はじめに: マッジョーレ湖畔の真珠
ストレーザという名前を口にするだけで、なぜか胸の奥が温かくなる。イタリア北部、ピエモンテ州の小さな町は、マッジョーレ湖の西岸に抱かれるように佇んでいる。アルプスの峰々が湖面に映り込む風景は、19世紀の作家たちがこの地を「地上の楽園」と呼んだ理由を雄弁に物語っている。
この町の歴史は古く、ローマ時代から人々が住み着いていたという。しかし現在のストレーザの姿を形作ったのは、19世纪後半から20世紀初頭にかけてのベル・エポック時代だった。ヨーロッパの貴族や富裕層が避暑地として愛し、優雅なホテルや別荘が次々と建てられた。その面影は今も町の至る所に残り、歩いているだけで時が止まったような錯覚に陥る。
マッジョーレ湖に浮かぶボッロメオ諸島は、ストレーザの宝石とも言える存在だ。イゾラ・ベッラの壮麗なバロック宮殿と庭園、イゾラ・マードレの植物園、そして素朴な漁師の島イゾラ・デイ・ペスカトーリ。それぞれが異なる表情を見せ、訪れる者の心を静かに揺さぶる。
町を見下ろすモッタローネ山からは、湖と山々のパノラマが一望でき、晴れた日にはモンテ・ローザの雪を冠いた頂きまで見渡せる。ここは単なる観光地ではない。人間の魂が自然と調和する、特別な場所なのだ。
1日目: 湖畔への到着と静寂の夕べ
ミラノから電車で約1時間、車窓に青い湖面が見えた瞬間、旅への高揚感が胸を満たした。ストレーザ駅は小さく、降り立つとすぐに湖の香りが鼻をくすぐる。4月の午後の陽射しは柔らかく、桜の花びらが舞い散る中を歩いて宿へ向かった。
選んだのは湖畔に建つ小さなホテル「ヴィラ・アミンタ」。19世紀の貴族の別荘を改装したというその建物は、アール・ヌーヴォーの装飾が施されたファサードが美しい。部屋の窓からはマッジョーレ湖が一望でき、対岸の山々が湖面に静かに影を落としている。荷物を置いて一息つくと、もう夕方近くになっていた。
散策に出ると、湖畔のプロムナードは夕日に照らされて金色に輝いていた。地元の人たちがゆっくりと歩いている姿が印象的で、急ぐ人は誰もいない。カフェのテラスでは老夫婦がエスプレッソを飲みながら静かに会話を交わし、子供たちが湖岸で小石を投げて遊んでいる。時間がゆっくりと流れるこの感覚に、都市の喧騒で疲れた心が癒されていく。
夕食は湖畔のリストランテ「イル・ヴィオリーノ」で。年配のウェイターが「ブオナセーラ」と穏やかに迎えてくれた。メニューは当然ながらイタリア語だが、彼は辛抱強く説明してくれる。前菜にはマッジョーレ湖で獲れたペルシコ (パーチ) のカルパッチョを選んだ。レモンとオリーブオイルの酸味が魚の淡白な味を引き立て、湖の恵みを実感する。
メインディッシュは伝統的なリゾット・アル・ペルシコ。ペルシコの身がたっぷりと入ったクリーミーなリゾットは、この地方の郷土料理の傑作だ。米粒の一つ一つにまで染み込んだ魚の旨味と、パルミジャーノ・レッジャーノの深いコクが絶妙なハーモニーを奏でる。地元のワイン、ガッティナーラの赤ワインと合わせると、さらに味わいが深まった。
デザートはティラミスではなく、ピエモンテ名物のパンナ・コッタをチョイス。カラメルソースが甘すぎず、滑らかな舌触りが夕食の余韻を優雅に彩った。窓の外では湖面に月光が踊り、遠くの山の稜線がシルエットになっている。
ホテルに戻る道すがら、町の中心部を歩いてみた。石畳の小径には街灯が柔らかく灯り、教会の鐘が9時を告げる。広場では数人の地元民がベンチに座り、静かに語り合っている。観光地でありながら、ここには確かに人々の暮らしがある。その日常の中に自分も溶け込んでいるような、不思議な一体感を覚えた。
部屋に戻ってバルコニーに出ると、湖面が星空を映している。対岸の小さな灯りが宝石のように瞬き、夜風が頬を優しく撫でていく。明日への期待と、今この瞬間の静寂を同時に味わいながら、深い眠りについた。
2日目: ボッロメオ諸島の魔法と山頂の絶景
朝6時、鳥のさえずりで目が覚めた。バルコニーから見る湖は鏡のように静かで、朝靄が山々を柔らかく包んでいる。ホテルの朝食は簡素だが心のこもったもので、焼きたてのコルネッティ (クロワッサン) 、地元産のハチミツ、そして濃厚なカプチーノが朝の始まりを彩った。
