ヘブライ文字にはこのシリーズで初めての特徴が2つある。

右から左に読む。 ハングルキリル文字ジョージア文字タイ文字も、左から右に読んだ。ヘブライ文字は逆。メニューの文字列を見て、どこから読み始めるかが最初の関門になる。

母音をほぼ書かない。 これまでの文字体系はすべて、子音と母音の両方を書いた。ヘブライ文字の日常表記には母音がない。ביג מק(ビッグマック)は子音だけで「b-g m-k」と書いてあり、読者が「i」と「a」を自分で補う。

文字数は22文字で、シリーズ最少。覚える量は少ないが、母音を推測しながら読む必要がある。ただし、ファストフードのメニューなら答えを知っているので、推測は難しくない。

題材はイスラエルのマクドナルド。イスラエルにはコーシャ(ユダヤ教の食事規定)対応店と非対応店があり、メニューが異なる。この違いも記事の中で触れる。

なお、この記事は旅行者が現地で看板やメニューを読める程度を目指している。正確な発音を学びたい場合は教科書等を参照してほしい。

ביג מק

ビッグマック。右から左に読む初体験。

この文字列を左から右に読もうとすると意味がわからない。右端から読む。

「ב」は「b」。右端の文字。ב には「b」と「v」の2つの読みがあるが、ここでは「b」。もう一つの読みは後で出てくる。 「י」は「y」。母音の「i」のヒントとしても使われる。 「ג」は「g」

ב(b) + י(i) + ג(g) = ビグ → ビッグ。右から左に3文字。

スペースを挟んで次の単語。

「מ」は「m」「ק」は「k」

מ(m) + ק(k) = マク → マック。母音の「a」はどこにも書いてない。子音だけで「m-k」と書いてあり、ビッグマックだと知っていれば「マック」と読める。

これがヘブライ文字の基本。子音だけが並び、読者が母音を補う。外来語なら元の音を知っているので補いやすい。

子音(右から左に読む)

ב b / v
י y / i
ג g
מ m
ק k

המבורגר

ハンバーガー。7文字もあるが、全部子音。

「ה」は「h」「ו」は「v」。ただし母音の「o」や「u」のヒントとしても使われる。ここでは「u」の役割。 「ר」は「r」

右から左に読む:ה(h) + מ(m) + ב(b) + ו(u) + ר(r) + ג(g) + ר(r) = ハンブルゲル → ハンバーガー。

ו と י は子音としても母音のヒントとしても使われる。ヘブライ語で「母音がない」と言っても、この2文字が母音を部分的に補っている。完全にゼロではなく「ヒントがある」くらいの状態。

新出の子音

ה h
ו v / o / u
ר r

צ’יפס

チップス(フライドポテト)。ここで外来音の表記ルールを覚える。

「צ」は「ts」。ツの音。 「פ」は「p / f」「ס」は「s」

צ の後ろに 「’」(ゲレシュ) がついている。ヘブライ文字にない外来音を表すための記号で、צ’ = 「ch」の音になる。英語のchipsの「ch」。

右から左:צ’(ch) + י(i) + פ(p) + ס(s) = チプス → チップス。

ゲレシュは他にも ג’(j)、ז’(zh) などに使われる。外来語メニューに頻出する。

新出の子音

צ ts(צ' で ch)
פ p / f
ס s

מק רויאל

マックロイヤル。イスラエルではクォーターパウンダーの代わりにこの名前。

「א」は声門閉鎖音。ほぼ無音で、母音の台座の役割。ジョージア文字やタイ文字にも似た文字があった。 「ל」は「l」

右から左:מ(m) + ק(k) = マック。ר(r) + ו(o) + י(y) + א(a) + ל(l) = ロイアル → ロイヤル。

רויאל は ו が「o」、י が「i/y」、א が「a」の役割をしている。5文字中3文字が母音のヒント。外来語は母音のヒントが多いので、ヘブライ語固有語より読みやすい。

新出の子音

א ʔ(母音の台座)
ל l

צ’יקן מק נאגטס

チキンマックナゲッツ。

「נ」は「n」「ט」は「t」

右から左:צ’(ch) + י(i) + ק(k) + נ(n) = チケン → チキン。מ(m) + ק(k) = マック。נ(n) + א(a) + ג(g) + ט(t) + ס(s) = ナゲツ → ナゲッツ。

ここで語末形が出てくる。צ’יקן の最後の ן は נ の語末形。ヘブライ文字では5つの文字が単語の末尾で形が変わる。נ → ן のように、下に伸びる形になることが多い。

新出の子音

נ n(語末形:ן)
ט t

語末形のある5文字

5つの文字は単語の末尾に来ると形が変わる。

通常形

כ k / kh
מ m
נ n
פ p / f
צ ts

語末形

ך k / kh
ם m
ן n
ף p / f
ץ ts

語末形は通常形と似ているものが多い。מ → ם は閉じた形に、נ → ן は下に伸びた形に、פ → ף も下に伸びた形になる。通常形を覚えていれば、語末形は「同じ文字の末尾バージョン」として見分けられる。

この記事では ם(חמוצים=ピクルス)、ן(צ’יקן=チキン)、ף(עוף=鶏肉)の3つがメニューに出てくる。ך と ץ はメニューには出てこなかったが、街中の看板では見かける。ארץ(エレツ=国)の末尾が ץ だ。

