人生を捧げる農場主、手作りのジャムに誇りを持つ女性、故郷の良さを語る地元の人々。彼らとの出会いは、私に生き方の別の可能性を示してくれた。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
このモントピリアでの2泊3日は、私の想像の中だけの旅である。しかし、この文章を書いている今、あの静かな街の朝霧や、メープルシロップの深い甘み、B&Bのオーナー夫妻の温かな笑顔が、まるで実際に体験したもののように鮮明に心に残っている。
空想の旅であっても、その土地の文化や自然、人々の営みに思いを馳せることで、私たちは確かな感動を得ることができる。人口1万人にも満たない小さな州都モントピリアが教えてくれたのは、豊かさとは規模の大きさではなく、そこに住む人々の心の在り方や、自然との関わり方によって決まるということだった。
この架空の旅路で出会った風景や人々は、きっと実在する誰かの日常でもある。想像力という翼を使って訪れた場所であっても、そこで感じた静寂の美しさや人の温もりは、現実の世界にも確実に存在している。そのことを思うとき、世界はより豊かで希望に満ちた場所に感じられるのである。