9時頃、湖畔の船着場へ向かう。ボッロメオ諸島への船は30分おきに出ており、朝の便は観光客も少なく落ち着いている。船長は日に焼けた初老の男性で、「ベネヴェヌーティ」 (ようこそ) と温かく迎えてくれた。船が岸を離れると、ストレーザの町並みが徐々に小さくなり、湖上からの景色が広がっていく。
最初に訪れたのはイゾラ・ベッラ (美しい島) 。17世紀にボッロメオ家が建設したバロック宮殿と庭園は、まさに湖上の楽園だった。宮殿内部は豪華絢爛で、フレスコ画に覆われた天井、タピストリー、アンティークの家具が当時の貴族の生活を物語っている。特に「貝殻の洞窟」と呼ばれる部屋は幻想的で、無数の貝殻と小石で装飾された壁面が神秘的な光を放っている。
庭園は10層のテラスに分かれ、それぞれに異なる植物が植えられている。4月の今、椿の花が満開で、その鮮やかな色彩が古い石造りの構造物と美しいコントラストを成している。最上階のテラスからは湖の全景が見渡せ、ストレーザの町が玩具のように小さく見える。庭を歩く白い孔雀が優雅な姿を見せ、この非現実的な美しさに拍車をかけていた。
昼食は島の小さなトラットリアで。地元で獲れた魚のフリット (フライ) と、シンプルなサラダ、そして冷えた白ワインのソアーヴェ。海とは違う、湖魚独特の繊細な味わいが印象的だった。テラス席から見る湖面は午後の陽射しでキラキラと輝き、時折通り過ぎる船が小さな波を立てている。
午後はイゾラ・マードレ (母なる島) へ。ここは植物園として有名で、世界中から集められた珍しい植物が育てられている。特に印象的だったのは、樹齢数百年という巨大なカシミア樫の木。その根元に座って本を読んでいると、鳥たちの声と風の音だけが聞こえてきて、まるで時間が止まったようだった。
島の奥には小さな宮殿もあり、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌが使用した部屋も残されている。窓から見える庭園と湖の景色は絵画のようで、なぜ多くの著名人がこの島に魅了されたのかが理解できた。
夕方、ストレーザに戻ってからモッタローネ山へ向かうケーブルカーに乗った。標高1491メートルの山頂までは約20分の空中散歩。途中、Alpino駅で一度乗り換えるが、そこから見える景色も素晴らしい。高度が上がるにつれて、マッジョーレ湖の全貌が明らかになっていく。
山頂に着く頃には日が傾き始めていた。360度のパノラマは息をのむほど美しく、マッジョーレ湖、オルタ湖、さらに遠くにはモンテ・ローザの雪山まで見渡せた。夕日が湖面を金色に染め、山々の稜線がシルエットになっていく様子を、展望台のベンチに座ってじっと眺めていた。
下山する頃には町に灯りが点り始めていた。夕食は昨日とは違うリストランテ「ラ・ピエモンテーゼ」で。ここはピエモンテ料理の専門店で、アンティパストにはヴィテッロ・トンナート (子牛肉のツナソース) を選んだ。薄切りにした子牛肉にまろやかなツナソースがかけられた、この地方の代表的な前菜。一見奇抜な組み合わせだが、実際は驚くほど調和がとれている。
メインはピエモンテ牛のブラザート・アル・バローロ (バローロワイン煮込み) 。長時間煮込まれた牛肉は箸でほぐれるほど柔らかく、バローロワインの深い味わいが肉の旨味を最大限に引き出していた。付け合わせのポレンタ (とうもろこし粉のお粥) がソースを吸って、素朴ながら奥深い味わいを演出している。
デザートはヘーゼルナッツのジェラート。ピエモンテ産のヘーゼルナッツは世界最高品質とされ、その濃厚な風味は忘れられない美味しさだった。食事の最後に供されたグラッパ (ブドウの搾りかすから作る蒸留酒) は、一日の疲れを心地よく流してくれた。
ホテルに戻る前に、もう一度湖畔を歩いた。夜の湖面は昼間とは全く違う表情を見せ、対岸の灯りが水面に揺らめいている。ベンチに腰掛けて、一日の出来事を振り返りながら、この場所の特別さを改めて感じていた。島々の記憶、山頂からの絶景、そして地元の人々の温かさ。すべてが心の奥深くに刻まれていく。
3日目: 朝の散策と別れの時
最後の朝も鳥の声で始まった。この3日間、目覚まし時計は一度も使わなかった。自然のリズムに身を委ねることの心地よさを、久しぶりに味わっている。朝食を早めに済ませ、荷物をまとめてからチェックアウト。午後の電車まで時間があるので、まだ歩いていない町の奥まで散策することにした。