ヘブライ語の壁 — 母音なしで読めるか

ここからはメニュー説明に出てくるヘブライ語固有の単語。外来語と違い、元の音を知らないので母音の推測が効かない。

חמוצים

ピクルス。バーガーの商品説明に必ず出てくる。

「ח」は「ch / kh」。喉の奥から出す音。キリル文字のХ、ジョージア文字のხ と同じ。

右から左:ח(ch) + מ(m) + ו(u) + צ(ts) + י(i) + ם(m) = ハムツィム → ピクルス(酸っぱいもの)。

末尾の ם は מ の語末形。

ここで起きる問題がわかるだろうか。ח-מ-ו-צ-י-ם という子音列を見て、ハムツィムと読めるのは、この単語を知っているからだ。知らなければ、母音の補い方がわからない。外来語なら答えを知っているので推測できたが、ヘブライ語固有語は推測できない。

ただし旅行者にとっての実用的な結論は、キリル文字編やジョージア文字編と同じ。読めなくても文字を音に変換できれば、翻訳アプリに入力できる。

新出の子音

ח ch / kh

שתיה

飲み物。メニューのカテゴリに出てくる。

「ש」は「sh」「ת」は「t」。ט も「t」だった。もともとは別の音(ט は咽頭化した t で、アラビア語では今も区別する)だが、現代ヘブライ語では同じ音。タイ文字の ก と ค が両方「k」だったのと同じ構造。

ש(sh) + ת(t) + י(i) + ה(h) = シュティヤ → 飲み物。

新出の子音

ש sh
ת t

עגבניה

トマト。

「ע」は「ʕ」。喉の奥で出す音で、日本語話者には א とほぼ同じに聞こえる。

ע(ʕ) + ג(g) + ב(v) + נ(n) + י(i) + ה(h) = アグバニヤ → トマト。

ここで ב が「v」の音。ביג מק で予告した「もう一つの読み」がこれ。外来語の ביג では「b」、עגבניה のように語中では「v」になることが多い。

新出の子音

ע ʕ(アに近い音)

מקדונלד׳ס

マクドナルドそのもの。店名にまだ出てきていない文字がある。

「ד」は「d」

מ(m) + ק(k) + ד(d) + ו(o) + נ(n) + ל(l) + ד(d) + ס(s) = マクドナルドス → マクドナルド。

新出の子音

ד d

מיונז

マヨネーズ。商品説明に出てくる。

「ז」は「z」

מ(m) + י(i) + ו(o) + נ(n) + ז(z) = ミヨネズ → マヨネーズ。

これで22文字すべてが揃った。

新出の子音

ז z(ז' で zh)

コーシャとチーズバーガー

イスラエルのマクドナルドにはコーシャ(כשר)対応店と非対応店がある。コーシャとはユダヤ教の食事規定で、最も有名なルールの一つが「肉と乳製品を一緒に食べてはならない」。

「כ」は「k / kh」

כ(k) + ש(sh) + ר(r) = コシェル → コーシャ。

コーシャ店のメニューには、チーズバーガーがない。チーズ(גבינה = グヴィナ)は乳製品、ハンバーガーは肉。この2つを一緒に提供することはコーシャの規定に反する。同じ国の同じチェーンで、店によってメニューが違う。

非コーシャ店のメニューには המבורגר כפול בתוספת שתי גבינה(ダブルハンバーガー+チーズ2枚)がある。コーシャ店にはこれがない。

文字の学習とは直接関係ないが、メニューの違いから食文化が見えるのは面白い。

新出の子音

כ k / kh(語末形:ך)

発音が2つある3文字

ב, כ, פ の3文字は、それぞれ2つの読み方がある。

文字音1(硬い)音2(柔らかい)区別
בbv本来はダゲシュ(点)の有無
כkkh同上
פpf同上

日常の表記ではダゲシュが省略されることが多い。外来語では元の音から判断でき(ביג の ב は「b」)、ヘブライ語固有語では位置や文脈で判断する(語頭は硬い音、語中は柔らかい音が多い)。旅行者レベルではどちらで読んでも大きな問題にはならない。

まとめ

22文字+語末形5つの一覧。

子音(22文字)

א ʔ
ב b / v
ג g
ד d
ה h
ו v / o / u
ז z
ח ch
ט t
י y / i
כ k / kh
ל l
מ m
נ n
ס s
ע ʕ
פ p / f
צ ts
ק k
ר r
ש sh
ת t

語末形(5文字)

ך k / kh(כ の語末形)
ם m(מ の語末形)
ן n(נ の語末形)
ף p / f(פ の語末形)
ץ ts(צ の語末形)

記号

׳ ゲレシュ(外来音を表す)

ヘブライ文字は22文字で、このシリーズで扱った文字体系の中で最も少ない。右から左に読むことと、母音がない(ו と י で部分的にヒントがある)ことの2つが最大の特徴。

外来語メニューは子音だけでも元の音を知っていれば読める。ヘブライ語固有の単語は母音の推測が難しいが、文字を音に変換さえできれば翻訳アプリが使える。22文字を覚える負担は軽い分、「読む」ための推測力がこの文字体系の本質だ。

テルアビブの街を歩くと、看板や道路標識がすべてヘブライ文字で書かれている。右から左に文字を追い、子音から単語を推測する。ירושלים(エルサレム)、תל אביב(テルアビブ)。22文字を知っているだけで、街の看板が暗号から文字に変わる。