中心部から少し離れた住宅街を歩くと、また違ったストレーザの顔が見えてくる。洗濯物が窓から風に揺れ、小さな庭では老婦人が花の手入れをしている。「ボンジョルノ」と声をかけると、彼女は笑顔で応えてくれた。言葉は通じなくても、その温かさは心に響く。
町の教会、サンタ・マルタ教会を訪れた。外観は質素だが、内部には美しいフレスコ画が残されている。朝のミサが行われており、地元の人々が静かに祈りを捧げている姿を見ていると、この町に根付く信仰の深さを感じた。観光地としての顔だけでなく、人々の生活の中心としての役割も担っているのだ。
市場も覗いてみた。小さな広場に数軒の店が軒を連ね、地元産の野菜や果物、チーズなどが並んでいる。特に印象的だったのは、湖で獲れた魚を売る老人。「ペルシコ、ペルシコ!」と元気よく声をかけながら、新鮮な魚を並べている。その隣では、自家製のハチミツを売る農家の女性が試食を勧めてくれた。アカシアの花から作られたというハチミツは透明で、優しい甘さが口の中に広がった。
昼食は湖畔の小さなピッツェリアで。薪で焼かれたマルゲリータピザは、シンプルだが素材の良さが光る一品だった。トマトソースの酸味、モッツァレラチーズのクリーミーさ、そしてバジルの香り。基本的な組み合わせだからこそ、一つ一つの品質の違いがはっきりと分かる。
食後、最後にもう一度湖畔のプロムナードを歩いた。平日の昼間ということもあり、観光客は少なく、地元の人々の日常風景が色濃く感じられる。犬を散歩させる老人、ベンチで読書をする学生、ベビーカーを押しながら友人と話す若い母親。それぞれが自分のペースで時を過ごしている。
午後2時頃、駅へ向かう時間がやってきた。重い腰を上げ、湖に背を向けて歩き出す。振り返ると、ボッロメオ諸島が小さく見え、モッタローネ山が穏やかに佇んでいる。この3日間で見た景色、味わった料理、出会った人々の記憶が、胸の奥で静かに輝いている。
駅のホームで電車を待ちながら、改めてストレーザという町について考えていた。これほど小さな場所に、なぜこれほど多くの魅力が詰まっているのだろう。答えはシンプルかもしれない。この町には、人間らしい暮らしがある。自然との調和がある。そして何より、時間に追われない穏やかさがある。
ミラノ行きの電車が到着し、車窓から最後の湖の景色を眺めた。マッジョーレ湖の青い水面は、陽光を受けてダイヤモンドのように輝いている。やがて湖は視界から消え、代わりに田園風景が広がっていく。しかし心の中では、ストレーザの記憶が鮮やかに生き続けていた。
最後に: 空想でありながら確かに感じられたこと
この旅は空想の産物である。実際にストレーザの土を踏んだわけでも、マッジョーレ湖の風を肌で感じたわけでもない。ボッロメオ諸島の宮殿を歩いたことも、モッタローネ山の頂上に立ったこともない。地元の人々と言葉を交わしたこともなければ、ペルシコのリゾットを口にしたこともない。
しかし、この3日間の記憶は確かに心の中に存在している。湖面に映る朝日の輝き、島の庭園に咲く椿の花、山頂から見下ろすパノラマの壮大さ。それらはすべて、言葉と想像力によって紡がれた虚構でありながら、なぜか実体験のような重みを持っている。
旅とは、単に場所を移動することではない。心が動くこと、新しい発見があること、そして日常から解放されることだ。その意味で、この空想の旅は確かに「旅」だった。ストレーザという美しい町の存在を知り、その魅力を想像することで、心は確実に豊かになった。
いつか本当にストレーザを訪れる日が来るだろうか。その時、この空想の記憶と実際の体験は、どのように重なり合うのだろう。きっと、想像していた以上の美しさと、予想もしなかった発見があるに違いない。しかし同時に、この空想の旅で感じた穏やかさや温かさも、現実の中に見つけることができるはずだ。
旅の真の価値は、行った場所や見た景色だけでなく、そこで感じた感情や得た気づきにある。この空想のストレーザ旅行は、日常の慌ただしさを忘れ、自然の美しさや人間らしい暮らしの大切さを改めて教えてくれた。マッジョーレ湖のように静かで深い時間の流れ方があることを、思い出させてくれた。
空想でありながら、確かにあったように感じられる旅。それは想像力という人間だけが持つ特別な能力の証明でもある。いつの日か、この記憶を胸にイタリアの地を踏み、本当のストレーザと出会える日を夢見ながら、この空想旅行の記録を閉じることにしよう。